17 焚き火でできたもの
「ラセル……?何かあったの?」
呼ばれてはっとして見れば、紫色の瞳が間近でラセルを見上げていた。
深く考え事をしていて、何度か呼ばれたことに気づかなかったらしい。
「何かあった?疲れてる?」
拠点である。まだ昼を過ぎたあたりで、虫も鳥の声も、活発に鳴いている。
あれから、探知機に異常がないか出力を上げながら帰ってきたが、やはり壊れてはいないらしかった。そうして戻ってきて、海藻を乾燥させようとあちこちに干し、武器を増やそうと竹を削って槍を作っていたところだった。
あの洞窟のことが気になって、つい手を止めて考え込んでいた。
「あ——お嬢様。おかえりなさいませ」
大荷物だった。
持って行った袋いっぱいになって、ここまで運ぶのは大変だっただろう。
「お迎えに行けず、申し訳ありません」
少ししたら行こうと思って、どれくらい時間が経ったのだろうか。
「いいの。道を作ってくれてたから、すごく楽になったわ!」
元気いっぱいなままそう答えられる。
「お怪我は」
「ないない。ちょっとシャワー浴びてくるわね!」
砂も汗もたっぷりついて、すっかり汚れている。おまけに海水でベタベタしていた。
ドン、と袋を置いて、フィーアは水筒だけ持って水場へ行った。顔が真っ赤になっているのは日焼けしたせいだろう。体調は問題なさそうなのを見て、ホッとする。
フィーアは屋敷に引きこもっていたにしては、基本的に頑丈なようだ。両親であるシュバイツとデイジーも辺境を守る伯爵家の当主らしく立派な体格と頑強な体をしていたから、遺伝なのかもしれない。
鼻歌を歌いながらしばらく水を浴びていたかと思うと、またご機嫌で帰ってきた。
ラセルがタオルを渡すと、フィーアはお礼を言って受け取る。それを肩にかけ髪の雫を吸い取りながら、袋の中身を取り出した。
「まずは、これ」
取り出したのは手の平より大きいくらいの巻貝だった。
「食べられるかな。中身は入ってるみたいなんだけど」
「そうですね」
ラセルは手にとって重さを確かめた。ずっしりとした体感では、ちゃんと身が詰まっているようだ。蓋を叩いてみると、きゅっと反応する。活きもよさそうだ。
「食べられそうです」
ちょうどいい液体の入れ物にもなるだろう。
「やった。あとね、これと、これと——」
そう言って並べたのは、昨日と同じ目玉のような模様のある貝、薪になりそうな棒切れと流木、大きなシャコガイ。
「大量ですね」
「それでね、ついに!」
ジャーン、とでもいいそうな勢いでフィーアが最後に取り出したのは、ピチピチと跳ねる1匹の魚だった。手の平程の大きさだったが、それでもまだ尻尾を元気よく動かしている。
「とれたの!」
なるほど、この魚がとれて、嬉しくなって帰ってきたらしい。
「すごいですね」
「焼いて食べましょう!」
もう、早く食べたくて仕方ないようだ。
「では、料理します」
「私がするわ!」
「え、しかし……」
「棒を刺して焚き火にかざすのよね。見たことあるの!」
下処理や火加減諸々……気になったが、あまりにフィーアが張り切っているので、水を差すのも、と思う。思い描く料理に目が輝いていた。
内臓があっても鱗があっても食べられるし、火加減も、その都度横から調整すればいい。
「では、お願いします」
ちょうど良さそうな棒を手に取って、先をナイフで削る。その棒をフィーアに渡した。
さっきまで削っていた竹の削りかすと一緒に火に投げ入れれば、炎がいい感じに復活する。
ぬるぬるとした魚に棒を刺すのに、そもそもフィーアは苦戦した。手を刺すんじゃないかと心配になりながらも口も出せず、じっと見るのもと思って、ラセルはチラチラと作業をするフリをしながら見守った。
何とか刺して、それを地面に刺す。
グラついてはいるが、形にはなっている。あとは火が強すぎないように気をつけながら——そう思った瞬間。
フィーアの手が、魚の串を地面に刺した瞬間だ。
炎がゆらめき——そのゆらめきを、ラセルは見逃さなかった。考えるよりも先に体が反応する。
地面を蹴り、飛びつくようにしてフィーアの体に覆い被さった。そのまま抱えて、洞窟の奥へ飛翔する。
瞬間、焚き火のあった場所から轟音と共に火柱が上がった。
ゴウッ、という音と共に、視界が赤く染まる。暴発したような炎の塊が、空へ競り上がって伸びていった。周囲の空気も一瞬震えたほどの、巨大な火柱だった。
幸い、火力はすぐに弱まる。火柱はまた落ち着き、やがて小さくなって、バチ、バチ、といつもより少し強いくらいの火力になった。
圧倒的な火柱の後には、その弾ける音以外、密林自体が驚いたように静寂に包まれた。
流石のラセルも、瞬時には反応したものの、驚愕に固まった。
フィーアの起こす誤作動が、最近可愛いものばかりだったから油断していた。
一歩間違えば大変なことになっていた。目の前でフィーアが真っ黒に焦げた姿を想像して、ぞっとする。心臓がバクバクとうるさくなって、しばらくそのまま動けなかった。
しっかりしろ、緊張を緩めるな。一瞬の油断もしてはならないと思っていたのにと、自分に言い聞かせる。
ケホ、と腕の中で小さく咳き込む声にハッとする。
飛び退いて、フィーアの様子をざっと見る。怪我はなさそうだが。
「お嬢様、お怪我は……火の粉が、かかりませんでしたか」
「それを言うならラセルじゃない」
フィーアは少しびっくりしたようだったが、いつもの声の調子だった。
「私はいつも通り、ラセルのおかげで無傷よ。ラセルは?背中は大丈夫?火が……」
「問題ありません」
「そう……」
フィーアは静かにそう言ってから、はたと焚き火を見て止まった。ラセルもそれに合わせて焚き火を見て、問題の物を見つける。
焚き火の周辺は焦げ付いて黒くなっている。燃えやすいものはなかったから、土や一部の木が多少焦げたくらいになっただけだ。上は、今までより空の天井が広がって明るくなったように思う。
ただ……魚だったものは黒い炭のようになっていた。
フィーアをそっと離して、ラセルは魚を確かめに行った。
「あ……」
熱いかもしれないという心配もいらないほど、魚は炭化して、乾燥しすぎて少し触れただけでポロポロと崩れ落ちた。棒の一部にだけ、焦げた白身が申し訳程度に残っているだけだった。
これ食べますか——いや、そんなこと言ったら余計落ち込ませそうだ。鳥の餌ほどもない。
ラセルとフィーアの間に、気まずい沈黙が流れた。




