ピンクブロンドのヒロイン何故か色々巻き込まれる
珍しく短編で仕上げました笑
この話をいつか中編で書き上げてみたいと思いながら
「君のことを僕は海より深く本気で愛していると誓おう。だが……両親はどうしても君のことを認めてくれなかった。分かっているよ。生まれは変えることはできない。貴族たるもの家名を背負うことになるのはマデリーンも重々承知だろう?
すまない……僕だって本当に嫌なんだ。父が持ってきた見合いなんて頭から断るつもりだったんだよ。だけど母が泣くんだ。侯爵家の寄子である僕がこの縁談を断ったらどうなるか不安で仕方ないって。だから不本意なんだがこの縁談は断れないんだ。わかってくれ。僕も嫡男としてクライスラー侯爵家の令嬢をこちらから断るなんて不可能なんだよ」
誠実そうな恋人の硬い栗毛の前髪が強い風で煽られるのをマデリーン・ルビーブリッジ子爵令嬢は呆然と見つめた。
セオドア・スタローン伯爵令息は辛そうに瞳を伏せた。
先ほどまで甘い口付けを交わしていたのに。
そわそわしている恋人から『結婚してくれ』と言われると思っていたのに。
強く抱きしめられたから、いよいよかと思ったのに。
マデリーンはいきなり崖から突き落とされたようなショックを受けた。
「……それは……私の家では釣り合わない……その、母が貴族じゃなかったから私をご両親に会わせてくださらなかったのはそういうことでしたの……そうですか……要するに私とは今日をかぎりに別れたいということですのね」
王宮に勤めてからすぐに付き合い始めた二人はこの春で交際も丸っと二年目。
マデリーンにとって初めての恋人だ。
結婚を意識し始めたのは二十歳という誕生日を来月に控えていたからだが、まさか向こうが自分を捨てて見合い結婚をするんだと言ってくるとは思いもしなかった。
(驚きすぎて言葉にならないわ)マデリーンはセオドアの言葉が全く耳に入らないくらいに呆然としてしまう。
最近セオドアの仕事が忙しいとデートを断られ続け、一月ほど会えない日が続いていたのだが、今日は公園デートに誘われた。
久しぶりのデートに舞い上がって、いつも以上に思い切りおめかしをしてきたマデリーンはセオドアの言葉がショックすぎて、あまりのことに涙も出ない。
セオドアとは王宮文官と侍女という立場でお付き合いが始まり、周囲の友人も交際を知っている。
友人の一人が『スタローン様をジュエリーショップで見かけたわ。もしかしてプロポーズされるんじゃない?』と三日前に冷やかしてきた。
『そんな!やだ!セオドア様から結婚話が上がったこともないのよ。気が早いわ!』と笑いながら、燥ぐ友人を窘めた。
だが今日のデートに指定された場所が初デートと同じ植物公園であったため、もしかしてもしかするかもとロマンチックな期待に胸を膨らませた。
なのにこの結果である。
「ああ、悲しまないで、僕の最愛の人。君ほど可愛らしくて愛らしくて、キャンディーのような素敵な女性はいない。その証拠に僕は一度だって君以外の女性に目を向けたことはない」
「そうね……セオドア様は私を大切にしてくださいましたわ」
「王宮で一番可愛らしい僕の恋人。本当に可愛い人だ。だから君とは離れたくないよ」
セオドアは呆然として息を詰めているマデリーンを優しく抱きしめた。
「だから僕たちはこれからも恋人だよ」
(……………………え?)
マデリーンが顔を上げるとセオドアが困ったように微笑んだ。
「僕は愛のない結婚を已む無くする。でも君への愛は本物だ。これこそ真実の愛なんだ。だから僕の政略結婚なんていう障害に真実の愛が負けちゃいけない!!」
「へ?」思わず令嬢らしからぬ声が出た。
「ハニーー!!悲しまなくていい!!僕はお飾りの妻なんて決して愛さず生涯君を愛す!!だから信じてほしい!!」
マデリーンは混乱した。
(これは別れ話ではない?え?お見合いの話が上がったけど二人で家を捨てて駆け落ちしようという話なのかしら?)
マデリーンは混乱しながらセオドアの瞳を覗き込んだ。
彼の瞳には真剣な感情が籠っている。
「だから安心して僕に任せてくれ!大丈夫だ。クライスラー侯爵家の資産は潤沢にある。君には一生苦労はさせない」
「あ……あの、セオドア様?それはつまり?」
「真実の愛の家庭を僕はもう一つ持とうと思っている」
セオドアの自信満々な表情にマデリーンは困惑した。
自分は結婚するけれど、マデリーンとの関係も継続する……それってつまり……
もうそれは間違いなくそうじゃないだろうか?
マデリーンは恐る恐るその言いたくない言葉を口にした。
「つまりそれは私に妾になれということでしょうか?」
そう言った途端セオドアは額に手を当て天を仰いだ。
「違う!真実の愛の家庭だ!決して妾なんていう軽々しいものじゃない!」
「ですがセオドア様はクライスラー侯爵家のジャクリーン様とご結婚なさるのですわよね?」
「あんな女は政略結婚の偽物の妻だ」
「でも、本妻は?」
「そんな悲しい言葉を使わないで、愛しいマデリーン。心の妻は君だ」
「でもセオドア様が挙式をあげて、神様の前で愛を誓うのはジャクリーン・クライスラーですわよね」
もう一度マデリーンが口にするとパンッと乾いた音が響きマデリーンの頬に熱が走った。
「なんて悲しいことを言うんだ!マデリーン!君を死ぬ気で愛し抜いている!なぜ僕の気持ちがわからないんだ」
セオドアの男性にしては細い指が。その掌がブルブルと震えているのが見えた。
(頬を叩かれた)
その瞬間マデリーンの心の糸がブツリと音を立てて切れる。
「そんな都合のいい話、あってたまるかですわ!!!!!」
マデリーンは瞬発的にセオドアの肩を掴むと思い切り膝蹴りでゴン!とセオドアの股間を蹴り上げた。
「もう二度と連絡して来ないで!」
淑女とは思えないほどの大声を張り上げるとマデリーンは肩をいからせて植物公園の出口へと足早に向かった。
目の端に蹲るセオドアの姿が映ったが振り返る気には到底なれなかった。
ピンクブロンドの『真実の愛』がピッタリ似合う令嬢は驚くほどサバサバした下町育ちであった。
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マデリーンはルビーブリッジ子爵家の養子である。
正確には元ルビーブリッジ子爵の妾の子だ。
生まれた時からマデリーンは母娘で暮らしていた。父親は戦争で死んだと聞かされていたのでその存在を確かめようと思ったことなど一度もない。
母親は朝はおかずを挟んだパンを売り、昼には弁当を出す小さな飲食店を営んでマデリーンを育ててくれた。
母は子供の目から見ても中々の美人で、子持ちではあったが男性から人気はあったように思う。
弁当の味は月並みであったが店は非常に繁盛していた。
それに戦争があった国での未亡人は決して珍しくないため、周囲の人もたくさん手を貸してくれた……そんな街で彼女はのびのびと育った。
下町暮らしが性に合っており、平民として十二歳まで育ったマデリーンは何の疑問も持たずに大きくなった。
そんなある日貴族の馬車が学校の前に停まり、彼女は攫われるようにしてルビーブリッジ子爵家に連れて行かれた。
子爵家の大奥方が『夫の隠し子を探して』と遺言を残し、当主のオリバー・ルビーブリッジ子爵が父の隠し子であったマデリーンを引き取ったのだ。
初めの頃はビクビクと借りてきた猫のように怯えて暮らした少女は、子爵家の大らかな気質にそのうち絆され、安心して生活するようになる。
心配していたような『庶民のくせに生意気な!』という貴族特有の意地悪はされなかったからだ。
マデリーンの種である父サミュエルはマデリーンが生まれて間も無くして肺炎を起こして亡くなったそうだが、子供のことは本妻に死ぬまで隠し通していたらしい。たとえ庶民の娘との浮気であっても本妻に知られては不味いと理解していたようだ。
子供が出来たとわかった時にまとめた金額を渡してトラブルにならないようにしていた。ちゃっかりしていたマデリーンの母はその資金で店を開いたのだろう。
だが、オリバーの母親は夫の浮気に勘づいていたらしく死の床で『夫に隠し子がいるかもしれない……探して』と発言して息を引き取った。
慌てた息子は方々を探し回り、ついに下町でマデリーン親子を見つけたのである。
時が十二年も経てば状況は変わるもので、その昔愛人であった母親は肉屋の主人と再婚しようとしていた矢先であった。
そのためオリバーの『一緒に住みませんか?』という申し出を丁寧に断り、母娘は別々の生活を選択することになる。母親は再婚し引き続き下町に住み続けた。
戸籍上の父親であるオリバーとはマデリーンは歳の離れた兄妹ということなのだが、このオリバー子爵は本当にできた人間であった。
父親の不義の子であるマデリーンを『可愛いなあ、この歳で兄になれるなんて思ってもみなかったよ』と大切に育ててくれ、貴族の学校にも通わせてくれた。
しかし勉強は正直苦労した。
庶民の学校には通っていたが何せレベルが違う。
マデリーンは国の歴史など大して習っていなかったうえ、王家や貴族の名前なんて全く知らない。礼儀作法も付け焼き刃。学校だけでは勉強が追いつかなかったため急遽家庭教師も雇ってもらった。
マデリーンの容姿は実は飛び抜けて可愛らしく、髪や瞳の色も特別な色であった。
真っ白な抜けるような肌に、さくらんぼのような唇。
特徴的なのはピンクブロンドの髪だ。豊かな量の髪は柔らかで、何処にいても目立っていた。
もちろん庶子であるということは暗黙の了解である為学園では小さな虐めはいつもあった。
だが下町育ちのマデリーンからすると貴族の嫌がらせは〈大したことない〉ものであった。
別に靴を隠されても靴下のまま歩くことくらい平気だったし、トカゲがカバンに入っていても素手でつまみ出すくらいはお手のもの。
椅子に画鋲がばら撒かれていても、素早く磁石で集めて空き缶に入れて大事に持ち帰った。
騒がず、慌てず、相手にしなければ嫌味を言っていた令嬢たちはそのうちいなくなってしまった。
マデリーンにはそれよりも頭を悩ます問題があった。
なぜか高位貴族の男子生徒が婚約者そっちのけで一生懸命に声をかけてくるのだ。
毛色の変わった子猫をあやす様にマデリーンにやたらと絡んでくる。
これには本当に閉口していた。正直学園を辞めたいと何度も兄のオリバーに泣きついたほどである。
本人は避けて通りたいのに、鬱陶しい男たちは『ピンクの子猫ちゃん』などとゾッとするような呼び名でマデリーンを待ち伏せし、当たり前のように声をかけてくる。
第二王子や、騎士団長の息子。宰相の次男坊。
癖のある高位貴族の子息たちのねっとりした言葉は正直寒気がするほど嫌いだった。
マデリーンの容姿は確かにずば抜けて可愛かったかもしれない。
しかし、下町の男の子たちは『ごめんね、興味ないんだ』といえばサッと身を引いてくれていた。
断られたり、人から否定されたことのない貴族の男の始末の悪さは言葉ではいい表せないほどの苦労である。
『フッ、そんな風に拗ねてみても君の心のうちは隠せないよ』
『ハニー、俺にだけに本気の言葉をむけてくれるんだね。爵位を超えて胸に刺さるその尖った愛情表現。その気持ち受け取るよ』
これらはマデリーンが発した本気で拒絶した内容に過剰に反応した男子生徒たちの発言である。
最初は各々の婚約者の令嬢たちに顔を顰められたが、マデリーンが本当に嫌がっているのを見ると、聡明な女生徒たちは『婚約者としての資質を問いますよ』と各家庭で父親たちに苦言を呈し、問題を解決していった。
そして、学園を卒業し、王宮勤めが始まった途端それらはパタリと止んだ。
マデリーンの日々に平和が訪れたと言っても過言ではない。
仕事先を選ぶときに王宮にしたのは優秀であったからではない。
体力と強い精神力と、臨機応変さが認められたからである。
(庶民が稼ぐ給料の二倍も稼げるの!?絶対に王宮に採用されたい!)
貴族令嬢にはあまりない『ガッツ』を見込まれ、体力の必要な中位の侍女職が与えられた。
要するに雑用係の部署である。
他の侍女たちはすぐに異動願いを提出するのに対し、マデリーンは全くへこたれず、
『こんな稼げる仕事簡単に辞めないわ。ルビーブリッジ子爵家からいつ放り出されても大丈夫なように自立しておかなきゃ』と考えていたのである。
それに家族のことを慮っての決断でもある。
父であり、兄であるオリバーにこれ以上金銭的に迷惑をかけたくないという気持ちと、オリバーの嫁との相性がほんの少し悪かったからだ。
オリバー夫婦には残念ながら子供が出来なかった。
オリバーは自分の種に原因があるんだとわかっているらしく、それならば家督を継ぐのをマデリーンの子供に託したいと考えているようだった。
しかし生粋の貴族生まれ、貴族育ちの妻はどうにも納得していないようだと薄々感じていた。
引き取った当初は非常に可愛がってくれていたが、マデリーンが美しく成長するにつれて眉間に皺を寄せるようになり、オリバーに『平民の血が混じった妹に婿を取らせるのか?』と何度も苦言を呈していた。
表面上は穏やかに付き合えてはいるものの、要するに家督をマデリーンと未来の婿が継ぐのを嫌だと思っているのだ。
子爵家の家督にそれほど興味がないマデリーンからすると杞憂であるとしか思えないが、青い血に拘る姉はそんな言葉に耳を貸さないだろう。
(貴族とは厄介なものだ……)とマデリーンは幾度も溜息をこぼした。
結果的に家からは独立。
侍女の仕事は高給でマデリーンの生活は順風満帆。贅沢な服を一年に一度仕立てるくらいは潤っており、自分へのご褒美に食べたい食事にもお金を使える程度は稼げていた。
友人たちにも恵まれ、恋人との甘い時間も得られ本当にこの二年間は楽しい思い出しかないくらいだ。
結婚というものを除いては……
セオドアのことがマデリーンは本当に好きだった。
五歳上の彼は非常に優しく、中堅の伯爵家の長男で派手なことも好まない実直なタイプだと思っていた。
見た目は決して抜きん出てかっこいいわけではない。だがバランスの良い切れ長の瞳は真面目な性格を表しているようで好ましかった。
貴族はお付き合いが始まり、安定した一年を迎えると大概お互いの家族に顔合わせしてくれると聞いていたのだが、セオドアからは忙しさを理由に毎回断られていた。
オリバー達に交際は伝えていたので子爵家の晩餐に招待されたこともあったのだが、セオドアは
『先ずは俺の家族に挨拶してからがいいだろう?』とマデリーンに苦笑いするばかり。晩餐の招待を断られ続けていた。
あぁ、自分は貴族のこのような作法がやっぱりわかっていないからセオドアの家族に中々会わせてもらえないのだな……と思って、マデリーンなりに努力も怠らなかった。
季節の変わり目に挨拶状や、小さな贈り物をセオドアに手渡し続けた。
侍女の特権として王室御用達の菓子などが手に入る時は必ずセオドアの家用に追加購入し、手紙も添えて……
相手の家族に少なくとも嫌悪されないように細心の注意を払っていたと思う。
なのに……
なのに……
「お見合いするなんて……私のことセオドアは最初から結婚する気なかったんじゃない」
悔しくて涙がポロポロと溢れた。
今となってはセオドアがどこまで家族に自分のことを話していたのかはわからない。だが庶民出身のマデリーンでは、セオドアの家族には気に入っていただけないのだ。
けれど生まれる腹はどんな努力を重ねても覆らない。
マデリーンはそれをよく理解していた。
だから貴族の通う学院で王子や宰相の息子達が親の家名で大きな顔をしていることが嫌いだった。
庶民の僻みではなく、まだ何者にもなっていない彼らが『私の家は〇〇だから……』と声高に叫ぶのが滑稽に思えたのだ。
お金があり、そのお陰で多くの人間が傅くかもしれない。でもそれは親が持っているお金のお陰なのだ。もっと言えば、そのお金を生み出しているのは貴方が小馬鹿にしている庶民の税なのだと考えていたので、高位貴族の御坊ちゃん達が本当に嫌だった。
しかし嫌悪していたその家の格にマデリーンは敗北してしまった。侍女として働くことで、世間のことをより理解したつもりだったが、まだまだ努力では追いつけなかった。
それにセオドアの本質を見抜けなかった自分に腹が立つ。
「これからも王宮で会わなきゃならないかと思ったらムカついて仕方ない」
マデリーンは自宅のクッションを何十発も殴り倒すのであった。
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「ということで、私振られたのよ」
マデリーンはイザベラ・ボイル侯爵令嬢に愚痴をこぼした。
イザベラは第一王女の侍女で所謂特級クラス。マデリーンよりずっと格上の仕事をする女性だが、彼女は元同級生。
第二王子や高位貴族の子息たちが恋愛ゲームを楽しもうとしているときに宰相の息子の婚約者が彼女だった。イザベラは婚約者の浮ついた態度を見かねて、真っ先に相手の親に釘をブッ刺した人物だ。
周囲の意見に左右されず毅然とした態度で接し、見事な婚約破棄を見せた根性の据わった令嬢である。あまりの手際の良さに婚約破棄後にマデリーンはすぐに感動を手紙に認め、念願叶って友人となった。
今日は二人とも休みを取りボイル邸でお茶会ならぬ、女子会を開いてもらった。
話があるのと伝えた途端、イザベラは休暇をもぎ取ってくれたのだ。何かあったに違いないと、察しの良い友人のイザベラに友情を感じながら先日の出来事を事細かに話した。
「なんですって、セオドア様ったらジャクリーン・クライスラー侯爵令嬢と婚約したの!?嘘でしょう?」
イザベラは信じられない……と口元を扇子で覆った。
「セオドア様ったら私に妾になれって言ったのよ。真実の愛は君だけだから妾じゃないんだって私を説き伏せようとしたの。もう頭に来てしまって」
そう言うと思わず涙が込み上げてくる。悲しいんじゃない。悔しいのだ。マデリーンは知っている。派手なピンクブロンドとまあまあの容姿で男たちが近寄ってくるが彼らはみんなマデリーンを戯れるための蝶のようにしか扱わない。
子爵家とはいえ、庶民の母の腹から生まれたマデリーンを本命の結婚相手とは考えていないのだ。
「それはなんと言うか……大丈夫ですの?マデリーン」
イザベラは心配そうにテーブル越しに優しく手を握ってくれた。
「ええ、本当にそんな相手の本性を見抜けなかった自分にも腹が立つし、期待していた自分にもガッカリしたの。私ってまたもや本命ではないのねって思ったらすごく寂しくなって」
マデリーンはかつての自分を知っているイザベラにはスルスルと本音が言える。
イザベラの婚約者だった青年もマデリーンにちょっかいを出していたが、きっと婚約破棄するつもりなど微塵もなかったに違いない。イザベラがそのような浮気心を許さなかっただけで。他の令嬢はそのまま結婚にまで至ったりもしている。
当時宰相は随分とボイル侯爵に頭を下げて『一時の気の迷い。若気の至りだ』と必死に説得に当たっていたらしい。だが、娘を大切にしているボイル侯爵は婚約をキッパリと断ってくれた。
イザベラとマデリーンの共通点は男性に誠実さを常に求めている点だ。
一生を過ごす相手が、自分に不誠実であったならきっと家庭を築くときに不安であったり相手にストレスを感じ続けなくてはならないと思うから。だから二人は王宮に上がるとき『絶対に真実の愛をここで見つけましょう!』と誓い合ったのである。
結果イザベラは歳は一回り上だが外務大臣の男性と婚約し、来年の春には結婚の運びとなっている。
そしてセオドアとマデリーンもあと少しで結婚になるのでは?と盛り上がっていたのにこの結果。
本当に不甲斐ない妹分で申し訳ない……とマデリーンは項垂れた。
「口の悪さも直して、貴族らしく振る舞ってきたつもりだったけれど結局私はダメそうね。もちろん母から生まれたことを恨んだりはしていないわ。だけど貴族ではない母から生まれたことでこんな目に遭うのってやっぱり納得がいかなくて」マデリーンが苦笑いするとイザベラは目を釣り上げた。
「何を言っているの!今やあなたは貴族令嬢として立派に立ち振る舞っているじゃない。悪いのは全てセオドア様だわ。私の大切な友人をこんな風に傷つけるなんて信じられない。どんなおつもりで婚約をするというの?だって貴方たちは公認のカップルだったのよ?社交界にも一緒に足を運んでいらしたじゃない。ジャクリーン様だって全く知らないとは思えませんわ。彼女はその婚約本当に望んでいらっしゃるの?私聞いてみようかしら?!」
扇子がしなる程イザベラは手に力を込めて怒っている。その姿を見ているだけで幾分か心が晴れるのを感じる。
その時背後から男性の声が響いた。
「イザベラ、お前がしゃしゃり出るのは違うだろう。それに聞いていれば女同士で愚痴ばかり。女性側の話しか聞かずに判断するとは浅慮にもほどがある。彼女にも落ち度があったかもしれないだろう?」
「お兄様!」声のする方に僅かに振り返れば二人の青年が立っているようだ。少し離れた入り口からイザベラと同じ黒髪の青年がやれやれと言うように肩を竦める。
「女同士でワーワー言うのは勝手だが、結婚は簡単なものではないのだぞ。ただの友人であるお前が一方的に話を聞いて男女のことに口を挟むのはあさましいぞ」
黒髪の男性はイザベラの兄らしい。ちなみにマデリーンは彼とは初対面であった。
「それにさっきから聞いていれば彼女は二年もお付き合いしていたんだ。家族に紹介してもらえない段階で色々と察しておくべきだったんだよ。確かに学生時代はその可愛らしい容姿で随分とモテたと聞いているよ。しかし男が見た目だけで相手を判断していると思ったら大間違いだ」
黒髪の男性は大声で話しながらティーテーブルにズカズカと近付いてきた。
「学園時代はどんなものか知らんが、婚約を申し込まれない理由に爵位のことや生まれのことを言い訳にするなんて、何か令嬢として妻として、至らぬ自分があると認めることだ。女は男に選ばれないなら本人そのものに問題があるもんだ」
な?と黒髪の兄は隣に立つ銀髪の男性に同意を求めた。
イザベラの兄はボイル侯爵家の嫡男で第一王子の側近の一人だと聞いている。
地位に甘んじることなく努力する人間だと聞いていたが、他人相手にも随分と手厳しいことを言う人間らしい。
イザベラの兄はテーブル横に立つとマデリーンをチラリと見て一瞬大きく目を見開いた。
「まあ、その……なんだ。君のように愛らしい女性であれば、その……そこを反省して次に進めば……その……良いご縁もそのうちあるんじゃないか?」
マデリーンの顔をチラチラ見ながら急に言葉を吃らせる兄を見てイザベラは怒りの一言を打ちつけた。
「お兄様!本当にデリカシーの欠片もなければ思いやりの欠片もありませんわね!それにマデリーンがあまりに可愛いから思わず言い淀んだんでしょ!私には隠せませんわよ!!」
兄は急に耳まで真っ赤にすると更に大きな声で返した。
「な!!何を言うんだ!!俺は年長者としてのアドバイスをだな!!」
二人がギャーギャーと貴族らしからぬ声で言い合いを始めたのでマデリーンはスッと立ち上がり、カーテシーをして見せた。
「お初にお目にかかります。ルビーブリッジ子爵家長子のマデリーンと申します。本日はボイル邸にお招きいただきありがとうございます」
そう言うと虚を衝かれたような顔で『ああ……その……ライオネルだ』とボイル家の兄はボソボソっと答えた。イザベラが言った通り、マデリーンの容姿に明らかに動揺している男は態度を幾分和らげた。
「はい、お聞きしております、優秀なお兄様でいらっしゃいますわね。いつも友人のイザベラ様には大変にお世話になっておりますわ。学園時代から大変良くして頂き私のような爵位の者にも分け隔てなくお付き合い頂いておりますの。それにボイル様も私に対しての貴重なご意見ありがとうございます。お聞き苦しいお話でしたわね」
そう言うと、ライオネルは『いや、そんな、ちょっと俺なりに思ったことを』と、照れたように口篭った。
「ところで……」
「ああ、うむ、まあこれも縁だからこれからは俺になんでも相談してく……」
「立ち聴きするのが王家側近の皆様のセオリーですの?」
マデリーンは笑顔のままライオネルを見上げた。
「は?」
「私たちの会話を立ち聴きするなんて男二人で何をしていらっしゃるのかと思いまして。こんな昼下がりに。良いお年をした側近の方達は随分とお暇なのですわね。ワーワー言うのを立ち聴きするのが良い歳をした男性のやることなのかと私驚いてしまいまして」
そう言うとライオネルと隣の銀髪の男は顔をみるみる真っ赤に染め上げた。
「すみません。私のように至らぬ人間の想像を超える立派な何かがお有りなのかもと思ったのですが、いかんせん想像力が乏しく……昼間の……ずっと年下の……妹のお茶話に口をお挟みになる王子の側近の方の日常って何???って思ってしまいまして」そう言うとマデリーンはにっこり笑って見せた。
ライオネルにこの嫌味は十分伝わっているようで更に顔を赤くしている。隣の銀髪の男性は呆気に取られた顔のまま目を見開いた。
「本当におっしゃる通り私がもっと魅力的な令嬢であればクライスラー侯爵令嬢に恋人を奪われることもございませんわよね。ましてや妾になれだなんて言われるはずがございませんわ。私の至らなかった点って何処だったのでしょうね?まぁ問題は何処だったかは取り敢えず後で考えるとして……男の方につき従えるような従順さがあれば私も婚約を申し込まれていたのかしら?ボイル様は本当の本当にそう思っていらっしゃる?侯爵家の良いお年のご嫡男様は家格が釣り合わなくても愛と努力が全てだとお芝居のように信じていらっしゃいます?あぁごめんなさい、私の一方的な意見を申してしまって」
そう言うとライオネルは気不味そうに表情を歪めた。
イザベラは普段は嫋やかであるのに美しい顔を険しくしたまま兄を睨みつけた。
「マデリーンのことは私が話題にすることも多かったですから、興味が湧いたのはわかりますわ。ですが噂話で私の友達を判断し、水溜りより浅い見解を披露なさってどういうおつもり?妹として恥ずかしいわ。
マデリーンはね、この可愛らしい見た目と違って学園時代から男の人に目もくれず、一心不乱に猪突猛進で自分を庶民から貴族という名の下に相応しい人間になろうと懸命に努力した、臥薪嘗胆、雨垂れ石を穿つといった尊い女性よ。それを何が本人の問題よ。私から見たらお兄様の方がよっぽど問題だわ」
何やら女性の褒め言葉にしては随分とパンチの利いた言葉が飛び出たようにも思えるがマデリーンは再び感動に胸を震わせた。セオドアが認めてくれなくてもいい。イザベラがここまで自分を認めてくれたら本当にいいじゃないかと心から思えた。
ライオネルが『う……それは……』と言葉を詰まらせ、声を絞り出そうとすると銀髪の青年がライオネルの腕を掴んだ。
「彼女の言う通りだな。良い歳をした大人の男がご令嬢たちのお話をこのように遮って良いわけがない。この国は貴族位のことを拘る家もまだまだ多い。事情も大して知らないのにお茶を邪魔してしまって申し訳なかった。失礼するよ」
そう言ってライオネルの体の向きをグルンと回転させ足早に去っていった。
「なんなのかしら……マデリーン本当に申し訳ないわ。兄ったら何て恥ずかしい」
イザベラがプリプリ怒りながらマデリーンにお詫びするが、マデリーンも嵐のような兄の登場に呆気に取られてしまい、なんだったのか?と苦笑いしかない。
「初対面のお兄様に噛みついてしまったわ。ごめんなさいね」
マデリーンも頭を下げる。
本当になんの嵐だったのか……マデリーンは学院時代の自分に戻ったような自分をつい笑ってしまった。
マデリーンは男女に関係なく、このように思ったことをついつい言い返してしまうところがあった。
綿菓子のように甘めで、可愛らしい容姿であるのに、その気の強さは持って生まれたものなのか……
相手が男であろうが思ったことが口から飛び出てしまうことが多かった。もちろん年齢が上がるにつれそれは自制するようになったのだが。
「本当に……でも貴重な意見を頂いたわ。確かに二年もあったのに私は気が付かなかったし、ご両親には生まれのことで認められなかったと思っていたけど、それはセオドアが言っていたことだもの。もしかしたら私が気に入ってもらえていなかった可能性もあるのよね。だから」
「だから?」
「自分のこと大切にしながらもっと精進するわ。男の人に気に入ってもらえるようになるっていう方向とはもちろん違うわよ。『マデリーンみたいに素敵な女性を待っていたんだ!』と言われるような女性になるって意味ね」
そう言うとマデリーンはフフフと笑った。
「きっと貴女のそういう真っ直ぐで裏表のない性格を、心から愛してくれる男性は絶対に現れるわ」
イザベラは微笑んだ。
二人はその後暫く雑談を楽しんだ後、お茶会をお開きにした。
後日……マデリーンは王宮で王女殿下に呼び止められお茶会に誘われることになる。
マデリーンに一目惚れした隣国の公爵がプロポーズをするまでそこから一年だが、出会いはボイル侯爵家のお茶会であったのは察しの良い読者の皆様ならもうお分かりかと思う。
ライオネルは当然のようにマデリーンに振られたり、お約束のように場をかき乱したりもするのだが、それもこれもピンクブロンドのヒロインが結婚する過程の良いスパイスとなったのは言うまでもない。
短編にするとセオドアの後始末など書かないものですね笑