8)第七話 黒紅梅 / KUROBENIUME
夜 部屋にデンキをつける
カチッ 明るくならない
二度 三度 スイッチを押す
カチッ カチッ
冷たい音がするだけ……
ああ デンキュウが切れたのか
デンキュウを付け替える
部屋は明るくならない
暗闇に立ち尽くし 初めて気が付く
想定外のことが起きたのだと
【灯り】は なぜ消えたのか?
消える サラジダ ——
三回目に会ったのは、二週間後の休日だった。
静かに話せる場所の方が良いと、クリハラの知っている恵比寿のカフェがその場所に指定された。クリハラとセナは ほぼ同時に到着した。冷房が強めに効いた店内は落ち着いた雰囲気で、客席は半分ほど埋まっている。五分ほど遅れてナオが登場した。
二人が雑談をしていたテーブルの脇に立つと、タケダ・ナオです、遅れてごめんなさい、よろしくお願いしますと頭をぺこりと下げた。会ってここまでの会話で『料理教室』でペアを組むのは『女性』だと伝えていない。注意深くクリハラの様子をセナはチェックした。初めは驚きを隠さずにいたが、直ぐ切り替えて納得したようにナオを迎えた。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
ここからクリハラは少し黙った。
気まずい沈黙が続く。斜め向かいの席に座る学生らしい若い女性二人組の、切れ目ない会話が打楽器のように聞こえて来る。ちょっとマズいことになったかも、セナは焦った。ここからどんな話をすれば良いのか?頭をフルで回転させて必死で言葉を探す。隣のナオも同じような様子に見て取れた。
イチかバチか何か言おう、セナがそう考えた瞬間だった。クリハラは二人を見て静かに言った。
「そうか。時代が変わったとはいえ、まだまだ大変なことがあるんだよね」
クリハラの正面に座るセナとナオはあえて沈黙を守った。そこへ店員が注文を聞きに来た。ナオがカフェアメリカーノをアイスで頼んだタイミングで、セナはストレートに質問を投げかけた。
「大丈夫でしょうか?」
クリハラは優しい笑顔で頷いた。
「料理教室でも何度か見かけたことあるよ、女性のカップル」
セナとナオは思わず顔を見合わせて言葉を揃えた。
「良かったぁー 」
それを見たクリハラは小さく声を出して可愛く笑った。そしておもむろに袖を通さず肩に羽織っていた紺色のカーディガンを取って膝に置くと、隣の空いた席に置いてあったバッグの中からパンフレットのようなものを取り出した。それを二人の前に置くと、
「分かるなんて、そんなこと言えないけど」
クリハラはそう言って少し間を取って続けた。
「正直私も、いろいろハードルのある相手と一緒に居るから」
いつも穏やかなクリハラの表情に、ほんの一瞬 苦悩の断片が混ざって見えた。
「難しいことの想像は出来るんだ。他人は色々言うけど、出逢ってしまったことを無かったことになんか出来ないよね、今さら」
クリハラの言葉に謝意を示すように二人は黙って深く頭を下げた。
「そのパンフレットに入会のための必要なことが書いてあるから」
「ホントですか! 」
セナは素直に喜んだ。
「推薦、していただけるんですか? 」
ナオは言質を取るように、クリハラに言葉での確認を促した。
「もちろん。こうして二人が並んでいるのをひと目見て、ただの興味本位じゃないって。なんでかなぁー 分からないんだけど。応援したいって気持ちが起きてる」
セナとナオは再び頭を下げた。早速のようにナオがパンフレットへ手を伸ばしたのを眺めながら、事前に【色】の相性を知って人選びをして正解だったとセナは思った。
同時に申し訳ない思いがセナの中で湧き上がっていた。元上司タエの自殺の『なぜ?』を知るためとは言え、人の良さを利用した形になったことに少なからず罪悪感があった。クリハラは少女の時間を残したままの素直な人柄の持ち主だった。
「それと、」
クリハラはそう言うと、今度はバッグから財布を手にして中からカードを一枚出した。
「コレ、『料理教室』の会員証なんだけど。入会申し込みの時に推薦者の会員番号が必要になるから」
そう言うと二人の前に会員証を置いた。
見覚えのあるものだった。白地に朱色で三本足の八咫烏のマークと横に書かれた『SP Cooking School』の教室名。タエの遺品にあったものとまったく同じだ。
セナはナオの顔を見て目で合図を送った。自分のスマホは音声録音アプリが稼働している。ナオが撮影してとのメッセージだった。ナオは当たり前のようにテーブルに置いてあった自分のスマホを手にして会員証を撮影した。そして撮った写真を一応確認すると、ありがとうございますと言いながら会員証をクリハラに戻した。
「あとはそのパンフレット見て、手続きしてくれる? 」
この言葉で『料理教室』の件は終了と宣言したように、以降クリハラは『料理教室』のことも、二人の詳しい関係についても、あえて一切話題とはしなかった。話は海外生活の経験のあるクリハラとナオの帰国子女あるあるで盛り上がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セナとナオは次の週末、新橋で落ち合った。
ナオが利用しているドロップインの利用も可能なコワーキングスペースの打ち合わせ用スペースで、セナのパソコンを使って『料理教室』の入会手続きを行なった。専用のアドレスにアクセスして準備されたフォームに所定の事項を書き込む手順だった。作業はあっという間に終わった。
セナはナオと別れた後、自宅近くのBoulangerieを店名に使うパン屋に併設されたカフェでアイスコーヒーを飲んだ。
八月もすぐに終わるというのに、うんざりするような暑さの日が続く。太陽の勢いは一向に衰える気配がない。店内では空調が微かに震えるような音を休むことなく聞かせている。窓ガラスの外を気怠そうに歩く日傘の高齢女性を眺めながらセナは考えた。
クリハラはセナとナオを見て自分もハードルのある相手と一緒に居るから難しいことの想像が出来ると口にした。『料理教室』に入って行くのを目撃した時 待ち合わせをしていたあの男性だろうか? そうだとしたら、【ナイショの関係のふたり】が通うための教室、セナが立てたその仮説がいよいよ信憑性を帯びて来る。
そうだとすればタエはどうか? 夫は夫婦の仲も悪くなかったし家庭に問題らしき問題はなかったと語った。ではなぜ『料理教室』に通う必要があったのか? なぜ夫以外の誰かと【ナイショの関係】になったのか? そもそもその相手とは誰なのか? そして…… 自ら命を絶ったこととは関係があるのか、ないのか?
まだすべての真実が深い闇の向こうにあって何も見えていない。そうだと分かっていても、闇路の先で起きているかも知れない出来事の予感にセナは落ち着かない思いでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
申し込みを行なった翌々日。次の段階の『面接』へと進むことができる旨書かれたメールが『料理教室』の事務局から届いた。そこには『面接』の候補日時が複数書いてある。中から都合の良い日時を選んで回答するようにとのことだった。二人は話し合ってなるべく早い方が良いと意見が一致。近々の三日後となる水曜日に決めた。
『面接』が行われたのは、浜松町の『料理教室』の中にある会議室だった。
メールで指示された通りに訪ねると、通路に並んだドアの一つに『面接会場』の貼り紙がある。中で座って待つようにと書いてある。二人はそれに従ってドアを開けて入った。
冷房が効いてひんやりとしている。思ったよりも狭く、奥の一面がガラス張りでブラインドが降ろされてある。残暑の陽光がスラットの隙間から差し込んでいるが、外の景色はよく見えない。セナとナオは部屋の中央に置かれた長机の真ん中、その片側に並んで座った。
ほどなくして会議室のドアがノックされた。
二人の返答を待ってドアが開く。入って来たのは予想よりも若い女性だった。三十代の前半かも知れない。薄手の、僅かに赤みを帯びた黒いニットのカーディガンを羽織っている。背中までありそうな長さの黒髪を一つに束ねていた。表情に乏しい感じがセナには少し気になった。
「初めまして事務局長のカネコと言います。当『料理教室』への入会お申し込み、ありがとうございます」
そう挨拶をすると長机を挟んで向かい側に座った。セナとナオも、よろしくお願いしますと頭を下げた。緊張でドキドキと鼓動が早くなる。セナは横目でチラッとナオを確認した。机の上、自分の前に置いたリュックに両手を載せてじっとカネコのことを見ている。珍しく硬い表情をしていた。
「今日の面接ですが、」
持って来たパソコンを立ち上げながらカネコが言った。
「便宜上、面接とは呼んでいますが。申し込みの際に書き込んで頂いたことの確認が中心となりますので。どうぞ肩の力を抜いて質問には率直にお答え下さい」
二人が「はい」と返答したところでノック音が聞こえて別な事務員が入室すると、グラスに入った麦茶をどうぞと二人の前に置いた。そしてすぐに退室していった。カネコのものとよく似た黒いニットのカーディガンを着ていた。
事前の説明通り、質問は申し込み時に書き込んだコトの確認が主だった。それはつつがなく進み十五分ほどで質疑応答は終了となった。
「続いて、入会の際のご注意となります」
カネコはそう言うと、推薦者のクリハラ様からもお聞きになっていると思いますがと前置きをした後、普通の『料理教室』とは違う部分について話し始めた。
通常の『料理教室』では、何人かの生徒がグループを作り役割分担を決めた上で実際の調理を行うことが多い。しかしこちらでは、あくまでも二人で全部やるのが基本。とはいえ、出来る・出来ないの個人差があると思うので難しい調理技術が必要なメニューは極力避けて採用をしない。その上で、下拵えした材料を積極的に用いる。さらに現場には自分も含め調理の補助をするスタッフを配置。要望に応じてお手伝いもすると説明した。
「つまり、習った料理をご自宅で再現することは想定していません。その点はあらかじめご了承下さい。その場で一緒に作る喜びをぜひ楽しんで頂きたいと思います」
二人は分かりましたと応えた。
「ちなみに。調理器具などのセールスも紹介も一切行っていませんので。使用した道具についてのお問いわせもご遠慮下さい」
セナもナオも頷いた。カネコの話を聞きながらセナは、どの話もクリハラから聞いていた範囲のことばかりで特別なことはないのか?と思った。
ところがそう訝しんだ直後のことだった。
「ここからが、大切なお話になりますが」
そう発言したカネコの表情を見ると、乏しい中にも険しさが窺える
「こちらに書かれたことをご一読頂きたいんです」
カネコはその言葉と共に持って来た書類ケースから取り出した二枚の紙を、セナとナオ、それぞれの前に一枚ずつ置いた。
その紙には、主に三つの【注意事項】が太字で書いてあった。
一、他の会員のプライベートには興味を持たない
こと。
二、教室内で行うカメラでの撮影は、決められた
時間に「料理」のみを対象とすること。
それ以外の撮影は厳禁とさせて頂きます。
三、教室内での他会員との会話等の接触はなるべく
控えるようにお願いします。
そして、以上のことが守られない場合は『退会手続き』を取らせて頂くこともありますのでご注意下さいと書き添えてあった。
これほど気を遣わないといけない理由とは何なのか? 料理教室でありながら和気藹々の雰囲気が排除されている。【ナイショの関係のふたり】が通う目的の『料理教室』、その予想がホントに当たったのかも知れないとセナは感じていた。突然 隣に座るナオが口を開いた。
「え、結構厳しいんですね」
その言葉を聞いたカネコは想定外の笑みを浮かべて応えた。
「お二人も含め、会員様を守るためには必要なことなので」
守るため…… そうなんですね、ナオが小さく呟くのを聞くと、ひと呼吸置いてカネコが二人に言った。
「以上のことを了承していただけるようでしたら、今お渡ししたモノの一番下の欄にご署名をお願いします」
カネコは持っていた一本のボールペンを二人の前に置いた。カタンと聞こえた小さな音に導かれるようにナオが先に署名をする。終わってバトンのように手渡されたペンで今度はセナが署名をした。
セナがペンをカネコへ返却した瞬間だった。飛行機が上空を通り過ぎるゴォーという音が窓の外から唐突に聞こえてきた。まるで入ってはいけない秘密の扉が今開いた、その音を聞かされたようでセナはゾクっとした。
サインの終わった誓約書を回収するとカネコは言った。
「これで晴れてお二人は、当『料理教室』の会員となりました」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人は顔を合わせて微笑んだ。
「では。こちらが、お二人の会員証になります」
それはこれまで見たものと同じ、白地に朱色で三本足の八咫烏の描かれたプラスチック製の会員証だった。すでにそれぞれの名前が印字されてあった。
「最後になりますが。何かご不明な点、ご質問などありますか? 」
「あの、」
ナオが質問した。
「ちょっと気になったことなんですけど」
「ええ」
「この『料理教室』の名前。【エスピー・クッキングスクール】のエスピーって、どういう意味なんですか? 」
「はい。特別とか専門とかの意味を持つspecial、特定とか特有といった意味の英単語specificなど、いくつかの意味を持つ多義的なものだと聞いています」
カネコの回答に、ナオはなるほどと頷いた。
「他はよろしいでしょうか。ではこの後、会計担当のスタッフと交代致します。入会のお手続きをお願いします。本日はありがとうございました」
カネコは初めて和やかな表情を見せて立ち上がると、頭を下げた。
ところが会議室のドア・ノブに手をかけたところで、突然その動きが止まった。そして二人の方にゆっくりと振り返って言った。
「言い忘れたことが一つありました」
二人は何だろう?とカネコを見た。
「リュックにずっと手を置かれていましたけど。会話を録音する場合は、事前に許可を取ってからなさるようにお願いします」
そう言うと、カネコは一切の表情を消したまま部屋を出て行った。
ナオは無言でリュックにあった外付けのポケットを開けると、ボイスレコーダーを取り出して録音を止めた。そしてセナを見ると無言で驚いた表情を作って見せた。セナも驚いた表情を無言で返すと、会議室の中を見回した。監視カメラのようなものはどこにも見当たらなかった。
ほどなくして、会計担当の事務員が会議室に入って来た。
麦茶を出してくれた女性だった。カネコと違い、表情が豊かで二人は少し安心した。話は入会金と月謝、スケジュールについての説明だった。
入会金は3万円で月4回参加できて月謝が1万8000円。他の『料理教室』よりむしろリーズナブルな印象だった。一週間のうち木曜日と土曜日に開催されているが、どちらも同じ内容なので都合の良い方に参加する。
但し参加できる人数には上限があるので専用のウエブサイトで一週間前までに予約をするのが原則。空きがあれば前日・当日の予約も可能だが、その場合キャンセルは基本できないので申し込みは慎重にお願いします、とのことだった。
二人は準備してきた現金で初期費用を支払った。セナにはその時に目にしたものがあった。お金の受け渡しをした際、事務員が着る長袖の黒いカーディガンから手首が出て見えた。『リストカット』の跡があった。ナオはそれに気づいていないようだった。
来月以降は月末に翌月分を手渡しする約束を交わし、二人は来週の木曜日から早速参加することになった。
「以上となります」
会計担当の事務員が立ちあがろうとした時だった。今度はセナが一つ質問をした。
「ちなみに。この料理教室ってどんな方が運営しているんですか?」
事務員はさらりとその質問に答えた。主宰はタキ・ケンイチさんという方で、元々は薬剤師でドラッグストアのチェーンを運営する会社の役員。現在は自動車の販売とか色々なコトをなさっている方だと聞いてますが。それ以上の詳しいことはちょっと。そう言うと笑顔を見せた。
「それでは『お二人ご一緒のお料理』、楽しんで下さい。本日はありがとうございました。どうぞお気を付けてお帰り下さい」
二人を事務員は送り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
外はすでに夕暮れの雰囲気を醸しているが、蒸すような暑さは相変わらずだった。昼間の熱を抱えたままの空気が澱むようにあって少し歩いただけでも吹き出すように汗が出る。どこか遠くで鳴く蝉の声が、風景に紗幕を掛けて暑さを増幅させる。セナとナオはJR浜松町駅の港側に出て、竹芝エリアにあるカフェ&ダイニングの店に入った。
「ヤバいね、ひっさびさ緊張した」
ナオの言葉にセナも同調した。
「私なんか、まだちょっと心臓がドキドキしてるよ」
頼んだグアバジュースを飲みながらナオは唐突に首を傾げた。
「それにしてもさ、なんで判ったんだろ」
会話を録音していたことを指摘された件だとセナは直ぐに分かって言った。
「確認したけど。会議室に監視カメラ的なものはなかった」
「だよね。不思議」
「不思議って言えば。全体的に不思議な雰囲気じゃなかった? 」
同じような黒いカーディガンを着た二人の事務員を思い出してセナが聞いた。
「確かにカネコさんも、次に出てきた事務員の女性も、なんか独特だった」
同意するナオにセナは、アイスティーのストローを咥えたままで仮説が当たったかもねと言った。
「仮説? あ、【ナイショの関係のふたり】が通うのがホントの目的って話? 」
「そう、それ」
「だよね。じゃなきゃ禁止事項を絶対守るようになんて言わないでしょ。とにかくプライバシーを守ることには細心の注意を払ってる感じがした」
このナオの話を受けてセナが言った。
「もしそうだとして、」
「ん? 」
「タエさんにも【ナイショの関係】の相手がホントに居たってことだよね」
「セナ、前にもそれ言ってたけどなんで? 別に居てもおかしくないでしょ」
「他の人ならそうかもだけど。タエさんに限ってはそんなイメージなくない? 」
セナにはどうにも納得が出来なかった。そこへ説き伏せるようにナオは言った。
「人は見かけによらないもんでしょ」
「ソレはそうなんだけど」
「実際。タエさんは自殺なんて絶対にしない、そう思って来たよね」
「そうかぁ、そうだね」
同意したセナだったが、心の中でわだかまりが完全に消えて無くなったわけではなかった。ナオはジュースを大きく吸い込むと質問した。
「あの料理教室だけど、」
「うん」
「セナは、同じ状況の三つの自殺と関係あると思う? 」
「うーん。私は別々な話じゃないかって思ってる。料理教室と自殺は別な話」
「でもさ、同じような自殺をした三人が偶然同じ料理教室に通ってたってことは流石にないよね? 」
「そう言われると…… 」
「ということは。料理教室は【表の顔】で、その先にまったく別な【裏の顔】があるのかなぁ」
その時だった。タエの夫からグループLINEが入った。メッセージの内容は、『今日の面接はうまくいったのか? 』との質問に加え、実はもう一例『よく似た自殺』が見つかったというものだった。二人はそれぞれのスマホを手に、えっマジで?と同時に声が出た。
周囲に人が居ないカウンター席の隅に移動。セナのPCを店内のWi-Fiに繋いで夫のスマホとビデオ会議のカタチで急遽話し合いを持つことになった。
接続する前にセナとナオは、【ナイショの関係のふたり】が通うとの見立ては事実関係がハッキリするまでは発言を控えようと確認した。それでなくても妻の自殺で弱っているはずの夫へ、さらに追い討ちをかけるようなことは避けた方が良いとの判断からだった。しばらくは仲の良い二人がペアを組んで入会する教室、そこまでで留めておくことにする。幸いにもタエが一緒に通っていた相手を夫は特に知ろうとはしていない。
セッティングが終わって夫と接続すると、面接の雰囲気や聞かれたことなどを簡単にセナが説明した。そして入会金や月謝にかかる金額についての了解を重ねてお願いした。
「分かりました。すべては通ってみて、ですね。まぁ何はともあれ二人が無事入会出来て良かった」
そう感想を述べた夫にナオが質問した。
「あの、LINEのメッセージにあった『もう一つの似たような自殺』って、すごい気になってるんですけど」
「あ、それね。いや実は私も驚いたんだけど…… 」
夫の話は次のようなものだった。
タエの夫は学生の頃から剣道を続けており、全国警察剣道大会・関東管区の大会では千葉県警の代表になったことも何度かある腕前。この剣道を通じて全国の警察官と横のつながりを持っていた。
その中の一人、群馬県警の友人と都内で会って飲んだ時の話。酔いも進んで、自然と妻タエの自殺の話になった。今でも腑に落ちないところがあると自殺の状況について詳しく触れると、それに似たような事例を知っていると突然言い出したという。
「ええっと。待って下さいね」
一旦 話を止めた夫は、メモした手帳を出して見ながら話を続けた。飲んだ次の日、群馬県警の友人から再度電話で詳しいことを夫は聞き直していた。
自殺は今年、群馬県の館林市で起きていた。
亡くなったのはクラモト・ケイ、五十歳。都内に暮らす外食チェーンで店長を務めていた独身の男性。生まれ育った実家近くの『公園脇の道路』に『軽自動車』を停め、車内で『煉炭』を燃やしている。検視の結果、死因は一酸化炭素中毒と断定された。
ちなみに手首には『赤いもの』を巻いていたとの記録が残る。しかしそれがこれまでの三人と同じような紐で出来たブレスレッドであったかどうか? 残念ながら詳細は不明。車内では音楽を流していた。
クラモトは経済的にも健康面にも特に問題を抱えていなかった。関係者の聞き込みでも自殺の理由が見当たらないとうう。その発言を受けて画面の中の夫に向かってナオが言った。
「自殺の状況が同じ上に、理由も不明。タエさんとも、横浜、神戸の自殺とも確かによく似てますね」
「そうなんです。しかも話したように『赤いもの』を手首にしてたって記録も残っている。ただ独身であることはこれまでの三つのケースとはちょっと違うけど」
ナオは夫の話を聞いて、独身だったのかぁと小さな声で言った。セナはふと気になったことを口にした。
「車内で流れていた音楽って何だったか判っているんですか? 」
夫は手帳をめくって確認した。
「うーん、それはちょっとわからないなぁ」
「そうですかぁ」
「いや、待って。ピアノ曲だったみたいだな」
「ピアノ曲? 」
「第一発見者は、どこかからか聞こえてきたピアノの音が発見のきっかけとなったと証言してるから、そうでしょう。でも曲名までは分からないですね」
元上司タエが自殺した時の光景がセナの中で急に蘇ってきた。最期を迎えたクルマの中から聞こえて来たのは、ピアノ曲『La Campanella』だった。
偶然、知ることになった四例目となる同じ状況のよく似た自殺。
そうなるとクラモト・ケイも同じ『料理教室』に通っていたのかが重要になる。後日二人はネットで情報を集めてみたが何も出て来なかった。そこで今回も専門家であるナオの彼にお願いをすることになった。
しかし実際に彼が調べてみるとクリハラの時のように簡単ではなく、少し時間がかかりそうだと言われたのだった。