7)第六話 密陀僧 / MITSUDASO
夜 部屋にデンキをつける
カチッ 明るくならない
二度 三度 スイッチを押す
カチッ カチッ
冷たい音がするだけ……
ああ デンキュウが切れたのか
デンキュウを付け替える
部屋は明るくならない
暗闇に立ち尽くし 初めて気が付く
想定外のことが起きたのだと
【灯り】は なぜ消えたのか?
消える サラジダ ——
いつもの年より梅雨が早く開けた七月の中旬——。
セナは浜松町のオフィスビルの一階、最近オープンしたカフェに居た。ここに来るのは今日で三回目。道に面した窓際の席に陣取っている。アーリーアメリカンを意識した内装のこの店で必ずこの席を選ぶと、決まって大きめのマグカップに入ったアメリカンコーヒーを注文した。そして具に窓の外を『観察』する。
席からは、道を挟んで向かい側に建つビルへ出入りする人たちが良く見える。ビルの最上階、八階に『エスピー・クッキングスクール』がある。タエの遺した会員証には、週に二回、木曜日と土曜日に『料理教室』を開催しているとあった。
中でも木曜日は夜六時半からスタートする。その直前の時間帯、ビルに入って行く人のほとんどが『料理教室』の会員だった。
ビル内のオフィスに勤める人たちはこの時間、逆にビルから出て行く。仕事終わりで通って来る人も多く、服装や雰囲気だけで会員と知ることは難しい。男女のペアだったとしても会社の同僚にも見える。終業時刻を過ぎてから社に戻る、そんな残業が当たり前の世の中だったらこう上手く区別できなかったも知れない。『働き方改革』のおかげだとセナは思った。
こうしてビルに入って行く会員と思われる人の中から『共感覚』的に相性の良い女性を見つけて狙いを定める。そしてターゲットの写真を撮影。ネットに散らばる情報から人物を特定。何らかの方法でアクセスして仲良くなったところで推薦を貰う、それがナオの提案だった。
この方法、『何もない人』がやっても決して上手くいくとは限らない。ターゲットと仲良くなれる確率が未知数だから。その点、セナが持つ『共感覚』を利用すればグンとその確率は高くなる。首尾よく相手を見つけることが出来てアクセス可能だったら、むしろそこからはある意味 既定路線に乗れる。非効率に見えて決して悪くないやり方だとナオは自信を見せた。
しかしセナは、正直乗り気ではなかった。
果たして想定通りに事は運ぶのか? それを思うとネガティブになる。中でも人物の特定が不安だった。言葉で言うように簡単に出来るものなのか?
それについてナオは何の心配も要らないと言い切った。理由は、今同棲中の彼がネットの世界ではデジタル探偵と呼ばれることもある、オシンターのグループを率いる『専門家』なのだという。
オシント(*OSINT、オープン・ソース・インテリジェンスの略)と呼ばれる、ネット上に公開されている情報を集めて分析をするのが主な仕事で、そのノウハウがあるので大概の人物なら特定してパソーナルデータを入手することが可能だという。
他に方法が思いつかない以上、この提案を受け入れざるを得ないとセナは考えた。
一応タエの夫にも報告したが、存外、刑事の夫はナオの提案に肯定的だった。現場の刑事たちは絶対にやらない手法だと感心した。そうなるともうやるしかない。結果 こうして毎週木曜日の夕刻、浜松町のカフェでセナは『観察』を始めたのだった。
これまでの二回は適当な人物が見つからなかった。相性の良さそうな【色】の女性も何人か見かけたが、コレという決め手に欠いた。今日こそはとセナはビルに入る人たちをチェックした。
午後六時を過ぎた頃だった。
三十代前半と見えるひとりの女性がビルの入り口付近に立って、目の前にある路が大通りと繋がる左奥をしきりに気にしている。多分、待ち合わせをしているのだろう。穏やかで上品な雰囲気を持っている。前髪を横に流したミディアムロングのヘアスタイルで、どことなくタエと似ていた。
セナは女性と目が合わないようにそれとなく注目した。七月であることが幸いする。日の入りは午後七時ごろで、暗くなるのはそのあと三十分ほどが過ぎてからだ。この明るさなら【色】をフツーに感じることが出来る。
彼女には明るいベージュ色を感じた。ナオの持つ薄いパープルには敵わないが、それに次ぐ相性の良い【色】だ。
ナオから指示を受けた通り、セナは彼女の写真をさまざまな角度をつけて密かに撮影した。
スマホの写真ホルダーでちゃんと撮れているかを確認していると、タクシーが左手の大通りから入って来て向かいのビルの前で停車した。中から降りて来た男性の背中だけが一瞬見える。件の女性と連れ立ってビルの中へ足早に消えていった。セナはターゲットとすることに決めた。上手くいきそう、そんな勘が働いた。
セナはコーヒーをお代わりすると『料理教室』が終わるのを待った。
『料理教室』が終わる二時間が過ぎたところでビルから続々と人が出てきた。良く見るとほとんどがカップルのようだ。見落としのないように集中する。先ほどの女性を認める事が出来た。会員であることに間違いはないとセナは確信した。パートナーの男性は一緒に居ない、先に帰ったのか? 出る人がいなくなり警備員が入口の自動ドアに鍵を掛けるところまで見ていたが、やはりそれらしい男性を見つけることは出来なかった。後で一本奥の細い路地にビルの裏口があることを知った。
セナがターゲットにした女性はクリハラ・マナ・三十六歳。全国で直営のセレクトショップを展開する大手アパレル関連企業に勤める会社員だった。店舗や商品のPRを担当するプレスを担当していることまで判った。
ナオによると、同棲する彼にお願いして調べてもらったところ半日ほどで人物像の大方が判明したという。普段扱っている案件に比べると『簡単な人物』だったと話す。クリハラは個人のアカウントでもInstagramを使って盛んに投稿しており、そのアカウントも判明した。写真が一枚あるだけでたちどころにその人物の詳細なプロフィールが明らかになるのだと、セナは少し怖くなった。
クリハラの投稿写真から、『接点』となりそうなことをセナは慎重に探った。
香水の類いが頻繁に投稿されていることに気づいた。セナも一時期、Perfumeを買い集めていたことがある。そこそこ知識もありこれが使えると思った。相性の良い【色】を持つ女性とは、共通項さえうまく押さえられればすぐに仲良くなれる。会話が得意とは言えないセナでも短期間で打ち解けることが可能なのだ。
セナはInstagramのアカウントを新たに取得すると、ダミーとなる写真を撮影して投稿。架空の人物を仕立て上げた。設定は香水集めを最近本格的に始めた会社員とした。
クリハラのInstagramをフォローし始めて二週間が過ぎた頃だった。
日本で人気のオード・パヒュームを入手したとの投稿があった。この商品、不定期で発売さているため市場に出回る数が少なく店頭に並ぶとすぐに売れてしまう。その上、どこで販売されるかを正規輸入代理店は非公表としている。セナは『よければ入手場所を教えて頂けませんか? 』と早速DMを送った。
既読がついて翌日に返信がきた。共通のアプリを使ってビデオ・チャットでやり取りをすることになった。事前の調べで三十六歳だと判っているが、最初の印象でもそうだったようにその年齢よりも四歳、五歳、カメラを通しても若く見える。ファッション関連の会社でプレスをやっているだけあって服装もさりげなく流行りを押さえている感じがした。
クリハラによると、セナが問い合わせたオード・パフューム【Perfume OrdeniのExtrême】だが、入手した店舗ではすでにsold outとなっている。そのため同じ場所で買い求めることは出来ないということだった。
「そうですかぁ、残念」
そう言ったセナに、
「お役に立てなくてゴメンなさい」
クリハラはそう言うと静かに頭を下げた。裏の無さそうな感じがして好感が持てた。
「いえいえそんな、謝らないで下さい。あの、」
この人となら仲良くなれると実感したセナは、少し展開が早いかもと迷いながら重ねてお願いをした。
「もし、良ければなんですけど」
「はい」
「一度、実際に会って情報交換しませんか? 」
「ええ。いいですよ」
「え、嬉しい。香水が趣味で情報交換出来る人、私の周りに全然居なくて」
「それ、実は私も同じ」
クリハラの言葉に二人に笑いが起きた。すぐに連絡を取り合って会うこととなった。ナオの提案通り、『共感覚』で当たりをつけた事が功を奏したとセナは感心した。
実は『色』の相性が良い二人が短い時間で仲良くなれるこの現象、『色相共鳴』と呼ぶとセナは何かで読んだことがある。人に【色】が見える『共感覚』を持つ人なら必ず経験することだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
実際に会ったのはJR東京駅構内の外れにあるコーヒーチェーンの店。クリハラの職場は丸の内にあり、仕事終わりですぐに立ち寄れる場所で、普段あまり混んでいないところと二人で相談して決めたのだった。セナが約束の五分前に店に入り、事前に決めてあったエリアに座っているとクリハラが声をかけてきた。実物のクリハラは画面を通して会話した時よりも少し落ち着いて見えた。
「今日は、ありがとうございます」
セナの言葉にううんと小さく首を横に振ると、一旦前に座ってあらためましてクリハラですと笑顔を見せた。セナが背筋を伸ばして緊張気味にハセガワですと深々頭を下げると、そういう堅苦しい感じはやめましょうよと微笑んだ。ラベンダー色をしたキレイめのパンツに透け感のあるオフホワイトのリブニットが大人っぽかった。ふわりと優しい香りがした。
「香水、オルドニですか?」
「あー、さすが。これはregularのやつだけど」
セナの言葉にクリハラはうれしそうに反応した。そして再び立ち上がると、とりあえず飲み物買ってくるねと注文カウンターに向かった。クリハラが背中を見せているのを確認して、セナはスマホの録音機能をオンにした。
クリハラはラテの入ったマグカップを手に戻ってくると、『Perfume Ordeni』って大資本の企業グループに買収されちゃったね、とおっとりとした口調で言った。ここから香水談義であっという間に時間が過ぎて行った。実際に会うのが初めてとは思えないほど上手く馴染むことができたとセナは内心ホッとした。
香水の話の合間にクリハラについて判ったことがあった。既婚者で子供は居ない。都内のマンションに夫と住んでいるが、その夫についてはあまり話をしたくないようだった。終始 彼とかあの人と呼んでおり、夫や主人の単語をクリハラの口から聞くことはなかった。
恐らく『料理教室』には別な人間とペアを組んで通っているに違いない。クリハラを見つけた日、背中がチラッと見えたあの男性は夫ではないと直感で思った。そうだとするとどんな関係の相手なのか? 詳しい話はできなかったが、会話の中に問題の『料理教室』の話が一、二度出てきたので通っていることの確認は自然と出来た。
セナとクリハラは一時間ほどおしゃべりをして、どちらともなく近いうちにまた会うことを約束して別れた。緊張する中でも架空の人物に成り切っている自分にセナは、なんとも言えない不思議な感じがしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日、ナオとセナは渋谷でランチを一緒に食べた。
話題は事前に音声データで送って聞いてもらったクリハラとの会話だった。やはり気になったのは『料理教室』に関する話だった。クリハラは週に一回通っていると言う。セナが興味を示した風にそれに食いつくと、笑いながら『料理教室と言ってもちょっと変わっているから』とクリハラは答えたのだった。
『変わっている』とは入会時の二つの条件のことだとセナは思ったが、それ以外 教室の内容自体にも何か変わったところがあるのか? 次回、会った時にはさりげなくそこを聞く。そして自分もその『料理教室』に興味があるとハッキリ言葉で意思表示をしようとなった。
セナはナオと別れた後に考えた。二回目に会うタイミングをどうするか? 間を開けてしまったら会いにくくなることは分かっている。仲良くなることが目的ではない。あくまで『料理教室』に入会するための推薦者になってもらうことが主眼。果たして『料理教室』にタエの自殺の『なぜ?』とつながる何かがあるのか? それを調べるためのあくまでも手段なのだ。ここにあまり時間をかけるわけにはいかない。多少強引でも間隔をあまり取らずに連絡するのが良いのではと判断した。
セナは最初に会ってから十日ほどが過ぎたのを見計らって、渡したいモノがあるとクリハラに連絡をした。クリハラは渡したいモノとはナニかとあえて問うことなくセナの要望に応じた。
二人はクリハラの仕事帰りに同じ場所で再び会った。
細身の体型にジョーゼットの白いロングスカートが良く似合っていた。セナは渡したいものってコレですと持って来ていた小さな包みを渡した。
「え? なんだろ? 」
クリハラは戸惑ったように言うと、恐る、恐る、手を差し出して包みを受け取った。
「ちょっと早いんですけど。お誕生日、おめでとうございます! 」
セナは一所懸命に笑顔を造って言った。Instagramをチェックした時に【#My Birthday】とキャプションに書かれた一年前の投稿があったのを覚えていた。いきなりのプレゼントに警戒されるかもと少し心配したが、クリハラはそんな様子をまったく見せなかった。
今日はわざわざそのために? クリハラはありがとうを繰り返した。そして大切そうに両手で包みを持って眺めながらうれしいとつぶやいた。
「気に入ってもらえると良いんですけど」
その言葉を待っていたように、開けてもいい?とクリハラは聞くと包みを丁寧に解いて箱を開ける。中身を見た途端、あ、これ!と満面の笑みを湛えてセナを見た。プレゼントは、アトマイザーが二つセットになったものだった。
「前にお会いした時、クリハラさんがアトマイザーに移し替えるのが面倒だって話をしてたので」
「これ、移し替えにロートもスポイトもいらないやつでしょ」
「そうです」
「わー、すごーい」
クリハラはいささか大袈裟とも取れるリアクションを見せた。もう少し警戒心を見せるかと思ったが、その素直な反応に架空の人物を演じている自分のことをセナは心苦しく思った。
ここからクリハラは一気に心を開いた。明らかに喋りのテンポも速くなっている。慎重に言葉を選ぶよりも会話を楽しんでいた。セナは気圧されて黙るシーンも何度かあったが、それでも流れを途切れさせないよう何とか頑張ってリアクションを取った。
一時間ほどしてようやく会話は落ち着いた。セナは『料理教室』の話を切り出した。
「そういえば前回、『料理教室』に通ってるって言ってたじゃないですか」
「うん」
クリハラは頷くと、ここで初めて少し探るような顔でセナを見た。構わずセナは続けた。
「『料理教室』と言ってもちょっと変わってるって、おっしゃっていたのが気になって」
クリハラは唐突に質問を返してきた。
「セナちゃんは今一緒に料理を作りたいなぁって思う人いる? 」
すぐに思い浮かぶ人、ひとり居ますとセナは答えた。それは元彼ユドンのことだった。するとクリハラは、私が通っているところは二人一組で入会するのが原則で、入るのには会員の推薦が必要なの。ね、変わっているでしょと躊躇することなく例の二つの条件を口にすると静かに笑った。
「え。その『料理教室』、メッチャ惹かれます」
すかさずセナは興味があることを伝えた。するとラテを口にしながらクリハラは言った。
「でもアレだよ。料理を習うっていうより、その場で作ることが目的の教室だよ」
「習うより作ることが目的? マスマス興味あります」
「ホントに?」
「はい」
「私が行ってるところは、『普段 料理を作ることが難しい二人が、一緒に作って食べることが目的の料理教室』というのがキャッチフレーズなの。普通の料理教室って生徒がグループを作って役割分担して教えてもらうけど、二人が基本。それにね、手順を一から教えてもらってそれを覚えて家でも作るっていう流れは想定していないんだ」
「なるほどぉ。ホントに二人で一緒に作ってその場で食べるのが目的なんですね」
「そう。だから下拵えした材料がすでに用意されている場合もあるの。それを一から作るのが本来の『料理教室』なんだけどね」
「確かに。へぇー 」
強い興味を示すセナを意外に感じているようだったが、クリハラは決して否定的になっているわけではないように見えた。ラテを飲む姿は変わらず穏やかな雰囲気の中に居る。セナはここで推薦の話を思い切ってぶつけてみた。
「え。その『料理教室』って会員の推薦が必要なんですよね? もしも、ですけど。私がお願いしたらクリハラさん推薦してもらえますか? 」
セナの質問にクリハラは椅子の背もたれからカラダを離すようにした。
「ホンキなの? 」
「ホンキです」
「真剣に入会したい? 」
「ハイ」
「話、合わせてるんじゃなくて? 」
「いえ違います。お願いします」
少し間を置いた後、クリハラはゆっくりと言った。
「もちろん。推薦者になることは出来るけど」
セナはありがとうございますと小さく頭を下げてクリハラの次の言葉を待った。少し考えるようにした後、クリハラは言った。
「ちょっと詳しいこと聞いても大丈夫? 」
「はい」
「その、セナちゃんが一緒に料理をしたいお相手だけど。どういう関係の人なの?」
「どういう関係…… あの、大好きな人です」
「大好きって、つまり、ただの友だちとかじゃなくて? 」
「はい。じゃなくて、です」
セナは自分の思いを言葉にしたことで、図らずもユドンに対する思いが今でも尚残っていることを知った。でもすでにユドンは別な女性と結婚している。今となっては単なる片想いだけどと心で苦笑した。
「ちなみに、なんだけど」
そう言うとクリハラはひと呼吸置いて続けた。
「普段、一緒に料理とか作るのって難しいの? 」
セナは大きく首を縦に振りながら答えた。
「難しいっていうか。不可能です」
ユドンには妻も居て家庭がある。意外にもクリハラはその答えだけを聞くと、だったら良いよと納得した。ところがすぐに『でも』と続けた。
「推薦する前に一度、そのパートナーと合わせてくれる? 推薦者になるために、一応お相手にも会っておきたいの。面倒くさくてゴメンね」
セナは勢いで、大丈夫です、分かりましたと答えた。
クリハラは別れ際、私からも連絡するしセナちゃんからもまた連絡して待ってるからと微笑んだ。『料理教室』に推薦する話は決してその場のノリで言った訳ではないと確信した。クリハラの背中を見送りながら、流れで大丈夫ですと言ったものの新たに難しい課題が突きつけられたとセナは小さくため息をついた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ナオとセナは、再びビデオ通話で話し合いの場を持った。
今回もクリハラとの会話はすべて録音してある。話の流れから、今度会うときには『料理教室』に入会するパートナーを紹介しなければならない。それをどうするかが最初の議題となった。
「ま、私だよね」
ナオの突然の発言にセナは、え?と驚いた。ナオは構わず続けた。
「だって。調査をしてるのはこの二人なんだから、教室に入会するのも私とセナの方が何かと都合良くない? 」
セナは戸惑った。
「そうだよ、それはそうなんだけど」
「なんだけど、ナニ? 」
ナオの疑問にセナは説明した。
「でも私。クリハラさんから一緒に入会したい相手との関係を聞かれて、ただの友だちじゃないって答えちゃったから」
「演じれば良くない? 」
「演じる? 」
「この時代、女性同士のカップルなんてフツーにいるでしょ」
「え? そういうこと? 」
「それとも、あれ」
「ん? 」
「元彼にこれまでのこと全部説明して協力してもらう? 」
「ムリ、ムリ。それは絶対ムリ」
「だったらこの二人で演じるしかなくない? 」
「そうかぁ」
録音した会話を確認した限り、セナは【一緒に料理したい人】の性別は言っていない。相手は男性ではなく女性だった。それはそれで察しの良さそうなクリハラだったら納得すると思うと、ナオは少し笑いながら言った。
「わかったよ。……ふぅ。やってみる」
セナも納得して応えた。
この後二人の会話は、【普段、料理を作ることが難しい二人】、クリハラから聞いたこの言葉をどう解釈するかに移った。
「会話の中で『ただの友だちじゃない』ってセナが答えたら、だったら推薦しても良いってクリハラさんは了解してるよね。この流れから推測すると、ただ離れて暮らしているとかそういうことじゃないでしょ」
「やっぱりそうなのかなぁ」
「特別な感情を共有する二人がペアを組んで通う『料理教室』、そういうことなんじゃない?」
ナオの仮説にセナが頷くと、単に私の想像でしかないんだけどそう断った上でナオはさらに意外な考えを口にした。
「もっと言うと。【周囲には公に出来ない関係の二人】が通うための教室なのかも」
「え、え? 」
「それが本来の目的なんじゃない? 」
「待って。【周囲には公に出来ない関係】ってナニ? 」
「すぐに思いつくのは、判りやすく不倫」
「不倫? 」
「そう。ま、平たく言えば【ナイショの関係のふたり】だよ」
「え? そこまで特殊な限定的な人たち対象にしてる? 」
「実はずっと考えてたんだ。『料理教室』には二つの条件があるでしょ」
「うん」
「なんでそんな条件つけるのかなぁって」
「確かにそれは思う。何か教える『教室』だったら、ウェルカムでたくさんの人を集めた方がいいわけだし」
「そうでしょ。でね、クリハラさんの発言をチェックしてた時に、料理を『習う』んじゃなくて『作る』のが目的って言葉を聞いて。ひょっとしてこの教室って、普段は一緒にキッチンに立つことが出来ない【特殊な関係の二人】のためにあるんじゃって思ったんだ」
「普段一緒にキッチンに立つことが出来ない。それがつまり周囲に関係を言えないような、【ナイショの関係のふたり】ってこと? 」
「その通り。だってさ、ただ離れて生活してるとか、料理を一緒にする機会が無いとかだったら、どっちかの家に行けは良くない? それが出来ない【普段、料理を作ることが難しい二人】ってそう言うことでしょ」
ナオのこの仮説をにわかにそうだとは思えなかったものの、一つの推察として【ない話】とも言えないとセナは考えた。
ナオはさらにこんな突っ込んだ推理を披露した。
例えば横浜と神戸で自殺したキタハラとアサミ。Instagramの投稿から推察するに、ペアを組んで『料理教室』に入会していたことはほぼ間違いない。二人はかつて恋愛関係にあったものの、現在は離れた場所に暮らし別々な家庭を持つ。それなのに今さら一緒に『料理教室』に通う理由とは何なのか?
どこかで関係が復活していて、二人が【ナイショの関係のふたり】いわゆる不倫関係にあったとしたら一緒に通っていたこともまぁ頷ける。。でも元カレと元カノが今でも仲良くてペアを組んで家族公認で料理教室に通ってたなんて、ちょっとリアリティに欠けるでしょ?ナオはそう解説した。
セナは【同じ色】を持つ男女が一旦別れたものの、他では感じることの出来ない強い絆を否定出来ず関係を切らさずにいた。それがやがて恋愛関係の再燃に繋がった…… 普通に起こり得る話だと思った。
「ということはさ」
浮かんだ一つのギモンをセナは口にした。
「タエさんも、クリハラさんも、相手は分からないけど【ナイショの関係のふたり】と呼ぶような相手がいた、いるってことになるよね? 」
ナオはそうなるねとあっさり肯定すると、もちろん今はまだ想像の範囲を出てないからその辺も実際に『料理教室』へ通うことが出来ればハッキリすると呟やいた。
ではその想像が仮に正しかったとして、なぜ二人で料理なのか? そこまでして料理を一緒に作って食べることに大きな意味があるとセナにはどうにも思えなかった。果たしてそんな教室にタエの自殺の理由を知るヒントはあるのか?
やはりナオが以前怪しんだように、このちょっと変わった『料理教室』が宗教団体、例えばカルト教団の表の顔で、裏側には集団自殺のような秘密が隠されているのか?
いくつものギモンが一気に押し寄せてセナは混乱するばかりだった。