4)第三話 薄藤 / USUFUJI
夜 部屋にデンキをつける
カチッ 明るくならない
二度 三度 スイッチを押す
カチッ カチッ
冷たい音がするだけ……
ああ デンキュウが切れたのか
デンキュウを付け替える
部屋は明るくならない
暗闇に立ち尽くし 初めて気が付く
想定外のことが起きたのだと
【灯り】は なぜ消えたのか?
消える サラジダ ——
セナは再び もと居た場所に引き戻された。
ハッキリとした目標もなく希望も失ったまま、目の前のコトをこなすだけの毎日。そこに元上司タエの自殺の『違和感』だけが放置され、隠すことも動かすことも出来ずに変わらず居座っている。
再就職の活動を始める気にもなれなかった。セナは気が付くとタエのことをつらつらと考えている。一体、タエが自殺をしなければならない理由とは何なのか。邪魔なシコリが残ったままなのではない。さらに根の深い、拭い去れない何かが心にすっかり根を下ろしてしまっていた。
日を追うごとにそれが少しずつ膨張を続け、ついにはセナのキャパを超えて自分では処理しきれなくなった。爆発する前に吐き出す先はどこかないか? 相手探しを始めるようになっていた。
そして…… ひとりの仲の良い女友達に辿り着いた。
タエの下で同じ契約社員として働いていた、ナオだった。年はセナより一つ上の二十七歳。十六歳までアメリカのシカゴで育った。良くも悪くも日本人の同世代とは大きく異なっていた。好き・嫌いがハッキリしていて、それを分かりやすく言葉にする。他人の目も気にならない性格で、自己主張もストレート。恋愛にもオープンで積極的だった。
何もかも正反対のナオに、憧れにも似た感情をセナは抱いていた。自分に無いものを全部持っている。それを知ってか知らずか、二人の上司だったタエはある時からコンビを組ませて仕事を発注する様になった。二人で互いの不足を補い合い、手分けして取材を行い一つの特集記事にまとめる。それを繰り返すうちに遠慮のない親しい間柄となっていた。
加えてセナとナオは、相性の良い【色】をしていた。
セナは人を見ると【色】を感じることがある。これは『共感覚』と呼ばれる脳のクセの様なものだ。この『共感覚』にはいくつか種類があって、代表的なものとしては音楽を聴くと【色】を感じる色聴がある。
専門に研究する学者も少なく、まだ解らないことも多いが特殊能力ではない。あくまでも特定の人だけが持つ特徴的な脳の動きと考えられている。セナには人間を見ると【色】を感じる脳のクセがあるのだ。
そう聞くと赤や青などのセロファンを通して見るように、人間の姿 全体に色が着いているイメージを持つがそれとは少し違う。あくまでも脳が認識するだけで、目でそう見えているのとは異なる。人を見ると『あ、この人は赤だ』と頭の中で自動的に【色】が浮かんでくる感覚に近い。色=色覚情報と人物=視覚情報、二つの感覚が共に働いて脳内で勝手に結びつくのだ。
セナの『共感覚』の対象は大人だけで、なぜか子供や動物・モノでは感じることがない。写真でも映像でもある程度の解像度があれば反応はやや鈍るが、【色】を感じることは出来る。その感じた【色】と【色】の組み合わせで、相性の良い・悪いがあることも経験上セナには判っている。
ただし自分以外の他人同士の場合、確実性は高くない。人間関係は非常に複雑だ。たとえ『共感覚』では相性の良い【色】をしていても、実際はそれほど仲が良くないことも、その逆も頻繁にあるのだ。そのため普段は自分が勝手に感じてしまうただのクセだと取り立てて気に留めないようにしている。
でも こと【自分との相性】に関しては気にすることが多い。
セナは自分自身にも【色】を感じている。初対面であっても、その人が持つ【色】で自分との相性を知ることができる。こちらは経験上、かなり正確な印象がある。人付き合いが得意とは言えないセナにとってこの【色】の相性は、対人関係を円滑に進める上での重要な助けとなっていた。
ナオには薄い藤色、パープルを感じる。セナのイエローとは一番 相性が良い。同年代の女性にこの【色】を感じることは少なく貴重な存在だ。
【色】の相性が良いと判ると、そう意識に擦り込まれるからなのか? 実際に会話も弾み仲良くなるのが早くて深い。契約が切れて会社を離れてからも、ナオとは定期的なやり取りが同期で唯一続いている。自分では処理しきれなくなったタエの件を話す相手としては、まさにうってつけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
入梅の小糠雨が降る中、品川のカフェで二人は再会した。
セナが人に感じる【色】が時を経て変化した経験はまだない。実際にナオは以前と同じ相性の良い薄いパープルのままだった。それを確認出来てセナは安心した。紫陽花を思い起こさせるその紫色は、今日の天気のような雨が似合う——— 。
頼んだコーヒーが来るとナオは先に自分の近況を話し始めた。
LINEのやり取りでも聞いていたが、今は都内の大学院でジャーナズムを専攻している。キレイなストレートでで明るい髪色と濃いめのメイクからは、とても院生には見えない。セナと一緒に働いていた会社を辞めてから就活も少ししたが、もっと専門的な知識を身につけて勝負しようと考え直したという。
驚いたのは、ひと月前から新しい彼と同棲をしていることだった。
「え、ナニ。また新しい彼が出来たの?」
セナが聞くと、ナオはそうと相槌を打って質問を返した。
「セナは? 」
「全然だよ」
「シングル? 」
「そうだよ」
「紹介しようか? 」
「いや、いい」
「何で? 会ってみて相性良さそうなら取りあえず付き合ってみればいいじゃん」
「その『取りあえず』が私には出来ない。て、いうか正直意味が分からない」
「まだ言ってんの、そんなこと」
ナオはアメリカ人のように大袈裟に首を振る仕草を見せた。そして続けた。
「じゃぁ。良いマッチングアプリ見つけたから教えようか? 」
「ううん、大丈夫」
「そうなの」
ふーんと言いながらコーヒーに口をつけるナオを見てセナは思った。年齢、職業、学歴、年収、趣味、それらのデータと加工されているだろう一枚の顔写真。セナが付き合う相手について知りたいコトはそこに一つもない。『いいね』のために盛られた写真では正確な【色】を捉えることも難しい。
「就職の方は? 」
「そっちも全然」
「就活は続けてるの?」
「うん。でも今はちょっと…… まったくやる気が起きなくて」
「そうなんだ。え、なんかあった? 」
「うん。まぁ、あったと言えばあった」
「ナニ、ナニ? 」
セナは一度コーヒーを飲んで間を置いてから話し始めた。ナオもすでに知っている元上司タエの自殺。実は事に及ぶ直前、タエが自分を訪ねて来てネックスをもらったこと。結果 最後に会話をした人間になったこと。それを知って刑事の夫から連絡が来て二人で会って話をしたことなどを簡潔に説明した。
ナオは、小さなため息を混ぜながら呟いた。
「ねぇ。ナンで今まで言わなかった? 」
「ゴメン。だから、今 言ってる」
「いや、そうなんだけど」
「でも。本題はここからなんだ」
「え? 」
「会った時に、ご主人からなんか変だと思わないかって言われて」
「ああ確かに。『違和感』は強くある」
「妻の自殺は不思議だらけだって」
「不思議だらけ? 」
セナは、乗っていた軽自動車のことや赤いブレスレッドのこと、流していた音楽のことを話した。そして言った。
「何よりも一番は自殺をする理由がないこと。その違和感の原因、『なぜ?』の正体を知りたくないかって」
「それは知りたいね」
「でも自分は刑事で調べるにも時間もなく思うに任せないから」
「まさか」
「そう。代わりに調べてくれないかって」
「ええっ、ホントに? でもセナのことだから断ったんでしょ? 」
「最初はね」
「最初は? 」
「結果的には、やることになった」
「マジで? セナ、あんた変わったね」
ナオは手にしたばかりのマグカップを思わず一度机に戻すと、のけ反るようにして驚いた。ところが調べを始めた途端、夫が入院手術の必要なケガをしてしまい、一旦調査は中止に。結局『なぜ?』の違和感は残されたままの状態なのだとセナは語って聞かせた。
そうなんだぁと言うと、ナオは首を傾げて独り言のように呟いた。
「軽自動車に、赤いブレスレッド…… 」
「うん」
「どこのやつなの? ブレスレッドって 」
「メーカーとかブランドとかは判らないって。ご主人もチラッと見ただけだから」
「そうか」
「でもね。記憶では赤い紐みたいなやつだったって」
「は? 赤い、紐? 」
ナオは記憶を辿るように突然固まった。セナは自分の想像を加えた。
「ミサンガみたいな奴じゃないの」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
ナオは、自分が驚いた意外な理由を口にした。
今大学院で『気になる事件のその後』を調べるワークショップに参加。各地で起きた色々な事件をリサーチして取り上げる候補を選んでいるという。
実はその候補の中に、赤い紐のブレスレッドを手首に巻いて横浜で自死した男性の一件があるという。気になる点がいくつかあってキープしてあるのだが、今回のタエのケースと良く似ているのだとセナの眼をまっすぐに見て言った。
「その横浜の自殺もさっぱり理由が判らないらしいんだ」
そのほかにもとナオはリュックからタブレットを取り出すと、自身でまとめた横浜で起きた自殺の資料を表示して見せた。そこに書かれていた情報を読んで思わずセナは声を上げた。
「似てるね! この、横浜での自殺」
「でしょ」
頷くナオに、セナは身を乗り出すようにして共通点を指摘した。
「現場は横浜市内だけど。『公園脇の道路』」
「確か、タエさんも『公園脇の道路』だったよね」
そう、とセナは肯首してナオに応えると続けた。
「どちらも『クルマの中で練炭を使った自殺』だ」
「そうだね」
「使われたクルマも同じ『軽自動車』」
「ちなみに色まで同じシルバー」
「え、ナンで? たまたまって感じがしないんだけど」
驚くセナにナオはさらに加えた。
「で、問題の自殺した時に着けていた赤い紐のブレスレッドなんだけど。下調べで関係者を見つけて取材したら、亡くなった男性は四〇代で大手食品メーカーの典型的な営業マン。中学生になる子供のパパで、普段そんなアクセサリー自体つけるような人物じゃなかったって」
「そうなんだー。え、そのブレスレッドの写真とかないの? 」
「それは、無いって言われた」
ナオは首を振った。
「そうかぁ」
セナは少し考えて呟くように言った。
「タエさんも。赤い紐のブレスレッドなんてしない人だったでしょ」
セナの言葉にナオも同調した。
「するならシンプルでプレミアム感のあるヤツだろうね」
「最低でもシルバー」
「そうだね、ホワイト・ゴールドかも」
「え。横浜のコレって、いつあった話なの?」
「タエさんが自殺した一ヶ月前の話」
「結構、近いんだ」
「なんか。感じない? 」
ナオの言葉にセナは無言でコクリと首を縦に振った。そして二人は思わず黙り込んだ。お互いそれぞれの頭の中でここまでの話を整理して、自分なりに理解しようと試みているようだった。
ナオが先に口を開いた。
「やらない? 」
セナは顔上げた。言葉の意味が分からなかった。
「やるって、何を? 」
「タエさんの調査だよ。二人で協力して続けない? 」
「え? 」
「ご主人にお願いしてみない? 」
「でも。もう一旦は止めることで了解してるから」
「そこをもう一度お願いしてみるんだよ」
「無理だよ。ご主人はご主人の事情を抱えてるんだから」
「確認だけど。もう二度と調査はしない、そうは言ってないんだよねご主人」
セナは、再開させる意思はあるって言ってたけど…… そう小さな声で返した。ナオは間まを取ると、微笑みながら語りかけるように言った。
「あのさ。【見えないふり】は良くない」
ナオは両手で人差し指と中指をくいっくいっと2回曲げ、ダブル・クォーテーションのジェスチャーで【見えないふり】を強調した。ナオの口からその言葉が出たことにセナは驚いた。タエの調査を了解した、そもそもの理由だった。
「タエさんひとりの話だった時と状況が変わってるんだよ。同じような自殺が別な場所で、しかも近い時期に実はもう一つ起きていた。それを知ったらご主人もきっと調査の再開に納得するって。だって刑事さんなんでしょ。ひょっとしたら変な宗教絡みとか、その線もあるよ」
「でも。偶然の可能性だってゼロとは言えないでしょ」
「だから。それを調べるんじゃん」
確かにナオの言う通りかも知れない。【見て見ぬふり】は良くない、その言葉がセナに重くのしかかっていた。再開のお願いをしてみるだけしてみてそれでも断られたら、その時はその時で考えれば良い。セナはそう思った。
「セナ。連絡してみてよ」
「わかった。タイミング見て、してみる」
「タイミングって何? 」
「え? 」
「タイミングは今じゃない」
「今、ここで連絡するの? 」
「少しでも早い方が良くない? 」
「繋がるかなぁ」
セナはスマホを取り出すとタエの夫の電話番号を出して、通話のアイコンをタップした。
今回はすぐに繋がった。セナはなるべく順序立てて説明しなきゃと頑張った。まず、ナオのこと。そして似たような状況の自殺が横浜でも起きていたこと。
そして最後に、セナとナオ、二人による調査の再開をお願いした。
それを聞いた夫はうーんと言ったきり黙ったが、セナにはなぜか迷っているようには感じられなかった。似たような一件の存在が事件性を匂わせて、調査の継続を促したことに間違いない。ナオの事前の予想が的中した形だ。
夫は娘の手前、自分は表立っては手伝えないこと。ナオもセナと同じ条件でやって欲しいこと。そして決して無理はしないこと。これらを了解してくれるならと、あっさり再開を認めたのだった。