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2)第一話 桜鼠 / SAKURA NEZUMI


   夜 部屋にデンキをつける

   カチッ 明るくならない

   二度 三度 スイッチを押す 

   カチッ カチッ

   冷たい音がするだけ……


   ああ デンキュウが切れたのか

   デンキュウを付け替える

   部屋は明るくならない

   暗闇に立ち尽くし 初めて気が付く

   想定外のことが起きたのだと


   【灯り】は なぜ消えたのか? 

   消える サラジダ ——



 元上司タエは、憧れの女性だった。


 セナは大学を卒業して就職した会社を一年と持たずに辞めた。繊維関連の専門商社だったが、配属先の上司に耐えられなかった。五十代のその中年男性は社会の変化や時代感覚とは無縁なようで、自分の中の『常識』が世の常識。事あるごとにその『常識』を押し付けられた。そして多くの場合、長たらしい的外(まとはず)れな必要のない知識の披露へと展開していく。オジサンにありがちな上から目線のマンスプレイニングだった。


 リアクションの薄いセナがターゲットになることはなかったが、愛想が良くカワイイ同期が標的にされた。周囲の人間たちは【見て見ぬふり】をしていた。そして女性用のトイレや誰も居ない給湯室で、気にしない方が良いと型通(かたどお)りの慰めをその新入社員に投げかける。同僚たちのそれを見るのも、そのことに向き合わない自分にも耐えられなかった。セナはカラダに変調を来たし、限界と知って職を辞した。  


 次に就職したのがネットで情報サイトを運営する会社で、直属の上司となったのがタエだった。前の会社の上司とはおよそ違って考え方が柔軟で、変化を受け入れる度量が備わっていた。非があると思った時にはキレイに謝る。セナは契約社員としての採用だったが、正社員と色分けすることもしなかった。


 自然とポジティブになれた。ファッション情報サイトに掲載するウェブ記事を取材して書くライターの仕事だったが、前向きになれたことで上手く回った。そうなれば評価も上がる。好循環の中で当たり前の様に可愛がってくれた。


 契約更新を挟んで2年間、セナはその職場で働いた。

 さらに続けられるようにタエは会社側に働き掛けてくれたのだが、社内体制の刷新もありそれは認められなかった。セナは退職することになったが、いつかまたどんな形も良いので再びタエの下で働きたいと淡い期待を抱き今に至っている。だから連絡が来た時には、正直 仕事がまた出来る?そんな期待を持った。でも…… 結果はセナの想像とは大きく異なっていた。


 タエは、自分の目の前で自らの命を絶った。


 現場で事情を聞かれ連絡先を教えた刑事から『自殺』だったと後日電話で知らされた。死因は、クルマの中で練炭を燃やしたことによる一酸化炭素中毒だという。 


 あの日ネックレスをくれたことに強い違和感を感じたのは、セナがどこかでこの不幸を予期していたからかも知れない。それが間違いでなかったと判ってもなお、心にある違和感は消えなかった。居座る様にドシリと腰を下ろして動こうとしない。理由は一つ、タエと『自殺』がセナにはどう考えても結びつかなかった。


 言葉で上手く表現するのは難しいが、タエは『自殺』をするような人物ではないと思う。ヒトならば、周囲の知らないところで悩んで悩み、自らの人生を終わらせることも たまさかあるとは思う。それは二十六歳のセナでもなんとなく理解出来る様になっている。


 とはいえどんなことにも例外はあって、そのリストの最初に載るとしたらタエだ。流されることが上手な女性だと尊敬して来た。言葉を変えれば、受け入れることが上手いと言うことも出来る。時に人は自分の前で邪魔する何かに真正面からぶつかって、なんとか排除しようと試みる。でもそれは得策でないことも多い。むしろサラリといなし、時に立ち止まってやり過ごす。そんな柔軟性を求められるが、それを上手に出来るのがタエだ。


 そんな人物がなぜ『自殺』なんかしたのか?


 しかも期せずして自分がその現場に立ち会う結果となったのはただの偶然なのか? 前に聞いたことがあった。セナが暮らしている江東区のマンションの近くで、タエが子供の頃に過ごした時期があったと。たまたまそこを最期の場所として選んだのかも知れない。そしてセナのことを思い出してふと立ち寄っただけで、他意はないと捉えることも出来る。


 そうだとしても偶然の向こう側にある【臨在感】をセナは疑わずにいられない。月明かりにほんのりと青味を帯びた白いニットのタエ。あの日見送ったその女性らしい背中の悲しい残像は、違和感の三文字と共に記憶の中でいつまでも薄れることはなかった。 


        ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 それから一ヶ月が過ぎた。


 あの時はまだ(つぼみ)のままだった東京の桜。その多くがもう花を散らしている。桜前線はあっという間に北へと駆け上がって行った。


 それなのに ことタエに関しては何も変化がなかった。ショックな気持ちは消えていない。ふとした機会に思い出すと、心がギュッと縮んでそれがスイッチとなって自然と涙が出る。違和感も残ったままだった。 


 失業給付の受給期間も終わって再就職の活動をする最中(さなか)だったが、タエの一件があって以来その意欲も削がれたままにある。心にシフォンの布がフワリと掛けられたようにあって、セナはそのぼんやりとした状況にひどく戸惑っていた。


 それでも惰性で続けるようにいくつかの会社の面接は受けたのだが、結果は当たり前のようにダメだった。上手くいくわけがない。それはセナが一番よく判っていた。


 その日の面接も失敗だった。

 もはや失意の思いも薄く、ボーっと地下鉄が来るのをホームで待っていた。突然、電話の着信音が耳に入って来た。友人、知人はテキストでのやり取りがメインで、スマホで会話をすることはほとんどない。就活関連のどこかからだと思った。案の定、画面を確認すると知らない番号からだ。今の気持ちのままで出ない方が良いとセナは考えた。やり過ごした後、留守電を聞くことにした。


 電話は自分の予想を大きく(はず)す、意外な相手からだった。

 元上司タエの夫を名乗る人物からのメッセージが残っていた。妻が『自殺』する前、最後に会ったのがセナだと知って連絡をしたという。今さらだがどんな様子だったか?教えて欲しいとの内容だった。


 セナはすぐに折り返しの電話をして夫と話をした。教えられるほどのコトなどナニもなくて…… 逆にコチラが教えて欲しいぐらいです。そう伝えてもなお、可能ならば一度会って話を聞かせて欲しいと言う。気丈な声は出しているが心中は察するに余りある。その要望にセナは応えることにした。


        ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 夫とセナが会ったのは、品川駅の改札を出てすぐの場所にあるエスプレッソを主力とするコーヒーショップ。指定された二人席で待っていると中年の男性が声をかけてきた。


「ハセガワ・セナさん、ですか? 」


「はい」


「初めまして。ナカムラ・タエの夫です」


 男性は持っていた紙コップをテーブルに置くと、上着の内ポケットから名刺入れを出して中の一枚を取り出した。それをセナの前に置くと向かいの席に座った。その名刺を見て驚いた。千葉県警察本部・刑事部、ナカムラ・ゴウとある。


 以前、タエから夫は公務員だと聞いたことがあった。そこで銀縁のメガネをかけた色白の真面目そうな男性が現れるものとばかりイメージしていた。ところが目の前に座るのは、浅黒く、長年スポーツをやって来たことがジャッケット姿からも知ることが出来る、体格の良い男性だった。タエが自死の直前 自分に会ったとの情報を持っていたことも、電話番号を知っていたことも、警視庁と千葉県警、警察同士の繋がりがあってのことなのかとセナは勝手に推測した。


「生前は、妻がお世話になりました」


 夫はそう言うと紙コップを口元に運んだ。そして『早速なんですが。自殺の直前、会った時に妻はどんな様子でしたか?』と聞いてきた。セナはその日のあったままを話した。前に褒めたことのあるネックレスをわざわざ自宅へ持って来てくれてプレゼントしてくれたこと。今、断捨離をしていて使わないけど捨てるに忍びないものを知り合いに譲っていると聞いたこと。こうした会話を数分ほどした後、クルマに乗って帰って行ったこと——— 。 


「ハセガワさんは今回のこと、なんか変だとは思いませんでしたか? 違和感のようなものが残る、みたいな」


 夫はそう唐突に言った。


「正直、思いました」


「やっぱり、そうですか」 


「私の中に居るタエさんは、『自殺』なんて絶対にする人ではないです」


「自殺なんてしない人」


「はい」


 セナの言葉にうんと(うなず)くと夫は語り始めた。セナが感じた違和感を実は自分も同じように感じている。今回の妻の『自殺』は違和感だらけだと。


「違和感だらけ? 」


「ええ。一番は、そもそも『自殺』の理由が思いつかない」


「そうなんですか、やっぱり」


「こう言っては自賛する様に聞こえますけど。夫婦仲も特に問題はありませんでしたし。娘を始め、家族のことで思い悩む様子も特にはなかった。共働きでそれなりの収入があり、経済的に追い詰められてもいない。健康で最後病院の世話になったのはいつだったか? 」


「あの。遺書とかは」


「見つかっていません。おそらく書いてないと思います」


「そうですか」


「他にもあるんですよ、変なことが。『自殺』の現場となったクルマですが」


「シルバーの軽自動車、ですよね? 」


「そう、それなんですが。いつ買ったのか? 保管場所はどこだったのか? 私、一切知らない、知らされていないんです」


 セナは思わず言葉を失った。夫の知らないうちに妻がクルマを勝手に購入して乗り回していた。生前のタエを思い起こすとそんなことがあるのか?不思議だった。黙ったセナに構わず夫は続けた。  


「しかも見たことがない真っ赤なブレスレッドをして、普段聞かないクラシック音楽を車内に流したりして」


 突然、セナの中であの夜の光景が蘇ってきた。薄暗い闇の底に沈む金属のカタマリのように黒い影となって見えていた軽自動車。開けたままのドアの奥から聴こえて来たピアノの音色。


「仕事柄、自殺を扱ったことはコレまでにも何度かあります。でも大体は状況の説明がつくもんなんですが」


「確かに。違和感だらけですね」


「そうでしょう」


 セナは一つ気になったことを質問した。


「今、真っ赤なブレスレッドをしていたっておっしゃいましたけど。それって、どんなものだったんですか? 」


「ちゃんと覚えてませんが。ブレスレッドと言っても(ひも)みたいなものだったと思います」


「赤い(ひも)のブレスレッド、ですか? どこのブランドとかは? 」


「いやぁ。分かりません」


 セナには想像がつかなかった。タエはいつもシンプルな格好を好んでいた。特にアクセサリーは上質なモノを選び、指輪一つとネックレスぐらいだ。ファッション関連の取材で会う飾り立てるように誇示するタエと同年代の女性とは随分と違う印象だった。


 夫は繰り返し紙コップに口をつけながら、何かを考えるように少しの間黙った。沈黙の中でセナも次の言葉が出なかった。


 突然、夫がセナを正面から見た。 


「本当なら」


「はい」


「自分で徹底的に調べたいんです。なぜ妻は自ら命を絶ったのか? 一体、彼女に何が起きたのか? ずっと消えないままの違和感、なぜ?の正体を」


「そうですよね」


「でもそれは叶わない。私は千葉県警の所属で、妻の自殺は都内なので警視庁の管轄です。ちなみに所轄では自殺と断定。もう調べは終わっている。じゃぁ個人的に調査を、とも思いましたが。これからお金のかかる高校生の娘がいるので、仕事を辞めるわけにも長期間休むわけにもいかない」


「そう、なんですね」


「ハセガワさん」


「はい? 」


「ハセガワさんが代わりに調べるってわけにはいきませんか? 」


 夫の話には突然が多いとセナは感じながら応えた。


「私が、ですか? 」


「そうです」


「それは無理です。無理っていうか出来ません。調べるって言ってもどうやっていいのかも分かりませんし」


「でも。妻の下でいろんなところに話を聞いて取材して、それを記事にまとめていたんですよね? それで良いんです、出来ないことはないと思いますけど」


「いやでもあの時は、取材と言ってもルートのある取材先がほとんどでしたし」


「もちろん。取材に必要な費用、経費も、報酬もお支払いします」


「それだったら。『探偵事務所』とかにお願いした方が」


「それじゃダメなんです」


「ダメ、なぜですか? 」


 夫はその理由についてこんな説明をした。

 今、説明した『なぜ?』の内、軽自動車の件も、赤いブレスレッドも、流していた音楽も、説明をつけようと思えば出来ないこともない。


 例えば赤いブレスレッドなら、仕事で服飾関係者との付き合いはあるし、たまたまサンプルでもらったので付けていたのかも知れない。


 実は司法解剖の結果、処方箋が必要な睡眠薬を服用していたことも判明しているが、これだってSNS経由などで入手する方法はいくらでもある。


 ただ最も大きな『なぜ?』である自殺の動機については、どう考えても説明が付かない。


 他のこと、事実関係の認定なら探偵事務所や興信所でも出来るかも知れないが、動機など心の問題を探るのは相当に難しい。刑事としての経験からそれは間違いないと言える。タエのことをまったく判らない人間がそれを探ろうとしても雲をつかむような話になってしまうから。その点タエ本人のことよく知っているセナなら、考えそうなことも、会社や同僚のことも含め周辺の状況も、人間関係もよく判っている。だからあえてお願いしたいのだと夫は語った。


 それに、と夫は続けた。 


「ちょっと調べさせてもらったんですけど」


「え? 」


「今、特に仕事はなさっていないと聞いてます」


「まぁ。確かにそれはそうですけど。でも、就活はしてます」


「その合間の時間で構わないんです」


 タエの夫は自分のことをどこまで調べて知っているのか? セナはそのことが少し気になった。


「もちろん、手伝えることは私も協力しますし、捜査の専門知識もあるのでアドバイスもします。なんとかお願い出来ませんか?」


「そんな、無理です。それに突然すぎます」


「今日この場で結論を出せとは言いません。考えるだけでも少し検討してもらえませんか? 」


 結局この日、夫に半ば強引に押し切られ検討してみることで別れることになった。セナはどうするべきか? 一度も習っていないコトが出た試験問題を解かされている、そんな気分になった。


        ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 タエの夫と別れて自宅マンションの最寄り駅に着くと、すっかり日が暮れていた。セナはこれまでと道順を変えて公園の脇を通って帰ることにした。あの日以来、公園をなんとなく避けている。でも今夜はそうしてみようと思った。 


 照明の中に見える公園のソメイヨシノは、葉桜になりつつあった。(わず)かに残るいくつかの花が震えるように春風に小さく揺れている。満開の姿を今年は見ることがなかったと、セナは少し寂しく思った。


 道路の脇に建つ街灯の下にさっきまで降っていた雨が溜まって揺れている。そこへ公園の桜の花びらが飛んで落ちて静かに沈んでいく。(そば)に寄って見ると、薄い墨を乗せたように(くす)んだピンクが底を覆っていた。


 セナの中で記憶が蘇る。


 月明かりに青みを帯びた白いニットを着たタエの華奢(きゃしゃ)な背中。雨水の中でLEDの冷たい光が映し出す『薄墨(うすずみ)の桜』がそっと静かに重なった。

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