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後編 ―送り火フェスティバル―

 七月の終わり、蝉の声がまだ青い空を縫い止めている夕暮れ。校舎の昇降口には紙灯籠を抱えた子どもたちが列を作り、立番の古関先生が一人ずつに檜油を落として回っていた。廊下のガラス戸越しに射す光は橙に傾き、埃を帯びた空気を琥珀に染めている。私は胸にタブレットを抱き、正夫と並んで順番を待った。

「本当に映るといいな、未来の教室」

 正夫は金魚袋みたいな灯籠を揺らしながら私に囁く。私は頷き、タブレットの黒い画面に映る自分の目が少し光っているのを見つめ返した。昨夜、逆再生で蘇った灯籠の光は今も鼓動の奥で脈を打ち、胸のうちを小さく照らしている。


 体育館の扉が開くと、外気が流れ込み、古い木床の匂いと汗の甘い匂いが混ざり合った。舞台上には白布を張った即席スクリーン、後方には例の映写機が据えられている。歯車は新しい油で艶を取り戻し、それでもどこか慎ましく沈黙していた。

 母は保護者席の隅でランタンを抱え、私に手を振った。薄藍の浴衣に檜油の香が淡く重なり、灯心のように凛として見えた。その姿を確かめた途端、腹の底で輪になっていた不安がほどけ、足取りが自然と舞台袖へ向かう。


 上映会は三部構成。まずは昭和の開校式フィルム、つづいて各班の「未来の教室」作品、最後にクライマックスとして“送り火座”の合同映像を投影する。音響係の正夫と私は舞台袖で息を合わせ、タブレットを映写機へ繋ぐ準備を整えた。蛍光灯が落とされ、夏の影が体育館を満たす。


 ――コトリ。

 給送軸にフィルムが咬み、レンズの奥で光が跳ねる。最初に流れた開校式の映像は古びたモノクロだが、退色した運動帽の白さが不思議に生々しく、観客席からどよめきが起こる。昭和の子どもたちが行進し、旗が揺れ、やがて画面はフェードアウト。


 次いで班作品が映る。理科室の逆回転プラネタリウム、図工室の溶ける群青、家庭科室で早送りされるパンケーキ──未来へ向かう時間と逆行する時間が交互に編まれ、観客の子どもたちは歓声を上げた。


 そして体育館が最も深い闇に沈んだ瞬間、私たちの合同映像が始まる。


 黒い画面に白い線が一本ずつ現れ、星座を結びはじめる。その線はみんなの名前を抱いた灯で、逆再生の軌跡を描きながら中央へ収束した。私は舞台袖でハンドルを静かに逆回しに切り替える。歯車の低い唸りが胸骨へ共鳴し、背中を伝って舞台の梁まで震わせた。


 スクリーンの中央がぽっかり空白になる。客席がざわ、と揺れ、私はタブレットの映像を送るタイミングを待つ。


 そのとき、体育館の窓が風に鳴り、どこからともなく鈴の音が重なった。私は歯車の音かと思ったが、違う──鈴は川沿いの影送りを告げる合図だ。


 刹那、スクリーンが真白に爆ぜ、昨夜逆再生で蘇った灯籠が川面から浮かび上がった映像が走る。灯籠は空へ昇り、紙花を揺らしながら回転し、最後に“送り火座”の空白へ滑り込む。その瞬間、空白の中心が薄紅に灯り、私の名を示す一文字〈夕〉が輝いた。


 観客席から息を呑む音が聴こえる。白布の向こうで灯籠が飛び立つ光景は、ただの映像ではなく、体育館の暗がりに粒子のまま漂い、見る人の影へ染み込むかのようだった。


 私は舞台袖から母の顔を探す。母は涙をこらえるように口元を押さえ、私とスクリーンを交互に見ている。瞳の奥に、川面の記憶が揺れているのが分かった。


 映像が終わると、闇が一拍おいて破れ、拍手が波のように押し寄せた。ステージライトが灯り、私と正夫は舞台中央へ呼び出される。汗で前髪が頬に張り付き、鼓動が耳を打つ。

「みんなの未来、とても素敵だったぞ」

 古関先生の声がスピーカー越しに響き、拍手がもう一度膨らむ。私はマイクを握りしめ、気管に冷たい風が通るのを感じながら言った。

「未来は、まだ映してない時間です。でも、みんなで回せば映るってわかりました」


 言い終えると同時に、体育館の照明がすべて落ちた。客席から小さな悲鳴。その闇の中央で、私のタブレットが再生を始める。映るのは、昨夜撮った影送りの川。逆再生ではなく正方向、つまり現在(いま)のままの流れだ。ランタンが闇へ溶ける直前で映像が静止し、光点が一つ、二つ、スクリーンからこぼれ落ちるように床へ降った。


 床に触れた光は砂金のように散り、観客の足元まで流れていく。子どもたちが思わず立ち上がり、光の粒を追う。誰かの手の平に粒が落ち、そこに淡い星印が灯った。その星はやがて溶け、皮膚の下へ吸い込まれた。


 私はマイクを置き、映写機のハンドルを止める。体育館を満たすのは無音、けれど誰もが自分の胸の奥で微かな鈴を聞いていた。


 エンディングの照明が上がる頃、外は完全な夜になっていた。私は母と手をつなぎ、川沿いへ向かう。校門から土手まで、子どもたちと親たちが列をなし、みんなの掌には星の余韻が波紋のように揺れていた。


 川面へ着くと、水は闇を映しながらも、無数の灯籠の残り火をわずかに抱えている。私は母の提灯の灯を少し傾け、それをタブレットのカメラに収めた。母は小さく笑い、私の頭を撫でる。

「影は流れても、光は映えるのね」

「うん。わたしがちゃんと撮ったからね」

 川風が浴衣の裾を揺らし、遠くで正夫が友達と星を指さしている。彼の声が波に混ざり、私の耳に届く。

「見ろよ、送り火座!」


 見上げると夏の大三角の隣で、星の粒がかすかに帯を成し、昨夜ノートに描いた通りの線で結ばれていた。空は確かに変わったのだ。私たちの映写機が、時間の向こうへ新しい星図を送り出したのだ。


 私は母の手をぎゅっと握り、胸の奥で映写機の歯車音をもう一度思い浮かべる。カラララッ――逆再生でも早送りでもない、現在を回しつづける穏やかな音。灯籠が消えても、星図はそこにあり続ける。


 川面に浮かぶ最後の灯が闇へ溶ける頃、私たちは背を向け、学校までの道を戻り始めた。足元の影が二つ並び、街灯の淡光で静かに伸びる。その影はやがて重なり、一つの輪郭を描いた。未来へ向かう輪郭。


 夜風がそっと吹き抜け、鈴の音が遠ざかる。私は歩きながら、星図の空白を埋めた小さな〈夕〉の光を確かに胸に感じていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


本作と同じ登場人物を使いながら、あくまで“並行世界”のお話として数年後の母親が主人公となる新作を、Talesにて公開しています。時間軸や細かい設定は本作とは必ずしもつながっていませんが、同じ名前と想いが交差する別の景色をお楽しみいただけるかと思います。


もしご興味がありましたら、ぜひTales版も覗いてみてください。次は母親の視点から見える世界を、一緒に旅していただければ嬉しいです。

https://tales.note.com/noveng_musiq/wgunfn4l3o6wb


これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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