スローライフを送ろうとしたのにどうも邪魔が入るので諦めました。
広い草原、青々とした草の香りに、草木を揺らすように吹く風。
そして、この世のモノとは思えない断末魔を叫びながら、こちらに突進してくる魔獣。
「ギャァァァアアア」酷い臭いをまき散らしながら走ってくる醜い獣が、あまりにも耳障りで、朝食にしてやろうと思い、剣で首を落とす。
生暖かい返り血をたっぷりと浴びた体はとても血生臭くなっていた。
なんて、なんて爽やかな朝なんだろうか。
まるで心が洗われていくようだ。
これぞ、俺の思い描いていた異世界スローライフ!
……って、俺が思っていたのと全然ちっがーう!
これの、これのどこがスローライフだ!
どんなにのどかな農村に行っても、何故か俺が来た途端に魔獣が出るわ、魔物に襲われるわ、マジでどうなってんだよ。
俺の約束された安住の地は、一体どこにあるんだー!
今思っても、俺の人生はろくでもない。
否、ろくでもなかった。
平成十二年、九月九日、二十一時九分、それはもう静かに生まれた男の子。
周りからは「あと三年早く生まれていたら」「あと一年早く生まれていたら」
九がもっと重なる時に生まれれば良かったと謎に言われ続けた。
静かに生まれてきたから『靖祢―シズネ―』と名付けられるはずだったその男の子は、両親の「なんか九に関する名前にした方が運命的でしょ?」とかいう謎の理由から、『威玖―イク―』と名付けられる。
誰が見たって、どう考えたって、一目瞭然。
付けようとしていた理由はどうであれ、イクとか言う、中高思春期真っ盛りに絶対イジられる名前より百倍マシ。
いや、もっとだな。
とにかく、予定通りの名前を付けてくれていればよかったというものを。
自分たちのフィーリングで変えやがって!
おっと、これ以上は両親への愚痴になるな、止めておこう。
とにかく、生年月日と名前、名づけの理由のせいで、俺はずっとイジられてきた。
小六から高校まで「ほらぁ、イクイク~」といじられ続け、ある時、同級生に「ほらぁ、威玖くんがイッちゃうってよ」と言われた。
流石に我慢の限界で、俺は同級生を殴っていた。
同然問題児扱いを受ける。
俺をイジッた奴等が猫被って、担任に泣きついたせいで、ただの冗談に逆上した暴力野郎のレッテルを張られる事に。
勿論、両親は大激怒。
モンスターペアレントと呼ばれ、卒業式の一か月前という変な時期に転校。
馴染む事も無く、高校を卒業。
成績はまぁまぁ良い方だったから、両親には進学を勧められたが、進学手続きなんて面倒くさいし、何よりまたイジられる未来が安易に想像できたため、フリーターになった。
そこからは、家の近くにあるコンビニでアルバイト生活。
あんま人が多くない所の筈なのに、客がジャンジャン来て、サボる暇もない。
数時間もたたず、商品があっという間に消えるもんだから、品出しを一日に何回もしなきゃいけない。
アホみたいに忙しいし、何度もやめたいと思った。
ただ、店長が以上に優しい人で、辞めることが出来ない。
クッソ忙しくて疲弊しても、友人なんていねーし、ストレスが溜まっていくばかり。
好きな物も特になく、ストレスは発散される事は無い。
そんな時だった。
買い物帰りに横断歩道を渡っていったら、信号無視して突っ込んできたトラックに撥ねられて、バキッと。
全治三か月。左腕が使えなくなり、初めての骨折に骨が折れた。
二か月の入院生活を終え、やっと退院出来ると喜んでいた日、俺は病院の階段から足を滑らせた。
強い衝撃が頭に走った事は忘れもしない。
意識を取り戻した時にはもう……さっきまでとは違う天井。
ここはどこだと体を起こすと、昨日まで入院していた病棟の隣の棟の病室だった。
治りかけていた左腕はまたもダメになり、今度は頭まで包帯でグルグル巻きにされる羽目に。
傷は深くなかったから良かったものの、少し位置がずれていたら即死だったらしい。
そこからまた二か月、やっと完治し退院。
念のためにバイトは一週間休み、療養を取る事に。
家に帰ってきて、急な眠気に襲われた俺は、布団に倒れ込むように眠りについた。
そして、死んだ。
最初は意味が分からなかった。
パチパチと手を叩く音で音が覚め、体を起こすと、半袖にジーンズを履いたポニーテールをしたイケメンが目の前に立っていて、嬉しそうに言ったからだ。
「おめでとう! やっと死んだね!」と。
当然、口から出る言葉はこうなる。
「は?」
そりゃそうだろ。
さっき眠って、起きたらこれだ。誰だって言いたくなるだろ?
地味に喧嘩売られてるし。
嬉しそうな顔に、沸騰する寸前の湯みたいに沸々と殺意がわいてくる。
「もう苦労したんだよ? 君、結構大きめのトラックでわざと轢いても骨折で済んじゃうし、階段から転落死するように仕向けたのに軽いけがで済んじゃうしさ」
さわやかな声で聞こえてくる言葉はどれも人の心もあったものじゃない。
ん? ちょっと待てよ、仕向けた? ってことは俺があんだけ短期間で怪我した原因、コイツ?
「お前のせいかよ!」
目の前に立って言った。
「僕ね、君みたいな子、好きなんだよね。どうせ誰か一人殺して、こっちに連れてこなくちゃいけなかったし」
「話聞けよ!」
野郎にニコニコされながら言われたって、嬉しくねーし、そもそも好きだから殺したとか、どこのヤンデレだよ。頭おかしいだろ。つーか、キモい。
「野郎に好きとか言われてもうれしくない、ていうか、俺死んでんの?」
目も前に居るイケメンの顔がただの笑顔から、満面の笑みに変わる。
どんだけ嬉しいんだよ。待ってましたみたいな顔しやがって、マジで何なのコイツ。
「死んでいるね~。だから僕と会えているわけだし。ほら、喜んでいいよ? 神様と会っているんだから」
……は? いや、内容からして分かってはいたけど。それでもやっぱり信じられない。
このイケメンが神とか……神様はハイスペックって事なのか、ふざけんなよ。
てか、神様ってもっと数いるもんなんじゃないのか?
ボソッと口から出ていた。
「本当に神様なのかよ」
「ん?」と、とても不思議そうな顔を浮かべる自称神。
「当たり前でしょう。僕、神様じゃなきゃ殺人罪で捕まっちゃうよ~」
「神様でも捕まれよ……」
「ちっちっち」と「分かってないな~」と。
自称神はわざとらしく、言って続ける。
「僕は、君の居た世界の神じゃない。だから君の世界のルールは通用しない。それにあそこを統治していた神からちゃんと許可は取っている。誰でも一人連れて行って良いっていうね。ほら、問題ないでしょう?」
言っている事は納得出来るものじゃない。
だがその表情一つで確信した。
「あぁ、神だ」と。
他人を憐れむのとは少し違う目線。
高貴さと無機質さを合わせたような、人には決して出来ない瞳。
コイツは本物だとそう思った。思わされた。
それを見た時に、やっと実感が湧いた。
もう元の場所には戻れないと、もう家族には会えないと、俺は死んだんだと理解した。
解った瞬間から、今まで感じた事も無い様な感情が、奥底から湧き出てくる。
想いを口に出さないように、血が滲みそうな程に痛く、強く、唇を嚙み締める。
悔しい、悲しい。自分が酷く惨めに思えた。
まだ、両親に何も言っていない。
まだ、アイツ等に、俺の高校生活を台無しにした奴等にツケを返していない。
ずっとため込んできた言葉を吐き出していない。
まだ、二十二年しか生きていない。
情緒もクソもない、俺は胸倉を掴んで叫ぶように言った。
「返せよ、返せよ……俺の人生、返せよ!」
まだやりたかった事何も出来てねーよ。
なんでこんなに早く死なないといけないんだよ。
なんで俺なんだよ。
なんで、なんで、なんで、なんで。
カァーっと、頭に血が上っていく。血管が切れるんじゃないかと思うくらい怒りでいっぱいになっていた。
どこにもぶつけられない、どうやったって怒りは収まりはしない。
目の前の神は俺を嘲笑うかの様に冷たい声を発する。
「返すよ? 返すに決まっているじゃないか。ただ、同じ世界じゃないだけさ」
「それじゃ、意味ねーんだよ!」
元の場所じゃないと伝えられない人が居る。言えない言葉がある。
それを伝えたいんだ、別の世界じゃ返した事になるはずもない。
沸々と、考えていた。
すると、呆れの混じる溜息と共に口を開く。
「はーあ。僕はさぁ、全く何の説明もせずに記憶も取り払って、強制的に僕の世界に送る事も出来た。でも、していない。髪が下等な人間なんかに譲歩をしている。分かるかな? 僕は君の世界の神とは違って、人を愛していないんだ。愚か者は嫌いでね、だから大人しく僕の言う事を聞いて欲しいんだよね」
黒くドロッとした感情に触れた気がした。
これが神の本性。
少し前まで俺の心を占めていた怒りは、いつの間にか消えていく。
全部全部、馬鹿馬鹿しくなって、考える事を止めにした。
さっきまでとは打って変わり、さわやかな声に笑顔。
「異世界転移と異世界転生、どっちがいい?」
神から提示された二択。
正直、勝手にしろよと言いたかったが、それはそれで癪に障るので、止めにした。
浮かんだ疑問はいくつかあって、例えば、転生の場合は記憶が無くなるのか、とか生まれた所から始まるのかとか、だが質問を投げかける事無く、俺は選んだ。
「転移」
考える必要もない。
元の記憶があるか、取り戻した場合、自分の姿に戸惑う事になる。
それに、今よりもっと変な名前を付けられる可能性がある以上、転生なんて望まない。
「そうだよね~。異世界転移の方がいいよね~。僕もその方が好都合だし。なんてったって、君のその容姿が良くて殺したわけだし。中世的な美少年って大好きなんだよね~」
……大好きなんだよね~。じゃ、ねーわ。んな理由で殺すんじゃねーよ。
てか、好きってそこかよ。
神様まで見た目至上主義とか……公平であれよ、それくらい。
神ってのは、どこまでも冷たいくせして、わがままなんだと知った。
そっちの都合で、勝手に殺してくれてんだから、こっちの希望も聞いてもらわなくちゃな。
「条件。俺はスローライフを送りたい。物語みたいな派手な人生は送りたくない。だから約束しろよ、平凡でそこそこの暮らしを俺に与えるって」
ニコニコしやがって。この冷血漢。
「いいよ。じゃあ約束ね。君には僕の世界での平凡そこそこの暮らしを与える。勿論、僕は冷血漢なんかじゃないから、あっちで必要になる能力も力もあげる。これで満足してくれるかな?」
コイツ、心読めたのかよ。
張り付いているようなさわやかな笑顔に、寒気がした。
まぁ、いいや。
全て放り出しくなって、変にエンジンがかかった。
絶対に異世界スローライフ、エンジョイしてやる……絶対にな!
「あぁ、満足だよ。ほら、さっさと送れよ」
俺に手を振って、笑みを浮かべる。
「じゃあ頑張ってね~。異世界スローライフを送れるように」
アニメや漫画なんかでよく見るような、テレポート。
俺は一瞬にして、別の場所に飛ばされていた。
木々が生い茂る、怪しげな雰囲気漂う森? 多分、森だ。
草木の香りに混じり、微かに感じる鉄のにおい。
鴉だろうか、鳥の声がする。
それに、茂みを揺らす音。
バクバクと、自分の鼓動の音がよく聞こえる。
「ここ、何処だよ……せめてもっと分かり易いっつーか、安全そうな所に送れよ」
こんな事を口にした所で、状況が変わるわけじゃない。
が、とりあえず不満を口にしたかった。
ガサガサガサ、前の茂みが揺れ始める。
何が出るかわからない。
バクバクバクバク。
背中から冷たい恐怖に襲われる。
「キュウゥ」
……出て来たのは、可愛い見た目に針の体をしている、ウサギとハリネズミを混ぜたような生き物。
「なんだコイツ」
危険かもわからない生き物を前に、動く事なんて出来ない。
再び茂みが揺れ始める。
「キュウ、キュウゥ」
またこれと同じ生き物が出てくるのかと、茂みの前まで行き、しゃがんで出てくるところを見てやろうとした。
バッと勢いよく茂みから出てきたのは俺の顔を掴む両手。
「捕まえた!」
ひょこっと、顔を出したのは青い瞳と葉のたっぷりと付いた白い髪の少女だった。
「違う⁉」
「⁉」
違うって何? ていうか、こっちの方が驚きなんですけど。
ずいぶんと幼そうな顔の少女は顔から手を放し、茂みに引っ込んだ。
茂みを揺らす音と共にさっきの少女が目に入る。
見事な上から目線だな、なんて思いながら腰を上げると、少女との差が露に。
ん? もう少し高いと思ってたけど、そうでもないな。
俺が一七八だから、一五〇くらいか?
こちらを見るキラキラと輝く青い瞳。
え、俺? 幼女は範囲外なんだけど~、ま、まぁ? 自分で言うのもなんだけど、顔は割と良い方だし? このくらいの年の子は王子様が迎えに来るって信じてるもんな~。
目の前を堂々と通り過ぎて、小動物に向かって行く。
微かに甘い花の香りがした。
「ハリウサギ、やっぱり可愛い」
違った……ッ、クッソ。クッッソ、恥ずかしい……自惚れもいい所じゃねーか。
いやいや、と。
「ハリウサギ?」
疑問を声に出す。
もしかして、あれか? 名前、見たまんまなのな。
針の体を撫でながら振り向く少女。
「ハリウサギ、知らない?」
首を傾げる様子は正に小動物の様。
白ウサギみたいだな。あの白い髪に耳生やしたら、可愛い獣人……いやいやそれよりも。
「あぁ。よかったら、教えてくれないか?」
花が咲いたような、可愛い笑み。
「いいよ、教えてあげる。ハリウサギはね、アルミラージが退化して、別の種と交わった事によって生まれた生き物なの。敵から素早く逃げる為の大きな足と危険をいち早く察知できる耳、そして、敵を返り討ちにするための針。この針はハリウサギの体毛で、逆立てる事によって弓矢みたいに敵に当てる事が出来るの。凄いよね」
すらすらと口から出てくる知識にただただ凄いと、楽しそうに話す少女に動物が好きなんだなと思った。
「コイツ、針飛ばしてくんの? 俺、ここに居て攻撃とかされないよな?」
見知らぬ土地でよく知らない生き物にやられるとか、嫌だからな。
「大丈夫だよ。ハリウサギはとても大人しい性格で、こっちから何かしない限り、特に何もしてこないから」
一安心。お礼、言っておいた方がいい、よな。
青く輝く瞳がこちらに近づいて来る。
「貴方、どこから来たの? ハリウサギを知らないって言う事は、相当な都会から来たのよね? どうしてこんな田舎の、それも森の中来たの? しかも、貴方の服、見た事無い! 都会ではそういう服が流行っているの? もしかして貴方、犯罪者とか? それとも非業の死を遂げた家族の仇を取りに来たとか?」
これぞ正しくって感じのマシンガントーク。
この子、俺の事怖くないのか? 俺が言えた事じゃないが、会ったばっかりの奴には警戒するだろ。
「えっと……俺、俺は自分の名前以外、何も覚えてなくて……だから、ここがどこなのかも、何をしに来たのかも分からなくて」
自分で言っててもキツイな。
こんなんで信じる奴なんて居るわけ……。
「うっ、うっ、うぅ」
青い瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。
え、なんで泣いてんの⁉
「そっかぁ、それは大変だったね。大丈夫、そういう事なら私、貴方の力になる!」
マジで? え?
それはもうあっさりと、本当にいとも簡単に見え透いた嘘を
信じてしまった少女。
絶対にこの子騙されやすいだろ……大丈夫な気が全くしなかった。
「私、エイプリル。エイプリル・リンデバルド。よろしくね」
「俺は、矢羽野威玖―ヤバノイク―。よろしく」
カラカラカラカラと音が鳴る。
ん? 何の音だ?
「ハリウサギが威嚇してる……なんで」
『ギャァァァアアアアアアアア』
獣の叫び声が耳を劈く。
茂みの奥に隠しきれていない牙と体躯が見える。
なんだよ、あれ。
圧気にとられていると、真っ青な顔の少女が俺を見た。
「片方だけの牙に、大きな体……逃げよう。危ないわ」
何も出来ないのに、立ち向かって行く程、俺は馬鹿じゃない。
ここは全力で逃げさせてもらう。
「そうだな、逃げよう」
「私についてきて」
ゆっくりと、背を向けないように移動していく。
強い風でも吹いたかのような大きな鼻息が茂みを分け、ギロリと、真っ赤な大きな目がこちらを向いた。
これは猪、なのか?
視界に俺達をとらえた獣は、再び咆哮を上げる。
『ギャァァァアアアアアアアア』
嘘だろ。来るな来るな来るな、こっち見るんじゃねぇ。
鳴いただけだよな、そうだよな? 襲い掛かってきたりとか、しないよな?
大丈夫、こっちに向かってくる様子はない。
少女に目を見やると、ブルブルと震え、獣と目を合わせたまま動かない。
「リンデバルトちゃん?」
返事はない。
……大丈夫か、これ。
パニックを起こしてないだけマシだと思うしかないな。
にしたって、どうしろって言うんだよ。
ここからどこに逃げれば良いのか知っているのは彼女だ、でもその彼女には声も届いていないみたいだし。
こんな時の対処法なんて、当然知りもしない。
一体どうやって切り抜ければ……考えてみても全く思いつかない。
地面を蹴っているのだろうか、ガシュ、ガシュッという音がする。
これ、まずいよな。
グルグルと考えが頭を駆け行く。
どんなに考えてみても、上手くいきそうなものなんて一つもない。
その内に、獣が少女目がけて突っ込んでくる。
考えている暇はない。
考えるよりも前に行動しなければ、少女がどうなるかも分からないのだから。
とりあえず、怪我しなきゃ、何とかなるだろ。
少女の腕を引き、抱きしめる。
これは、守る為であって、断じてセクハラではない!
「え?」
動揺が映る青い瞳は、揺れながら俺を見る。
突然抱き寄せられたらそうなるよな。
これで、怪我はないし、大丈夫だろ。
……この状況だったら、セクハラとか言われないだろうし。
少女に向かっていた獣は大きな音を立てて、追突した木々を倒す。
嘘だろ、あんなのにぶつかりでもしたら、ただの怪我なんかじゃ絶対に済まない。
今の内に逃げないと。
『ギャァァァアアアアアアアア』
三回目の咆哮。
逃げたからだろうな、すごい勢いで獣が迫って来る。
流石にこの短い距離じゃ、逃げきれない。
神は俺に言っていた、ここで必要な能力を渡すと。
ここで生きていくなら、神様はこうなる事も当然予想済みだよなぁ?
転移して早々に殺してニューゲームなんて腐った事、するわけないよなぁ?
散々に煽った挙句に思う事。
あんな神を信じるなんざしたくもないが、おまえの好みの顔した俺をこんな所でぶっ殺したりしないって、信じてやるよ!
わざと走る獣の前に立ち、一歩踏み出す。
「どうにでもなれ、ド畜生!」
すぐ目の前には牙。もう分かる、死が、迫っている。
死神に首元を狙われているような気分だ。
このまま突進されて、俺は飛ばされて死ぬ。
獣臭が鼻につく。
急に熱を帯び始める左手。何を血迷ったか、俺は獣の眼前に腕を出していた。
「君は本当に不幸な『人』だ」
幻聴かもしれない。それでも確かに嘲笑うような聞き覚えのある声がした。
しっかり見ていたはずなのに、何が起きたのか理解できなかった。
伸ばした腕の先、獣と掌の合間に現れた黒い何か。
それは一瞬で、獣を消した。
包んだと言うより、食べたという表現の方がしっくりくる。
「なんだ、これ……」
俺のろくでもない人生の第二幕が始まりを告げた。
俺は一か月の間、エイプリル家で世話になって、常識と世界の知識を身に着けた。
二人でゆっくりと過ごす日常、エイプリルが知っている動物や野草の知識を聞く時間は面白くて、これもスローライフだよな、なんて思いながら過ごしていた。
が、日常は突然崩れ去る。
ドンドンドン
「すみませーん」
昼間から人が来るなんて珍しいな。
持っていたカップを置き、玄関に向かう。
扉に手をかけて開けようとしたその時、階段を駆け降りる音とエイプリルの声。
「開けちゃダメ!」
「え?」
ドアノブを下げた次の瞬間、強い衝撃が体を駆け抜けて行く。
俺は壁に押し付けられていた。
「痛ッ」
押し入ってきたのは武骨な男とエイプリルと瓜二つの赤い瞳の少女。
少女の胸元には瞳と同じ色の大きな宝石をはめ込んだネックレスがキラキラと光る。
痛みよりも、気になったのは少女の着けているネックレスだった。
少女の姿にお世辞にもそのネックレスは似合っているとは言えない。
服に着られているって言うと少し違うが、なんかこう、不自然なんだよな。
「イク、大丈夫?」
駆け寄って来たエイプリルを見るなり、少女は声を上げた。
「やっと見つけたぞ、このクソ姉貴!」
姉貴? ってことは妹か。まぁそうだよな、ここまで似ているし。
「怪我とかしてない?」
「あぁ、大丈夫」
つーか、穏やかじゃないよな。無理やり入って来てるし、一体何がどうなってるんだよ。
差し伸べられた彼女の手を取ろうと伸ばした手は、彼女の手を掴む事無く、空をかすめる。
突然の事だった。彼女の腕を強引に引き、男が抑えたのだ。
「やめて!」
こいつら何して!
必死にエイプリルがこちらに腕を伸ばす。
「イク!」
泣きそうな彼女の顔を見て、腕を掴む事しか出来ない自分が情けなく思えた。
でも、今はそれどころじゃない。
「エイプリルを放せ」
男はじっと睨むだけだったが、赤い瞳の少女は掴んでいる手を離そうと指を剥がそうとする。
「そっちこそ放せよ、姉貴はオレ達と帰るんだよ!」
「嫌!」
叫ぶ彼女を見て、思ったことは一つ。
「嫌がってんのがわっかんねーのかよ!」
その言葉を聞いたからなのかは分からないが、一瞬彼女を押さえる力が弱まった。
少女の手を振り払い、エイプリルを抱き寄せる。
俺の腕の中に居るエイプリルを見て、泣き出しそうな顔を浮かべる少女。
フラフラとしながらも、エイプリルへと手を伸ばす。
彼女は少女の方に手を伸ばす。
「エイプリル?」
声をかけると、彼女は微笑みかけた。
え?
真直ぐに少女を見て、彼女は伸ばした手で少女のしているネックレスを引きちぎった。
「ごめんね、エラ」
少女は何かを察したのか、声を上げて、必死に腕を伸ばす。
「ダメ!」
彼女は足元にネックレスと落とし、踏みつけた。
「神よ、我が願い、御聞き届け下さい。此処から遠い地へ!」
「嫌ッ、姉さん!」
少女の瞳からは涙が溢れていた。
伸ばされた腕は届く事無く、俺達は光に包まれる。
眩しさのあまり目を瞑る。
「イク、目を開けて?」
エイプリルの声にゆっくりと目を開くと、そこに広がる景色は小川と生い茂る緑。
……また森か。
「ごめんね、私のせいでこんな事になって」
悲しげに笑う彼女。
一気に聞きづらくなったな。
あれ、妹だよな? もう一人いたのは誰なんだ? 一体お前らの間に何があったんだ?
今のネックレスは魔法なのか? とか、聞きたい事は山ほどあった。
でも、聞くのもな、と。
「別に。俺と最初に会った時の魔獣より断然マシだし」
笑って見せた。
「ありがとう」
あぁ、いつもの笑顔だ。
……もう、もうこれ以上、一緒に居たくない。
あの少女襲撃? 事件から二か月経った。
今は六月の初め。
あの事件が起こるまでは、動物が好きで、ちょっとだけ騙されやすい子なのかな、とか、思ってた。
何なら、一生二人でも良いかなとか思い始めてた。
が、そんな考え、今では微塵もない。
何故なら、彼女はアホだからだ。
正直、五歳の子供の方がマシ。
まさかここまでだとは、思ってもみなかった。
エイプリルには嘘を見抜く能力が無い!
それは、俺が家族の話をするとかいう、嘘が完全にバレる、ボロを出した時の事。
彼女は嬉しそうな顔で、「記憶が戻ったのね!」って。
いやいやいや、そんな何の前触れもなしに、ていうか、流れるように家族の話してんのに、記憶喪失設定信じるとか、ガチのアホだとしか言いようがない。
「どうしたの? 何か考え事?」
顔を覗き込んでくる青い瞳。
お前がアホだと言う考え事だよ。なんて言える訳もなく。
「今までありがとうな、エイプリル。お前も大変だと思うし、もうついて来なくて良いぞ」
自分の思う最高の笑顔を向けた。
もう面倒は勘弁だ。
森のど真ん中、昼食後の出発直前に放った言葉。
木々の隙間を通った風が、消えかけの焚火を完全に消した。
「何言ってるの? イクが記憶を取り戻すまでは、一緒に居るって約束したでしょ?」
何で俺はあの時、あんな約束をしたんだ……。
エイプリルがこんなにもお荷物になると知っていたら、絶対にしてなかったのに。
はぁ。
「どうしてもついて来る気なのか?」
必要な知識を知れば、一人でもどうにかなる。
それに俺と一緒に居るよりも一人でいる方が、あの少女と男に見つかる可能性も減る。
だから、俺は自分の家族を探す旅に出る(嘘)、今まで世話になった。
そう告げた。彼女の事情から逃げる様にも見えるが、違う。
勿論、俺ごときで力になれるなら、当然なる。
いつでも呼んでくれればいい。
ただ、ただ、一緒に過ごしたくないだけなんだ。
流石について来ないと思っていた。
「えぇ。もちろん。貴方の記憶が戻って、どうして森に居たのか、それを知るまではついて行くわ」
彼女の中には、ついて来ないと言う選択肢は無いらしい。
諦めてくれると、凄い助かるんだけどな。
あぁ、もう全部嘘だってぶちまけて逃げようかな。
俺はただ、ゆっくり余生を過ごすみたいな、スローライフを送りたいだけなのに……エイプリルは何故かついて来るし。
でも、今の俺は一人で宿にも泊まれない。
はーっ、結局一緒に行くしかないのかよ。
考えていると、彼女が言う。
「そうだ、この森を抜けた所に小さな農村があってね、野菜が美味しいんだって。あと、数は少ないらしいんだけど、チーズが絶品らしいの! 寄って行かない?」
チーズか、そういえば最近食べてないな。
硬いパンと干し肉の生活も飽きてきたし、さっき昼食を食べたばかりだが、考えただけで腹が減ってきそうだ。
……行ってみるか。森で野宿ばかりしていると、栄養も偏るしな。
「あぁ、寄って行こうか」
横を歩く彼女に向かって言うと、嬉しいんだろうな、ウサギの様にぴょんぴょんと跳ねて見せた。
その度に左右に纏められている白い髪が揺れる。
「チーズ、楽しみね! ほらイク、早く早く」
さっきまで跳ねていたエイプリルは、少し先まで駆けて行き、振り返る。
「ほら、早く!」
こうやって見ていると、子供みたいだな。
一瞬、彼女の青い瞳が宝石の様に輝いて見えた。
「分かった、分かった」
エイプリルの後ろをついて、歩いて行く。
小柄なのに、足元の医師や枝なんかに躓く事無く、ドンドンと先へ進む。
いつも思うが、エイプリルはなんであんなにも早いのか。
なんというか、「白ウサギ……」みたいだな。
自分でも口に出したか分からないくらいだった。
さっきまでドンドンと先へ進んでいた彼女は止まり、振り返る。
「私、ウサギじゃないわ」
頬を膨らませ、むくれる彼女は、ウサギというよりもハムスターの様。
やっぱ、子供だな。
わざとらしく、口にする。
「そうだな、ウサギはエイプリルと違って、肉をあんなに沢山食べたりしないだろうしなぁ」
彼女は俺の眼前にやって来ると、手を取って歩き出す。
「もう、早くいかないとチーズが売り切れちゃうかも」
彼女の歩幅に合わせようとすると、どうにも足が絡まってしまう。
俺よりも小さい彼女に合わせていたら、怪我するな。
「はいはい、ちゃんと行くから手、放して?」
後ろから見ても分かるくらいに膨れている彼女を見ているのはとても面白かった。
ウサギでもハムスターでもなく、タコの様で、笑いそうになるのを必死に堪える。
「今日中に森を抜けたいから、ちゃんとついてきてね」
膨れながらも、しっかりと先導する辺り、やっぱしっかりしてるんだなと思わされる。
これで十八だもんな、エイプリルは。
兄妹なんて居た事無いし、よく分からないが、多分妹がいたらこんな感じなんだろうな、そう思った。
ムスッとしている彼女から聞こえてくる独り言。
「もう、いつもイクは私をいじってくるんだから」
そんなにイジってるか? あー、まぁ言われてみれば? そんな気がしなくもない。
だが、エイプリルの反応が面白いんだからしょうがない。
何も反応しないのであれば、俺きっとイジってないだろうし、それ以前に会話すらほぼしないだろうな。
彼女は自分の言った独り言が聞かれているなんて思ってもいないだろう。
面白いから、もう少し遊んでやろうか。
「なんか言ったか? エイプリル」
「べ、別に何も言ってないわ」
慌てる彼女。
……なんというか、ツンデレだな。
割合的にはデレデレデレツンって感じだけど。
そこからは、森を抜けたい彼女がどんどんと進んでしまって、話という話もなかった。
ここが宿場町なら、この時間に着いても全く問題なかったわけだが。
俺達が着いたのは夕方頃。
農村というのは次の日の朝が早いからか、どこの店も開いていなかった。
「開いてない……」
店には張り紙。
「エイプリル、なんて書いてある?」
彼女は少し暗い顔で応える。
「また明日来てって」
文字が読めればよかったんだがな。
この世界の文字は日本語でも英語でもない。というか、地球に存在してるどの文字でもないかもしれない。
勿論、知らない文字が日本語訳されたり、何故か読める! なんてチートもない。
エイプリルに教えてもらっているが、日本語みたいに三つくらい文字の種類があって、覚えるのに時間が掛かる。
やっとひらがなに当たる文字は読めるようになったが、一般的に使うのは、漢字みたいに一文字で複数の読みがあるもの。
小さな子供でもない限り、その文字だけを使うことは無いらしい。
これくらいのチートはくれても良かったんじゃ……思わない日は無いくらいだ。
本当に、不便すぎる。
話せるのに書けない、読めないっていうのは、何をする時にも壁として立ち塞がる。
「明日にならないと、チーズは食べれないって事なのよね」
チーズよりも、農村に宿があるかどうかを気にして欲しい……。
まぁ、チーズ目当てで来てるし、何とも言えないが。
「それよりも、今日どうするつもりなんだ? 俺はまた野宿でも構わないけど」
農村に宿があると思えないしな。
「泊まりましょうか。その方が色々な事も聞けるし」
こんな所でも宿とかあるんだな。
結論から言おう。宿なんてなかった。
どうして、俺達は他人の家に居るのか。
……宿に泊まるはずじゃなかったのか、誰もがそう思うだろう。
だって、俺が思ったんだから。
目の前には、六十代くらいのおばあさん。
そして、異世界の筈なのに見覚えのある料理。
煮物にお浸し、卵焼きに煮魚なんかがテーブルの上に並んでいる。
ふわりと出汁や醬油の香りが鼻をくすぐる。
懐かしい。
「ゆっくり、食べんさいね」
田舎のばーちゃんみたいだな、なんて思いつつ、エイプリルだけに聞こえる様に喋る。
「なんで、他人の家に泊まる事になってるんだよ」
バシッと脚を叩かれた。
痛っ、なんで叩かれた⁉
「小さな農村に宿なんてあるわけないでしょ」
真正面向いてニコニコとしながら、小声で話すエイプリルに恐怖を感じた。
女って、やっぱ何考えてんのか分かんねぇ。
「あら~、二人とも食べんね。それともこげんババ臭い料理は嫌いかね」
再び足を叩かれる。
「なんで⁉」
「イクがさっさと食べないからよ」
んな理不尽な!
「そんな事無いですよ~、私も彼も大好きですから~。ね?」
こちらを向く顔からは無言の圧力を感じる。
そうだよな? そう言えよ? という強い意志を感じた。
「あっ、はい。大好きです」
元々家は和食多かったし、別に嫌いでもない。
寧ろ、この世界に来てから全く食べられていなった料理だし、おふくろの味だと思えば。
問題は、味付けだ。
「よかったわ~。最近の若い子は好きやないち言うけん、嬉しいわ~」
さっきから思ってたけど、何弁だ、これ。
なんか色んな方言が混ざってるみたいなんだよな。
ふと横を見ると、不機嫌そうな彼女の顔が映る。
……食べよ。
煮物なんかを皿によそって、箸を手に取る。
「いただきます」
味が良く染みている野菜にホクホクの里芋、少し濃いめの煮物をたべた後に白米を食べて、調和させる。
やっぱ、濃い味には白米が合うな。
……ん? 米に箸? 和食、だよな。
気になった。エイプリルは箸、持てるのか?
横を見てみると、綺麗に箸を持っておかずを食べているエイプリルがいた。
こちらを見た青い瞳が聞いて来た。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
お浸しと煮物に漬物を放り込んで、米と麦茶で流し込んでいく。
久しく食べていなかった和食がたべられて、安心感みたいな、何かを感じた。
夕食を食べ終え、久々に浸かった湯船で、体も癒された。
あとは寝るだけ。
「この部屋ば使ってね」
通された部屋には一組の布団に二つの枕。
「え?」
「は?」
俺と彼女は同時にな抜けた声を上げていた。
嘘だろ……。
「お二人さんは若いが、夫婦なんよね?」
あら、不思議な顔するのね。みたいな表情で言われても……。
焦っているのか、エイプリルの声は裏返っていた。
「ち、違います! 友人! きょ、兄妹みたいな友人です!」
「フフフ、恥ずかしがっちゃって~本当の事やろうに~」
「いえ、本当に妹みたいな子なので……」
そう言うと、おばあさんは残念そうに「じゃあもう一つ布団持ってくるから、待っとてね~」と。
俺達は何もなかったかのように、それはもうすぐに眠りに就いた。
窓から射す日の光で目が覚めた。
もう少し眠っていたいが、エイプリルにグチグチ言われるのもな、と。
隣に敷いてあったはずの布団はもう既に畳まれていて、彼女の姿は無い。
「早すぎか」
「昨日は早くに寝たんだもの、当たり前じゃない」
戸を開けたエイプリルが見下ろしながら言った。
……聞こえてたのか、てか、どこの当り前だよ、それ。
「それが出来れば苦労しない。っていうか、それを出来る奴が多いわけじゃないからな」
整えられた髪に、綺麗な服。
俺も早く用意した方が良いな。
一通り支度し終えたところで、居間の方から声がした。
「ご飯できてるから、食べていきなね~」
『はーい』
居間に入ると、美味そうな香りが漂ってくる。
テーブルの上には、味噌汁に漬物、おにぎりが置かれている。
朝食っていうより、間食みたいだな。
でもまさか、異世界でも味噌汁が飲めるなんて、感動だな。
なんて思いつつ、朝食を食べ終えた。
『ありがとうございました』
家を出る時に揃って礼を言った。
その様子を見てニコニコと笑うおばあさん。
「こちらこそ、久々に一人じゃのうて、楽しかったわ~。ありがとうね」
「いえいえ」と、最後に挨拶をして出て行った。
一体どこへ向かっているのか、まだ朝早いのにどうするつもりなんだろうか。
「エイプリル、こんな朝早くから外で何するんだよ」
キラキラと輝く青い瞳は、こちらをジッと見る。
「並ぶのよ」
は? こんな朝早くから?
信じられなくて、彼女に聞く。
「まさか、チーズを買うのに並ぶなんて、言わないよな?」
特段の笑顔を向けられた。
嘘だろ……こんな早くから並ばなくても、食べられるだろうに。
それに店の迷惑にもなるだろ。
「そのまさか、よ。だって、ゆっくり行って行列になっていたら嫌だし、買えませんでした。なんてもっと嫌だもの」
俺達はチーズ目当てにこの農村に来た。それは分かってる。
でも、わざわざこんな朝っぱらから並ぶ必要なんて……足早に店へと向かう彼女に追いかける俺。
丁度店が見えてくる辺りに来ると、六人、まだ開いてもいない店の前に並んでいるのだから。
「マジかよ」
「ほら、早く来てよかったでしょ?」
とても嬉しそうな顔に若干、腹が立った。
にしてもだよな、ここまで早く来てまで食べる価値があるって事か。
そう思うと楽しみになって来るな。
……一時間経った。後ろを見てみると、二人増えていたが、店は開く気配すらない。
ずっと立ちっぱなしだから、少し足が痛い。
営業時間とか書いてないのか? と。
辺りを見渡してみても、数字は書いておらず、店の外観を見てみても、それらしきものは載っていない。
いつまでこののまま立っていればいいのかと思っていると、エイプリルが服の袖を掴む。
「どうした?」
「足痛い。イク、お姫様して」
子供か。俺はいつ子持ちになったんだよ、全く。
それにお姫様してって、ちゃんとお姫様抱っこって言えよ。
俺も足痛いし、疲れてるこの状況でもしお姫様抱っこなんてしたら危ないし、何より、人が居るから恥ずかしいし。
日に照らされて、輝く白い髪の少女は、青い瞳を向けて甘えて見せる。
「ねぇイク~、疲れた~」
早くから並ぶって言ったのはどこのどいつだよ。
「エイプリルが並ぶって言ったんだろ。ちょっとは我慢しろ」
ちょっと言い過ぎかもしれないが、これくらい言っとけば、もう抱っこ云々は言わないだろ。
結局、エイプリルをおぶる事無く、開店時間になった。
そこからは早く、すぐに俺達の買う番が回って来た。
「どれにします?」
「フレッシュチーズと濃厚ソフト、あとお持ち帰り用のナチュラルチーズの小、下さい」
そんなに買える金あるのか。
てか、そんなに食べれるのか?
「お兄さんは何にします?」
「あ、フレッシュチーズ一つ下さい」
支払いを済ませて、商品を手に取る。
ベンチのある所まで移動して、食べようとしていると「アゥーン」と、犬の遠吠えの様な声。
近所に犬を飼っている家があるのかと思っていると、俺達が抜けて来た森の方から誰かが叫んでいた。
「逃げてー!」
周りはあっという間に喧騒に飲まれて行く。
ギュッと腕を掴むエイプリル。
とても不安なんだなと、出来る限りの優しい声をかける。
「大丈夫だよ」
何かあれば、魔獣と戦った時のアレを出せば……また使えか分からないけど。
それでも、皆を守れるならやってやる。
森から凄いスピードで向かってくるのは、体躯の大きい狼。
血走った目に鋭い牙、そして三つの頭。
皆を襲う前に俺が倒してやるッ!
三つ頭の目の前に立ち、左手を出して、あの時に出た黒い何かが出る事を祈る。
「来い! 俺が倒して」
言っていると、後ろから声がする。
「ポチ、タマ、ハナ、お座り!」
え? 後ろを見てみると、杖を支えに立っている、腰の曲がった爺さんがいた。
凄いスピードで駆けていた三つ頭は、爺さんの目の前でピタリと止まり、座る。
ブンブンと尻尾を振る三つ頭を撫でながら、爺さんは話す。
「コイツは去年拾って来てたヤツでな、可哀想だったもんで育ててやったら豪い懐くもんでな~」
……この左腕はどう戻せばいいんだ。
俺今どう見えてんだ、絶対浮いてるよな。なんか言われたりとかして、ないよな?
はぁ、もうこれどうすればいいんだよ。
恥ずかしさの余り、動く事を躊躇してしまう。
今、「勘違いだったんですね~」なんて言って有耶無耶にするなんて俺のプライドが許さない。
もういっその事、モンスターでも出て来てくれれば解決するのに。
まぁ、そんな都合よく現れるわけないけど。なんて思っていると、『グォォォオオオオオオ』という声が、ここ等一帯に響き渡る。
また爺さんの手懐けた何かしらが出てくるのかと思っていると、三頭が森の方を向いて。威嚇の音を上げた。
え、嘘だよな?
誰でもすぐに分かる、何かが来る。
それが一体何なのかは分からない、ただ、確かに脅威になりえるモノが来るのだと、この場の皆が予感していたはずだ。
ドン、ドン、ドン、ドン。
大地を揺らし、バキバキと木々を倒しながら何かがこちらにやって来る。
森から顔を出したのは、牛の頭に人の体をした、二、三メートルの化け物。
よくよく見てみると、手には棍棒の様な物を持っていた。
マジかよ……圧気にとられていると、三頭がすぐ横を通り過ぎて、化け物の腕に噛み付いた。唸る三頭を反対の手に持つ根毛で思い切り叩く化け物。
「キャン」
鳴き声一つ上げて、飛ばされていった。
「ポチ、タマ、ハナ、大丈夫か?」
爺さんがゆっくりと三頭に向かって歩いて行く。
あの爺さん大丈夫か、今三頭に近づいたら、あれに殺られるかも知れないのに。
襲われないかと注視していると、ヤツは爺さんと三頭を気にも留めていない様子で、辺りをキョロキョロと見ていた。
棍棒を二回ほど地面に叩きつけ、歩みだす化け物。
三歩で足を止め、俺の方を見て睨む。
見つけたぞと言わんばかりに声を上げる。
『グォォォオオオオオオ』
先程までゆっくりと向かって来ていた化け物は、足早に俺のいる方へ向かって来る。
俺の事を狙ってるとか、言わないよな?
考えている間に、棍棒は振り下ろされる。
死ぬ。一瞬でも気を緩めれば、敵を見る事を止めてしまえば、命取りだ。
大きな地震が起きたかの様な振動が地面を伝う。
もし、避けられていなかったら、頭がカチ割れるどころの話じゃない。
崩した態勢をどう戻すか、いや、それよりもコイツをどうするかだよな。
俺が囮役になったところで、化け物がついて来るかなんて分からないし、もし、俺がこの場から逃げればこの人達は犠牲になるかもしれない。
無理ゲーっていうか、かなりのクソゲーじゃねーか。
俺のスローライフはいつ来るんだよ、安定供給しろよ!
考えろ、考えろ、今、俺には何が出来る?
ここから逃げるのは論外。避難……は、させた所で結局倒さなきゃ二次、三次と被害が広がるし……答えは決まってる。
でも、それが果たして可能かと聞かれれば、答えられはしない。
よし、倒すか。
倒せそうなものなんて持ってたっけか?
バッグはエイプリルの方に置いてあるし、身に着けてる物……。
虫よけのハーブが入った子袋にハンカチ、面倒くさくてポケットに入れっぱなしの短いロープ。こんなんで、どうしろって言うんだ。
また持ち上げられた棍棒は、俺を目がけ振り下ろされる。
風圧がっ、凄いんだよな。
倒れないような体勢をとっていても、足が下がってしまう。
こっちに来てから、体は鍛えてる方だが、避ける時にいとも簡単に体を持っていかれてしまう。
「イク、ナイフ!」
エイプリルの声で、腰の辺りに採取用の小さなナイフがある事を思い出した。
あっ、やっべ。ナイフあるの忘れてた。
切れ味抜群! お得な採取用ナイフ! とか言う宣伝文句に騙された、じゃなくて、気に入ったエイプリルが買ってきた代物。
これで化け物も綺麗に切れるのか?
刃が通れば、いいけどな!
ナイフを右に持ち、同級生をぶん殴った時の事を思い出す。
低い姿勢に、狙いを付けづらいように左右に揺れる様に向かう。
腹の辺りに一発入れる要領で、切る!
手の感触でわかる、刃が通っているかいないか。
採取用じゃ、やっぱダメか。
『グォォォオオオオオオ』
血が流れるか怪しい傷しか、負わせられていない。が、化け物は声を上げ、怒りを露にする。
うわ、これ絶対しない方が良かったやつ。この、なんか尺に障りました感……今まではただ振り下ろすだけだった棍棒は、子供が駄々をこねている時の様に、ぶんぶんと振り回される。
ヤバいな。
避けようと、距離をとるはずだった。
立っていたはずの体は、一瞬で飛ばされ、土埃が舞う。
「グハッ」
強い衝撃が体中に響き辺り、脇腹には激しい痛み。
こんなの、挑むだけバカだろ。絶対に勝てるわけが無い。思えど、止める事は無い。
俺は本よりバカだ、感情一つで突っ走ってしまう。
だから、だから!
「ぶっ殺す!」
嗤って倒してやる、そう決めた。
手持ちのナイフは通らない。あと使えそうなものは、ロープだけ。
それも、荷物を纏める用の三十センチもないものだ。
こんなんじゃ、足元に持って行って引っかけさせる事も出来ない。
何が出来るのか分からない、というか思いつきもしない。
もう考えるのは止めだ。
俺がすることは一つ、俺を吹っ飛ばしたあの化け物を倒す事。それだけ、それだけ思っていればいい。
あとは感覚でどうにかしろ。
地面を揺らし、近づいて来る化け物。頭目がけて振り下ろされる攻撃をかわし、後ろに回り込む。
ナイフで切り込んで、蹴る。
こんなんで倒れてくれると、ありがたいんだがなッ。
一歩、一歩だけ前に動いた。
何回も繰り返していれば、その内に倒れてくれるだろッ。
「イク、上!」
エイプリルの声に反応して、頭上を見る。
もう既に振り下ろされ、当たる直前の棍棒。
こんなの避けられるわけが無い。
ギュッと目を瞑り、頭だけでも守ろうと、体勢をとる。
……来るはずの衝撃は訪れる事なく、化け物の叫び声が響いた。
『グワァァアアアア』
一体何が起きたのかと、目を開く。
棍棒ごと、腕が消えていた。
何が、起きた?
理解が追い付かない。俺が見ていなかった数秒の間に一体何が起きたのか。
「たりない」
どこからかする、幼い子供の声。
足りない? 何が足りないんだ?
「ミノタウロスのおにく、たりない。まだたべたい」
俺は口に出して言っていない。
なのに、聞こえてくる声はまるで俺の思っている事を分かっているかの様に話す。
この声、どこから聞こえてくるんだ?
「ボクのこえ、オマエにしかきこえていない。それよりも、ミノタウロスのおにく、もっとたべさせろ」
は? これ、俺の頭がイカれたのか? それともファンタジーしてんのか?
「うるさい。もうボク、かってにたべる」
頭上に上げていた左手から、黒い球体が出てきて、化け物をバクッと。
すぐに元のサイズに戻って、掌に吸収? された。
「はぁああああああ⁉」
周りに居た人や、隠れていた人達は俺を見るなり、「おぉ」と声を上げ、化け物を倒したと喜んでいた。
だが、俺は喜ぶどころじゃない。盛大にロープを使ってどうにかしてやろうとかいう伏線を張ったのに意味なかったし、俺が攻撃するより、最初からコレが出ていれば、秒でこの戦いが終わってたのに。
俺がした事、無駄じゃねーか。
もっと早く出て来いよ!
愚痴を思いつつ、終わったとこに安堵し、彼女の元へと向かう。
「大丈夫? 痣とか内出血とか、切り傷とか打撲とか、骨折とかしてない?」
心配しすぎ。そこまで重ね重ね怪我なんてしないし。
「大丈夫だよ。肋骨はどうにかなってるかもしんないけど。多分」
傍に来たかと思うと、俺の服を掴んで、脱がせようとしてくるエイプリル。
「え、ちょ、エイプリルさん? 何しようとしてんの⁉」
必死に抵抗すると、頬を膨らませ、今にも涙が零れそうな青い瞳がこちらを見上げる。
「怪我してるか、チェックするの!」
そうか、そうか、俺が怪我してないかチェックする為に、服を脱がせようとしたのか~、エイプリルは心配性で、優しいな~。って、なるか! 公然わいせつ罪で捕まるわ。
流石に、人前で脱がせようとするのはやり過ぎだろ。
マジで変な目で見られるわ。
「ここ外だし、医者に診てもらった方が確実だし、な? ちょっと落ち着こうか」
その場でぴょんぴょうと跳ねて、ムッとする白頭。
「私だって手当くらい出来るもん」
「はいはい」
周りの少しだけ冷たい視線を浴びながら、荷物を背負う。
これからどうしようかと考えていると、足元に小石が飛んできた。
「化け物」
ポツリと呟かれた一言。
五、六才だろうか、少年が真っすぐ俺を見て、ハッキリと言い放った。
「化け物!」
今度は足元ではなく、俺目がけて飛んでくる石。
「止めなさい」
止める大人と、子供に同調し、石を投げ始める者がいて、さっきまでの一体感はあっと馬に崩れ去っていた。
次の標的を見つけた狩人の如く、狙いを俺に定める。
あのまま自分の力で倒していたら、きっとこんな風に言われてなかっただろう。
でも、あの黒いのが出てこなかったら、俺は絶対に死んでいた。
俺だけじゃなく、この場の全員がしんでいたかもしれない。
あれだけ大きな化け物を倒したっていうのに、俺に送られるのは怪物を見ているかの様な視線と不名誉な言葉なのかよ。
人に化け物っていうくらいだ、お前は何かしたんだよな? ただ隠れていただけとか、見てただけなんて言わないよな? そう、言いたくなってしまう。
言い出したのは子供だ。
子供は正直で、自分の目に映ったものを感じたままに口に出す。
心の底から、俺を化け物だと思ったんだろう。悲しいけどな。
だが、大人は違う。人の言葉に簡単に流されていく。
悪い空気になったから、そう言っている人が居たから。いつもそうだ。
他人行儀に逃げ道を用意してから言いやがる。
化け物はさっさと退散してやるよ。
「イク……」
「行こう」
心配そうに俺を見るエイプリル。
彼女の手を引いて、農村を出る。
「二度と来るんじゃねぇ!」
「疫病神!」
「バケモンはさっさと死んじまえ!」
酷い言われようで、ゆっくりとチーズを食べる事も出来なかった。
何の為に俺達はあそこに行ったのか。
俺とエイプリルの間に重苦しい空気が漂う。
「皆酷いよ、イクはミノタウロスを倒したのに」
物悲しそうに下を向くエイプリル。
空気を少しでも明るくしようと、笑って見せる。
「まぁ。あんなの見たら驚きもするだろ。俺だって驚いたし」
それでも、言いかけて、青い瞳は訴えるのを止めた。
励ますのは違うと思ったのか、はたまたかける言葉が出てこないだけなのか。
「ありがとう」
白く輝く頭を撫でる。
サラサラとした髪は手触りが良く、いつまでも触っていたくなる。
もう忘れよう。
俺達はそもそも農村なんかに行かなかった。
そうだ、そう思おう。
もう少しで整理がつくところだった。
「待ってくれ、ミノタウロスを倒した兄ちゃん」
杖の音に共に聞こえた声。
振り返ると、そこに居たのは三頭の時の爺さんだった。
この爺さんも俺に文句があるのか。
そう思ったら、無愛想な対応しか出来なかった。
「なんですか」
あんな風に追い出されたんだ、こうなるのも仕方ないだろう?
「ふぅ」一息ついて、爺さんは勢いよく頭を下げた。
「すまんかった。村に魔物が来るなんて、もう何十年も無かったもんだから、本当に申し訳ない」
わざわざ俺に謝りに来たのか、この爺さん。
あの対応の後に謝られたからなのか、グッと込み上げて来るものがある。
「……あ、大丈夫です。頭を上げてください」
申し訳なさそうな顔が目に入る。
「本当に、村を救ってくれてありがとう。助けてくれた兄ちゃんには、頭が上がらん。あんな態度をとって本当に悪かった。嫌な思いをしたと思うが、どうか若いもんを恨まんでやってくれ。自分たちが知らないもんを受け入れるのが怖いだけなんだ」
……この爺さんは俺に謝りつつ、俺の敵意みたいなものが追い出した奴等に向かないようにしてるのか。
こんな人ばっかりだったら、良かったのに。
思うが、現実では在りえない事だ。人は必ず誰かを傷つける。
たとえ、他者を思って言った言葉や行動だったとしても、当人が望んでいなければ、迷惑にしかならない。それと同じ事だ。
あぁ、話が脱線したな。
不意に視線を落とすと、不安そうにこちらを見る白ウサギ……エイプリルと目が合った。
まるで大丈夫? と語りかけているかの様な瞳。
俺は白く輝く髪に手を置き、大丈夫だと伝わる様に頭を撫でる。
「引き留めて悪かったな、兄ちゃん。嬢ちゃんもな」
爺さんは杖のつく音を立てながら、引き返して行った。
爺さんが見えなくなったところで、エイプリルは口を開く。
「……ところでイク、怪我は大丈夫なの?」
忘れた頃にやって来る一言。
少し痛みはするものの、気にならなくなっていた所だったのに。
目の前に立ち塞がる彼女は怒っているのだろう、瞳からひしひしと伝わってくる。
「脱いで」
「⁉」
マジですか、エイプリルさん⁉
突然のセクハラ発言に目が飛び出るかと思った。
怪我してないかのチェック、だよな? 他のなにものでもないよな? うん、きっとそうだ。
さっきもあったじゃないか。俺の服を脱がせようとしてきて、聞いたらそう言ってたし、うん。
逆セクハラとかじゃないって、俺信じてる。
「怪我のチェックだよな?」
ギロリと、彼女の鋭い視線が刺さる、刺さる。
「他に脱ぐ必要がある事なんて、この状況であるの?」
いつもよりも低い声音で不機嫌そうに言うエイプリル。
純真無垢でいらっしゃるんですね。そう言いたくなった。
……あるよ。あるからわざわざ聞いたんだよ。
男女がそこにいるだけでいくらでも起こりうる事象があるんだよ。
俺幼女趣味じゃないから、エイプリル好みじゃないけど。
それに一応、俺の元居た世界では成人の年齢なわけだし? いやいや、こんな事考えても仕方ないんだけどね。
エイプリルは妹みたいな感じだし、ないな。
「ないでしょ?」
「……はい。無いですね」
このちっぱいはないわ。欲情の欲の字もないわ。
「じゃあ脱いで。早めに治療する事が一番なんだから」
「いや、医者に診てもらうのが一番なんじゃ……」
「文句でもあるの?」
おっかないな、と。青い瞳から狂気を感じた。
「いえ、ないです」
立ったままだと俺がどこを怪我しているのか分からないからと、丁度その場に在った丸太に座らせられた。
俺に拒否権はないのか。
いかに素晴らしい知識があろうとも、おっちょこちょいである彼女に治療されるというのは抵抗がある。
腕をまくり、後ろへまわる彼女。
「⁉ な、何してんの⁉」
一気に上までたくし上げられ、露になる体。
強制的に脱がされた服は没収され、彼女の指がくすぐったく背を這っていく。
「何って、怪我してないか確認してるだけでしょ」
「突然脱がせる事ないだろ、俺が脱ぐまで待ってくれても」
後ろから冷たい声が響く。
「じゃあ、待ってたらすぐに脱いでいた? やらせてくれた?」
そこの言葉のチョイスはどう考えても御幣を招くと思うんですけど、エイプリルさん。なんて言えるはずもなく。
「それは、まぁ、多分」
「後ろは大丈夫みたいね」
俺の言葉を無視して、目の前にやって来た彼女は鎖骨に手を置き、そこからするすると手を滑らせていく。
これ、相手が相手だったら、今頃どうなっていたことやら。
綺麗なお姉さんだったら……考えるな、感じろ!
口に出せないようなことを考えていた天罰が下ったのか、痛みが体をかけて行く感覚がした。
「痛ッ」
胃の辺りの肋骨で彼女の手が止まる。
無言でその部位をギュッと押す。
「痛い、痛いって!」
「折れてはいないみたいだし、ここから少しあるけど、大きい町に行きましょ。薬も揃うし」
呆れているだろう彼女の声を遮る様にどこからか声がした。
「ちりょうするひつようない。コイツのケガ、ボクがなおせるから」
また俺の頭がイカれたのかと思っていると、「え?」とエイプリルが声を出していた。
「エイプリルにも聞こえてるのか?」
「えぇ」
俺がイカれていないという証明がされたその時、左手が熱を帯びて、二度俺の命を救った黒い球体が掌から出てきて、宙に浮かぶ。
これ何なんだ?
「うわっ、キモッ」
球体だったそれは、縦に横にと伸びていき、幼い子供の形へ変わって行く。
そして膨らみ、弾ける。
弾けた球体から現れたのは、黒い髪に白い瞳の血の気を全く感じさせない十四、五くらいに見える少女。
……マジで?
「きゃー、イクは見ちゃダメ!」
瑞々しく艶めく裸体を恥ずかしがる事もなく晒している少女。
少女へ向いていた視線を遮断するように、俺の目を覆うエイプリル。
子供の裸なんかに興味なんて微塵もないが。そもそも、これは人なのかも分からない。
「服、腹着せなきゃ、私の予備の服……」
「あぁ、ひとはぬのをまとうひつようがあるのか」
呟いて、少女はパチンと指を鳴らす。
指の隙間から。小さな黒の球体が現れて、少女の体に付き、服を形作っていく様子が見えた。
少女が服を着たからなのか、その工程に驚いたからか、それともその両方なのか、彼女の手は下がっており、視界を遮られる事無く、グレーと黒に赤いリボンのセーラー服姿の少女が映る。
どこのアニメキャラだよ。
なんて思っていると、こちらを見る白い瞳の少女が口を開く。
「オマエをちりょうしてやる。ボクにかんしゃしろ」
ずいぶんと偉そうに言ってくれるじゃねーか、このガキ。
人は笑顔の裏に本音を隠す。
この一言で、俺の表情は伝わる事だろう。
「それはどうも、ありがとよ」
治療してやるって、上から目線も大概にしろよ? じゃなくて、そんな簡単に治せるのかよ。
さっきまで球体だった少女を信じるというのは、どうにも難しい。
「オマエ、しんじてないな。ボクはすごいっていうのに。そのふしあなにボクのすごさをやきつけてやる」
いちいち喧嘩を売りに来るこのスタイル、喋りとか使ってる言葉は全く違うのにどこぞの神をとても思い出す腹立たしさ。
「そこまで言うなら、見せてみろよ。お前の凄いところ」
ガキみたいなこと言ってんな、俺。
すぐ近くに来て、怪我をしているんだろう部分に、真っ白で氷みたいに冷たい手を当てる少女。
エイプリルに障られた時とは違い、痛みを感じなかった。
触れられたところから冷たい感触が広がって、すぐに消えるという、なんとも不思議な感覚。自分の手で触ってみても、もう痛みは感じない。
一体何がどうなって?
「オマエのケガはもうない。ボクがたべたからな」
『は?』
息ピッタリ。
この子は一体何を言っているの。という親の気持ちが今、わかったような気がした。
食べるってなんだ。消したとか、治したとかじゃなくて、食べた? 謎は深まっていくばかりだった。
「どういう事?」
首を傾げる彼女に、少女はキスでもするんじゃないかという距離まで近づいて、彼女の顔を覗き込む。
「ボクはコイツにあたえられたギフト。ボクはコイツをがいするモノをたべて、チカラにかえる、それだけだ」
俺は一度たりとも、そんなチート能力、頼んだ覚えは無いんだがな。
まぁ、魔獣の一件から予想はしてたけど、にしてもだろ。
「つまり、イクの怪我も彼とって害になるから、貴方の力になった、そういう事?」
首を縦に振る少女。
俺の方を見るキラキラとした青い瞳。
「やっぱり、イクは神の恩恵を受けていたのね」
恩恵ね。あんな神から授かったチート能力が有ったって、いつでも使えないんじゃ意味なんてないけどな。
とりあえず、いつまでも上裸でいる訳にもいかないし、服を着たい。
没収された服を取り返そうと手を伸ばすも、何か考え事をしているのか、放してくれない。
「服、返して欲しいなぁ~なんて」
「え? あぁ、ごめんなさい。はい、どうぞ」
さっきまでは綺麗だった服には、しわが寄っていた。
まぁ、仕方ないか。
さっと服を着て、檜物の方へ。
「ここにずっと居てもしょうがないし、町に行こう」
「そうね、残りの食料も少なくなってきてるし、行きましょうか」
嬉しそうな声音で、白い瞳はキラキラと輝いた。
「まち、たのしそうだな」
いやいやいや、地に足もつけてないヤツが何言ってんだ。
町に一緒に行くつもりなら、ちゃんと自分の足で歩いてから言えよ。宙に浮いたままだったら絶対に目立つ。
「ボクもあるけば、ついていっていいんだな」
少女は俺を見て言う。
俺が返すよりも先に彼女がニコニコと優しく声をかける。
「もちろん」
パアッと、明るい笑顔。なのに、俺に見下しているような視線を向けて来る。
ドヤ顔で見られてもなぁ。ガキっぽいっていう感想以外が全く浮かばない。
地面に足を下し、ぎこちなく歩く少女。
こけるんじゃないかと思うような歩き方に不安しかない。
「お前大丈夫かよ。転びそうで、見てるこっちが怖いんだが」
「あぁ、もんだいない。すぐになれる」
その言葉通り、その辺をクルクルと歩いている内に足取りはしっかりとしたものに変わっていく。
本当にすぐに慣れたな。なんて思っていると、「そろそろ町に行きましょうか」声がかかる。
三人固まって、どこの町に行こうかと地図を見る。
一番近いのは直ぐ近くを通っている川を渡った先にある場所だが、追い出されえた農村から距離が近い。
もしかしたら、俺達の話が広まっているかもしれない。
また化け物なんて言われて、石を投げられるなんて御免だ、農村から距離がある町……候補に挙がったのは、川を下った所にある宿場町だった。
そこそこ大きく、大概の物は揃う場所。
「ここがいいな」
「そうね」
「ボクはいければそれでいい」
若干一名のどうでもいい意見は無視して、目指す場所は決まった。
川に沿って歩いていくだけで着くのだから、道に迷う心配もしなくていい。
そう思うと、魔法でエイプリルと知らない場所に飛ばされた時は、全く知らない場所というのもあって、俺もエイプリルも方向音痴じゃないのに、抜けるのに一週間もかかったんだよな。あの時は本当に大変だったな。
一日かかると思っていた目的地。
だが、予想よりも近かったようで、星が見える頃には宿場町に着いていた。
宿場町だからなのか、それとも、夜だからなのか、歩いているだけでキャッチに声を掛けられる。
「うちの宿に泊まりませんか?」
「ご飯食べていきませんか?」
「酒飲みながら、踊り子の踊りを見ていきませんか?」
断る毎に絡んでくるキャッチを「間に合ってるんで」という一言で一蹴する。
こういう場所って、やっぱり夜も賑やかなんだな~。
大通りを中程まで進んだ所で、エイプリルが足を止める。
「今日はここに泊まりましょうか」
黄色い屋根に白だろうか綺麗な外観の少し小さい宿だった。
入ってみると、従業員の子だろうか、制服姿のスラッと綺麗な真っ赤な髪が目に入る。
足を止め、可愛いな、声を掛けようかな、と悩んでいると、早々に受付を済ませた彼女が言った。
「ほら、部屋いくよ」
あ、可愛い子に声をかけるチャンスが……。
「はい……」
まぁ、明日にでも声を掛ければいいか。
階段を上がり、左側三つ目の部屋へと入る。
ここが俺達の泊まる部屋か。
小さなテーブルに椅子が二脚、どう見てもダブルじゃないベッドが一つ。
「ここしか部屋とってないとか、言わないよな?」
もう一部屋とっているだろうと思い聞くと、彼女は真っすぐ俺を見て言った。
「えぇ、もちろん。この部屋しかとっていないもの、言うわ」と。
嘘だと言ってくれ。
「流石にここに三人も寝れないだろ……」
「はぁ」と溜息を吐く彼女。
「二つ部屋を取りたいと言ったら、一部屋しか空いていないと言われたの」
だったら、他の宿に行けばいいだけの話なんじゃないのか?
それに、と言って彼女は続けた。
「今の時期、この辺りで大きなお祭りをやるらしくて、どこも値段が上がっていて、ここ以外は高くて泊まれそうにないし」
え、じゃあこのベッドで、三人一緒に寝るのか? だとしたらかなりくっつかなきゃいけないのでは……マジで?
脳内にピンク色の妄想が駆け巡っていく。
体と体がくっついて……グヘッ、グヘヘへ。
いやいや、俺は幼女体形のエイプリルには興味ないし、でも、女体と考えると……。
「ヘンタイ」
グサッと、それはもう取り澄まされたナイフで心臓を刺された様だった。
動揺を隠せないまま少女の方を向くと、氷の様な目で睨む少女。
「どんなにかおがよくても、しょせんはおろかなにんげんだな」
とある神物を思わせる言い回し。
俺の考えを読まれてしまった以上、返す言葉もない。
なんか、すいません。
「少し待っていて、お布団もらってくるから」
突然かけられた言葉に反応を返す。
「あぁ、分かった」
って、え? 布団もらってくる?
少しして、エイプリルと布団を抱えた従業員が入ってくる。
一緒にベッドで、三人で一緒に、寝るんじゃ?
もしかして、俺だけ布団とか言わないよな?
布団を敷き終わった従業員はそそくさと部屋を出ていた。
「イク、布団とベッド、どっちがいい?」
エイプリルの問いにわずかな希望を乗せて、「ベッドで」言うと、彼女は「分かったわ」と。
「じゃあ、私とこの子は布団で寝るね」と。
ですよね! 一緒に寝たりとか、しないですよね! 分かってた、うん。分かってたけども!
一緒に寝られないなら、布団もベッドも変わらない。
「やっぱ布団でいいよ。ベットの方が布団より広いし、二人で寝るならベッドの方が良いだろ?」
「ありがとう」
向けられる笑顔に心が痛んだ。
もう寝よう、全て忘れて眠ってしまおう。風呂は明日でもいいや。
荷物を下ろし、彼女達が風呂に入りに行っている間に着替えを終え、布団に入る。
寒っ。
冷たい風が頬を撫でる。
床に敷かれているからか、それとも隙間風でも吹いているのか。
まぁ、気にしたところで、か。
明日になれば、明日になればきっといい事が。
例えば、今日見た赤髪の可愛い子に声をかけて、自分を慰めてやるんだ。
意気込んで寝た。
だが次の日、俺に襲い掛かって来たのは疑獄のような一日だった。
「起きろ、このクソ野郎」
……暴言吐かれて起きる気なんてしない。
二度寝をかましたくなりそうだ。
「誰だよ……」
「オレだよ」
は? だから誰なんだよ。
まだ寝てたいのに、起こしてきやがって。
「あ、オレオレ詐欺は間に合ってるんで」
「詐欺じゃねーよ、エラだ」
えら? なんだっけ……あ、あれだ。
「魚か」
「その『えら』じゃねーよ! お前ぶっ殺すぞ。エイプリル・リンデバルトの双子の妹、エラ・リンデバルトだ」
その名前を聞いて、眠気が一気に吹き飛んだ。
エイプリルを無理やり連れ去ろうとした妹……何でここに居るんだ⁉
布団から起きてみると、そこにはエイプリルと少女、基、俺のチート能力も居ない。
赤い瞳の少女、エラは俺の服を投げつけて来た。
せっかく昨日畳んだのに。
「なんだよ」
「さっさと着ろ。んで、着たらついて来い」
さっさと着ろって、目の前で着替えてもいいって事か? つか、俺風呂も入りたいのに。
んな事になるんだったら、昨日風呂に入っておけばよかったな。はぁ、失敗した……。
上を脱ぐと、急に眼を逸らしたエラ。
「オ、オレが居るのに着替えてんじゃねーよ。出てから着替えろよ」
さっさと着ろって言ったの、お前じゃねーか。
「さっさと着ろって言っただろ。こっちは風呂にも入りたいのに急かされてるし」
「そんな事、オレは知らねー。そっ、それに、乙女の前で着替え出してんじゃねーよ!」
最後にボソッと「裸なんて見た事無いのに……」と。
頬を赤らめる姿は普通の少女だった。
にしても、乙女って。
しかも裸とか言ってるけど、上半身だけじゃん。この世界では、上裸すらも見る事無いのかよ。
エイプリルは何の反応もしなかったのに、コイツは耐性、無い?
やっぱ姉妹でもそういう所は違うのか?
「外で待ってろ。すぐ着替えるから」
「うん」
……可愛いじゃんか。
今までクソ生意気だった分、こういう反応されるとなんかこう、来るものがある、というか……早く着替えよ。何か入ってはいけないところまで行きそうだったので、考える事を止めた。
着替えを終え、部屋を後にする。
「ほら、着替え終わったぞ」
反っ歯を向いて一向にこちらを見ようとしないエラ。
「人の上裸見たくらいで、何恥ずかしがってんだよ。もう着替え終わってるんだが?」
「べ、別に恥ずかしがってなんか、ないし」
じゃあなんで、こっち向かないんだよ。
何も言う事無く、ずんずんと先に進んで行く赤い瞳。
「説明も無しかよ」
ポツリと呟くと、振り返り、赤い瞳と目が合った。
「いいから、来て」
膨れる姿は彼女にそっくりで、不覚にも可愛いと思ってしまった。
階段を下って、店を出ようとするエラに声をかける。
「おい、会計」
「話は通してある、大丈夫だ」
そう言って宿を出た。
少女は目の前の大通りではなく、薄暗い路地裏へ。
「どこに行くんだよ」
聞いてみてもエラは答えない。
ただ、どこかへ向かって歩いて行くだけ。
ドンドン狭くなっていく道。
最初は二列になっても余裕で通れそうな幅だったのにもう一人通るのがやっと。
どうしたらこんな道出来るんだ? 考えていると、タイミングよく路地を抜け、広い通りに出る。
目に入って来たのは、とても大きな建物。
「教会?」
足を止めていると、少女が言う。
「姉貴も、一緒に居たチビも中だ」
少女について門前に立つと、キィィイっと音を立てて、開く。
扉の左右には絵画を模しているのだろう、ステンドグラス。
手前には、大きな天使の石像が飾られていた。
教会っていうのはどこの世界も似たようなもんなんだな。
扉を開いた先には、いつもと違う服装の彼女と少女が居た。
彼女の服装は、どこからどう見ても聖女そのもの。
余りにも違う格好に、本人なのか疑ってしまう程だった。
「エイプリル?」
微笑む彼女はいつもより大人びて見える。
コツコツと音を鳴らし、こちらに向かって来る神父。
エイプリルと俺の横に居たエラが、片膝をつく。
「貴方が矢羽野威玖ですね?」
俺と同じくらいだろうか、妙に若い青年は微笑みかけてきた。
「はい」
見事に張り付いた仮初めの笑顔は、いつぞやの神にそっくりだった。
神に仕えるとこういう所まで似てくんのか?
「こちらへ」
考えていると、俺だけ、別の部屋へと案内される。
微かに香る桜の香り。
香水とは違う、スモークチップみたいな……なんだっけ。
部屋の真ん中辺りから何故か吊るされているベールの真下には香炉が置いてあった。
あ、香炉か!
「では、ここでお待ちください」
後方より話かけてくる神父を見ると、張り付いた笑顔の一部が剥がれ、冷たい瞳が露になっていた。
バタンッ。勢いよく閉まる扉。
閉じ込められた⁉
扉を開けようとドアノブを回してみるが、全く開く気配がない。
カギ閉めやがったな。
さっきよりも強くなる桜の香り。
匂いが強くなる度に、視界は霞、朦朧としてくる。
何盛りやがった、あの神父……。
立っている事もままならず、膝から崩れ落ちる。
……いつの間に眠っていたのか、目を開けると、そこには見覚えのある景色が広がっていた。
「どういう事か説明してくれるよな? 神様よぉ」
ニコニコと、それはもう爽やかな見せかけの笑顔。
「もちろん」
その張り付いた笑顔を見る度に最初を思い出す。
もう何か月も前なのに鮮明に覚えている。
特段ムカつく野郎だと。
「僕が愚かしい『人間』に、君の為『だけ』にわざわざ頼んで、ここに呼んだんだ。今の君の状況を簡単にまとめると、深い深い夢に入っていて、それはもう、剣で刺されでもしないと起きないくらいなのさ」
わざわざ強調する辺り、性格の悪さが分かる。
「なんでそんな事」
俺の言葉を遮るように神は話を続けた。
「君に言いたい事があったんだ。僕の授けた能力についてとか、差し迫ってきている困難とか、ね」
「さっさと話せよ」
「そうだね」
神々しい笑顔は、どこか作り物であると感じさせる。
「まず、君の能力についてだ。君は、僕がチート能力を与えたと勘違いしているようだけれど、僕は君との約束を叶えるために、君がこの世界でスローライフを送る為に必要な力へと変化するモノを与えた。つまり、君へ与えたソレがチートと言うのなら、君がスローライフを送るにはそれ程の力が必要だった、という事になる。」
「それって!」
「まぁまぁ」俺を宥めて、もう一度説明り入る。
「問題はそこじゃない。困難にも直接かかわって来る事だから言うけど、僕が与えたのは光能力。本来、癒しを司る魔法だ。でも君はどうだろう? 魔をも滅し、己の糧とする能力だ。ここまで言えば解るかな? 君は不幸体質が故に、神と対する存在の力を手に入れた」
「それって……」
悪「『魔の力』さ」
パチパチと手を叩き、歓喜する神。
「君は本当に素晴らしいよ! 神が造った最凶になりえるのだから!」
どこぞの魔法少女製造機みたいな言葉しか浮かばない。
わけがわからな……もうやめておこう。
ふざけてる場合じゃない。
「差し迫っている問題というのはね、魔を生み出す力の根源たる存在が、君の能力を収める器を作ろうとしている事なんだ。だから、君には是非根源を壊して来て欲しいな」
軽ッ。これ拒否権とかないんだろうな……。
「もちろん、拒否権なんてないよ」
その笑顔からは、底の知れない腹黒さと、狂気じみたものを感じた。
「せめて準備する時間を」
言いかけた所で、目が覚めた。
……あのクズ神め!
ガタゴトと揺れが伝わり、体中を痛みが襲う。
一番に目に入って来たのは木目で、ヘドロの様な悪臭が漂って来る。
起き上がってみると、前に座っている、エイプリルとエラ、そして俺のチート能力(人化中)。
教会で寝ていたはずなのに、なんで?
「オマエをコンゲンのところにつれていかなきゃいけないから、ばしゃでゆそうちゅう」
輸送中って俺は荷物か!
「あともうすこしで、コンゲンのところにつく、ついたらボクでこわせ」
ざっくりし過ぎだろ。それに壊せって、どうやって使うかも知らないのにどうしろって言うんだよ。
馬車が進んで行く毎に、今まで聞こえてこなかった禍々しい声が聞こえてくる。
『グォォォオオオオオオ』
『ガルルルルルル』
『ギャアァァアアアア』
初めは多く見えていた草花も朽ちたものしか目に入らなくなっていた。
ドン、ドンと地面を揺らし近づいてくる足音。
覚えのある音に、違う何かであってほしいとわずかに希望をかけるも、それは叶う事無く、化け物が立ちはだかる。
馬車を止め、一人降りるエラ。
「行け。オレが足止めしてやる」
死亡フラグ! 嘘だろ、こんなところで立ててるんじゃねーよ。これ、エイプリルも一緒にって言って馬車降りるパターンじゃん。
「イク、エラを置いて行くなんて、私には出来ない。ごめんね」
笑顔に滲む雫、それはもう、綺麗な泣き顔だった。
俺の人生、コメディのはずだろ⁉ 何でこんなシリアスな展開になってるんだよ、変えてやる。絶対に、変えてやる。
俺の考えを読んだのかは分からない。だが少女は、俺の願いに呼応するように姿を変え、いとも容易く魔物を喰らう。
「こんなのにかまってるひまなんて、ない。コンゲンのところにいく」
少女の姿に戻った能力が二人に言った。
俺は馬車の前に乗り、両手を差し伸べる。
「乗れ!」
キョトンとした顔を見せながら、手を取る、エイプリルとエラ。
馬車に戻った青と赤の瞳はキラキラと輝き、宝石のような笑顔が向けられる。
『ありがとう!』
ギュッと心臓を掴まれた気分だった。
少女が示す根源の場所は黒く淀んだ雰囲気を漂わせている。
あそこが目的地か。
不安と恐怖の混じる空気感に飲み込まれてしまいそうだった。
進めば進むほどに、それは大きくなっていき、空も黒に染まっていく。
「もうすぐ、コンゲンのところにつくぞ」
少女の言葉に息をのむ。
どんなに恐ろしいものが待っているのだろうか、と。
だが、先に見えるのは小さな洞窟だけ。
本当にこの先に根源があるのか。
考えていると。馬車が急に止まる。
「⁉」
馬の様子を見ると、酷く怯えているようだった。
魔獣や魔物には恐れもしなかったのに。
きっと、全身で恐怖を、この先に待つ『魔』を恐れているんだと、分かった。
俺でさえ、そう思ったのだから。
「もうちかい、おりてはいるぞ」
「あぁ」
少女に言われるがまま、馬車を降りる。
もう引き返す事は出来ない。
馬車は馭者も無しに、走り出してしまったのだから。
逃げられないとか、セーブくらいさせて欲しいよな。
ゲームなんかじゃない、この場所でこんな事思ってもしょうがない。
ここまで来たら、残ってるのは最後の戦いと、後のご褒美。
俺の願いは、転移を選んだ時から決まってる。
スローライフを送りたい。
そう、余生をゆったり過ごす老人の様な、暮らしをしたいんだ!
意気込んで、進む。
「ここからさきは、オマエがじぶんのあしで、じぶんのちからだけでむかわなきゃいけない」
少女だったモノは形を変え、俺の体の中へと入っていく。
ここからは一人って事か。
心細いなんて事は無い、ただ、あまりにも大きな恐怖に押しつぶされそうなだけだ。
「行って来る」
たった一言、この言葉だけでいい。変にカッコつけるより、ただ事実を言うだけで、伝わるから。
『「私」「オレ」も一緒に』
洞窟に入ってすぐに二人の声がかき消されて行く。振り返ってみると、もうそこは土壁になっていて、出口は消えていた。
あるのは真っすぐのびている一本の道のみ。
選択肢もないわけだ。俺を殺そうとしてる割に小細工はしてこないんだな。
……もうどれくらい歩いた? 足が棒になるほどに距離を歩いているはずなのに、景色が変わることは無い。
見えるのは薄暗い壁に囲われた道。
「やっと来たのね、不幸な『子』」
どこからか聞こえてくる女性の声。
この世界じゃ幻聴が聞こえるのが普通なのか。
ビキビキビキ、地面からする音に目をやる。
嘘だろ……綺麗亀裂が入っていた。
崩れた瞬間に落ちる。
走ろうと、一歩出したところで、地面は崩れ行く。
ま、マジかよ⁉
……体感は二階から落ちた感じだったけど、どうなんだ?
辺りを見ると、正面奥に何かが見えた。
光とは何か違う、だが、確かに見える。
どうしてか、あの何かに触れたいと思った。
一心不乱に何かを目指して走る。
走っても走っても一向に近づかない。それでも、手に取れると信じて、向かって行く。
「不幸な『子』、貴方は一体何を手にしたいの?」
「俺が望むのは……」
「富? 名声? 女? 力? 望むのなら、不幸な『子』、貴方の数多の願いを叶えてあげる。代わりに貴方の何かを一つ、私に頂戴な。たった一つで、貴方は全てを手に入れられる。さぁ、渡せ」
艶めかしい声に気持ちが揺らぐ。
欲しいものなんて沢山ある、綺麗な彼女だって欲しいし、金だってあって損はない。
「一つでいいのか?」
フフッと笑い声交じりに言う。
「ええ、貴方は一つでいいの。貴方が不幸な『子』でなくなる、たった一つのモノ」
ふと、すぐ目の前に手を伸ばしたくなった。
手を伸ばせば、もう届く気がしたから。
「威玖を害する事は、容認できない。例え威玖自身がそれを害だと思っていなくても」
とても綺麗な声音だった。少女より、少し大人びた声。
胸から見覚えのある黒い球体が出て来る。
夢見心地から、一気に現実に引き戻される。
「お前なんで手じゃなくて胸から出てんの⁉」
それは一気に広がっていき、全てを飲み込んだ。
最初から何もなかったかのように。
終わった、のか? ボス戦も無しに?
風なんか吹いていないのに、ヒヤリとした感触が頬を撫でた。
「また遊びましょう? 不幸な『子』」
……終わった感覚がしなかった。
三日かけて町に戻って、神にあった。というか、会わされた。
いつもの気持ち悪いほど爽やかな笑顔で褒める神。
「凄いよ! 根源を消し去ってしまうなんて」
実感がない。
確かに終えた、はずなのに、心はぽっかりと穴が開いたようだった。
「どうしたの?」
「暗いな」
顔を覗き込んでくる、青い瞳と赤い瞳。
「何でもない」
フッと笑って見せる。
これで、おれはやっとスローライフを送れるんだ。
やったな。終わり。って、んなわけあるか!
このまま終われるか! こんな煮え切らないまま、手に入れるスローライフなんて楽しいはずないだろ!
……と、二週間前までは思っていた。
俺は今、何故か王冠を被っている。そして、王妃と名乗る女が二人、横に立っている。
彼女達は、一体誰だ? 俺が知っているのは、イタチごっこをしていた聖女らしき、姉妹。
断じて、王女なんかじゃなかったはずだ。
考えろ、考えろ。どうしてこうなった?
「イク、私達と一緒に来てくれない?」
そうだ、全ての発端はそのエイプリルの言葉だった。
「別に構わないけど」
嬉しそうに笑うエイプリルと恥ずかしそうなエラ。
どこに行くんだ?
もしかして、宿とか? グヘッ、グヘヘへヘヘへ。
馬車に乗せられて二時間。
何故かついたのは、立派な城で、兵は彼女達を王女様と呼んだ。
「え?」
いつの間にか、両親? 国王陛下、女王陛下? に挨拶をしていて、衣装の沢山かかっている部屋に軟禁された。
「え? は? え、マジで、何なの、これ」
外から聞こえてくるのはファンファーレ。
祭りでもあるのかと思っていると、聞こえて来たのは信じられない言葉だった。
「エイプリル・サファイヤ・リンデバルト王女様、エラ・ルビー・リンデバルト女王様、お二人は世界を救った勇者である、威玖矢羽野様を伴侶として迎え、この国を統治する。皆の者、頭を垂れよ」
……聞いてないが。俺いつの間に結婚することになってんの⁉ 意味わっかんないんですけど!
扉があいたと思ったら、いかつい兵士達が「女王様型の隣へ」と向かわせる。
バルコニーのような場所で目の前にはドレス姿のエイプリルとエラ。
『驚いた?』
悪戯に笑う二人は俺が逃げないようにか、両腕をガッチリつかんで離さない。
「誓いのキスを」
え? マジでこれどうなってんの?
『大好きだよ』
両頬に送られたキス。
「⁉」
「新しい、国王陛下、女王陛下に祝福あれ」
『祝福あれ‼』
お、俺の異世界スローライフはどこ行ったぁぁぁあああああああああ‼