現代版 長月二十日のころ
ある年の10月28日、私の働く会社の社長にお誘いいただいて夜が明けるまで月を見て歩くことになった。私達は綺麗に光る月を眺め、道を進んでいた。
と、不意に社長が
「思い出したところがあるから少し寄っていきたい」
とおっしゃった。
「それはどこでしょうか」
「昔の女の家だ」
丸い月を見ながら声だけが返ってくる。
社長の元に突然現れた1人の男が頭を垂れる。
「俺をその家に入れさせろ。」
「はっ。承知。」
社長と何か言葉を交わした後、その男の姿がすぐに見えなく、感じられなくなった。
社長が少し進んだあたりにあったそれなりに大きい一戸建ての中にドアを開けて入っていく。私は流石に社長の昔の恋人の家に無遠慮に入っていく事は出来ないので、その場で待機する。
一部壊れた塀から中を覗くと、露が一面に降りていて少し荒れている—―それこそ手入れしていないような――庭が目に入る。いつも使っているようなしっとりとしたいい香りが鼻まで届く。
その穴からは何かひっそりと暮らしている様子がうかがえる。
数十分すると、社長はその家を出たのだが、私は社長の昔の恋人の暮らし方が優雅に思ってのぞき穴から中をしばし見続けていた。
そんなに時間がたたないうちに何も起こらなかった景色に変化が訪れた。この家の女主人がカーテンを開け、ガラス窓を少し開けて月を見たのだ。社長を、彼を見送っているのだろう。
すぐに奥へ引っ込んでひきこもってしまったら私は何も思わなかったのに。私がここで見ていることがばれていないのであれば、月を見て彼を想う姿は習慣となっているのだろう。
数日後、その女主人が亡くなったことは風のうわさで聞いた。
古典って何か最後誰かが亡くなっている話が多いような気がします。
さて、「現代版 徒然草」は次で終わりとなっております。