第3章 メスを持てない男 4
事件で得をした人間を怪しむというのは鉄則。
そこへ、老女からもらった有益な情報。挙げられた人物の中で、一番接触がしやすいのは看護師長だろう。まずは、そこから当たってみるか。
この病院の看護師の制服は昔ながらだ。
ナース服にナースキャップ、そしてナースシューズ、最近あまり見かけない。
しかし、今回に限ってはこれは好都合。ナースキャップをかぶる病院だと、大抵キャップに役職に応じた線が入っているので、遠目にも見つけやすい。
ナースステーションに目を向けると、キャップに三本線の女性。
きっと、彼女が看護師長だ。サングラスを外して機をうかがう。
「あのー、すいません」
「どうかされましたか?」
廊下に出たところを、偶然を装い声を掛ける。
ネームプレートも確認。間違いはない。
落ち着いた物腰、目つきの鋭い顔立ちも、看護師長としての威厳を感じさせる。
「そこに入院している『鹿島 恵』の知人なんですが、いつ頃退院できるのかと思いまして」
「彼女でしたら骨折がちょっとひどかったので、一ヶ月ぐらいかかるかもしれませんね。詳しくは、担当の先生にお聞きになった方がいいかと」
「なんでも、この病院には剣持先生っていう、腕のいい先生がおられるとか」
「あ、ああ。二年ほど前までおりましたが……。お辞めになられましたよ」
会話で時間を稼ぎつつ、目を合わせ、キーワードを投げつける。
『剣持』の名前を出した途端、記憶を蘇らせたのだろう。決定的な映像の数々が飛び込んできた。
医師からこっそり手渡される、怪しげな薬品。
そして点滴パックへではなく、注射器による薬品注入。
さらには、医療機器の怪しげな操作。
とどめを刺すように、検査の検体のすり替え。
覗き見た彼女の記憶では、その全てがひっそりと秘密裏に行われていた。間違いなく、周到に用意された犯罪臭を感じる。
さっそく、実行犯らしき人物を見つけだした。
そして、少なくとも共犯者として医師が存在するとなると、組織ぐるみの陰謀は確実。剣持が原因を調べてもわからなかったというのも当然だろう。
ここはひとまず頭を下げ、礼を述べる。もちろん情報提供に対してだが。
「そうでしたか。ありがとうございました」
あまり早い時点で彼女を締め上げても、トカゲのしっぽ斬りで終わりかねない。
積極的な行動に移るのは、もう少し彼女の記憶をもとに人物を辿って、事件の全容を解明してからだ。
さて、次は誰を探るべきか。
老女から出たのは看護師長以外だと、院長、副院長、そして事務。事務は特定できないから、順序的に副院長だろうか。では、どこで接触するか。駐車場、副院長室、それとも……。
フロアのデイルームで思案しながら、スマートフォンで病院のウェブサイトを眺めていると、館内放送が流れてきた。
『ただいまより部長回診がありますので、入院中の皆様は病室にて待機をお願いいたします。また診察中、面会の方は廊下でお待ちください』
外科部長といえば剣持の元々の役職。後任も一枚かんでいる可能性は充分だ。
廊下に目を向けると、こちらに向かってくる三人の医師と二人の看護師。
その先頭を歩くのは、さっきの看護師長の記憶で見た、薬品を手渡した男。
デイルームの椅子からおもむろに立ち上がると、ゆっくりと廊下に歩み出る。
そして、目の前に立ちはだかる。
「ちょっと、通してもらえないか。これから回診なんだが」
迷惑そうな表情で睨みつける外科部長。
サングラスを外し、逆に睨み返して言葉をかける。
「剣持先生のことでお伺いしたいことがあるんですがね……」
「後にしてくれ。今は回診中だ」
なるほど、こいつも上からの指示で動いていたのか。
その男は副院長。ウェブサイトで顔を確認したばっかりだ。
俺は勝負に出ることにした。
ネクタイを掴み、引き寄せると、耳元で囁く。
「看護師長に薬を渡したのはわかってる。それでも、回診がしたいっていうならどうぞしてくれ。最後の回診になるかもしれないけどな」
みるみる青ざめる外科部長。
取り巻きの医師たちも、不穏な空気に慌てて寄り添う。
「大丈夫ですか? 部長」
「おい、君。一体何をしたんだ」
「い、いや、いい。いいんだ……。それより、ちょっと体調がすぐれない。回診は取り止めてもらっていいか?」
簡単に乗ってきた。
今でも相当に引きずっているのだろう。当たり前だ、人の命がそんなに軽いはずがない。
「どこか、ゆっくりとお話ができるところはないですかね?」
「わ、わかった。こちらへ……。君たちは、後のことを頼む」
「わかりました」
「お気をつけて」
取り巻きの医師たちは、心配そうにいつまでもこちらを見送っている。
そして、顔面蒼白の外科部長に案内された部屋はカウンセリングルーム。きっと防音だろうが、監視カメラがついている。下手なことはできないか。
「さっそくですが……、やりましたよね? 二年前に」
「い、いや、やってない。僕はやってない」
「そういうのやめましょうよ。直接手を下してないからやってない、なんて通るわけないでしょう?」
「…………」
「副院長、いや当時の内科部長から受け取った薬を、看護師長に渡しましたよね?」
「…………」
押し黙る外科部長。
きつく結ばれた口。
開けるはずがない、認めれば間違いなく殺人の共犯だ。
だが、このままでは永遠に沈黙が続きかねない。
当初の目的通り、取り引きに持ち込む。
「俺はね、主犯を懲らしめてやろうと思ってるだけなんですよ。このネタ突き付けて、金をふんだくってやろうってね。だから、事件の全容を教えて欲しいんです。そうすれば俺は警察に言いませんし、あんたには何も要求しません」
「ほ、本当に?」
「ええ、あんたからいただかなくても、俺は潤うんでね。それに主犯のことだって、俺は警察に話すつもりはありませんからね」
「わ、わかった。話す…………」
折れた。
あまりにもあっさりと。
そして淡々と語られる、事件の全容。
悪魔の計画。
「当時の内科部長が計画を練ったんだ。院長と外科部長を同時に追い出そうと。剣持先生の手術を失敗させて、責任を取らせるつもりだった」
「何も、殺すことはなかったでしょう」
「ち、違うんだ。そんなつもりはなかった。信じてくれ。渡された薬の分量なら、死に至るはずはなかった。きっと、処置を誤ったか、想定外のショック症状が出たか――」
「でも、殺した。手を貸さなければ、そんなことにはならなかったはずでしょ?」
「脅されていて、仕方がなかったんだ……。弱みを握られていて、やらなければ医者を辞めるしかなくて……」
加害者のくせに被害者面。挙句の果てに、自分の行動を正当化し始めた。
『仕方ない』、なんとも見苦しい言葉だ。
「まあそれも、とやかくいうつもりはありませんよ。続けてください」
「そして、広報課と繋がりのあった雑誌社にネタを売り込んで、騒ぎを大きくした。あとは会議で、二人とも責任を取らせるつもりだったんだ。元院長の一声で剣持先生は残ったが、それも今の副院長の嫌がらせで辞めていった」
「なるほどね。お疲れ様でした」
「これで、これで許してくれるのか? 本当に、本当に黙っててくれるんだな?」
涙ながらに懇願する外科部長。
自分のしたことを棚の上にあげて、要求は一人前だ。
だが、俺も嘘はつかない。宣言した以上、約束は守るつもりだ。直接的には。
「ええ、約束しますよ。あんたのことは許しますし、警察にも言いません」
「そ、そうか。ありがとう。ありがとう」
「こちらこそ、ご協力感謝します。それでは」
机に、両手をつき額を擦り付けるほど頭を下げ、外科部長は感謝の言葉を述べる。
だが礼には及ばない。
入手した情報をネタに、仕上げにかからなくては。
こっそりと会話を録音したボイスレコーダーも役に立つだろう。
サングラスをかけ直し、カウンセリングルームを後にして、思わず顔がにやける。
(約束はちゃんと守ってやるよ。外科部長さん……)