第12話 不随 –– フズイ ––
「……あやっ?」
「文……?気づいたの!?」
私は何故か、知らないベッドの上で眠っていた。
そしてそこには、私の顔を覗き込み、安堵の息を吐く同僚––––姫海棠はたてがいた。
「よかったぁ……」
「……えっと、はたて?ここは?」
「病院よ。心当たりあるでしょ?」
私は、とある病院にいた。
少し街外れにある、小さな整形外科だ。
––––この時は、何故ここにいるのか、そもそもここがどこであるかすら、理解できなかったが。
「……心当たり?」
「え、まさか憶えてないの?」
「えっと確か……」
私は"窒息死"事件を追っていた。
近頃増え始めた、謎の"窒息死"。
突然呼吸が止まってしまう……というより、呼吸を止めてしまうそうだ。
そんな不可解極まりない大事件を、私は追っていた。
––––これは若き雑誌記者、射命丸文の今から1年以上前の話である。
あの日の私は、この街で最も大きな病院にいた。
しかし、私は通院していたわけではない。
あの日は取材で、病院を訪れた。
「本日は取材にご協力頂き、誠にありがとうございます」
「構わないわ。貴女の取材を通して、少しでも私が救える患者が多くなるのならば、それに越したことはないもの」
「いやぁ、素晴らしいお心持ちですなぁ」
「医者として当然よ」
「いやいや、最近はハートフルな医者も少ないものですから。まだお医者様としては若手でいらっしゃるのに、能力があり精神的にも成熟していらっしゃる。本当に素晴らしいですよ、尊敬致します。まだ私も若くて舐められてしまう事が多いのですが––––」
煽ててから話を聞くのは、記者の常套手段だ。
しかしそれが通用する相手は、ある一定のレベルより下の人間である。
取材経験の浅い私は、まだその事を理解していなかった。
「……で?何が聞きたいのかしら?薄気味悪いおべっかを使わなくても、答えられることは答えるし、答えられないことは答えないわよ」
「あやや……手厳しいですねぇ。私の言葉は、正真正銘、本心からですよ?」
「どうだかね」
「……まあ、貴重なお時間を割いてもらっているのは確かですし、話を進めることに致しましょう。八意永琳先生、貴女に聞きたいのは、近頃増加している"窒息死"についてです」
経験は浅くとも、取材自体は既に何度か経験している事だ。
さらに私は、人の表情の変化に気付く事ができる。
それが目の前の医者のように、動揺を隠すのが上手い人間だとしても、例外ではない。
––––だから私は、彼女の眉が、2mmほど上がったのを見逃さなかった。
「巷では、死神のノートだの、新種のウイルスだの、様々な臆説が流れていますが……先生はどうお考えですか?」
「私が知っているのは、世間の人と同じレベルの情報だと思うわよ。原因なんて、全くわからないもの」
「……嘘はいけませんよ、八意先生」
「嘘……ですって?」
「ところで先生」
突然話を変える私を、八意永琳は少し苛立った様子で睨みつけた。
私は臆することなく、彼女に問う。
「貴女が有名になったキッカケとなった薬、"夢散薬"を憶えていらっしゃいますか?」
「ええ、もちろん」
「その夢散薬が出回った1週間後に、初めての"窒息死"の死者が出たことはご存知ですか?」
「へぇ、そうなの。それは知らなかったわ」
「そうですか……では、さらにその1ヶ月後、夢散薬の処方を中止したのは何故ですか?」
「薬の問題点が発覚したからよ」
「問題点……ですか?」
「ええ。とは言っても、薬の効果に関しては全く問題なかったわ。夢を見られなくすることで眠りへとスムーズに誘導すること自体にはね」
「では、何故?」
「……少しばかり、中毒性が確認されたわ。中毒になったところで体に悪影響はないのだけど、あの薬は私以外には作れないものだから、後々困ることになるでしょう?」
「なるほど……しかし、貴女に"しか"作ることができないという点が気になりますね。何故でしょうか?」
「それは機密事項よ。答えられないわ」
「……そこをなんとか」
「無理よ。始めにも言ったでしょう?答えられないことは答えないわ」
「そうですか……残念ですねぇ」
私は溜息を吐き、精一杯の落胆を表現した。
しかし私は諦めていない。
聞き方を変えてみることにした。
「では、薬の作り方を教えていただくことは?」
「その作り方こそが、私にしか出来ない理由よ」
「それは製造工程ですか?それとも、素材の収集でしょうか?」
「素材はどれも、簡単に手に入るわ」
「なるほど。ならば、特別な道具や機械を使っているということですか?」
「使う機材は、ごく普通のものだけど……なんだかこのままだと、深いところまで入り込まれそうね」
「あやややや。気づかれてしまいましたか!」
「意外と油断ならないわね、貴女」
「お褒めに預かり光栄です」
「……褒めてないわ。むしろ邪魔な人間だと思っただけよ」
「邪魔になる程度には、私を認めてくれているということでしょうか?」
「はぁ……ムカつくほどのポジティブシンキングね」
「それにしても……おかしいですねぇ」
「……何かしら?」
私は首を捻ってみせる。
八意永琳は、そんな私を睨みつけるように見ていた。
「所謂"企業秘密"の理由は多くの場合、次の2つのどちらかです。1つは自らの利益を他人に分配したくないから。しかしこれは、貴女の"医者として当然"とまで言った心持ちに反しますよねぇ?」
八意永琳は、未だ私を睨みつけている。
しかし私は怯まない。
こんな視線には慣れっこだ。
「そしてもう1つは、特別な技術があるから。しかし貴女は、"ごく普通"の機材を使って、"簡単に手に入る"素材から薬を製造している。隠す理由が分かりません」
「……何が言いたいの?」
「いやぁ、魔法や超能力などを使わない限り、貴女に"しか"出来ないなんてあり得ないんですよ」
「……医者がそんな現実離れしたものを使うと思ってるの?」
「使ってない、とは言わないのですか?」
「ふふっ、想像に任せるわ」
「おおっと、そういえば企業秘密にする理由はもう1つありました!」
「……何かしら?」
「––––世間に知られては不味い事だから、ですよ」
「……」
「おや、もしかして図星ですか?」
「はぁ……貴女、本当に邪魔な人間ね」
「それは、肯定と取って構いませんか?」
「そんな訳ないでしょう。優曇華、お客様がお帰りよ」
「あやっ!?まだまだ聞きたいことがッ……」
「私は忙しいの。今日も多くの患者が私を待っているわ。それにこれ以上は––––」
八意永琳の目が、先ほどとは比べ物にならない程、鋭くなった。
私も……ほんの少しだけ息を飲む。
「––––不愉快よ」
「射命丸さん、こちらへどうぞ」
「で、ではまた、必ず伺いますよッ!」
「……」
私は、まだ高校生になったばかりと思われる小娘に連れられて、院長室を後にした。
「見送りは、もう結構ですよ。八意永琳先生に、また必ず伺うと、もう一度伝えておいてください」
「分かりました」
「では、これで失礼––––」
「……結局、なんで私は病院に?」
「ほ、本当に憶えてない?ウソでしょ……マジで?」
院長室を出て、助手らしき少女と一言二言会話して……
最後に振り返って、営業スマイルを見せたところから記憶がない。
私は、記憶がなくなってる……?
「……私、なんで病院にいるの?」
「うわぁ……本当に憶えてないのね」
「そろそろ質問に答えなさいよ」
「んー、ショック受けるよ?聞かないほうがいいかも」
「はぁ?」
「まあ、自分の足のことだし……遅かれ早かれ、分かることだろうけどさ」
「いいからさっさと––––「文の足、もう動かないよ」
「––––は?」
はたての言葉を理解するのに、時間がかかった。
「動かない?どういうことよ?」
「……そのまんまよ」
「そのまんま……って、馬鹿にしてんの?」
「じゃあ、動かしてみなさいよ」
「そんなの簡単に––––簡単に……ッ」
––––簡単に、かんたんに、カンタンニ……
はたては、何も言わずに私を見ている。
私も、現状を理解するのに時間がかかった。
少し……いや、かなり長かったかもしれない。
とにかく沈黙が続いた。
そしてその沈黙を破ったのは、はたてだった。
「……いきなり飛び出したらしいわよ、あんた。そこに、ちょうどダンプが突っ込んできて……あとはまあ、いろいろあってここに運ばれたの。一緒にいた鈴仙って子が運んでくれたみたいだけど。あ、ちなみに最初はこの病院じゃなくて––––」
「……もういいわ、ありがとう。あんたの崩壊した言語力のお陰で、少し正気を取り戻せたわ」
「は?」
「本当に、そんなんでよく記者やってるわね」
「私は撮る専門だし」
「はぁ……まあ要するに、事故で私の足は動かなくなったのね?」
「まあ、うん。そんな感じかな」
「……」
いつも通り薄気味悪いヘラヘラした笑みを、はたては浮かべている。
そう、"いつも通り"––––
「ちゃんとリハビリして、さっさと治しなよ。あんたがいないと、職場で張り合う相手もいないしね」
「誰と誰が張り合うって?」
「あんたの記事より、私の写真の方が売れてるわ」
「いや、それはない」
「ともかく、さっさと治せって言ってるのよ」
はたてがこの場にいるということは、職場に連絡がついているということだろう。
そして、いつリハビリを終えて復帰できるかわからない女の記者を気長に待っていてくれるほど、会社は––––世の中は甘くない。
私は当然、クビになるだろう。
「とりあえず、私はこれで帰るわね。もう夜も遅いし、ここに泊まるわけにはいかないから」
「ええ、いいわよ。その……色々、ありがとね」
「……キモッ」
「人がせっかくお礼してるのに、失礼ね」
おそらく、はたても––––いくら頭の悪い彼女だとしても––––それくらい分かりきっていることだろう。
その上で彼女は、"いつも通り"の態度で、私に希望を持たせようとしてくれているのだ。
そのことを理解した私は、さらに––––惨めになった。
取材で彼方此方駆け回る記者にとって、命とも言える足が動かないのだ。
私には絶望しかなかった。
「あ、帰る前に先生か看護師の人呼ぶわよ。目覚めたら呼んでほしいって言われてたし。だから、少ししたら人が来ると思うから」
「……」
「じゃあ……またね」
そう言うと、はたては病室を出て、扉を閉めた。
私は扉を閉める。
最後の文の辛そうな表情が、脳裏に焼き付いていた。
私は少し、その場を動けなかった。
昨日、文は近頃有名になった医者を取材すると飛び出して行った。
その帰りに文は事故に遭った。
その時に一緒にいた少女––––彼女は病院の外まで見送ってくれたらしい––––の話だと、文は突然道路へ駆け出して、運悪く通りかかった大型のダンプカーと接触。
一度、取材をしていた病院に運び込まれた後に、この病院へと移された。
脊椎の一部を損傷し、下半身付随だそうだ。
––––これらは全て、鈴仙という少女から聞いた話である。
そして文は、意識がないまま1日が経ち、つい先ほど目を覚ました。
私はその間、目覚めるのを待っていたのだが……
まあ、そのことに関しては、今度文に何か奢ってもらうことで勘弁してやろう。
そんなことより––––
––––この一件に関しておかしな点が、いくつかある。
まず、文はどうして飛び出したのか?
アイツを褒めるなど、全くもって癪に触ることではあるが……文は普段から周りが見えている。
そして、ずる賢いとも言える頭の良さがある。
そんな文が、意味もなく道路に飛び出すなど考えられなかった。
目撃者があの少女しかいない為、彼女の証言を信じるしかないのだが。
2つ目は、事故の痕跡が残っていないこと。
普通ならブレーキ痕や血痕などが残るはずなのだが、それらが全く見当たらない。
そのせいで、事故の捜査は全く進む気配がないそうだ。
今も、文を轢いた運転手は捕まっていない。
そして何よりおかしいのは、脊椎以外に、文に外傷が全く見当たらないことだ。
文の身体には、擦り傷1つなかった。
だからこそ、文は自身の足が動かないなんて夢にも思わなかったのだろう。
––––まあ結局、私が考えてもさっぱりだけど。
私はまだ、病室の扉の前から動けないでいた。
文の前では、気丈に振る舞った。
いつものように冗談を言い合った。
しかし、文の足が本当に動かないと知ったときは、私も言葉に詰まってしまった。
衝撃だった。
布団の中にある足を、直接見たわけではないが……
それらがピクリとも動かずに静止していることは分かった。
「……ッ」
いつの間にか、私の目には涙が浮かんでいる。
さっきまでは、ちゃんと堪えられたのに。
そのとき、啜り泣く声が病室から聞こえてきた。
当然、文のものである。
私は手で口を押さえ、声を出さぬように努めた。
私はまだ動くことができず、その場にしゃがみ込んだ。
口を覆う手が、涙で濡れ始めた。
「大丈夫ですか?」
「ッ……!」
突然声をかけられた。
それは、この病院のナースらしき人物だった。
私は驚いて声が出そうになるも、すでに手で覆っていた為、なんとか声を出さずに済んだ。
「……ご、ごめんなさい、帰ります」
私は涙を隠す為に俯きながら言った。
「あの、文が……この病室の射命丸文が、目を覚ましたので、先生に伝えておいてください」
私は目を合わせずに、一礼してさっさと駆け出した。
*キャラ設定(追記あり)
○八意永琳
「また、やり直しましょう。私にはそれを手伝い、見届ける責任がある」
36歳になる程度の年齢(1年前)
若くして名声を獲得した医師。
色んな薬を作っている(らしい)。
彼女の人柄に惹かれて病院を訪れる者も多い。
【能力 : あらゆる薬を作る程度の能力】
簡単な材料から不思議な薬を作ることが可能。
○鈴仙・優曇華院・イナバ
「ひ、酷いです師匠!私が師匠を裏切るわけありません!!」
17歳になる程度の年齢(1年前)
永琳を師匠と慕う少女。
真面目で陽気な性格。
本来は臆病者だがユメクイ化の影響で少し強気になった。
人は力を手に入れると変わるのである()
【能力 : 波長を操る程度の能力】
光や音の波長を操ることで幻覚や幻聴を起こす。
相手の五感に干渉できる。
武器として弾丸を発射することができる。
自らの手で拳銃のような形を作り、発射する。
○射命丸文
「誰も私に追いつけない」
24歳になる程度の年齢(1年前)
大手新聞社の記者。
年功序列の考えを強く持ち、調子に乗った年下を最も嫌う。
目下の者にも敬語を使うことが多々あるが、それは決して相手を敬っているわけではない。
○姫海棠はたて
「もー、あいつマジでムカつくっ!」
24歳になる程度の年齢(1年前)
大手新聞社のカメラマン。
年功序列の考えを嫌うも、上には逆らえない。
あまり活発な性格ではないが、仲の良い者といる時や、感情が高ぶった時などは饒舌を振るう。