第3話 薬 –– クスリ ––
––––あの火事から、2年が経った。
あの火事は私が放火したとしても、おかしくないものだった。
しかし、私の容疑は直ぐに晴れた。
母がガソリンを購入していた事実が判明したのだ。
また、まだ幼い私が、自らにかけることなく、母をガソリンまみれにすることが出来るとは考えにくく、私の容疑は薄れていった。
まあ元々、可能性の1つ程度にしか疑われていなかったそうだが。
––––つまり、慧音の家に来てから2年が経った。
私は地元の公立中学校に通っていた。
小学校時代、あまり友達の多い方ではなかったが、見知った顔の多い学校だ。
そして中学に上がり、私が敬語を使わなくなってから、友達と呼べる者が多くなった。
私はそれなりに充実した生活を送っている。
慧音も教師2年目に入り、まだ慣れないことも多く、辛いこともたくさんあるようだが、それなりに楽しんでいるようだ。
子供たちに夢や希望を与える。
そんな綺麗事のお手本みたいな目標を胸に、慧音は教師をしていた。
「随分と綺麗に出来たな…」
私は病院にいた。
右足の火傷は痕が残ってしまう程の傷だった。
「私の腕をナメないで欲しいわ」
「出来るなら、さっさとやって欲しかったけどな。体育とか隠すの大変だったよ」
「この薬は、つい最近出来たものなのよ」
「医学の進歩って奴か」
「私の能力の進歩よ」
「は……?」
そんな私の火傷痕を消したこの医者––––八意永琳は、少し変わった人間だ……と、私は思っていた。
ただ、自意識過剰なだけかもしれないが。
しかし、その自信が頷ける程の能力を持っているのは確かだ。
この2年間、私が何度も忌々しいと思っていた右足の傷を見事に消してみせた。
2年前は––––というよりも、ついこの間までは––––治せる見込みはないと言われていたにもかかわらず。
それが今日になって突然、治せる薬が出来た、と永琳は何やら青っぽい液体が入った容器を手にしながら、微笑んでいた。
何だかアヤシイ薬のような気がしたが、それを塗ってもらうと、たちまち傷が消えていった。
私自身も、言ってる意味が分からない。
しかもこれ、永琳の自作らしい。
何者だ、こいつ。
本当に意味が分からん。
「師匠、お薬をお持ちしました」
「そこに置いておいてくれるかしら?」
「はい」
「………なんか、いつもと違うな?」
私は定期的に通院していた。
あの火事の日から、眠れない日がある。
それが連続することもあれば、一度きりで暫くはぐっすり眠れる日が続くこともある。
精神的なものだろう、と永琳は言った。
そして私に、軽い睡眠導入剤を処方してくれた。
まだ私が中学生だからだろうか?
永琳は必要以上の薬を私に持たせなかった。
だから私は頻繁に通院しているのだ。
そして今日も、いつものように、薬を貰いに来ていた。
そして今日も、いつものように、永琳の助手––––鈴仙・優曇華院・イナバが薬を持ってきた。
しかし今日は、いつもと違う薬だった。
「ええ、新薬よ。私オリジナルのね」
「また永琳作の薬かよ。もしかして私で実験してるのか?」
「想像に任せるわ」
「……まあいいけど。どんな薬なんだ?」
「夢を見られなくする薬よ」
「は……?何だそれ?」
「言った通りよ」
「いや、夢を見られなくしたらよく眠れるのか?」
「ええ。人は"常に"と言っていいほど、夢を見ているわ」
「え?」
「今も夢を見ている可能性が高いのよ」
「……どういうことだ?」
「白昼夢というものがあるのだけど、聞いたことがあるかしら?」
「ああ、あるけど……あれって自分の妄想とか空想とかが鮮明にイメージされてるだけなんじゃないのか?」
「今まではそう思われていたわ。だけどそれは間違いだった。人間は一日中、本当に夢を見ているのよ」
「へぇ……それで?」
「その夢は、睡眠の妨げになることがある。眠りに入りにくくなるの」
「ほぅ……その薬を飲めば、眠りに入りやすくなるって事か?」
「そうよ。ただ、誤解しないで欲しいけど、この薬は睡眠導入剤ではないわ」
「確かに、所謂睡眠薬と呼ばれているものとは種類が違うな。体にも悪くなさそうだ」
「そうね。とりあえず、1週間分だけ出しておくわ。眠れない日があったら飲んでみなさい」
「ああ、分かった。飲むのは寝る前でいいのか?」
「ええ。その薬は超即効性だから、直ぐに自然な眠りが訪れると思うわ」
「分かった。ありがとな」
「仕事よ。礼なんていらないわ」
「そういう訳にはいかないさ」
「……まあ、気持ちはありがたく受け取っておくわね」
永琳は呆れたように––––だけどどこか嬉しそうに––––微笑んだ。
少しして、また眠れない夜が来た。
なぜかは分からない。
永琳の言う"精神的なもの"に、あの火事が関係しているのかも分からない。
とにかく、無性に目が醒めるのだ。
私は部屋から出る。
音を立てずに、こっそりと。
別に疚しいことをする訳ではない。
ただ、慧音を起こしたくないだけだ。
しかし、こんな風に薬を取りに行くときはいつも思います。
あの火事の日も、こうして音を立てないように部屋を出たんだ。
私は処方された薬を戸棚から取り出し、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出す。
食器棚から小さなコップを取り出し、水を注ぐ。
半分くらい注いだところで止め、開けっ放しにしていた冷蔵庫にペットボトルをしまい、扉を閉じた。
そして口に薬を含むと、一気に水で流し込む。
薬が喉を通るこの感覚が、私は少しだけ好きだった。
んっ……と息が漏れる。
超即効性らしいが、あまり変化があるようには思えない。
とりあえず、再び音を立てないように、部屋に戻った。
ベッドに入り目を閉じる。
––––気づけば朝だった。
本当にぐっすりだった。
途中で目が醒めることはもちろん、寝ていたことすら疑わしいほどだ。
しかし、体の疲れは取れた気がする。
「妹紅、そろそろ……ん?珍しいな、自分で起きたのか?」
慧音が私の部屋にやってきた。
私は普段、自分で起きることが出来ない。
眠気には勝てない。
だから慧音が、いつも起こしてくれるのだ。
「おはよう、慧音。今日は調子がいいんだ」
「ああ、おはよう妹紅。それは良かった。朝食は出来てるから、降りてきてくれ」
「うん、ありがとう」
––––確かに、夢を見ることはなかった。
"夢を見つける"という目標を掲げていた私が、夢を見られなくなる薬を飲むなんてな……と、私は内心苦笑する。
あれ以来、まだ明確な夢は決まっていない。
慧音のように人を導きたいとも、永琳のように人を救いたいとも思わない。
私は慧音と笑いあえるこの空間に居ることで、満足していた。
慧音にそのことを––––もちろん、恥ずかしくて多少は暈したが––––話すと、それも1つの生きる理由だと言っていた。
夢は無理して探すものじゃない。今満足できているなら、そのうち自然に見つかるだろう、と。
そんな慧音の作る食事は、とても美味しかった。
翌週、私は再び病院にいた。
薬が切れた為だ。
「じゃあ別に、眠れない日が続いた訳じゃないのね?」
私は、あの気づかないうちに眠っているような感覚が好きになってしまった。
それ故に、眠れない症状が出ていない日も飲んでしまい、きっちり一週間で薬を使い切ってしまった。
「まあこれは、睡眠薬と違って、体への負担はほとんどないけど……飲み過ぎていいこともないと思うわ」
「これ飲むと、本当によく眠れるんだよ」
「そうでしょうね。私が作ったんだもの」
「相変わらずの自信だな」
「とにかく、この薬がないと眠れないなんてことになっても大変よ?追加で処方するけど、飲み過ぎには気をつけなさい」
「既に中毒かもな」
「はぁ……体の出来上がってない子供には強力すぎるのかしら?改善が必要ね」
「やっぱり私は実験台だったのか」
「とりあえず、また1週間分だけ出すわ。今度は眠れない日だけにしなさい」
「……できるだけ気をつける」
私は視線を逸らす。
言葉だけではなんとでも言えるが、内心無理だと思っていた。
「……でも、気持ちはわかるわ。実はこれ、私も使ってるのだけど、気持ちいいほどぐっすり眠れるもの」
「なんだ、永琳も使ってたのか」
するとちょうど薬を持ってきた鈴仙が、私の耳元に口を近づけ、小声で言う。
「師匠は毎日飲んでらっしゃるわよ」
「へぇ……私には偉そうに言っておいて、自分も中毒かよ」
「自分で試してみようと思って飲んだら、やめられなくなったって言ってたわ」
「優曇華、要らないことは言わなくていいのよ」
永琳は鈴仙を睨みつけた。
鈴仙は少し怯む。
「はぁ……私はいいのよ、自分で作った料理を食べてるようなものだもの。でも妹紅は違うわ」
「どういうことだ?」
「貴女がこの薬の中毒になったら、私無しでは生きていけなくなるのよ?」
「……そ、それは、嫌だな」
「でしょう?この薬は私にしか作れないから、代替が効かないわ」
「分かった……出来るだけ気をつけるよ」
"出来るだけ"な。
永琳は断定しない私を見て、私に聞こえるようにため息をついていた。
そして私は、その晩も薬を手にしていた。
眠れそうにない、という訳ではなかった。
ただ……やはり、この薬に頼りたくなってしまう。
私は薬を口に含み、水で流し込む。
何度か飲んでいて、超即効性というものには頷けるようになった。
本当に、飲んですぐに効き目が現れるのだ。
ベッドに入った途端に朝を迎える。
そして私はその感覚が堪らなく好きだった。
私は部屋に戻ると、布団をめくり、その中に体を入れた。
そして目を閉じれば朝に––––
––––ならない。
おかしい。
いつもと違う。
なんだこれ?
眠れないぞ?
いや、無理やり寝ようとすれば寝られるのかも知れないが……
今までそんなことはなかった。
私が目を閉じれば、日が既に昇っており、鳥たちの鳴き声が聞こえ、慧音が不思議そうな顔をして起こしにくるのだ。
––––なんだ?
なんなんだ、これは……?
どうして私は––––
––––––––––ザワッ––––––––––
「––––腹が減っているんだ?」
*キャラ設定
○藤原妹紅
14歳になる程度の年齢(2年前)
教育に熱心な両親のもとに生まれ、彼らの期待という重圧を一身に受けていた少女。
その反動からか男勝りな口調だが、中身はしっかり女の子である。
○上白沢慧音
24歳になる程度の年齢(2年前)
小学校教諭を目指し、見事にその夢を叶えた女性。
正義感が強く、とても頼りになる存在である。
幼い頃から知っている妹紅を妹のように想っている。
○八意永琳
「また、やり直しましょう。私にはそれを手伝い、見届ける責任がある」
35歳になる程度の年齢(2年前)
若くして名声を獲得した医師。
色んな薬を作っている(らしい)。
彼女の人柄に惹かれて病院を訪れる者も多い。
【能力 : あらゆる薬を作る程度の能力】
簡単な材料から不思議な薬を作ることが可能。
○鈴仙・優曇華院・イナバ
「ひ、酷いです師匠!私が師匠を裏切るわけありません!!」
16歳になる程度の年齢(2年前)
永琳を師匠と慕う少女。
真面目で陽気な性格。
本来は臆病者だがユメクイ化の影響で少し強気になった。
人は力を手に入れると変わるのである()
【能力 : 波長を操る程度の能力】
光や音の波長を操ることで幻覚や幻聴を起こす。
相手の五感に干渉できる。
武器として弾丸を発射することができる。
自らの手で拳銃のような形を作り、発射する。




