第2話 焔 –– ホムラ ––
慧音が帰ってから、1時間以上経った。
"夢を見つける"という当面の目標が定まり、私はやる気に漲っていた。
だが、何をすればいいのか、さっぱりだった。
––––いや、本当は1つだけ、私の中で結論が出ている。
この狭い部屋を––––家を抜け出したい。
慧音は就職と同時に新居を購入し、一人暮らしを始めたらしい。
だから今はもう、向かいには住んでいないそうだ。
––––私のこと、置いてくれないかなぁ…
そんな事を考えてはいたが、流石に言い出す事は出来なかった。
「………………眠れねぇ…」
私はベッドの中にいた。
綺麗に整理された暗い部屋で、私は目を閉じていた。
しかし、眠れない。
一度眠れなくなると、色々と考え出してしまう。
––––私は何故か、"死"について考えていた。
人は死んだらどこへ行くのだろう?
"無"となって自我がなくなり、死んだことすら生きていたことすら忘れてしまうのだろうか?
それとも、天国や地獄があって、あの世という世界が存在するのだろうか?
あるいは、輪廻によって再び生を受けるのだろうか?
どれを取っても、"永遠"という苦痛が、私を待っているのだろうか?
「………ダメだ。考え出したら、さらに眠れなくなった」
私は目を開ける。
既に私の目は部屋の暗さに慣れ、ある程度の物を把握できるようになっていた。
––––別に明日何かあるわけでもないし、起きてしまおうか。
そう考えて、私は身体を起こす。
それに合わせて、布団が捲れる。
少し寒かった。
私は布団から足を出し、床に着ける。
少し冷たかった。
私は立ち上がり、机へ向かう。
ごく普通の一般的な勉強机だ。
少し前……とは言っても1ヶ月ほどだろうか?
中学受験に失敗するまでは、ここで毎日勉強をしていた。
それこそ、寝る間も惜しんで。
––––今、そんな事をする気には全くならないが。
ふと、部屋から出たくなった。
この1ヶ月、トイレ以外で部屋の外に出た事はない。
トイレに出た時、何度か母親に遭遇した事があった。
しかし、睨みつければオドオドするだけで、私を無理やり外に出す等はしなかった。
母親なら、いくらでも振り切れるだろうが。
私は部屋の鍵を解除し、扉を開く。
音を立てないように、慎重に。
足音を消し、息を殺す。
万が一にも、親に気づかれてはいけない。
今は父親がいる。
もし、取り押さえられたら敵わないだろう。
2階にある自室を出た私は、階段を降りていた。
一段一段、慎重に降りた。
なんだか私は、未知の領域を探索しているような気分だった。
よく知る我が家が、未開の地に思えた。
私は久々に、興奮を覚えていた。
階段を降りると、リビングの扉が見えた。
––––よし、冷蔵庫から食料の調達しよう。これが私のミッションだ。
そう思い、私はリビングの扉を開ける。
引き戸タイプのそれを、音を立てずにゆっくりとスライドさせた。
リビングは当然真っ暗だった。
いくら多少は暗闇に目が慣れてきているとはいえ、とても見にくい。
それに1ヶ月ほど、ここには来ていないのだ。
記憶を頼りにはしているが、壁伝いに歩くことにした。
「…………ない」
––––ん?
私は音を立てずに移動している。
もちろん、声など出すはずがない。
「……は…………ない」
––––お母様…?
心の中ですら、母親のことを"お母様"と呼んでしまう私は、長年の習慣から抜け出せていないのだろう。
しかし、今はそんなことを考えてる暇はない。
––––何……してるんだ?
私はさらに息を殺し、今まで以上慎重に、声のする方へと向かう。
そのとき、ピチャッ…と足音を立ててしまった。
私の背筋に悪寒が走る。
「………………もこう?」
母が気づいてしまった。
私は逃げ出したかった。
だが、逃げ出せない。
何故か私の体は固まってしまった。
「……わるくない。わたしはわるくない。そうでしょう、もこう?」
暗闇に隠れ、影としてしか母の存在を確認する事はできない。
母は、私の方へと顔を向けたようだ。
そして何か言っているようだが、私は理解に苦しんだ。
––––それにしても、この足についた液体は何だ?
「………………………サヨナラ」
「…は?」
暗闇の中で母の顔が、明るく照らされた。
そして次の瞬間、私の周りも明るくなった。
先ほどまでの暗闇が嘘のようだった。
そしてその光は、私の右足からも放たれていた。
「なっ!?!?!?」
一瞬にして炎に包まれる。
リビングには引火性の高い液体が撒かれていたようだ。
そして、それを踏んでしまった私の右足にも引火した。
私は咄嗟に、足を壁に擦り付けた。
激痛が走る。
しかしそれ以上に、熱が私の足を襲っていた。
なんとか火を消す事は出来たが、私は体勢を崩し、尻餅をついていた。
叫び声が聞こえる。
母のものだった。
火達磨になった母は叫びながら、のたうち回る。
「何やってんだ!?」
後ろから声がする。
父だった。
「……お…お父様」
「妹紅…?」
父はそこまで言うと、すぐに母へと視線を戻した。
父が母の名を呼びかけている。
しかし、母は叫び声を上げるだけだった。
父は燃え盛る母に近付こうとするも、炎がそれを遮った。
「妹紅!119番だ!」
「ッ……はい!」
私は少し離れた位置にある電話を手に取った。
父は庭に面しているガラス戸を開け、花に水を撒くためのホ––スを部屋まで伸ばし、母にかけていた。
母の火は少し弱まったが、空気が入り込み、家の中の炎の勢いは増してしまった。
私は電話を掛け終え、ただその様子を眺めていた。
少しして消防士が駆け込んで来た。
私はそのうちの1人に保護され、抱き抱えられてながら外に出た。
外には既に人だかりができていた。
消防士が私の右足を見ると、すぐさま救急車へと私を運んだ。
私の右足は焼け爛れていた。
よくもまあ、この状態で壁に擦り付けられたもんだ。
それほど火を消すのに必死だったのだろう。
むしろ擦り付けたからこそ、ここまで酷くなってしまったのだろうか?
そんなことを考えていると、睡魔が今更襲って来た––––
目覚めると、そこは病院だった。
室内には日が差し、部屋の壁の白さも合わさって、とても明るい空間だった。
まるで昨日の闇が嘘のようだ。
––––まあ、火がついてからは、かなり明るかったけど。
ふと、自分の右足に違和感を感じる。
骨折でもしたかのように包帯でグルグル巻きにされていた。
ギプスをなどの固定具は、もちろんしていないが。
––––ああ、そういや、火傷したんだな。
最後に自分の足を見たときは、非常に痛々しいものであった。
実際、痛かったし。
だが、今は驚くほど痛みがない。
「痛っ!?」
少し触ってみた。
もちろん包帯の上から。
激痛が走った。
動かしたり触ったりしてはいけないのだと、認識した。
「……妹紅?起きたのか?」
「え、慧音?」
突然声がした。
振り向くと慧音がいた。
「なんでここに?」
「妹紅の付き添いだ。妹紅の親父さんから頼まれてな」
「……いつから、居てくれたんだ?」
「実は一緒に救急車に乗って来たんだが…妹紅は眠っていたからな」
「え、なんで慧音があの場に?」
「あの日は実家帰りをしていてな」
「なるほど……ごめん。迷惑かけたな」
「いや、気にしないでくれ。私がこうしたかったんだ」
慧音は優しく微笑んだ。
なんだか私は直視出来なくて視線を逸らす。
「……妹紅。私は妹紅を信じているぞ」
「…は?いきなりどうした?」
「信じている。しかし………」
いきなり、訳の分からないことを言われ振り向くと、今度は慧音が視線を逸らした。
「慧音?」
「……妹紅。私は疑ってる訳じゃない。これは確認なんだ。確認のために聞かせてくれ」
「聞きたいことがあるなら、さっさと聞きなよ。さっきからウザいぞ」
さっきから慧音がムカつくほど、私の様子をうかがっている。
普段、物事をはっきり言う慧音にしては珍しいことだ。
しかし今度は黙り込む。
一体何を聞くつもりなんだ……?
「……妹紅」
ついに慧音が口を開く。
私は何も言わずに、ただ慧音を見ていた。
少し躊躇った後に、慧音が言った。
「––––放火したのは、妹紅なのか?」
「……は?」
「妹紅が、家にガソリンを撒いて、火をつけたのか?」
「な、何言ってるんだよ…?」
「違うんだよな?妹紅じゃないんだよな?」
慧音は、うっすらと涙を浮かべているようだった。
その涙の意味を、私は推し量ることが出来なかった。
「当たり前だ!私はそんなことしない!」
「そうか……そうだな。ああ。妹紅がそんなことするはずがない」
慧音は自らに言い聞かせるように、目を閉じてそう言った。
「……しかし、妹紅」
「何……?」
「どうして、部屋から出ていたんだ?」
「え?」
「この1ヶ月余り、部屋からほとんど出なかったのに……何故、あの日に限って外に出ていたんだ?」
「それは、その……眠れなくて」
「……そうか。ならいいんだ。変に聞いてすまなかった。私は妹紅を信じている」
「……確かに、疑われてもおかしくないかもな。あの状況は」
「ライターも、ガソリンの入ったタンクも、燃えて指紋などは出ないそうだ。母親の自殺と、娘の殺人の両方の線から捜査しているらしい」
「自殺……?殺人……?未遂じゃないのか?あの人は、今どうなってるんだ?」
「………」
慧音は俯く。
「……亡くなったよ。今朝、ゆっくりと息を引き取った」
「!!」
私は目を見開く。
母が……死んだ……
予想外にも、悲しみを覚えた。
あんな母親でも、私にはたった1人の母だったのだ。
「亡くなる前、一言だけ言い残していた」
「……」
「––––ごめんね、と」
「ッ………」
それが果たして、私に向けられた言葉なのかは分からない。
もしかしたら父に向けた言葉かもしれない。
しかし私は、その言葉に何か感じるものがあった。
––––これは、後で分かったこと。
母は鬱病だった。
私を追い詰めてしまったことを、後悔していたそうだ。
母は教育熱心で、誰よりも子供のことを考えていた。
しかしそれが、行き過ぎてしまっただけなのだ。
たった1人の娘は可愛かった。
しかし、その娘に拒絶され、何より原因が自らにあることが母を苦しめていた。
「妹紅」
慧音が私を呼ぶ。
少し考え込んでしまっていたようだ。
私はその声で、我に返った。
「……何?」
「私と、暮らさないか?」
「……は?」
「実は、妹紅のお父さんから、そうお願いされたんだ」
「え……?」
––––俺には、妹紅を育てる資格も器も……自信もない。
––––妹紅が唯一心を開いているのは、慧音、君なんだ。
––––もちろん、妹紅の生活費は俺が払う。可能なら、それ以上の仕送りもさせてほしい。
「私には断る理由がないんだ。お金など貰わなくとも、妹紅を引き取る覚悟はある」
「慧音……」
「言っただろう?今、私が救いたいと思っていた者が、目の前にいるんだ」
慧音は微笑みながら私に言った。
「妹紅、結婚してく「それは違うだろ」
そして私は、慧音に引き取られることになった。
*キャラ設定 (追記なし)
○藤原妹紅
12歳になる程度の年齢(4年前)
教育に熱心な両親のもとに生まれ、彼らの期待という重圧を一身に受けていた少女。
その反動からか男勝りな口調だが、中身はしっかり女の子である。
○上白沢慧音
22歳になる程度の年齢(4年前)
小学校教諭を目指し、見事にその夢を叶えた女性。
正義感が強く、とても頼りになる存在である。
幼い頃から知っている妹紅を妹のように想っている。