第1話 夢の中へ –– ユメノナカヘ ––
「––––おやすみなさい、霊夢」
長い髪の女は、優しい笑みを浮かべて言った。
「ハァハァハァ……」
女は、ひたすら走っていた。
「なんで、なんで私がこんな目に……ッ!」
息を切らして、ただ走る。
「––––ふふっ」
「なっ!?」
いきなり現れた人影に女は驚き立ち止まる。
「ひとつ聞いてもいいかしら?」
「やだ……や、やめて……」
「教えて欲しいの、貴女の夢って––––」
「まだ……死にたくない……ッ!」
女の目の前には、ヒトのモノとは思えない大きな––––それはそれは残酷で美しい––––口があった。
「–––– オ イ シ イ ノ ? 」
「…………!」
気づくとそこには、いつもの天井があった。
なにか……夢を見ていた気がする。
いや、違う。
なんだろう?この感覚は……
まあいいわ、そのうち分かるか忘れるかするでしょ。
そんなことを思いつつも、私は気になっていた。
何か、思い出さなきゃいけない気がする。
私の勘が、そう言っている。
私の勘は昔からよく当たる。
いい時も悪い時も、あらゆる面でよく当たるのだ。
自分で言うのはどうかと思うが、いわゆる天才というやつなんだろうか?
勘に従えば、ある程度なんとかなってしまう。
だから私は、昔から自分の勘に従ってきた。
そんな私の勘が告げているのだ。
––––お前は思い出さなければならない。
「何を思い出したらいいかも、分からないんだけどね」
私は苦笑した。
––––ピンポーン
突然、インターホンが鳴る。
––––ピンポーン
「あーもう、うるさいわね………っしょ」
私はようやくベッドから出た。
欠伸をして、頭を掻きながら玄関へと向かった。
––––ピンポンピンポンピンポーン
インターホンが鳴り響く。
扉の向こうにいる人物が既に予想できていた私は、扉を開けて文句を言った。
「何度も鳴らさないでくれる?迷惑なんだけど」
「おっす霊夢、迎えに来たぜ」
そこには私、博麗霊夢の名前を呼ぶ––––あんな鳴らし方はコイツしかしない––––霧雨魔理沙がいた。
また遊びに来たのか。そう思いつつも、ふと気づく。
「……迎えに来た?」
「ああそうだぜ」
「……?」
「まさか、お前……忘れてたのか?」
私は首をかしげる。
なんのことかさっぱりだ。
「そんな可愛げに首傾げられてもなぁ……って、本当に忘れてたのかよ」
「現在進行形で忘れているわ。何の話?」
「はぁ?忘れてるんじゃなくて覚えてないってか?」
「ええ、綺麗さっぱりね」
「そりゃないぜ霊夢!」
必死に思い出そうとする。
いやそんなに必死でもないか。だって思い出せる気がしないもの。
「……ダメ、本当に出てこない。何か約束してたっけ?」
「おいおい、この間約束しただろ?今日は私たちのデートだぜ?」
「……あんた、何馬鹿なこと言ってんのよ?」
「休日に2人きりで出かけるのに、デートじゃなきゃ、何だって言うんだ?」
「女同士でしょうが……」
「おいおいまさか……そこまで忘れてるとは言わせないぜ?」
「……え?」
「私たち––––」
魔理沙が私の目をまっすぐ見て言った。
「––––付き合ってるじゃないか」
何を言っているか、わからなかった。
「は……?」
いや、冷静になれ。
そんなことはありえないはずだ。
確かに魔理沙には特別な想いを抱いているかもしれない。
だがそれは "友達として" のはずだ。
「………」
普段から私は他人に興味を持たないし、誰かを特別好いたり嫌ったりしない。
魔理沙が、唯一とも言える例外であることは確かだ。
「…………ふざけてるなら、ぶっ飛ばすわよ?」
未だに魔理沙は、私の目をまっすぐ見据えている。
「––––ぷっ」
「!?」
見据えて"いた"……はずが、いきなり破顔。
何考えてんのコイツ?
「あっはははは!何マジな顔して、目丸くしてんだよ!」
ああ、そりゃあそうよね。
こいつはお調子者だ。
普段なら、こいつのこんな冗談、軽く流せるのに。
「……はぁ、寝起きだから、頭働いてないのよ」
「くっはははっ、あー、さっきのお前の顔最高だったぜ!ははははっ!」
「……笑いすぎ、頭のネジ外れるわよ?」
ムカつく。あとでやり返す。絶対。
「元から外れてるぜ?」
「それもそうね」
「認めるなよ……とにかく、2人で出かけるって約束してたんだぜ?それに、お前から誘って来たんじゃないか」
「え?そうだっけ……?」
「しっかりしてくれよ、新しくできたケーキ屋に行きたいって言ってたのはお前だろ?」
「……け、ケーキ屋?」
「なんでも、駅前にできた、連日行列の人気店らしいぜ。お前から聞いたんだけどな」
「……私が?そんな話、したっけ?」
「お前にしては、随分と女子力のある話だなぁと思った記憶があるぜ」
なんかムカつくが……魔理沙の言う通りだ。
私がそんなものに興味を持つなんて、考えられない。
いや、美味しいものは好きだけどね?
「……そうね、そんな話、私らしくない。多分別の人よ」
「そうかーあれは別人だったのかー」
「そうよ、じゃあね」
「おい、人をいくらか待たせといて、そんな仕打ちかよ?」
「何?怒ってるの?」
「はぁ……怒りを通り越して呆れるぜ」
「そう、悪かったわね」
「なぁ、今日のお前、おかしいぞ?」
「……」
自分でも分かっている。
いつも以上に素っ気ないし、なんか引っかかることがある。
「何かあったのか?」
そんな変化に気づく魔理沙。
「何もないわ。ただ……」
「……ただ?」
そんな魔理沙が、私には鬱陶しく感じられ、そして嬉しくも感じられていた。………のかも、しれない。
そんなこと言わないけど。
「……とにかく約束を破ったことは謝るわ。約束した記憶はないのだけれど」
「まさか、記憶喪失にでもなったのか?」
「その、まさかかもね」
この可能性は、なんとなく浮かんでいたのだ。
ここがどこかも、自分の名前も、交友関係も全部覚えている。
でも、何か忘れているような……気がする。
「……本気か?」
「起きた時から違和感があるのよ」
「この約束のことなんじゃないのか?」
「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もしくはそれだけじゃないかもしれない」
「今日のお前、本当に変だぞ?」
うん、変だ。おかしい。
魔理沙を突き放そうとしている。
まるで魔理沙との接触を避けるかのように。
何故だろう?
分からない。
ただ、1つだけ言える。
––––魔理沙に心配されるって、なんかムカつくわね。
嬉しいけど。まあ、それも当然言わない。
「……今のは忘れて、特に意味はないと思うわ。ただ単に、あんたとの約束を忘れてたってだけかもしれないしね」
「なんか納得いかないな……」
「もういいでしょ?それで?今からそのケーキ屋に向かうの?面倒臭いわね」
「心の声が漏れてるぜ。誘ったのはお前なのに、随分と理不尽な心の声だな」
「別に、正直なだけよ」
「正直が必ずしも良いとは限らないぜ?まあ、だが、そんなお前に良い情報がある!」
「何よ?」
「ジャジャーン!」
魔理沙は体の後ろに隠していた箱を差し出した。
「なにこれ……ケーキ?」
「お前を待ってる間、先に並んでたんだ。なのにお前が来ないから、買って持ち帰って来たぜ!」
「……ありがとう」
「へへっ、霊夢に素直にお礼言われるなんてなぁ…照れるぜ」
「気持ち悪い」
「ひどっ!」
「そもそも、私は元々素直でしょう?」
「え……霊夢が素直?」
「何よ?」
「いや、まあ、霊夢は素直だなー」
「……心がこもってないわね。まあいいわ、上がりなさい」
「おう。邪魔するぜ」
「好きなようにくつろいでなさい。お皿とフォーク持ってくるわ」
魔理沙はいつもの場所に座り、ケーキの入った箱を開けた。
「なかなか美味そうだな」
「はい、お皿。あとフォークね」
「サンキュー」
私も箱の中を覗いてみる。
中には様々な種類のケーキがあったが、どれも色鮮やかで綺麗だった。
「……あら、本当に美味しそうね」
「さすが、霊夢イチオシの店だぜ!」
「うん、さすが私ね」
「……お前、それ言ってて恥ずかしくないのか?」
「え?何が?」
「何がって、お前……あっ!私のショートケーキ取るなよ!」
「名前は書いてなかったわ」
「名前って……あのなぁ……」
魔理沙は心底呆れた表情だった。
私は構わず、フォークでケーキの先端部分を切り取り口に運ぶ。
濃厚なクリームと柔らかいスポンジ、それらは私を笑顔にするには十分だった。
「うん、美味しい」
「ちょ!食うなよ!ふざけんな!その苺のショートケーキはな、人気高すぎて、お一人様一個限定だったんだぞ!?」
騒ぐ魔理沙を横目に、もう一度フォークでケーキを掬う。
「うるさいやつね……ほら」
そして今度は自分の口ではなく、魔理沙の口へと運んだ。
「……え?お前、これって……え?」
「何よ?いらないの?」
「い、いる!!」
魔理沙は一瞬躊躇ったが、勢いよく咥えた。
「ちょっと、危ないわよ?……美味しい?」
「……あ、ああ……お、美味しいぜ……」
「何よ、そっぽ向いて?」
「な、なんでもないぜ?」
そう言う魔理沙の頰は少し紅潮していた。
「へんなの」
「……」
「……んー、美味しい」
魔理沙は横目で私のことを見ていた。
そして私はそれに気づいたが、構わずに再びケーキを口に運んだ。
「ずるいぜ、私だけ……こんな……」
「ん?なんか言ったー?」
「なんでもない!私も違うケーキ食べるぜ!」
「え?これはもういいの?」
「もういい!」
再び魔理沙は、私から視線を逸らす。
しかし、頰が紅く、そして熱くなっているが分かる。
––––可愛いヤツめ。
「……あっそ、残念ね」
「え、残念?」
「可愛い魔理ちゃんの照れ顔が見れなくて、残念なのよ」
「––––ッ!!」
魔理沙の頰はさらに紅潮していた。
「あはは、面白いわね、その顔」
「全部分かってやってたのか!?タチ悪いぜ!」
「私はそんなに天然じゃないわ。それに今更、間接キスくらいで何騒いでんのよ」
私は声に出して笑ってやった。
魔理沙は頭を掻きながら、不貞腐れたような表情だった。
「さっきの仕返しよ。さっきは散々笑ってくれたわね」
「……くそっ、なんか疲れたぜ」
「じゃあ休んでなさい。ケーキは全部貰うわ」
「そ、それはおかしいぜ!お菓子だけに!」
「全然上手くないわよ、ケーキは美味いけど」
「くっ……なんかムカつくぜ……」
「はぁ〜、食った食ったぁー!」
「あんた……買いすぎ……」
「確かに多かったなぁ……もう当分、糖分はいらないぜ!」
また魔理沙はくだらない事を……マイブームかな?
「……今日は寒いわね、布団に入ろうかしら」
「スルーかよ」
「じゃあ、なんて反応すればよかったのよ?」
「んー、それは…分からん」
「でしょ?いきなりオヤジギャグ紛いのことを言われても困るだけよ」
「そうなのかー」
魔理沙は手を横に伸ばした。
その動作に見覚えがあったが、私は触れなかった。
「……あ、突然だが霊夢、知ってるか?」
「ほんと突然ね。知らないわよ、多分」
「そうか、ならば魔理沙さんが教えてやろう」
「は?別に頼んでないんだけど」
「そんなこと言うなよ……」
魔理沙が残念そうにしている。
仕方ないから聞いてやることにした。
「はぁ……で?何の話?」
「よく聞いてくれたぜ!」
魔理沙の顔は一瞬で明るくなった。
「霊夢、お前は"ユメクイ"って知ってるか?」
「ユメクイ?あー、あの夢を喰べるとかいう生き物のこと?名前の通りだけど。そんなのが一体どうしたのよ?」
「最近さ、窒息死する奴が増えてるって、聞いたことあるだろ?」
「そうなの?」
「結構騒がれてるぜ?お前、ニュース見てないのか?」
「さぁ?」
「さぁ……って、自分のことだろ?」
そもそも、うちにテレビなんてあったかしら?
……あ、あったわ一応。あんまり見てないけど。
「そんなことより、なんで窒息死なんかが増えてるのよ」
「なんでも、突然呼吸をやめて、そのまま死んじまうらしいぜ」
「はぁ?呼吸をやめる?どういうこと?」
「いや、呼吸をやめるというより、正確には"何もしようとしなくなる"らしいぜ。街中で突然倒れて、周りがざわついてるうちに窒息死するんだ」
「……なにそれ。……で?その"ユメクイ"とやらが、犯人だって言いたいの?」
「さすが霊夢!察しがいいぜ!」
「でも、どうしていきなり、そんな突拍子も無い発想になったのよ?」
「私はネットで見ただけだぜ」
「つまり受け売りの知識ってことね」
「でも、お前が持ってない知識だぜ」
「まあ、そうね」
それを自慢げに語るのはどうかと思うが。
「それで?そのユメクイが、どう関係してくるのよ?」
「ああ、ユメクイはな––––」
魔理沙は私の目を真剣な眼差しで見つめた。
「––––夢を喰うんだ」
「何を言うかと思えば……そのまんまじゃない。溜めて言うことじゃないでしょ」
「それがな、霊夢。違うんだ」
「なにが違うって言うの?」
「ユメクイに喰われると、心が死んじまうんだよ」
「……心が?」
「ユメクイがどうやって夢を喰うのかは知らないけどさ、夢を喰われると意志がなくなるんだ」
「なるほど……それで、食べられた人間は"何もしようとしなくなる"ってことね」
「そういうことだぜ」
私は鼻で笑う。
「面白い作り話ね」
「おいおい、信じてないのか?」
「むしろ、あんたは信じてるの?」
「んー、まあ、可能性の1つってくらいには?」
「信憑性に欠けすぎてるわ。私は信じない。……けど」
「ん?」
私は少しだけ考える。
だが、答えは出ない。
「なんだろう……なんか、信じなきゃいけない気がする」
「霊夢お得意の"勘"ってやつか?」
「まあ、そんなところね」
「霊夢の勘は当たるからなー、そりゃあもう事実ってことなんじゃないか?」
「別にそうと決まったわけじゃないでしょう。あんたの言う通り、可能性の1つよ」
「そうだな」
「でも、夢を食われるなんて、防ぎようないじゃない」
「大丈夫だぜ、霊夢!お前は私が守る!」
そう言って、魔理沙は私の肩に手を置いた。
屈託のない笑顔でわたしを見つめる。
「何それ、馬鹿みた––––」
––––––––––ザワッ––––––––––
それは一瞬の出来事だった。
「––––い。……って、あれ?」
私は辺りを見渡す。
目の前の魔理沙も同じくキョロキョロしていた。
「おい霊夢、私たちはお前の部屋にいなかったか?」
「ええ、そのはずだけど……」
「……」
「……」
「……おおお落ち着け霊夢。大丈夫だ、私が居る」
「そんなんじゃ落ち着けないし、そもそもあんたが落ち着きなさいよ」
明らかに魔理沙は動揺していた。
当然私も、人のことは言えないが。
「霊夢、私は敢えて聞くぞ」
「安心しなさい。答えられないから」
未だ私の肩に乗っていた魔理沙の手が、少し震えているのが分かった。
「……ここはどこだ?」
私達は見知らぬ草原にいた––––
*キャラ設定
○博麗霊夢
「私は勘で動いただけよ」
17歳になる程度の年齢。
他人に無関心なところもあるが、人との関わりを避けているわけではない。
楽しいことも美味しいものも普通に好き。
勘が鋭く、自分でも驚くほどの的中率を誇る。
○霧雨魔理沙
「おっす霊夢、迎えに来たぜ」
17歳になる程度の年齢。
好奇心旺盛、明朗快活。
男勝りな口調は意識してる。
内面はただの乙女。
霊夢の古くからの友人であり、一番の理解者。