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恐怖七十二候  作者: 如月 一
大寒(だいかん)
72/72

鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)

僕が自分の中にある、このほの暗い感情に気づいたのはいつの頃だろうか?


僕の実家は酪農を営んでいた。

そのため、当然のように家業を手伝わされた。

当時、小学生であった僕は、この家の手伝いが嫌で嫌でしょうがなかった。

臭くて、汚くて、疲れた。


小学生の頃は鶏の世話をさせられた。

狭い小屋の中に雌鳥がすし詰めにされていたが、扉を開けると雌鳥達が一斉に僕の方を見た。いつもはクックッ、クワックワッと喧しい雌鳥達が、その一瞬だけ黙りこくる。

その静寂が怖かった。

何百、何千という目が自分を睨み付けて、ありったけの憎悪や非難を向けられているようで、いつも後ろを向いて逃げ出したい衝動に駈られるのだった。

僕は手早く掃除を済ませ、餌を与えると逃げるように小屋を去った。背中から響く雌鳥達の声が嘲りに聞こえた。


その頃、僕は学校で苛めにあっていた。

最初は一人の女の子の何気ない『臭い』と言う一言だった。

クラスでも人気者の女の子が朝、教室に入ってきた僕と鉢合わせになった。

その時、その子が顔をしかめて『臭い』と言ったのだ。

確かに臭かったかも知れない。

その日の朝、親に鶏の小屋の掃除を急に言いつけられ、ギリギリまで小屋に籠っていたからだ。

シャワーを浴びる暇もなく登校するしかなかった。

それから、クラスのみんなが『臭い、臭い』と囃し立てるようになった。

その頃、町の近くに大きな工場ができて旧来の農家や畜産を営む人がだんだんと減っていた時期だった。旧来の人と新参の人の間の一種の派閥争いのようなものがあったのかも知れない。

不幸な事に僕のクラスは新参派が優勢だったから、僕はたちまち孤立してしまった。

誰も口を訊かなくなった。

近づいても露骨に嫌な顔をされるか、無言で鼻をつまむ仕草で離れて行かれるのが常になった。

僕は孤独だった。友達と呼べる者は一人もおらず、親は顔を見れば仕事を言いつけるばかりだった。悩みを相談できる様な人間はいなかったのだ。そうした環境が僕の中であのほの暗い感情を少しずつ育てていったのだろうか?

本人ですら気づかない間に。


冬の終わりのある日の事だ。

学校から帰り、いつものように鶏の世話をしに小屋に入った。

直ぐに異変に気がついた。

扉を開けた時に向けられる一瞬の悪意、沈黙の圧力がなかったからだ。

見ると半数以上の雌鳥がぐったりとして動かなくなっていた。残りの半分も力なく鳴き、おろおろと潤んだ(まなこ)で周囲を見ていた。

私は大慌てで親に報せに戻った。


全数殺処分。

何か致命的な疫病だったらしい。直ぐに全ての鶏が殺処分となった。

殺処分の処置は僕の家だけでは収まらず町中の養鶏場に及んだ。

理由はよく分からないが、僕の家はその責を問われたようだ。膨大な賠償金を払うために親は土地や家畜、家財を全て売り払わなくてはならなくなった。

僕達家族は住み慣れた町を逃げるように後にした。

新しい住まいは都会の片隅のみすぼらしいアパートだった。

暮らしは酷く貧しいものになったが学校の苛めや嫌いだった鶏の世話をしなくてよくなったので、僕は余り辛いとは思わなかった。

しかし、両親は違ったようだ。

父親と母親が毎日の様にケンカをするようになった。

ケンカはいつも母親が金切り声を上げ、父親が黙ってふて寝をする図式だった。

僕は母親の金切り声が嫌いだった。まるで雌鳥がキー、キー、鳴いているようで聞いていると頭が痛くなり気分が悪くなった。

雌鳥はキー、キーなんて鳴かないことは百も承知だったが、顔を真っ赤にして、手当たり次第物を投げつけて暴れる母親を見ると何故かあの悪意に満ちた雌鳥達が思い出された。


一月の終わり。中学二年の頃だ。

学校から帰り、アパートのドアを開けると目の前に母親の足があった。

剥き出しの生白い太ももがぶらんと垂れ下がっていた。

見上げると母親がいた。

赤紫色にむくんだ顔。

だらりとのびる舌。 

丸く見開かれた両の眼は怒っているのか怖がっているのかよく分からなかった。

ふと、目を部屋の奥に向けると布団の上に父親が大の字で横たわっていた。辺りがどす黒い血で染まっていた。

後から聞いた話ではケンカの末、母親に包丁で刺されたそうだ。

その後、母親は首を吊り、自殺を図った。


両親が失った僕は親戚の家に引き取られた。

その親戚には子供が無かったから、僕は実の子供のように育てられた。

自分の生い立ちを話すと、苦労はしたが、ようやく幸せが訪れたね。と、よく言われた。

でも、本当にそうなのだろうか?

多分、ちょっと違う。

親戚の家に引き取られてから、僕は酷い頭痛と耳鳴りに悩まされるようになった。

頭の芯でキー、キーと甲高い音が鳴り響き、耳元でバサバサと鳥の羽ばたきの様な音が絶えずしていた。

そして、背中には何者かの視線が投げ掛けられている感覚を始終感じた。

きっと、僕は壊れてしまったのだろう。

何が?と問われると答えに窮するけれど。

 

僕は人の視線が怖かった。

ふと気がつくと彼らや彼女達が僕をじっと睨み付けているのを感じる。

小学生の頃、『臭い』と吐き捨てたあの女の子の()だ。

養鶏の小屋を開けた時のあの何百、何千という悪意の視線だ。

僕の事を見下ろしていた母の濁った(まなこ)だ。

視線を感じる度に僕の頭は耐え難い痛みに襲われるのだ。


「なんか、くさーい」

女の子の声に僕は、はっとなった。

気晴らしに一人旅に出ていた時の事だ。

僕は温泉地に向かうバスの中でつい居眠りをしていた。

確かに臭い。

思わず自分の臭いを確認してしまったが、臭いは外から来ているようだった。

この臭いは子供の頃から嗅ぎなれたものだ。外を見るとバスは牛舎の横を通りすぎようとしていた。

「本当、臭いわね。窓閉めようか」

母親がそういいながら窓を閉めた。

女の子と目があった。

肩のところで綺麗に切り揃えられた髪の毛。健康的な赤い頬。どことなく僕のトラウマの女の子に似ていた。

頭の奥がズキリと傷む。

(汚い。臭い)

耳元で微かな声が聞こえた。ぐるぐると世界が回る。喉を酸えた液体が逆流してくる。

僕は背中を丸めて必死に吐き気を耐えた。


「終点。終点です」

車内アナウンスが流れる。バスに乗っていた人達が一斉に降り始める。女の子と母親も降りた。

「お客さん。終点ですよ」

座席で踞ったままの僕に向かって運転手が降りるように促してきた。

僕はふらつく足でバスを降りたが、限界だった。僕は道端に胃の中の物をぶちまける。

咳き込む僕の視界の片隅にあの女の子がいた。母親に手を引かれながらも道端に踞る僕をずっと見ていた。


臭い


汚い


不様


役立たず


僕の頭の中で女の子の声が渦を巻き、何度も響く。


止めてくれ

止めてくれ

もう、たくさんだ


僕は心の中で絶叫する。このままでは僕は彼女達に殺されると。


+ + +


足元にあの女の子が転がっていた。

そんなつもりはなかったのだ。

特に目的もなく山林の散策を楽しんでいた時、

どこからか、微かに声が聞こえてきたのだ。

道を外れた林の方からだった。

僕は何気なく声の方へと歩いていった。

声は少しずつ大きくなった。

どうも泣き声のようだ。

やがて、林の中で泣きじゃくる女の子を見つけた。

バスで乗り合わせた女の子だ。

近くには親は見当たらなかった。迷子にでもなったのだろう。帰り道が分からなくて途方にくれて泣いているのだ。

僕は迷った。

とにかく子供の声が苦手なのだ。泣き声を聞くだけで頭の奥がキリキリと痛む。

町中(まちなか)ならば間違いなく避けるところだが、こんなところではそうもいかない。

仕方ないので声をかけた。

女の子は一瞬泣き止み、僕の方を見たが一転、前以上の大声で泣き出した。

恐らくは僕の顔を見て安心したのだろうが、僕にとっては不意打ちの拷問でしかなかった。

頭全体に痛みが走り、くらくらと目眩がした。

僕は慌てて女の子に掴みかかった。

こちらも親切のつもりなのだ、それで泣かれてはこちらもたまらない。

肩を掴まれ女の子は僕を見上げた。

その睨み付けるような目を見た時、僕の中で何かが切れた。

正直に言えば、余りその後の記憶は定かではない。自分が女の子を地べたに押し倒して首を締めていたのが断片的に思い出せる。

無我夢中で、黙れ、黙れと叫んでいたように思もう。

鬱血して赤黒く膨れた女の子の顔が、首を吊っていた女の子の顔に重なる。


何を怒っているんだ?

僕の何が悪いと言うんだ?


小学校の頃の女の子がだぶる。

臭いのか?

汚いのか?


たがらって……

養鶏場の雌鳥達の姦ましい鳴き声


だから……

黒い潤んだ目、目、目


ど う だ っ て い う ん だ !


その時、僕は悟った。

この目は、ずっと僕を責めさいなんでいたこの目は、怒っていたのではない、非難していたのでもない。

ただ、怖がっていたのだ。

誰を怖がっていたのだ?

僕だ。

そうだ、僕を、だ。

彼女達に僕が怖くてたまらなかったのだ。

目を見開き、僕の一挙手一投足を震えながら見守っていたのだ。


そうとも、自分こそ王

僕こそが支配者だったのだ。


雷に打たれような衝撃が体を貫く。

世界がぐるぐると回転した。




気がつけば、あの女の子が足元に転がっていた。

大変な事をしでかしたはずなのに心は不思議に穏やかだった。何の不安も感じなかった。

僕は女の子を担ぐと林の中を奥へ奥へと進んだ。

別に何か当てがあったわけではない。ただ、どこかもっと人目につかない所に捨てようと思っただけだ。

やがて、僕は谷に出た。

谷底からヒューヒューと風が吹き上げていた。覗いてみると藪が幾重にも生い茂り底は見えなかった。

僕は死体をその谷に投げ込むと、清々しい気持ちで山を降りた。

面白い事に頭痛や耳鳴りはきれいさっぱり治まっていた。

それから一週間程注意して新聞を見ていたが女の子の記事は出てこなかった。さらに一ヶ月経過してようやく女児行方不明の記事が出た。

それが僕の殺した女の子であるのは間違いなかった。行方不明なので死体は見つかっていないのだろうとも思った。

それだけだった。

ほっとする訳でも、罪悪感に苛まれる事もない。なんの感慨も湧いてこなかった。

ただ、その夜、夢を見た。

夢の中で僕は小屋の中にいた。

それは子供の頃の養鶏場だった。

無数の雌鳥達が僕を見ていた。

皆、僕を怖がっているのが分かった。

無性に可笑しかった。

大声で笑いながら、僕は手に持った棒で檻を叩く。雌鳥達はバサバサと羽根をばたつかせて絶叫する。


愉快。


僕は世界の王様だ。


ふと見ると小屋の片隅に雄鶏が踞っていた。

卵を温めている。

大きな卵だ。

ピシリ

突然、卵が音をたて、割れた。殻が一片(ひとかけら)、地面に落ちる。

割れた穴から何かがこちらを覗いている。

目だ。黄色く濁った(まなこ)が僕を見ていた。

卵が割れ、中から巨大な雄鶏が現れる。

鳥の尾は蛇の頭だった。

黄色く濁った邪眼。

その邪眼は見たものを石化させる。

コカトリス。鳥の王。

コカトリスは高らかに鳴く。

僕も鳴いた。

コカトリスと共に高らかに。


僕は目を覚ました。

ズキンと頭が痛む。あの女の子を殺した日から感じなくなった頭痛がぶり返したのだ。

僕はヨロヨロと洗面所に行くと鎮痛剤を飲み、鏡に映る人物に視線を落とす。

これは誰だ?

見知らぬ男が呆けた様に僕を見返していた。

濁った黄色い目をしていた。


頭痛を薬で抑える事はできなかった。

それは半ば確信の様に分かっていた。

勿論、頭痛を止める方法も分かっている。

だが、今度は慎重にやらないと駄目だ。幸運は何度も続くものではない。

最初の幸運で学んだのは二つ。

一つは死体を残してはならない。

そして、もう一つは自分の水飲み場では狩りをしないと言う事だった。

最初の一つ目を守るために僕は冷凍室を作った。家業の肉屋を継いでいたのでそれを怪しむ者はなかった。

殺した死体は冷凍室ならば半永久的に保管できる。カチカチに凍った死体は解体するのも楽だった。

水飲み場で狩りをしないと言う事も、良い肉を安く仕入れる為と吹聴し、各地の牧場を巡りながら獲物を物色する事で実現した。

余り面白いとは思わなかった肉屋がこれ程ありがたいとは!

見方を一つ変えるだけで世界はまるで変わってしまうもののようだ。

今の僕にとってこの世界は大きな養鶏場の様なものだ。檻の中の雌鳥達を自在に品定めしてくびり殺す。


ああ、愉快だ。

あれ程、暗く煤けた世界がこんなに輝いているなんて思いもしなった。


今、僕は次の獲物を求め、S県に向かっている。

この間、目をつけた女がいるのだ。

どうやって仕留めようかと想像するだけで体が震えてくる。

血が沸き立ち、いてもたってもいられない。

曲がりくねった山道で僕はグッとアクセルを踏み込む。

小気味良い加速感に酔いしれる。

その瞬間、僕はあっと声を上げた。

乗用車の後部が大きく滑ったからだ。

一月最後の残雪を踏んだのか?

懸命にハンドルを操作するが、まるで言う事を聞かない。

車は大きく車線を外れる。



対向車のヘッドライトの光で視界か真っ白になる。


トラックが!



駄目だ、ぶつかる!!






2018/01/30 初稿


遅くなりましたが、最終話を投稿いたします。

最後まで読んで頂き本当に有難うございます。


次話は有りませんが、最初の物語へと繋がります。

そして、永遠に季節は巡り続けます。


ではまた、何処か別の時、別の場所でお会いできれば幸いです。

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