表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恐怖七十二候  作者: 如月 一
大寒(だいかん)
71/72

水沢腹堅(さわみずこおりつめる)

草はらで女はのたうち回る。

刺された腹が火箸を突き入れられたように熱く、痛む。

一呼吸する度に血が溢れ出るのが分かる。

女は哭いていた。

痛みに耐えられず哭いているのではない。

死が怖くて哭いているのでもない。


何故?


女は呻く。


あれ程、約束したのに

連れていくと言ったのに


ガリガリと地面を掻きむしる。


全ては嘘か

全てを投げ出したのに

これがその報いか?


爪が剥がれ、緑の草が赤く染まる。


大罪を犯した身となれば長くは生きられぬ

その覚悟はできていた

だからこそ、その僅かな時間を共に過ごそうと夢見たのに

それすら反故にするのか


余りにも多くの血を失い、両の脚は立つ力をとうの昔に失っていた。

それでも女は諦めきれない。

裏切った男を追おうと最後の力を振り絞る。

ずるずると地面を這う。


逃がさん

逃がしはせん


ざくり


と、女の背中が裂け、中から黒いものが膨れ上がる。


あな、憎し!

このままには捨て置かん!!


女は一声吠える。

ピシリと顔の中央が縦に割れる。女の体が二つに裂け、中から黒い塊が草むらに跳び出した。

黒い塊は暫くの間、激しくのたうっていたが、やがて、ある方向に向かって猛然と走りだした。


男は荒い息をつき、その場にへたりこんだ。

後ろを向き、耳を澄ます。

大丈夫。追ってくる者の気配はない。

男は、ほっと息をつき、額に垂れる汗を拭う。

1月ももう終わるこの寒い時期ではあるが、ここまで一息で走ってくるとさすがに身体中が火照る。

走り抜けてきた林の向こう側が夜の帳を背景に微かに朱色に染まっていた。

逃げる時につけた火が、予想より大きくなったか。と男は無感動に思う。

ならば、あやつらは火を消すことに忙しく、自分の事を考える暇など無いだろう。

運がある。

と男はほくそ笑む。

思えばここに来た時からついていた。

初めてこの村に来た時、あの女にあった時からだろう。

猪に追われ危うく突き殺される所に男はたまさか居合わせた。

普段ならば見殺しにするところだが、村へ入るための手がかりを思案していた男にとって、それは願ってもない好機。故に躊躇なく助けた。

恩を着せるためにわざと怪我も負って見せた。

(すじ)にも筋肉にも傷をつけず、ただ派手に血だけが出るような怪我を負うのは長年、はぐれ者として生きてきた男にとっては造作もない事だった。

溢れ出る血に狼狽え、蒼白になりながらも懸命に血を止めようと慌てる女の姿が滑稽で、内心せせら笑いながら、男はこの女をどう利用しようかと思案していた。

村に担ぎ込まれ、手当てを受けているうちに女が目指す大社の巫女であると知った。

正に僥倖。男は内心小躍りした。

案の定、幼い頃から大社へ仕える巫女となった女は世間知らずだった。女にとって世界とは大社と村が全てであった。人間関係も希薄。騙し騙される世界とは別世界の住人だった。

だから、男が女をたらしこむのにそう時間はかからなかった。

男は女に広い世界について、面白おかしく話して聞かせ、女の生活がいかに狭く、つまらないものか吹き込んだ。そして、驚き、戸惑う女の耳元で甘い恋の言葉を囁く。

今のような狭い場所から抜け出て広い世界へ行こう。

俺が幸せにしてやる。

男の言葉に女は簡単に墜ちた。それが真っ暗な闇とも知らずに。


「世間で生きていくには金っつーもんがいるんだ。金がなけりゃ、飯も食えねえ、暮らしもたたん。お前と安楽に暮らすにはそれ相応の金がいるんだ。

な、だから、分かるだろ?」

男の言葉に女は顔を曇らせる。

「だから、ご神体が欲しいと?」

「いや、いや、ご神体なんかにゃ興味はない。それよか、その手に持っている宝玉とやら。それだけあれば十分だ」

「でも罰が当たるよ。ご神体は普通の人なら見ただけで障りがあるんだ」

「でもお前は見てもへっちゃらなんだろ」

「それは私がずっとお世話しているからだよ。

私だって、宝玉に手を出したらただじゃ済まない」

女はぶるりと体を震わせた。

「俺はな、そんな話をごまんと見たし、聞いてきた。でも、一度だって罰なんて当たったのを見たことがない。そんなのはみんな、世迷い言だ」

「ねえ、宝玉の事は忘れよう。私はあんたがいれば良い。お金なんて要らないよ」

「駄目だ駄目だ。お前は世間と云うものを知らないからそんな呑気な事を言うんだ。金が無ければ世の中、ひとつとして思い通りにはならないよ。お前が怖じ気つくのなら手引きだけしてくれれば良い。後は俺がなんとでもする」

男は女の耳元で囁く。

「なぁ、俺はお前と一緒に暮らしたいんだ。ここじゃないところで。お前を幸せにしてやりたいんだ」

男は口が女の口を吸い、そのまま首すじをなぞる。

「あっ」

体の芯が疼き、女は熱い吐息を漏らす。

そして、思い知る。既に越えるところを越えてしまっていることを。

後は男と行ける所まで行くだけだ。

女は男を抱き締める。誰にも奪われる訳には行かない。女にはもう男しか残っていないのだから。


女は一心に村の外れに向かい走っていた。

手には大社に祀られている蛇神体の宝玉が握られている。

足が、手が、肺が焼けるように熱い。

息を切らして走り続けているからだけではない。

女は自分の体に起きた変調を自覚していた。

宝玉に手をかけた時に感じた、全身をなにかがのたうつ感触。

神罰だと、巫女として仕えてきた女には分かった。

我が身は神の怒りですぐにでも腐り、朽ち果てるだろう事を確信した。

だが、女は後悔はしていない。

もしも、自分がやらなければ、男がこの運命を背負う事になったであろう。

ならばこそ、女は自ら宝玉を手にする決意を固めたのだ。

今の女の望みはただひとつ。

男の笑い顔を見る事。

最後の瞬間を男に看取ってもらう事だった。

女は走る。村外れで待つ男のもとへ。

ただ、一心に。

それだけが望みだった。

不意に林から黒い影が躍り出た。

それが恋い焦がれた男であると、女は嬉しそうに手を上げる。

「待ったかい?」

女は柔らかく微笑むと手に持つ宝玉を男に差し出す。

男は笑いながら、それを受けとる。

「いいや。ご苦労だったな」

そう言う男の手には月の光を鈍く反射する刃物が握られていた。


男は藪の中から手作りの筏を取り出し、目の前に広がる湖に浮かべる。

もう一度、後ろを振り向き誰も追ってきていないことを確かめると、夜の湖に漕ぎ出る。

半月を映す湖面を乱しながら、ただ櫂を繰る音だけが響いていた。

湖の丁度真ん中辺りで男は一息入れる。

湖を渡りきれば、そこは別の土地。追っ手がかかることもない。

男は懐から宝玉を取り出す。

拳大の宝玉は月明かりでもキラキラと輝いていた。

一体幾らぐらいで売れるだろう。男は今にも大声で笑い出したい気分だった。

全く馬鹿な女だった。自分に騙されているのも知らず、嬉々として宝玉を盗み出してきた。連れて逃げる事も考えたが下手に連れて歩いて足がつくのも面倒なので一思いに殺した。

腹を刺された時の女の顔、目を見開き、酸欠の魚のように口をパクパクと開いた表情は不様で見物だった。

思い出すと腹の下辺りがざわざわと沸き立つ。

と、

ザザザザと背後から一陣の風が吹き抜ける。

男は驚き、肩をすくめた。背後を見るが闇が広がるだけだった。

男は宝玉を懐に納めると再び櫂で漕ぎ始める。

ピチャリ

ピチャリ

水音が静かに闇に溶けていく。

ピシャリ ピシッ

ピシャリ ピシッ ピシッ  ピシッ

水音に混じる異音に男は気づく。

ピシッ ピシピシ

櫂を止め、耳を澄ます。

微かに何が割れるような甲高い音がする。

男は再び後ろを見やり、目を細める。

ピシピシピシピシ

甲高い音はみるみる大きく近くなる。

男は音の理由を知り、あっと声を上げる。

背後の湖が急激に凍りついているのだ。

男は慌てて櫂を握り直すと筏を漕ぎ出そうとした。しかし、筏はたちまち氷結した湖面に取り込まれ、動かなくなる。

男は狼狽する。何が起こっているのか分からないが、とにかく尋常でないのは分かる。

ザザザ

ズリッ ズリズリズリ

今度は何が這いずり迫る音がした。

何か得体の知れないものが自分を追いかけている。

男は迷わず、筏を捨てると凍りついた湖面を対岸に向かって走り出す。

ズリズリズリズリ

しかし、這いずる音はどんどんと男に迫る。

むせ返るような生臭い風が男を包む。恐怖に耐えきれず男は後ろを向き、大声を上げた。

女だ。

巨大な女が黒髪を振り乱し、男に迫っていた。

身の丈は八尺を越え、下半身は斑模様の蛇体だった。一抱えもある胴を震わせ氷を砕き猛然と突き進む、その迫力に男は全身の力が抜ける。

あっという間もなく男は蛇身に絡め取られ、ぎりぎりと締め付けられた。

ボキンと嫌な音を立てて骨が折れる。

男は悲鳴を上げた。

「お、お前は……」

圧迫され呼吸もままならない状態で男は言葉を絞り出す。大きさや輪郭が少し変わっていたが、化け物は紛れもなく男が切り捨てた、あの女だった。

化け物はばっくりと口を開ける。先が二股に割れた真っ赤な舌が忙しげに蠢いている。

「止めろ、助けてくれ」

懇願するが、化け物は大口を開け男を頭から飲み込んだ。


うあああぁぁぁ


妊婦のように膨らんだ腹で半身女、半身蛇の化け物は慟哭する。

何時までも何時までも哭き続けた。





2018/01/25 初稿

2018/01/26 構成を入れ換えました。後、多少の誤記修正

敢えて、時系列をバラシテ見たのですが、読み直してみると意味不明になっている気もしたので修正しました。(悩む、悩む)



各地で雪が降っており大変です。

さすがに大寒。一年で一番寒い時期と言われるだけありますね。

皆様、お気をつけ下さい。

次回はいよいよ最終回です。


次話投稿は1月30日を予定しています。


最終話 鶏始乳にわとりはじめてとやにつく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ