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恐怖七十二候  作者: 如月 一
小雪(しょうせつ)
60/72

橘始黄(たちばなはじめてきばむ)

ピッ ピッ ピッ

規則的な電子音が病室に響いていた。

中央に備え付けられた巨大なベットには老人が一人横たわっていた。

老人の体からは無数のコードやチューブが捻れ、のたくりながら周囲の機械に接続されていた。

老人が薄目を開ける。

傍らでデータをチェックしていた看護師がそれに気がつき近づく。

「……か?」

掠れた声はほとんど聞こえなかった。それを察した老人は、咳ともため息ともつかない息を吐くともう一度言った。

鹿島(かしま)はまだか」

「いいえ、まだ来られていませんよ」

そうか、と言って老人は苦しそうに目を閉じた。

『鹿島はまだか』

老人は日に何度も同じことを質問した。

彼女がここの担当になって5年。一度も鹿島と名乗る人物が来た事はなかった。

恐らくは死に行く老人の哀しい想像の産物だと思っていた。

老人は世界有数の企業を一代で作りあげた偉大な実業家だった。だが、三十年ほど前に病に倒れ、以来病室に囚われている。

今では全身の臓器が機能不全を起こして、周囲の機器で命を繋ぎ止めている状態だった。

全身の痛みと強力な薬物の副作用からくる頭痛、吐き気、倦怠感等、ありもあらゆる不快な症状に苦しめられながらも老人は生きていた。

本来なら何十年も前に死んでいるはずなのだが、常人を遥かに超える意志と潤沢な資産が老人を辛うじて生者の領域に留まらせていた。

しかし、それも限界だった。

あと、数日の内に老人の命はマッチ棒が黒く煤けて燃え尽きる様にその命を終わらせるというのが老人担当医師団の予想だった。

医師たちは更なる延命方法を検討中のようだったが、看護師は天寿を全うさせてあげるべきだと思っていた。

勿論、そんなことを口外したことはない。

だが、人は時が来たら死ぬ。

それが自然の摂理なのだ。自然に逆らうと必ずしっぺ返しをされると言う事を彼女は経験上理解していた。

だから、このままそっとしておくべきなのだ。

と、突然、病室のドアが開け放たれた。

見ると老人が立っていた。髪も髭も伸び放題で真っ白だった。うす汚れたヨレヨレの服から枯れ枝のような節くれだった手足をのぞかせていた。病室の訪問客より病室の主の方がふさわしい様相だった。

「旦那様!

鹿島、只今、戻りました」

老人は、倒れる様にベットに近づくとキンキンとした耳障りな声で叫んだ。

謎の老人が鹿島と名乗ったのに看護師は驚く。鹿島は老人の妄想ではなく実在したのだ。

ベットの老人も鹿島に気付き目を開ける。

「おお、鹿島、戻ったか。

して、首尾はどうだ」

常世(とこよ)の国からもって参りました。

これが非時香菓ときじくのかくのみで御座います」

鹿島はそう言うと黄色い丸いものを取り出す。

とたんに病室の全体が柑橘(かんきつ)の芳しい香りに包まれた。

「でかした。でかしたぞ。」

老人は鹿島から実を受けとるとそのまま口に放り込みんだ。

「うははは。これで儂は不老不死じゃ。

永遠の命を手に入れたのじゃ。

うははははははは」


11月のカレンダーをめくり、新たに現れた12月のカレンダー見て、看護師はため息をつく。

早いものでもう一年が終る。

歳を取ると一年がたつのが本当に早い。

早いと言えば、鹿島と言う男がこの病室に現れたのが丁度、十年前の今日だったと、看護師は思い出す。

あの時の鹿島と老人の会話、その後の老人の高笑いは忘れられない。

看護師は病室の中央に目を向ける。

無数の巨大な機器が置かれていてベットを見ることができないが機器の中心にはベットが置かれていて、あの老人が今も横たわっている筈だ。

老人は今も生きていた。

現代医学の奇跡と言われているが、老人が生きているのは現代医学のお蔭ではないことを彼女は知っていた。

(あの実には不老と不死の力はあったようだけど、若返りや病を癒す力はなかったようね)

看護師は思う、自然の摂理に逆らうとやはりロクなことにならないと。

だから老人は今も生きていた。

永遠続く苦痛に苛まれながら。








2017/12/02 初稿


鹿島はどうなったんだ?

と思われる方もおられるでしょう。

実は彼は若返りの薬を探す旅に出ていたりします。


次話投稿は12月7日を予定しています


次話 閉塞成冬そらさむくふゆとなる

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