霞始靆(かすみはじめてたなびく)
「こん時期にゃあ、山ぁ、上がっちゃぁダメェだぁ」
突然、そんな事を言われた時、Yさんは、なんだ、この婆さん。と内心思ったと言う。
彼女とドライブの時の話だそうだ。
「2月が終わる、ちょうど今時分です」
場末のバーのカウンターでYさんは、何杯目かの水割りをあけながら喋り続ける。
「峠の所にあった、ちょっとした食べ物とか飲み物とか売ってるようなお店?あんな感じのところで休憩してたら、突然、そんな事を言われたわけですよ。
最初は、店の人かと思ったんですが、どうも違う。
カウンターにいる人に助けを求めようとしても、お店の人も、まるでそんな婆さんいないようにガン無視してる。
ああ、地域でも困った婆さん扱いなんだなって思いました。
で、自分達も無視して車に戻ろうとしたら、」
「霞に気ィつけろ。霞が出たら、動くんじゃねぇ。命、取られるぞ」
Yさんは、その婆さんの言葉を再現してくれた。
それにしても、命とられるとは物騒な話だねと感想を述べると、Yさんも大きく頷く。
「そうそう、自分もそう思ったんですよ。
誰にだ?って突っ込みを入れたくなったんですが、関わるとめんどくさいとも思って、敢えて無視しました。
いい天気だったんで霞なんて出るわけないとも思ってましたしね」
そこで一旦、Yさんは言葉を切ると、暫くグラスを弄ぶ。
「それが、出たんですよ」
不意に沈黙を破り、ぽつりと言う。
「霞が出たんですよ。
本に載っていた見晴らしのよい高台っていうんですかね。
目的地はそこだったんです。
そこにいくには、結構な山道を通らないといけない。
ま、自分、山道慣れてるし、4WDだし、気にはなりませんでした。
だけど、暫くすると、何か前が見にくい。
全体が白っぽい。
知らない間に霞が出てたんです。
でも、そん時は、ああ霞かぁ。そんな程度でした。
いや、運転に支障が出るレベルでは全然無かったです。
だから、構わず進んでいきました。その内、晴れるだろう、と軽く考えてました。だけど霞は段々と濃くなってきました。
それでも、20、30メートル先は見える。
自分は行けるところまで行こうと思ってたんですが、彼女がね。
停めてっていったんです。
あの婆さんの言葉が気になってたんでしょうね。
怖いから停めてって聞かない。
んで、しょうがないから、晴れるまで車停めて、待った訳です。
1時間位待ってやっとこさ霞が消えたですが、驚いた。
景色が変わってたんです。
うん?意味わからないって顔してますね。
文字通りの意味です。
霞があった時は普通に道の真ん中を走っていて、前も安全だとおもっていたんです。
だけど、霞が晴れたら目の前に道がない。
崖っぷちなの。
後、もう少し車止めるのが遅かったら谷底に落ちてたかもしれない。
もう、訳わかんなかったですよ」
危ないところだったんだ。と言うと、Yさんは何故か皮肉っぽい笑みを浮かべ、水割りをグッと飲み干した。
「それが1年前の話です。
これからが、本番です。
この間の事です。彼女とのデートの待ち合わせの場所に行こうとしてたら、霞がでたんですよ。前と全くおんなじ感じでね。
嫌な予感がしたんで、車停めて晴れるのを待つことにしたんです。
で、彼女に遅れそうだと連絡しようとしたら、向こうからかかってきた。
携帯から、霞が出た。霞が出た。ってちょっとパニクった感じで、叫んでくる。とにかく、落ち着いて安全なところで車を停めて待てっていったら、そうしてる、て。
じゃあ、霞、晴れるまで喋って時間潰すかと話をしてたら、突然、携帯から凄い音して、プツンって切れちゃった。
焦って、何度もかけ直しても全然、繋がらない。
結局ね、交通事故でした。
トラックに横から突っ込まれて、即死って話でした。
トラックの運ちゃんの前方不注意とのことですが、彼女の方もどうして、交差点の真ん中で車停めてたのかって、警察も不思議がってました」
Yさんは、不意に黙りこんだ。
そして、大分してから、ようやく話を再開してくれた。
「誰にも言ってませんが、みんな、霞に騙されたんじゃないかって俺、思ってるんです。
みんな、違う景色を見せられたんじゃないかってね。
だとしたら、俺、スッゲー怖いんです。
もしも、来年、また、霞が出たとしたら。
車停めても、進んでも助からないとしたら。
俺、どうすればいいんだろう。
そう思ったら俺……
ねえ、どうすればいいんでしょうね?」
2017/02/23 初稿
2018/03/20 一部文章修正
2018/08/18 形を整えました
次回投稿は2月28日を予定しています。
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