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恐怖七十二候  作者: 如月 一
立秋(りっしゅう)
38/72

寒蝉鳴(ひぐらしなく)

男は携帯のGPSで位置を確認する。

位置は間違いなかった。

男は小さく頷くと森の中へ足を踏み入れる。

秋が立ったとは言え、8月の上旬の空気は森の中でさえ暑い。直射日光さえなかったが汗がだらだらと流れ落ちた。

足場の悪い森の中を男はヨロヨロと進む。

情報によればもう少し歩けば大きな一本杉にぶつかるはずだった。

木の根に何度も躓きながら、男の目の前に幹がふたかかえもありそうな巨木が現れた。それが杉の木かどうかは植物の知識が乏しい男には判然としなかったが、杉だろうと考え、その木を起点に北に向かう。

程なく池に出た。

池と聞いて田んぼの溜め池みたいなものを想像していたが、水は透き通るように綺麗だった。

池というより湖といった方が相応しいのではないかと男は思う。

あれ程酷かった暑さもここでは感じない。

池から吹く心地よい風がその理由だった。

男は時間を確認すると六時少し前だった。

日がくれるまで後少し。

男は耳を澄ます。

ヒグラシの鳴く声が聞こえる。

もっとも、男はヒグラシの声を聞くためにこんな所に来たわけではない。

男の目的は死んだ恋人に会う事だった。

この森のこの場所で夕暮れヒグラシが鳴き止む瞬間に会いたい人の名を三回唱えるとその人の霊が現れるという。

可南子(かなこ)

男は思わず元恋人の名を呼んだ。

「俺はどうしてもお前に会って話をしたいことがあるんだ。」

夕暮れが近づく中、ヒグラシはもの悲しく鳴き続けていた。

男が目を閉じると恋人との楽しかった思い出が幾つも思い出される。

遊園地で楽しげに微笑む優花の顔。

奮発して行った高級レストランで二人して、はにかみながらワインのグラスを傾けた時の事。

そして、二人だけの甘い一夜。

男は深い溜め息をつく。

ふと男はヒグラシが鳴き止んでいる事に気付く。

「可南子、可南子・・・、可南子」

男は慌てて恋人の名前を呼ぶ。

男が三回名前を呼び終えた瞬間、一陣の風が男の横を吹き抜ける。

あれ程うるさかったヒグラシの鳴き声はピタリと止んでいた。

急速に闇が広がって行くのを感じながら男は可南子が現れるのを待った。

しかし、何も起こらない。

情報は嘘だったのかと思いかけた時、男は池の真ん中に黒いモヤのようなものが立ち上っているのに気付く。

黒いモヤは音もなく男に近づいてくる。近付きながら形を変え、やがて、人の形を取る。

「可南子。」

それは紛れもなく男の死んだ恋人だった。

優作(ゆうさく)

女はか細い声で男の名を呼んだ。

可南子を前に優作は突然、土下座をする。額を地面に擦り付け、叫ぶ。

「すまん。俺が悪かった。もう、許してくれ。

お前につきまとわれて、俺の人生は目茶苦茶だ。」

男の声はヒステリックな金切り声に変わる。

可南子はそんな男を冷たい目で見下ろす。

「許さない。あんなに尽くしたのに。

私を捨てたあなたも、あなたを奪ったあの女も絶対許さない。

あんたたち一族全て、呪ってやる。」

可南子の声は低かったが強い怒りと恨みを感じさせた。

一言発する(たび)にどす黒い瘴気が吐き出るようだ。

「仕方なかったんだ。

絵里(えり)は俺の出世に必要だった。

それに、あの時、俺たちは限界だったんだよ。

絵里がいてもいなくても俺たちは終わっていた。」

「・・・勝手な言い分。」

「絵里はお前が入院した時に必要な金を全部出してくれたじゃないか。」

優作の言葉に可南子は苦笑いをする。

「あなたが私を階段から突き落とした時の事かしら?」

「あれは事故だ。お前が暴れて勝手に足を滑らせただけだ。」

「入院させてそのままお払い箱。

一度もお見舞いにも来なかったわね。」

「あの時、もう終わりだと言ったはずだ。」

「この傷の謝罪は無いわけ?」

可南子は髪をかき揚げる。髪に隠れていた右目があらわになる。右目のすぐ上の額の辺りが凹み黒ずんでいた。

可南子は優作を睨みつけたままスッーと優作に近づいてくる。

「身も心も傷つけられて、一方的に関係は終わりと宣言されて、私が納得すると思うわけ?

あり得ない!」

可南子の顔が鬼の形相になる。

血走った目をかっと見開き、口は耳まで裂ける。

盤若(はんにゃ)の形相だ。

優作の喉元を食いちぎらんとばかりに迫る可南子に優作は隠し持っていたお札を貼り付ける。

「うぎゃあぁぁぁ。」

額に札を貼られた可南子が悲鳴を上げ、のたうち回る。額に貼られた札は赤熱化し、しゅうしゅうと白い煙を上げている。

「はっ、効いたか。

あの拝み屋、た、高い金を取るだけの事はあるな。」

優作は荒い息を吐きながら言う。

可南子の悪霊に悩まされた優作はつてを使ってある霊能者に相談した。

結果、今回の方法を教えられたのだ。

直接、可南子と対面して隙を見て退魔の札を貼る方法だった。

危険だったが、霊能者が言うにはそれ以外に方法が無いほど可南子の怨念は強かった。


《よっぽど恨まれることしたんだな。

あんたに取りついている怨念、二人分位だぜ。》

紹介された霊能者は半分、呆れたように言っていた。


「ざ、ざまあみろ。散々、面倒をかけさせやがって。思いしったか。」

優作は言い捨てると、地面でのたうっている可南子を蹴る。

「ひぐぅ。」

可南子が悲鳴を上げる。死んでも痛みを感じたりするのだろうかと思いながら優作は憎々しげに可南子の頭を踏みつけ、何度も地面に押し付ける。

優作は腹の中にどす黒い快感が沸き上がるのを実感する。二人の仲が冷えきった頃、抑えきれない鬱憤を可南子に一方的にぶつけた記憶が蘇る。

「お前はうざいんだよ。何でもかんでも恩着せがましくしやがって。」

可南子の下腹部を足で踏みつけると優作はペットボトルを取り出し、中の液体をぶちまける。

「ひぎゃあ。」

液体がかかった可南子の体はブスブスと黒い煙となって溶ける。

「こりゃ、面白いわ。聖水とか聞いた時は胡散臭いと思ったが、こっちも効果は本物だな。」

霊能者からは、札で動きを封じて聖水をかけて浄化しろと言われていた。優作はニヤニヤ笑いながら可南子の両手、両足に聖水をかける。

「うぎゃ。

ひく。

ああおぁぁ。」

可南子は苦しげにもがくが、既に両手両足が無くなっているのでまるで芋虫がのたくっているようだった。

「いい様だ。お前のせいでお義父(とう)さんに睨まれて会社で肩身の狭い思いをしたんだ。

ま、お義母さん(ば  ば  あ)を殺してくれたのは感謝だがな。

ああん、ありゃ、お前の仕業なんだろ。

ア、リ、ガ、ト、ナ。」

優作は可南子のお腹に乗せている足に体重をかける。

「苦しい、止めて。」

お札で完全に力を封じられている可南子は弱々しく哀願するが、それは単に優作の嗜虐心を煽るだけだった。

優作は更に足に力を込める。

可南子の柔らかな腹の上でダンスを踊りたい気分だった。

「あの時も、」

可南子は苦しげに言葉を絞り出す。

「お前は私のお腹を蹴った!」

可南子の語気が強まる。その気迫に気圧(けお)され優作は一瞬のけぞる。

「退院してお前に会いに行った時、お前は私を蹴った!」

優作は困惑する。

確かに、それは事実だ。絵里とのデートで家を出たら暗い顔の可南子が突っ立っていた。退けと言っても退かなかったから蹴り飛ばし、振り返りもせず立ち去った。

その後、風の便りに可南子が自殺したと聞いた。

確かにあの時、勢い余って腹に当たったかもしれない。

だが、だからなんだと言うのか?

この女、いや、この化け物は何が言いたいのだろう?

「お前は自分が何をしたかも分かっていない!

殺す、殺す。

今、ここで八つ裂きにしてやる。」

可南子の目が再び怒りの炎を宿らせる。額のお札に火がつき燃え始めた。

優作は焦る。

札は一時的な効果しかないから札が貼れたら手早く聖水で浄化しろと言われていたのを思い出す。

「うるせえ、死に損ない!

死ぬのはお前の方だ。」

優作はペットボトルの残りを全て可南子に振りかける。

「うぎゃあぁ、ゆうかぁ、優花(ゆうか)!」

聖水を浴び、全身からもうもうと黒煙を立ち上らせながら可南子は絶叫する。

「この男を殺して!必ず、殺しなさい!」

可南子は叫びなから煙となって消え去る。

優作は、はぁ、はぁと荒い息をつく。

(優花とか言っていたが、俺の名前を間違えたのか?

しかし、それでは後の言葉と微妙に食い違う。)

何か違和感を感じたが、ともかく終った。

優作はほっと息を吐き帰路につく。

車まで戻った時には辺りは完全に闇に包まれていた。

シートに座ると優作は携帯をかける。

「ああ、俺だ。」

『あなたなの?

どこにいる。早く帰って来なさいよ。

今日、お父様は仕事で帰ってくるのが遅くなるって行ってたでしょ。

あなたを早く帰らせるって言ってたのに、どこをほっつき歩いているのよ。』

携帯から女の声がまくし立ててくる。

ボリュームが壊れたラジオかなにかかと思いながら優作はなだめるように答える。

「悪かった。

だけど、もう大丈夫だ。もう、あの女は出ないよ。」

『本当なの。この間もおんなじこといってダメだったじゃない。』

「ははは、今度は大丈夫だ。退治したから。」

『退治?

退治って一体どうやって?』

「詳しい話は帰ってからするよ。

2時間ぐらいで帰れると思う。

取り合えず切るよ、また後で。」

優作は携帯を切ると車を発進させる。

ラジオをつけると軽快な音楽が流れ出す。

最近、流行っている奴だ。今度、久しぶりに絵里とカラオケに行くか、と優作は思う。自然と鼻唄が出てくる。

その時、携帯がなった。

『出たか、良かった。』

相手は例の霊能者だった。

「ああ、あんたか。

無事だよ。おかげで助かった。

全て上手く行ったよ。また、今度、お礼に・・・」

『何言ってるんだ。

あんたにかけられている怨念は消えていないぜ。

かなり弱くなってるがまだ危険なレベルだ。

俺はてっきりしくじったと思って電話したんだよ。』

「だって可南子、いや、祟っていた女は言われたように聖水で浄化したぞ。」

「本当か?

おかしい。

だとしたら、念は消えてなくちゃならないのに・・・、

なあ、あんたの元カノ、最後に変なことをしたとか、何か変な事を口走ってなかったか?」

「うーん、『ゆうか』がどうとかこうとか言っていたけど・・・」

『なんだ、『ゆうか』って?』

「分からん、人の名前のようだったが心当たりがない。」

『・・・、あんたの元カノ、まさか、妊娠してなかったか?』

「え、何だって?」

『身籠ってなかったかって言ったんだ。

・・・、うん、そう考えると色んな辻褄があう。

おい!あんた、ヤバイぞ。すぐ、俺の所に来い。』

「いや、今、家に帰る予定で・・・」

『寝ぼけた事をいってるんじゃない。

あんたの呪いはあんたの元カノから、元カノとあんたの子供に引き継がれて継続中だ!

あんた、元カノだけじゃなくて、元カノが身籠っていた子供も死に追いやったんだ。

死にたくなけりゃ・・・』

優作は霊能者の会話の途中で変な気配を感じ助手席に目をやる。

助手席には生後半年位の大きさの裸の赤ん坊が立っていた。

萎びた茶色の肌、黒く落ち窪んだ眼。

一目見て死者とわかる。

「だぁ、だぁー。」

赤ん坊は意味不明な奇声を上げながら優作の左腕に取りつく。

「あ、痛っ!」

腕に酷い痛みを感じる。赤ん坊に噛みつかれたのだ。

優作は赤ん坊をふりほどこうとする。

とたんに車が横滑りをして、センターラインを大きく外れた。

優作は眩しさに目を眩ませる。

「うわ!」

優作は叫ぶ。

コントロールを失った優作の車に大型トラックのヘッドライトがグングンせまって来ていた。


2017/08/13 初稿

なんか話が長くなる一方です。

次回は短く、切れ味鋭い物が書けたらなぁ、と思いつつ行きたいと思います。


次話投稿は8月18日を予定しております。


蒙霧升降ふかききりまとう

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