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恐怖七十二候  作者: 如月 一
小暑(しょうしょ)
31/72

温風至(あつかぜいたる)

「お母ちゃん、熱い、熱いよぉ。」

「頑張って。もう少しの辛抱だよ。」

防空頭巾を被った女が幼い男の子に答える。

男の子も頭巾を被り、顔は(すす)で汚れていた。

額に大粒の汗を浮かべ、苦しそうに喘いでいる。

なだめる母親も同じような状況だ。

煤で汚れ、玉の汗を滴らせていた。

空襲から逃れ、防空壕に逃げ込んだまでは良かったが爆撃で入り口が崩れ母子共々閉じ込められたのだ。

防空壕の外は地獄さながらの業火に包まれているのであろう。

崩れた岩の間から熱気と煙、人の燃える匂いが漏れ漂ってくる。

防空壕の中も燃えるように熱かった。

喉の乾きは限界を越え、息をする度にキリキリと痛んだ。

しかし、どこにも逃げ場はなかった。

少しでも熱さを避けるために防空壕の奥で寄り添って耐えるしかなかった。

もうどれ程、長い間この焦熱地獄のような場所に閉じ込められているのだろうか。

母も子も当の昔に限界を越えていた。

母親は思う。

せめて、せめてこの子だけでも助けたい。

苦し気に喘ぐ子供を見ながら母親は強く思う。

目頭が熱くなるが涙は流れない。既に体中の水分を使い果たしたからだ。先程まで頬を伝っていた汗もピタリと止まり、熱に焙られた肌がヒリヒリと痛む。

「誰か。」

母親は堪らず叫ぶ。

「誰か、助けて。

誰か、お願いです。せめて、せめてこの子だけでも」

母親は暗い防空壕の中で助けを求めて絶叫する。

「誰かぁ、助けてぇ。」

突然、防空壕の天井が崩れる。

金属が軋む音と共にガラガラと土塊(つちくれ)が落ちてくる。

呆気にとられ見つめていると巨大な爪が現れた。

爪は二度、三度と動き天井に大きな穴を開ける。

穴からは目映い光が差し込む。

そして、穴からひょいと髭面の男が顔を覗かす。

「ああ、ここです。二人います。助けてください。」

母親は、男に向かって叫んだ。

立ち上がろうとするが、疲労のためか足が動かない。

「なんだ、こりゃ。」

男が少し当惑したように言う。

「あの、助けてください。動けないんです。」

ひりつく喉で母親は懸命に訴えるが、男は全く反応をしない。

男の顔はすぐに見えなくなる。

母親は焦る。何故、わたしたちを無視するのだろう。

助けが聞こえないはずがないのに、一体、なぜ?

考えていると、再び金属音が響き、天井の穴から大量の土が落ちてきた。

「な、止めて、子供がいるのよ。

止めて、止めて、助けて!」

落ちてくる土砂から子供を懸命に守りながら、母親は絶叫する。

口内に鉄の味が広がる。

喉が破れて血が出たのも構わず母親は叫び続ける。

「お願いします。どうか、どうか、せめて子供だけでも、子供だけでも助けてください。」

しかし、母親の悲痛な叫びはショベルカーの金属音と落ちてくる土砂の音に掻き消された。


「監督、なんか変な穴がありますよ。」

ショベルカーを操作していた坂巻が現場監督の大野を呼んだ。

大野は心底嫌な顔をする。

茹だるような暑さの中で一日たち働いてきた。

この上、更に面倒ごとを抱え込む気は毛頭なかった。

「今度はなんだ。」

「何だって、ほら、そこ。変な空洞があるんですよ。」

怒鳴る大野に坂巻はキャビンからショベルカーの爪の所を指差す。

「ああ、空洞だと?

調べるから、ショベルどかせ。」

大野はため息をつきながら坂巻の言う空洞を覗きこんだ。

「なんだ、こりゃ。」

大野は思わず声を上げる。

空洞は、大野が思ったよりも大きかった。

覗きこんだ穴からはカビ臭い空気が漂ってくる。

外界から遮断されて何十年も経っているのだろう。

むき出しの地面以外にはなにもない、いや、空洞の奥に何か布切れの塊のようなものがある。

暗くてよく見えない。布団か何かか?

大野は目を凝らす。

(マジかよ。)

大野は忌々しそうに舌打ちをする。

空洞の正体は恐らく第二次大戦中の防空壕の跡。

それはいい。地面を掘り返すとそういうものが出てくるのは良くあることだ。

問題は防空壕の奥にあるボロ布のようなものだ。

(人だよなぁ、ありゃ。)

いや、人だったと言うべきか、と大野は思い直す。

穴から差し込む光にうっすらと照らされたモノは防空壕の中で死んでミイラ化した人だった。

地面にうずくまり何かを守るように抱いていた。

大野は坂巻に向かって叫んだ。

「何でもない。埋めちまってくれ。」

「え、埋めるんですか?届けなくていいんですか。」

坂巻は心配そうに聞き返してきた。

届けなどしてミイラ化した死体が出てきたら大騒ぎになって工事がとまる。

7月に入って大雨が続き工事が思うような進まなく、今朝も会社から怒られたばかりなのだ。

工事の納期は7月の中旬。後、1週間しかない。

これ以上工期を遅らせると契約違反になりかねなかった。

「かまわん。いいから埋めろ。どうせ、叩いて舗装するんだ。」

大野は大声でそう指示する。

「急げ。ぐずぐずしてたらケツ、蹴り跳ばすぞ。」

そして、何事かとこちらを伺う作業員達にも発破をかける。

ショベルカーが唸り、作業員たちも各々の作業に戻る。

キリキリとショベルが軋み、女の悲鳴のような声を上げた。


夜の9時を回っていた。

大野は、坂巻を連れ場末(ばすえ)の呑み屋に来ていた。

坂巻は昼頃からどうも元気がない。

大野は大野で昼間のことが心の何処かにわだかまっていた。

その(おり)のような思いを払拭するために坂巻を飲みに誘った。

しかし、どうにも坂巻のノリが悪かった。

何杯もの生ビールを黙って飲み干す。

ただ、それだけだった。

たまに口から出てくるのは、暑い、喉が渇く、ばかりだった。

どうにも気が滅入る。

「おい、どうした。暗いぞ。」

大野は坂巻の背中をバシバシと叩き、気合いを入れる。

しかし、反応は薄い。

空になったジョッキを睨んだまま、坂巻はボソリと呟く。

「大野さん。

昼間のあの穴の話ですが・・・」

坂巻の口から出てきた単語に大野は内心ドキリとする。

「穴、埋めていた時に、俺、変な声を聞いたんです。

何言ってるのか、何処から聞こえてくるのか分からないんですが、間違いなく聞こえました。」

なにも言えない大野に構わず、坂巻は続ける。

「女の悲鳴みたいでした。

穴に土砂を流し込む度に聞こえたんです。

その声が耳から離れなくて・・・。

ああ、暑いな。ここ全然、エアコン効いてませんね。」

坂巻は額の汗を拭うとイライラしながら言う。

「そうか?

良く効いていると思うが。」

大野はエアコンのほうに手をかざし、風を確かめる。

その時、ガラリと店の扉が開く音がした。

何の気なしに扉の方を見る坂巻の目にうつむいて立つ女が映る。

店に入ってくるわけでも出ていくでもなく、うつ向いたまま身じろぎもしない。

妙なことに店の人間も女が入ってきたことに気付いていないようで、声もかけない。

だが、もっと奇妙なのは女の格好だった。

もう夏だというのに厚い布を頭に被り、長袖でモンペを穿いている。服も黒い煤と埃にまみれている。まるで戦争ドラマから出てきたようないでたちだった。

「おい、なに、ぼうっと見てるんだ。」

大野の声に坂巻は振り返る。

「え?

ああ、大野さん、入口に変な格好の女の人が、」

と言いながら再び、入口に目をやる。

「あれ、いない。」

「お前、何いっているんだ。」

「いや、今、入口にモンペ穿いた女の人が、

・・・いたん、

・・・ですよ。」

「モンペだぁ?

何時の時代の話だ。寝ぼけてるのか?」

「いや、そんな・・・おかしいなぁ。」

「まあ、いい。ちょっと小便。

生、注文しておいてくれ。」

大野は席を立つ。

坂巻は首をひねりひねり注文をしようとした。

その時、袖を引っ張られる。

なんだと思い、ひょいと見ると赤茶けた座布団のようなものが目に入る。

一瞬なんだと思ったが、すぐ、さっきの女が被っていた頭巾を思い出す。

たしか、同じような色柄だった。

しかし、高さが違う。今は坂巻の腰の高さぐらいしかない。

「ねえ、おじちゃん。」

頭巾から声が聞こえた。

小さな男の子のようだ。

頭巾がユラリと動き、坂巻を見上げる。

それはミイラだった。

カラカラに干からびた茶色の肌、鼻は削げ落ち、眼窩もボッカリと開いている。

「何で助けたくれなかったの。」

ズズズズと男の子の顔が坂巻の顔面に近づく。

「何で、埋めちゃったのさぁ!」

男の子にのし掛かられ、坂巻は椅子から転げ落ちた。


大野がトイレから戻ると店の中が騒然となっていた。

「お客さん、お客さん。

お連れさんが大変ですよ。」

店の親父にそういわれて坂巻の方を見ると床に倒れて七転八倒している。

「な!

一体どうしたんだ。」

「分かんないですよ。

急に叫んだと思ったら、椅子から転げ落ちて、熱い、熱いって苦しみ出したんです。

今、救急車呼びましたから。」

大野はどうしていいのか分からず、汗をダラダラ流して苦しむ坂巻を見守るだけだった。

救急車がやって来て、そのまま病院へ搬送される。

大野も付き添いとして同乗を求められ、一緒に病院へいくことになった。 

そして、待つこと30分。

「死んだ?」

疲れた顔の当直医から坂巻が死んだと聞かされ大野は絶句する。

「死因は?」

「それが極度の脱水症状ともうしますか・・・」

医師は歯切れが悪そうに答える。

「脱水症状?」

心臓マヒでも脳溢血でもなく脱水症状という予想外の単語に大野は当惑する。

それは、言った当の医師も同じようだった。

「私も今回のような症例は初めてでして、最善を尽くしたのですが残念な結果になってしまいました。」

そこまで言ったところで医師は看護師に呼ばれ、その場を離れる。

大野はソファに腰をおろすと手に持ったペットボトルの水を一気に飲み干す。

「お母ちゃん。もう一人のおじちゃんいたよ。」

不意にした子供の声に大野は顔を上げる。

廊下の角で誰かを手招きする男の子の姿があった。

バラ色のふっくらした頬の可愛らしい男の子だった。

ただ、服装が妙だった。

夏だというのにくすんだ紺一色の長袖、長ズボンで、極めつけは頭に被っている防空頭巾だった。

そういえば、と大野は坂巻が倒れる前に口走っていた言葉を思い出す。

防空頭巾にモンペの女。

男の子はそのいでたちにそっくりだった。何かゾワゾワとした胸騒ぎを感じた時、廊下の角からまさに防空頭巾の女が姿を現した。

女は男の子の頭を愛しそうに撫でるとゆっくりと大野の方を向く。

(しわ)だらけのミイラ化した顔。眼球のない洞穴のようにボッカリと開いた眼窩で大野を睨み付ける。

大野は体中から汗を吹き出させながら女を見詰める。

周囲の空気が耐えられないほどの熱気を帯びていることに大野は気付いた。

「何で、助けてくれなかったの。

あんなにお願いしたのに。」

そういいながら女は大野に近づく。

大野は悲鳴を上げようとしたが、カラカラに乾いた喉はひきつり、声を上げることはなかった。





2017/07/07 初稿

既に死んでしまっていた母子の復讐。

一方的に生きている方が悪かった訳ではありませんが・・・

死者に対する畏敬の念は忘れてはいけないですよね。


次話投稿は7月12日の予定です。


蓮始開はすはじめてひらく

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