魚上氷(うおこおりをいずる)
Kさんは自他共に認める釣り好きである。
暇さえあれば、海に、川に、湖に出かけていく。
季節も時間もお構い無しだ。
そんなKさんだが、ある出来事があってから
「当分、夜釣りにはいけないですわ」
と、言っている。
そして、とつとつとその理由を語ってくれた。
2月も半ば、Kさんはかねてから目をつけていた湖に夜釣りに出かけた。
かなり山奥の湖である。
ネットで地図を見ていた時に偶然見つけたのだ。
周囲を森に囲まれていたが、国道から山道を経由すれば車で乗り付けることができそうだった。名前を調べるとD湖となっていた。さらにD湖をキーワードにして漁業規則やら、噂を調べて見たがなにも出てこなかった。
漁業規則がないというのは誰も管理していないと言う事なのか。それとも農業用の溜め池の類いなのだろうか?
溜め池にしては大きいが。と、Kさんはすこし不思議に思った。
管理している漁業組合もなく、噂もないのであれば、釣り場としては期待できないかもしれない。
だが、衛星写真で見る湖の佇まい、形や雰囲気は、Kさんに穴場だと告げていた。勿論、釣り師としての勘だ。
「何で一人でいったか、ですか?
そりゃ、本当に穴場だったら秘密にしておきたいじゃないですか。
夜釣りになったのは、まぁね、時間が合わなかったから、というところですかね」と、笑いながらKさんは答える。
実際にそこは穴場だった。
夜の10時から釣りを始めると面白いように釣れる。
いわゆる入れ食いだ。
それが零時を回り、日が変わるとピタリと当たりが止まった。
辺りは墨を流したような一面の闇。
足元を照らすライトと湖に浮かぶ浮きのライトだけが、白く辺りを照らしていた。
チャポン
魚が水面に跳ねる音がした。
「釣れている時は感じなかったんですが、釣れないとなると寒さを感じ始めましたね」
チャポン
また、跳ねる音。さっきよりも近い。
「寒さに震えながら、魚はいるのに何で釣れないんだと思いました」
チャポン
チャポン
「音の間隔は不規則でした。立て続けにしたり、数分しなかったり、と。
だけど、そのうち、妙なことに気づいたんですよ」
チャポン
「音がね。だんだん大きくなって来るんです。
もしも、たくさん魚がいて、あちこちで跳ねてるなら音は大きくなったり、小さくなったりするじゃないですか。
それが、音は必ず前の音より大きくなってくる。
一匹の魚がだんだん近づいて来ると思いましたね。
でも、それって変な話ですよね」
チャポン
Kさんは音のした方にライトを向けたが、真っ黒な湖面が映るだけだった。
「当てもなくライトであっちこっち照らして、ようやくライトの隅っこに魚を捉えたんですよ」
捉えたと言ってもはっきり見たわけではない。何か白っぽいものが水面より飛び出し、沈むのがちらりと見えただけだ。
「最初は魚の腹かな、と思ったんですが、何か妙な違和感がありました」
チャポン
チャポン
音はどんどん近づいてくる。
「気付くと、もう、すぐそこでするわけですよ。
でね」
Kさんは、言葉を切ると、ブルッと身震いをした。
「浮きのところ。
ライトで、そのまわりだけ照らされてるんだけど、そこに、にゅうと真っ白な手が出たの。
肘の辺まで出てきて、おいで、おいでするみたいに手招きして、水面にチャポン。
もうね、肝潰しちゃって、竿も何もかも放り出して逃げました」
最後にKさんは、乾いた笑いを浮かべ、こう締めくくった。
「当分、夜釣りに行けないかもって言いましたが、もしかしたら、一生行けないかも知れません」
2017/02/13 初稿
2018/08/17 形を整えました