葭始生(あしはじめてしょうず)
僕がその町に引っ越してきたのは中学生の頃だった。
その町は、山を切り開いた新興住宅地で宣伝効果を狙ったのか最初の分譲販売は破格だったそうだ。
その分競争率も物凄かったらしく、当たった時の両親の喜び様は今でもはっきり思い出す事が出来る。
もっとも自分は小学校の友達と別れねばならない事が嫌で、抱き合って喜ぶ両親の姿を冷ややかに見つめていた。
だから、真新しい二階建ての家や周辺の公園や豊かな自然を目の当たりにしても全く嬉しくなかった。
引っ越してから1週間程たった頃だろうか、僕は家の周辺を暗い気持ちを抱え、一人でさ迷っていた。
一緒に遊ぶ友達も、目的もなかった。
ちょっと歩くとすぐに鬱蒼とした森にぶつかった。
豊かな自然と謳い文句は立派だが、要は未開発なだけだろう、としか当時の自分には思えなかった。
ブラブラと森の周りを歩いていると何か獣道みたいな所に出くわした。
何とはなしに探検をしたくなり、その道に歩を進めた。
10分程歩くと森が切れ、視界一杯に広がる湖が姿を現した。
全く予想してなかったので、ちょっと興奮したのを覚えている。
直径100メートル程あっただろうか。
黒ずんだ湖水を静かにたたえていた。
湖の真ん中あたりに小さな島があり、何か赤いものがあった。神社にある鳥居だと直ぐにわかったが、何でそんなものがあるのかは不思議だった。
岸辺の方にも古びた建物があった。
やはり、鳥居があるので神社なのだろうと思ったが、手入れもされていなく、まるで廃墟の様だった。
人の気配はまるでなかった。本殿とおぼしき建物は半分崩れかけている。
何か来てはいけない場所に入り込んでしまった感覚に襲われたのを今も生々しく思い出す事が出来る。
その時、突然、足音がしたので僕は慌てて逃げ出した。
その日は結局、そのまま家に逃げ帰ったので足音の正体は分からずじまいだった。
両親にさりげなく聞き込んだ所、神社の跡地が確かにあるらしい事がわかった。誰も管理はしていないが近所の老人が一人通っているそうだ。その老人が神社で何をしているのかは誰も知らないらしい。
親からは、関わらないようにと釘を刺された。
それから数日は湖に近づかなかった。
だが、また、当てのない散策をしていた時、一人の老人が森に歩いていくのを目撃した。初めて見たが、噂の老人だとピンと来た。
僕は、その老人の後をつけることにした。あの廃墟のような神社で何をやっているのか興味があったからだ。
老人は廃墟の神社の方へと歩いていき、そのまま中に入っていった。暫く外から眺めていたが姿が見えない。
しょうがないのでそっと神社の中に入る。しかし、老人はどこにも居なかった。
首を捻りながら神社の裏手にいく。
神社の裏手はすぐ湖面が広がっていた。だが、ススキのような背の高い草に一面覆われていて水際は見えなかった。
と、ススキの一部が風もないのに揺れている。背筋に一瞬冷たいものが走ったが、良く見るとさっきの老人が一生懸命、ススキを刈っているの後が見えた。
手にもった鎌でザクザクと切り取りっては捨て、ちょこっと移動してはまた刈り取り捨てる。そんな事を延々と繰り返していた。暫く観察しているうちに老人は無作為に刈り取っているのではないことに僕は気づいた。
老人は、ちょっと赤みを帯びた奴を選び出して刈り取りをしているようだった。
春も終わりに近い4月中旬。
日は傾きかけていたが、西日が妙に眩しく、暑かった。
立って見ているだけでも汗ばむのに、あの老人はなぜあんなに必死になっているのだろう。
そんな事を思った時、湖の方から突風が吹いてきた。水際のススキを薙ぎ倒しながら風は僕に向かって来た。風が人を襲うなんて馬鹿げた話だか、そう表現するしかなかった。
ブワッと今まで嗅いだことのない生臭い臭いに包まれる。
そして、僕は薙ぎ倒されたススキの間から現れた黒い湖面に目を奪われる。正確には湖面に浮かぶ奇妙なもの、にだ。
紐のような、煙のような、人のようにもみえる、なんとも形容のし難いものが水面の上に浮いていた。
遠近感がまるで掴めず、近いのか遠いのか分からない。
それはくねくね、ゆらゆら動いていた。
見ているうちに、目が離せなくなっていた。目を離そうとしたも体が痺れて思うように動かない。頭がぼうっとなる。
誰かに肩を掴まれると地面に引き倒される。
見るな、と耳許で囁く声がしたが僕はそのまま気を失った。
気がつくと神社の本殿の所で寝かされていた。
側に例の老人が居たのでちょっとびっくりした。
「坊主、自分が誰だかわかるか?
名前を言えるか?」
しゃがれた声で老人は聞く。
馬鹿にしているのかと、憮然としながら名前を告げる。
「ふむ。
どんな感じだ。
イライラしたり、なにか悲しい気分になっていないか?」
「別に」
「そうか、ならいい。じゃあ、さっさと家に帰れ。
そして、二度とここに近づくな」
「はあ?
それだけ?
僕の見たアレは一体何なの?」
「知らん方がいい。忘れなさい」
老人に言われたが、僕は無言で老人に抗議をした。話を聞くまでは一歩も引かないつもりだった。
その思いが伝わったのか、老人は深いため息をつくと、さっき見たものの話をしてくれた。
「ありゃな、ふらり様だ」
老人の話では、ふらり様はこの辺の土地の守り神だと言う。湖の小島に祀られており、周辺一体を浄化して人達の心が善になるように働きかけていると言う。
だが、ふらり様が浄化できる量には限界があった。
「ふらり様が浄化されたものが、ここら一体に生えるヨシだ」
老人は湖面に生えるススキのようなものを指し示す。
そこで自分がススキと思っていたものが実はヨシと呼ばれるものだと教えられた。
「そして、浄化ができなかったものが、あそこの赤みがかった奴だ。アシと呼んでいる」
老人は、ふらり様が浄化出来なかったアシを刈り取っていたのだ。
アシが増えるとふらり様が穢れる。
「ふらり様は本来、純白なのだか悪い瘴気に当てられると黒くくすんでくる。お前が見たふらり様は灰色がかっていたろう」
瘴気に当てられたふらり様を見続けると頭がおかしくなる。自分が誰かも分からなくなり、暴れまわったりするそうだ。
「最近は都会からお前達のような余所者が増えて、悪い気を撒き散らすのでアシが増えて手が回らん。
刈っても刈っても生えてきよる」
老人は疲れたように呟き、湖の方を哀しそうに見る。
「だから、帰れ。
そして、この事は誰にも言うな。特に大人にはな。
儂は仕事に戻る」
老人は、そう言うと再びアシを刈り取りにいってしまった。
それから数年の歳月が流れた。
あの後、湖には一度も近づいていない。
時折、鎌を持って湖に向かう老人を見かけたが声をかける事はなかった。
今、僕は大学に通うために町を出て独り暮らしをしていた。
僕がふらり様を見た丁度同じ季節。
夕刊にあの老人の写真が載っていた。
『白昼の惨劇』と言う見出しが踊っていた。
あの老人が、昼間、鎌を振り回して何人もの人に斬りかかったと書かれていた。
錯乱しており、何かわけの分からないことを話しているので警察で慎重に捜査を進めている、と結ばれていた。
『ふらり様を見てはいかん。
狂ってしまう』
夕刊を握り締めたまま、僕は老人の言葉を思い出していた。
2017/04/20 初稿
2018/08/25 形を整えました
葭と葦は同じものです。
アシが悪しと連想されるのでヨシと呼び改められたそうです。地方によっては良く似ているが別の植物を呼び分けている所もあるようです。
次話投稿は4月25日を予定しています。
霜止出苗




