第六章
たいして話は進みません。
竹川と根本が訪れた場所は都内だと言うのに随分と緑の多い地域だった。車を走らせている間に目に入ったのは住宅街と畑、小さな公園がいくつかと小学校。かなりのどかな場所だ。
到着したのは他よりは少し大きな畑。坪で言うと二百はありそうだ。
車から下りながら竹川が根本に尋ねる。
「星野ってやつは若い割に随分な土地持ちだな」
「詳しい話は聞かないと分かりませんが、一人暮らしで収入源はこの畑で得られるものだけだそうです」
「ほぉ。農業ってのはそんなに儲かるのか」
俺も転職するかな、なんて冗談を言いながら周りを見回した竹川は尋ね人が見当たらない事に気づいた。
「星野いねぇじゃねぇか」
「おかしいですね。日中はここにいるはずなんですが」
二人して首を捻っていると後ろから声をかけられた。
「徹くんを探してるのかい?」
驚いて後ろを振り向くとそこには杖をついた老婆がいた。
「星野徹さんをご存知で?」
竹川が、彼にしては優しい声色で老婆に聞いた。顔だけはいい彼に優しく問われ快く答えない女性はいないだろう。根本以外。
「知ってるも何も、あの子には家の野菜もたまに見てもらってるからね。あの子は本当に優しい子だよ」
「その彼に会いに来たんですが畑にいなくて困っています。どこに行ったら会えますかね?」
「それならあそこさ」
老婆は自分の杖で南側を指した。
「あそこに赤い屋根の建物が見えるだろ?あそこは保育園なんだがね、たまにそこの菜園をボランティアで見てやってるんだそうだよ」
「そうですか。それでは今から訪ねてみます。ありがとうございました」
そう言うと二人は老婆に別れを告げ再び車に乗った。
「殺人鬼が保育園ねぇ」
竹川が欠伸を噛み殺しながら言った。
「まだ決まっていません」
根本はカーナビで目的地を検索しながら答える。
「・・・ことり保育園」
「可愛い名前だな」
「ぼうっとしていないで電話をかけて下さい。今から向かう旨を伝えないと」
「そういうのはお前の仕事だろ」
「いいから早くしてください。その無駄に良い声で」
竹川は苦い顔をして携帯を取り出した。
赤い屋根の可愛らしい保育園は幼児達の元気な声で溢れていた。
駐車場に車を置いた二人は職員室に向かって歩き出したが、建物からこちらに向かって歩いてくる人影を見つけ歩みを止めた。
「・・・警察の方ですか?」
見た目がそう見えなかったのだろう。保育士らしきエプロン姿の女性が恐る恐る尋ねてきた。
二人は懐から警察手帳を取り出し彼女の前に掲げた。
「先程連絡した竹川と申します。こっちは部下の根本。こちらに星野徹氏がいらっしゃるとお伺いしてまいりました」
根本曰く、無駄に良い声で竹川が話だした。おそらく三十手前の保育士の頬がうっすらと赤く染まったのは根本の見間違いではないはずだ。
「はい。今日は夏野菜の様子を見に来ていただいています」
そういうと彼女は二人を誘導して歩き出した。
移動しながら根本が質問をする。
「星野さんはよくいらっしゃるんですか?」
保育士の女性は笑いながらそうだと答えた。
「ここの園長先生が星野さんとご近所さんで、定期的に見に来てもらっているんですよ」
「優しい方なんですね」
「それはもう!時間があるときは園児とも遊んでくれてとても助かっています」
しばらく歩くと小さな畑と、その前でしゃがみ込む男性の背中が見えた。
「星野さん!お見えになりましたよ!」
大きな声で女性が声をかけるとその背中がゆっくりと動いてこちらを振り返った。
大きな男性だ。178センチの竹川が少し見上げているので間違いなく180はあるだろう。よく焼けた肌に白い歯がよく映えていて第一印象としては爽やかな好青年。
「星野徹さんですね?」
竹川が問う。
「そうですが、警察の方が僕なんかになんの御用ですか?」
「少しお話を聞かせてください」
その後、気を利かせた保育士の女性が応接室を開けてくれたのでそちらに移った。
移動中、根本は星野の左足を見いていた。少し引きずって歩く彼の左足を。
竹川と根本が並んで座り、向かいに星野が一人で腰を下ろした。すぐに保育士の女性がコーヒーを三つ運んできてすぐに部屋を出ていく。
「我々が訪ねてきたことに心当たりはありますか?」
竹川が話し出した。
「まったく見当がつきません。僕は何かしてしまったのでしょうか?それとも僕の身近な人が?」
「いいえ、あなたの近親者について尋ねに来たわけではありません。我々が用があるのは星野さん、あなただけです」
竹川がそう言うと彼は眉間にシワを寄せ目の前のコーヒーを一口飲んだ。
「・・・何を聞きたいんですか?いや、まず僕が何の事件に巻き込まれているのか教えてください」
問われた竹川は根本に視線をやる。それを受けた根本が彼に変わって説明をはじめた。
「メディアには公開されていない事件です。我々は今、連続殺人事件の捜査をしています。そこで被疑者の一人として上がったのが星野徹さん、あなたです」
彼は大きく目を見開いたあと生唾を飲み込んだ。
「・・・他にも被疑者の方はいるんですか?」
「詳しくは言えませんが数名」
「何故僕は被疑者に?」
「その足の怪我です」
根本は机に隠れて見えない彼の足をさした。
「犯人は足を怪我したんですか?」
「その可能性が高く、該当人物を当たっています」
星野は頭を抱えて黙り込んでしまった。根本が竹川を見ると彼はのんきにコーヒーに砂糖をいれていたので肘で小突き聴取をうながす。しょうがないなという顔をしながら竹川が再び話し出した。
「星野さん、本題に入りましょう。昨日の午前零時から明け方頃までどこでなにを?」
ためらうこと無く尋ねる竹川に星野は少し戸惑いつつ答えた。
「その日は仕事中に足を痛めたので早めに引き上げて、ずっと家にいました」
「ご家族は?」
「一人暮らしです」
「夜ご飯は自宅で?」
「はい」
「外室はしませんでしたか?」
「足が痛かったので外には出ていません」
「あなたがずっと家にいた事を証明できる人物は?」
星野はコーヒーカップを両手でギュッと握りしめて俯きながら苦しそうに答えた。
「・・・・・いません」
星野が苦しんでいる様がまるで見えていないかのように竹川は質問を続けた。
「その間に電話は?」
「来ていたら言っています」
「ご自宅に監視カメラは?」
「小さな二階建てのボロボロのアパートです。ある訳がない」
その答えを聞いた根本が、先程竹川と話していた事を思い出し自ら星野に質問をした。
「ここに来る前にあなたの畑に行きました。随分と立派な畑でしたので、てっきりご自宅も立派なのかと思っていました」
根本の斜め上な質問に拍子抜けした星野は、え?っと間抜けな声を出した後、彼女の質問に答えた。
「土地は親の遺産です。三年前交通事故で両親をなくしまして、その際ふたつ年上の兄と分け合いました」
「お兄さんもどこかに土地を?」
「いいえ、兄は家族で住んでいた家を。僕は家ではなくあの土地を貰いました」
「ご実家は都内に?」
「ええ、ここから車で一時間程度の所に」
立て続けに質問をした後ふむふむと勝手に納得した根本はそれきりしばらく黙ってしまった。
星野はそんな彼女を不思議そうに見ると少し緊張が解けたのかコーヒーを一口飲んで、今度はカップを握りしめることなくテーブルにそうっと置いた。
そのあと質問を続けたのは竹川だった。
「昔から農業を?」
「いいえ。元々は普通の会社員でした。両親が他界した際に先程言ったように広い土地を貰ったので思い切って会社を辞めまして、興味のあった農業を始めました」
続けて星野がなにか言おうと口を開いたその時応接室の扉がガラガラと音を立てて開けられた。
現れたのは苺の髪留めをした小さな少女だった。
「徹くんのおともだち?」
突然の訪問者に一番はじめに反応したのは星野だった。
「ミキちゃん、ここには来ちゃダメだよ」
星野はそう言うと慌てて席を立ち少女の前にしゃがみ込んだ。
「あのね、ミキがうえたトマトさんがね、げんきないの。だから徹くんになおしてほしいの」
「わかったよ。後でちゃんと見に行くから」
「ホントに?なおしてくれる?」
「大丈夫。僕に任せて」
それを聞くとミキちゃんと呼ばれた少女は大きく頷いてどこかに行ってしまった。
「こちらの菜園を見られているらしいですね」
竹川が少女が走っていった方を見つめながら星野に聞いた。
「ええ。夏野菜を育てたいから見てくれと。今は梅雨なので気を付け見てあげないといけません」
眉をを八の字にしながら星野は笑った。そう言えば彼の笑った顔は初めて見たが、優しそうな顔だ。
竹川と根本は顔を見合わせて頷くと立ち上がった。
「星野さん、今日はお時間を頂きありがとうございました」
星野はその言葉に驚き目を丸くした。
「もういいんですか?」
「ええ。今日はアリバイを聞きに来ただけなので、詳しい話はまた後日ご連絡させて頂ければと」
星野の連絡先を聞いた二人はすぐにその場を去った。
車に戻った二人は黙ったままだった。
しばらくして竹川が根本に声をかける。
「どう思うよ」
「なにがですか?」
「星野はあやしいか?」
「まだ分かりません。現場には犯人の痕跡がないので何とも言えません」
「直感でどう思う?」
「竹川さんはどう思っているんですか?」
竹川は懐から棒付きキャンディを取り出して舐め始めた。
「わかんねぇな。好青年にしか見えない」
「私もです。しかし、彼のような人当たりの良さそうな人物が殺人犯だった事例は過去に何件もありました」
「そうだよなぁ。まぁ、とりあえず松田達に合流するか」
それに頷いた根本がシートベルトを閉めようとした時、竹川側の車のドアがノックされた。窓の外を見てみるがそこに人影はない。根本が首を傾げると竹川は思い出したように「あぁ」と呟いてそうっとドアを開けた。
そこには先程の少女、ミキちゃんが立っていた。
「おじさんたちは徹くんのおともだちなの?」
ミキちゃんは洋服をギュッと握りしめ、緊張した面持ちで竹川と根本に尋ねた。よっぽど星野が好きなのだろう。応接室での普通ではない雰囲気を子供ながらに感じ取り、彼の心配をして竹川達を追いかけてきたのだ。
「お友達ではないけどお知り合いだよ」
先程の老婆に話すよりももっと優しい声で竹川が答えた。根本はそれを聞いてあまりにも甘ったるい声と『お知り合い』発言に眉間にシワを寄せた。
「おしりあい?」
「そう。少しお話をしに来たんだ」
「徹くんいじめてないの?」
「まさか!お話しただけだよ」
「なんのおはなし?」
なんと答えるのか気になった根本が面白がって彼の答えに聞き耳を立てる。
竹川は少し考えた後に思いついたように片眉を上げてミカちゃんに顔を近づけた。
「大人のお話」
甘ったるいを通り越した、腰に来るような声でそう囁いた竹川はニコッと笑った。
それを聞いた根本は眉だけでなく顔のあらゆるパーツを歪め、間近で聞いたミカちゃんは小さくても立派な女性、顔が真っ赤になった。
「だから心配しないで。星野さんを虐めたりしないから」
「ほんとうに?徹くんとなかよくしてくれる?」
「本当だよ。僕に任せて」
最後の言葉は星野のセリフを真似たものだ。竹川はあえてその言葉を使ったのだろう。
その言葉を聞いたミカちゃんは大きく頷き笑った。
「さぁ、先生が心配してるからお部屋に帰りな」
竹川はそう言いながら懐にあったキャンディをミカちゃんに渡した。
松田と田中に合流する為に車を走らせる。車内は静かだった。
根本はウィンカーを出しながら呟く。
「彼が犯人かは分かりませんが、彼じゃなければいいなと思いました」
竹川は何も答えなかった。
次はもっと早く書くぞ。