初めての感覚
城内をうろつくのも、部屋にこもるのもいい加減飽きてついに汐里さんに外出したいと頼んだ。
「そのようなことはできれば蒼太様に言ってくだされば」
困ったように笑顔でかわされて、今日も部屋に一人。
そういえば蒼太さんの部屋に一度も行ったことがなかった。
頼みついでに部屋を見てやる、と部屋を出る。
長い廊下からは花がわずかに残る桜が見える。
どんなに立派な庭があっても毎日見ていれば飽きるもの。
蒼太さんの部屋の前につき、なんと呼び掛けるべきか迷う。
まだちゃんと名前で呼んだことないなんて、今さら気付く。
「蒼太、様、今よろしいでしょうか」
とりあえず無難に、と声を掛けると中から不機嫌そうな声。
「どーぞ」
言われるまま襖を開けてそろそろ足を踏み入れる。
「お邪魔いたします」
なんだか、今までに見たこともないくらい不機嫌そうな顔に戸惑いながら襖の前に立ち止まる。
どこに、どこに座るべきかさっぱりわからない。
てゆうか座っていいのかな。
冷や汗をかきながら直立不動してしまう。
「座れば」
蒼太さんが自分の前にある座布団を手で示す。
「失礼します」
無駄に緊張しながら腰を下ろし、彼の顔色を伺う。
しばらくの沈黙に耐えきれず口を開く。
「あの、私来ない方がよかったですか」
質問に答えないまま不機嫌そうな蒼太さんは私をじっと見つめてくる。
あああきかなきゃよかった!何で答えてくんないのよぅ!
脳内パニックに陥っているとやっと返事が来た。
「別に、いつでも来ていいけど」
じゃあどうしてそんなに不機嫌そうなのよ!とは聞けずまた沈黙。
気まずい気まずすぎる、なにか話題、と思ったときここに来た本題を思い出した。
「あの!外に出てもいいですか?」
外出許可を貰いに来ただけなんだから、蒼太さんが不機嫌とか関係ないじゃない、と開き直ってみる。
「なぜ城下町に、ひとりで?」
静かに見つめられて、もはや睨まれている感覚。
「城下町も見てみたい、という理由ではいけませんか?」
この状況では死んでも暇をもて余しているなんて言えない。
内心パニックに陥っていても冷静に保たれる自分の微笑に、初めて今までの両親の教育に感謝する。
いつだって自分の意図は読まれないように感情は表に出さないことを叩き込まれてきた。
「外に行きたいんだな」
蒼太さんが小さく呟いてから私から目をそらす。
「汐里!出掛ける。準備させろ」
唐突に蒼太さんが大きな声で汐里さんを呼び、立ち上がる。
「外出は許可する。ただし、俺も一緒に行くことが条件だ」
汐里さんに手を引かれて自分の部屋に戻り、今着ている着物より地味めな着物に着替える。
その間ぼーっと思考停止している自分がいた。
条件付きの外出にこんなにわくわくするなんて、おかしい。
私は一人気楽に出歩くつもりだったのに、どうしてこんなに楽しみになってるんだろう。
考えているうちに準備は終わっていた。
「じゃあ行くぞ」
門の前に待っていた蒼太さんはいつもより落ち着いた紺色の着物を着ていて、さらさらの黒髪が日の光に輝いて…目が離せなくなった。
歩き出すとすっと手をとられる。
「人通りが多いから、俺から離れるなよ」
私の手を引いて少し先を歩く蒼太さんの耳が少し赤くて、
胸が苦しくなった。
急に手を繋いでいることが意識されて自分でも顔が紅潮しているのがわかる。
初めての感情に戸惑いながら蒼太さんの背中を見ているうちに城下町の賑わった通りに来ていた。
甘味処やうどんそばのお店、着物のお店や綺麗な櫛や布のお店。
きょろきょろしていると、蒼太さんが振り返って聞いた。
「どっか寄ってみるか、それとも何か欲しいものは?」
きょとんとしてしまった私に蒼太さんが不思議そうな顔をする。
「何か変なこと言ったか、俺」
はっとして顔をそらした。
「いえ、私は見るだけで充分です!」
振り返った蒼太さんに見とれて、更に気遣われるなんて思ってなくて胸が苦しくなったなんて言えない。
目をそむけた先にあったお店の簪に少し目を奪われる。
綺麗だなぁ、でも私には似合わない。
「あんたに装飾なんて必要ない!」
両親からよく言われた台詞。
私は見るだけ、装飾なんて似合わない、必要ない。
必ず勿体ないのよと続けられたその台詞を思い出してふっと目をそむける。
「団子が食べたい。入るぞ」
やや強引に連れてこられた甘味処の団子はおいしかった。
少し待っていろ、と蒼太さんは何処かへ行ってしまい、一人取り残される。
ぼーっと繋いでいた手を眺める。
そして少し何かが引っ掛かった。
この街並みを私は知っている。
城内ですらなんだか知っていたような気がする。
昔、この城下町の、通りを誰かに手を引かれながら歩いた気がする。
思い出そうとして頭を抱えていると目の前に影が射した。
「どうした、何かあった?」
心配そうにひそめられたその瞳を見て考えるのを止めた。
「いいえ、何もないです」
にっこり笑うと蒼太さんはふーん、と言いながらまた私の手をとる。
「そろそろ帰ろう」
そんなに時間はたっていないと思っていたのに、もう太陽は傾き出していた。
おとなしくその手に引かれていると、蒼太さんは少し歩く速度を落とした。
さっきまで少し先を歩いていたのに、隣に並んで歩きだす。
それがまた胸を締め付けるもんだからまともに蒼太さんを見られない。
二人ともなんとなく黙ったまんま城に戻ってきていた。
その夜、蒼太さんはいつもより遅くに部屋にやってきた。
「今日、楽しかったです。ありがとうございます」
蒼太さんの顔を見ないままに告げる。
すると、唐突に蒼太さんの指が私の髪に触れた。
びっくりして身を引いてしまう。
シャラン、と音がした。
パッと鏡台を見ると、髪に1本の簪。
私が昼間見ていた簪、どうしてこれが。
「それ、陽愛に似合うんじゃないかと、思って」
少し紅い頬を隠すように蒼太さんは顔をそむける。
「そんな、私にはもったいないです」
両親の言葉をふと思い出して簪に手をかける。
「似合ってる、もったいないなんて言うな」
私の方を見ずに蒼太さんは小さく呟く。
「今日出掛けた記念として持っとけよ、初めて贈り物なんてしたんだ。返されたりしたら傷つくからな!」
あいかわらず目をそらしたままの蒼太さんは顔が真っ赤になっている。
「あ、ありがとうございます」
恥ずかしくなって私も蒼太さんから目をそらしていると、
また手を取られる。
「あと、敬語はやめろ。普通に接してくれていい。呼び方も呼び捨てで構わない」
ぎゅっと握られた手に力が入って胸がまた、苦しく高鳴る。
「そ、蒼太、さん」
紅潮する顔を自覚しながらせめてもの抵抗でさん付けをする。
「さん、はいらない」
「蒼太…」
呼ぶと、蒼太は嬉しそうに笑った。
その笑顔にきゅん、と胸がしめつけられる。
この感覚の意味がわからないまま蒼太の顔から目が離せなくなる。
「おやすみ」
満足そうな笑顔で蒼太は蝋燭の灯りを消した。
暗闇のなか、しばらく不可解な胸の苦しさについて考えていた。