本当の気持ち
「蒼太、無理しすぎは体に良くないわ」
廊下ですれ違いざまに汐里に腕を捕まれる。
汐里の後ろには陽太を抱いた夏海もいる。
陽愛の想いを無下にするわけにはいかないと、ろくに休息もとらずに仕事をしている。
陽太のその瞳が俺を見つめている。
夏海の腕の中から俺に伸ばしたその手に煌めく石。
家族の証。
陽太をそっと抱き、汐里に笑顔を向ける。
「そうだな、今日はもう休む」
しばらく陽太を腕に日の沈みかけた空を見ていた。
陽愛はよく、空を見ていた。
彼女もこの景色が好きだったのだろうか。
眠ってしまった陽太をそっと夏海にあずけ、部屋に向かう。
仕事に没頭していたのは、陽愛の想いの為ではない。
自分の為だ。
陽愛を失った哀しみから目を背ける為に、ただ目の前の仕事に意識を集中させていた。
それでも不意に溢れる哀しみからは逃れられずにいた。
久しぶりに空を見上げて陽愛を想ったせいか、いつの間にか陽愛の部屋に来ていた。
彼女の温もりが感じられる気がして。
今までの全てが悪い嘘で、部屋に彼女がいつもの笑顔で座っているような気がして。
静かな部屋は陽愛がいた頃のままだった。
彼女がいつも座っていた窓の横にそっと腰を下ろす。
庭園が見えるここに座って、陽愛はいつも笑っていた。
覚悟を決めて、手紙を書いた君の気持ちはどんなだっただろう。
一人で全てを背負って。
机の前に座り直すと、足が何かに触れた。
そっと手を伸ばして掴むと何やら紙を丸めたものだった。
屑籠からこぼれ落ちたのだろう、捨てておくかと思いつつ何気なく開いてみる。
ぐしゃっと丸められた紙には、あの懐かしい優しい字。
その文字は滲んでいて読みづらい。
そこに書いてあったのは、陽愛の本当の気持ち。
きっと優しい彼女が遺される人々を気遣って言えなかった本音。
涙で滲んでいるそれを握りしめる。
蒼太へ
私はきっともうここには帰ってこれないでしょう
蒼太との約束を守ることができなくてごめんなさい
違う選択をしていればもう一度貴方の腕に抱かれることも、この手に陽太を抱くこともできたのかもしれない
それでも私はこうすることしかできません
陽太と蒼太を、皆を哀しませるとわかっていても
蒼太が私を真っ直ぐに愛してくれたから、私は自分を取り戻すことができました
人を愛することを知りました
この世界が美しいことを知りました
だから命にかえても、この想いを貫き通したかったの。
勝手な私を許してください
どうか陽太も、春宮の皆も、何より蒼太自身を大切にしてください
あなたはまだ若いから、新しく妻を迎えて家族を作って…
私のことは忘れてもいい、そう言うべきなのかもしれない
でもお願い、どうか忘れないで
戦のない時代に出会っていたら、ずっと一緒にいられたかしら
添い遂げることができたのかな
いつかまた出会えたならもう一度私を抱き締めてください
そこで、文は途絶えていた。
涙で滲んだその字から、陽愛の想いが伝わる。
忘れたりしない、忘れることなんてできない。
陽愛以外を愛することなんてできない。
君を永遠に愛し続ける。
陽太に陽愛の分も愛情を注いでいく。
もう一度、もう一度会えたなら今度こそ絶対に離さない。
その字を滲ませたのが陽愛の涙なのかそれとも自分のそれなのかわからなくなる。
その手紙をそっと畳み直す。
陽愛、君が見た最後の世界は美しかっただろうか。




