儚くも美しいひと
袖を通したのは婚礼の儀で着た、あの薄桜の着物。
髪に挿したのは蒼太から初めてもらった贈り物の簪。
季節外れの桜だと誉めてくれた貴方の言葉が今でも鮮明に思い出せる。
貴方がいたから、私は幸せになれた。
私が私として生きることができた。
貴方を永遠に愛しています。
鏡の前に立つ自分が、いつか見た雪乃さんの姿と重なった。
そっと瞳を閉じて、その時を待つ。
私が私らしく終われるように。
夕闇の中で門が激しく壊される音がした。
騒がしい音が屋敷に侵入していく。
私は庭で桜の幹にもたれながらその様子を黙って見ていた。
桜の幹に触れていると心が落ち着くようだった。
縁側で、足音が止まった。
「土足で人様の屋敷に侵入するなんて、無礼にも程があるのではないかしら」
見たところ、霧崎和人本人はいないようだ。
侵入者は五人ほど。
「刀を鞘に戻しなさい。
私は逃げも隠れもしないわ」
凛として、笑顔で、相手を警戒させないように。
「春宮陽愛!大人しく我々についてこい」
偉そうに言ったその一人を睨み付ける。
「そこから動いたら死ぬわよ。
そうなるとあなた達は困るんでしょう」
冷徹に笑ってみせる。
近付こうとしていた数人がはっと足を止めた。
「大人しくついて行くと思った?」
月を雲が隠して何も見えないような夜。
私の手元で何かが反射した。
御守りとして持っている雪乃さんの懐剣。
「和人に伝えなさい。
私は決して…1度だって貴方の物になどならないと」
闇夜に鈍く光るそれをそっと両手で包む。
誰も何も言わなかった。
言わせなかった。
刹那、風が吹いて月明かりが射し込んだ。
桜の花弁がそっと風に乗って舞い落ちていく。
首筋に当てた白銀が紅に染まっていく。
いつか見た梅のようなそれが着物を濡らすと共に、
木の幹にもたれながら私の体も崩れ落ちた。
広がる紅に、ひらり、桜の花弁がおちる。
私はいつから間違ったのだろう。
どこで道を誤ったのだろう。
もう、貴方に会わせる顔がないわね。
でも、どうか赦して。
貴方の幸せを命を懸けて、祈ってる。
月明かりの夜、桜がひらり、視界を遮った。
貴方と想い合ったあの日もこんな風に桜が散っていた。
蒼太に愛されて幸せだった。
蒼太を愛することができて幸せだった。
ありがとう、さようなら。
どうか幸せになって。
最後に見たのは、美しい夜桜だった。




