微かな前触れ
桜の葉が散り始めた頃には、義父のいない生活が普通になっていた。
元々仕事の殆どを蒼太が任されていた為特に変化はなく、義父のいない毎日はいつもと変わらず過ぎていく。
涼しくなってから、蒼太はよく外出するようになった。
何日間か帰ってこないこともあり、二人で過ごす時間は減った。
その分私は汐里や臣下の家族と関わる時間が増えた。
汐里はよく私に平気かと問う。
平気かと言われたら平気ではないのだろう。
蒼太と一緒にいたい、せめて近くにいたい、そんな我が儘は春宮家当主の嫁として言うわけにはいかないのだ。
そんな時は必ず蒼太の事を考える。
今一番苦しくてしんどいのは蒼太だ。
「陽愛様、少しよろしいでしょうか」
呼ばれて行くと、蒼太の臣下のうちの一人である田辺渚がいた。
「なんのお話でしょうか、主人でなく私に用事など珍しいですね」
彼の前に腰をおろして見据える。
「実は…陽愛様の実家のことでお話がありまして…」
予想外の話題に少し気持ちが揺れる。
動揺を必死で隠して毅然と問い返す。
「柴咲家がどうかされましたか」
精一杯笑っているつもりだが、きっとひきつった笑顔になっているだろう。
「少し怪しい動きがありまして、陽愛様から探りを入れてはくれませんか」
困ったように笑った彼に頷いて、静かに立ち去った。
真っ直ぐ部屋に戻って、誰もいないことを確認してから崩れるように畳に伏せる。
駒として送ったはずの娘が音信不通で、切り捨てることを覚悟したのだろうか。
春宮家は柴咲家がどうこうできる程貧弱ではないが、柴咲家が持つ情報網や協定関係を動かされると事だ。
柴咲家が脅威になれば一番心を傷めるのは蒼太だろう。
それは、避けなければいけない。
わたしは、どうすれば…
「汐里、これから送られてきた私宛の文は…たとえ柴咲家からのものであっても、私に渡して」
これが今の最善策だと、俯いて汐里に伝える。
汐里は既に知っていたらしく、何も言わずに微笑んだ。




