母の想い
「汐里、ちょっといいかな」
病床で雪乃様は私を呼んだ。
いつもは蒼太も一緒に呼ばれるから不思議に思った。
「陽愛ちゃんはね、次会うとききっとあなたの知ってる陽愛ちゃんじゃなくなってると思うの。」
哀しそうな笑顔に胸が痛む。
「蒼太に今いってもわからないと思うの。だから汐里、あなたに任せてもいいかな」
変わってしまっているだろう彼女を諦めてしまわないように、以前のような彼女に戻れるように。
私がしっかりしないといけない。
「任せてください。必ず、陽愛はここの娘になりますから」
今にも消え入りそうな笑顔をしっかり目に焼き付ける。
「ごめんなさいね、本当は私がするべきことなのに」
雪乃様は昔から体の弱い人だった。
それでも雪乃様はいつも笑顔で周りに気を遣う人だった。
ちょうど知り合いの柴咲家の家に通いだした頃から雪乃様は時々胸が痛むと言うようになった。
普段は倒れるまで体調が悪いことを周りに悟らせない雪乃様が、そんなふうに言うことが珍しくて蒼太郎様はとても心配した。
「柴咲の家にいくのは暫くひかえたらどうだ」
そんな蒼太郎様に雪乃様は明るく笑って言った。
「私、陽愛ちゃんに会うのが楽しみなのよ。あの子の母になりたいの。だからお願い」
お願い事をあまりしない雪乃様に、蒼太郎様は黙って頷くしかできなかった。
いつからか私と蒼太も同行するようになった。
最近目に見えて体調の悪い雪乃様が陽愛に会いに行くのならと蒼太郎様は条件を出したのだった。
どこに行くにも私と蒼太がついていく事で蒼太郎様は外出を許可していた。
最後に陽愛と会ったあの日の晩、雪乃様は唐突に倒れた。
元々白い肌から血の気が引いて、透明になって消えてしまいそうに感じた。
大丈夫と言いながらその日から雪乃様は病床から動くことが出来なくなった。
「陽愛ちゃんは、どうしてるかしら」
自分は起き上がれないほど体調が悪いのに、口癖のように陽愛のことを心配していた。
間もなくして雪乃様は亡くなった。
最後に蒼太に「どうか幸せになって」と言葉を残して。
優しい微笑みは溶けるように消えていった。
「最後まで雪乃様は陽愛を気にかけていたわ」
最後の最後まで、私の知らないところでも雪乃さんは私の母として生きてくれていた。
母の愛を教えてくれた雪乃さん。
誰より私を理解してくれていた。
もう一度だけでいい。
会いたかった。
「陽愛、おかえり」
汐里は、雪乃さんが生きていたら言ったであろうその言葉を、静かに囁いた。




