【序章2】チンギス・ハン最後の遠征
西暦一二二五年、チンギス・ハンは長年の宿敵である西夏討伐を決意した。西夏はタングート族の国で、すでに四度戦い、度重なるモンゴルの侵攻により西夏の国土は荒廃し、国力は限界にさしかかっていた。今回の遠征は西夏が中国の長江以北を支配する金と同盟し、モンゴルに敵対する動きを見せたためだった。チンギス・ハンはこの時すでに六十を越え、さしもの一世の傑物も体力が衰えつつあった。
西夏遠征を前にチンギス・ハンは密かにフビライに会い、自らの胸中を伝えた。
「汝、決して汝の心に宿る炎を消すなかれ。わしにはわかる。汝はゆくゆく必ずやモンゴルを背負うべき者なり。あのおりの約束を決して忘れるな。わしはこれより西夏を討ち、我が力の続くかぎり西の敵を倒すであろう。汝いずれ東の海の彼方を目指せ」
だがフビライは馬の背に鞭あてて去るチンギス・ハンの影に、今までにない暗い影を感じていた。結局これが両者の今生の別れとなるのであった。
チンギス・ハンはいつにない悲壮な覚悟で部隊を率いていた。チンギス・ハンにとっての悲痛事は、この年自らの長男であるジュチを病で失ったことだった。
長年にわたる中央アジア遠征の末、ジュチはカザフ草原、すなわち現在のカザフスタンの統治をチンギス・ハンに委ねられていたが、病のため急逝したというのである。
チンギス・ハンは今回の戦いをジュチの弔い合戦のつもりでいた。たとえいかなる手段を用いようとも必ず西夏を滅ぼし、西夏王の息の根を止める覚悟であった。
西夏は一〇三八年にタングート族の英傑李元昊が、ウイグルを討伐し、当時まだ国号が唐だった中国から、甘州や涼州を奪い建国した国である。後宋代になると遼や金といった同じ遊牧国家とともに、中国の北辺を侵し、独特の西夏文字を作ったことでも知られている。
だがいかに老大国西夏といえど、モンゴルの侵攻を防ぐことは、この時点ではすでに至難の業だった。モンゴルの侵攻は四度に及び、各都市は荒廃し、国政は乱れる一方。モンゴル軍は川を渡り、砂漠を突っ切り、各諸都市を攻略し、遠征開始から一年とたたぬうちに、西夏の首都興慶(現在の銀川)を都市ごと包囲していた。
なにしろ、この時までにチンギス・ハンに率いられたモンゴルは、中国の華北を領有していた金帝国を事実上屈服させていた。また中央アジアからイラン高原に至る広大な領域を支配していた、イスラム教国家ホラズムをも滅ぼした。その版図は、東は満州から西はカスピ海東岸にまで達していたのである。西夏といえどしょせん敵しようもない。
モンゴルは国民総皆兵制国家で、十四歳に達した男子はことごとく徴兵される。モンゴル軍の軍団編成は十進法で成り立ち、 最小単位が『十人隊』、それが10個集まって『百人隊』、それが10個集まって『千人隊』、それが10個集まって最大の『万人隊』というように編成されていた。
西暦一二二六のある冬の寒い朝、首領であるチンギス・ハンの号令が響き、モンゴル軍の興慶への総攻撃は開始された。モンゴルの先陣はマングタイ(特攻隊)で、通常は二本の弓、六十本の矢を入れた矢筒、三日月刀だけの軽装備だった。この部隊の任務は、敵を誘いだすことにあった。頃合を見計らって偽って敵に背を向け敵が追ってきたところを、左右に伏せていた兵がこれを挟撃、マングタイもまた反転して敵を包囲殲滅するというのが、モンゴルの基本戦術だった。
だがこの時の西夏軍は城を固く守るのみで、なかなか討ってでようとはしなかった。モンゴル側がいかに挑発しようと、西夏軍は城門を固く閉ざし、城壁から矢を射かけるのみで、チンギス・ハンを焦らせた。
しかも不幸は重なった。戦闘のさなかチンギス・ハンの馬が敵の矢を右目にうけ暴れ狂い、ついにはチンギス・ハンをふり降ろしてしまったのである。
チンギス・ハンは数日陣幕の中で人事不肖の有様となった。コンコンと眠り続ける一方、夢にすでに死んだジュチを見た。いかな困難にあってもくじけることなく自らを守り育てた、女丈夫の母ホエルンを見た。かって自らとモンゴル高原の覇権を争った生涯の宿敵トゥリルを見た。
やがて目を覚ましたチンギス・ハンは、後に二代目大カーンとなる三男のオゴデイを自らの陣幕に呼んだ。チンギス・ハン六十五年の生涯の叡智が試される時が近づいていた。
「父上がお呼びと聞き、オゴデイ参上いたしました。傷の具合はいかがでございましょうや」
オゴデイは神妙にチンギス・ハンの様子をうかがいながら尋ねた。
「だいぶよくなった。それより汝に頼みたいことがある。汝は興慶をみおろすことができる小高い山の上に雪で城を築け」
オゴデイはしばしチンギス・ハンの真意を計りかね困惑したが、そのオゴデイに対し、チンギス・ハンは何事かを耳うちした。そしてほどなくしてオゴデイはチンギス・ハンの天幕を後にした。
半月ほどして興慶をみおろせる場所に、雪でつくられた銀の城は完成した。むろんこの知らせは、即座に興慶の西夏王の耳にも入った。
「なに、モンゴルの連中が山の上に雪の砦を築いただと? してモンゴルの狙いはどう見る」
まだ若い西夏王は側近の一人に尋ねた。
「わかりませぬ。なれど以前も失敗したとはいえ、黄河の上流に堤防を築いて、われらを水攻めにしようとはかったモンゴルの連中のことです。油断はなりませぬ」
この言葉を聞き、西夏王はしばし沈黙した。
「恐れながら、それがしに一隊をお与えくださいませ。城が雪でできているなら、これを破壊するはたやすいこと。敵方に夜襲をかけ、砦を破壊いたしましょうぞ」
側近の一人が自信ありがにいうと、西夏王もしばし考えた後これに同意し、夜襲が決行されることとなった。
数日後、モンゴルの銀の城めざして数千の決死隊が夜襲を実行にうつしたが、この動きはモンゴル側に事前に察知されていた。チンギス・ハンの思う壺だった。
「よしかかったな。即座に城を破壊しろ」
西夏軍により破壊される前に、モンゴル軍自身の手により、雪の砦は粉々に破壊された。大量の雪が山の斜面に降りそそぎ、やがて凄まじい勢いの雪崩をひきおこした。西夏の決死隊のほとんど多くは、雪崩にまきこまれて命を落とすこととなったのである。
「うむこたびは成功した。だが決定的な勝利を得るため、我が命をもかけねばなるまいて」
戦に勝利した後チンギス・ハンは、改めて悲壮な覚悟を固めるのであった。