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蒙古と波濤  作者: 上野丸
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【序章1】大モンゴルの覇業

十三世紀、これまでの人類の歩みを根底から覆す事態が進行していた。それまで多少の交易と交流の他、お互いを知るよしもなかった者同士が、ある強大な軍事力により、一つの国家として統一されようとしていたのである。

 


 今日の中国万里の長城の北に、モンゴル族という文字すらも知らぬ、蛮族といっても過言ではない部族が、わずかな家畜とともに細々と暮らしていた。だがこの貧しき民は、強力な部族の長に率いられることにより、わずか半世紀ほどの間に、地球上の陸地面積の五分の一、そして世界人口の半分を支配するに至ったのである。

 すなわち西は今日のロシアをも支配下とし、ドイツ・ポーランド・オーストリアにまで侵攻し、東は揚子江以北の中国にまで領土を拡大したのである。

 

 

 この未曾有の大帝国の都それが大都である。大都は後の北京として今日に至るまで中華帝国の中心をなす巨大都市である。この大都を都と定めたのが、ベネチア生まれの商人マルコポーロをして、人類史上始まった以来王の中の王といわしめた、第五代モンゴル帝国大ハーン(最高権力者の意味)フビライだった。

 


 当時の大都は約六キロ、高さ十メートルにも及ぶ巨大な城壁で囲まれ、東西南北のうち南側の城壁には五つの門があった。中央の門が最も大きく大ハーンのみが通行でき、大ハーンの宮殿へと続いていた。

 大ハーンの宮殿の壁は金銀で覆われ、金メッキされた浮彫の竜や、鳥獣、騎士、偶像など様々な絵画で飾られていた。四隅には大理石の大階段があり、大ハーンの私生活の場へと続いていた。

 およそ六千人が食事できるのではなかろうかという大広間、その全てを見下ろすことができる最上段に、大カーンフビライは端座していた。



「恐れながら大ハーンに申し上げる。高麗国において日本国に出兵するための船三百艘、完成したとのことでござる」

 時はモンゴルの元号でいうと至元十年(一二七三)、フビライはこの年五十八歳になり、年齢的には初老の域に達しようとしていた。容貌は整っており、背は高すぎず、かといって低すぎるわけでもなかった。肉つきもまたほどよく、色白であり、鼻は形はどっしりしていた。

 あごひげが薄く、耳は垂れさがっている。小さな瞳は灰青色で思慮深さを感じさせるが、眼光の奥底に宿る激しさもまた、モンゴル人特有のものであろうか? 普段はどっしりとしており、物静かではあるが、決して老いというものを感じさせない剽悍さが、どこからか伝わってくる人物である。

 

 

 配下の者が膝をつき言上するのを見下ろしながら、フビライは椅子から立ち上がり、どちらかという色白の顔をかすかに紅潮させた。普段温厚なフビライにしては珍しく、興奮を隠しきれない様子だった。

「待っておるがよいぞ北条時宗とやら。汝の国の臣民、土地、女、生きとし生ける者すべて余がちょうだいする」

 としばし眼光を鋭くしていいはなった。すでにフビライの眼光は、はるか海の彼方、波の彼方、鎌倉幕府第八代執権北条時宗を射すくめていたのである。

 

 

 一旦興奮気味に立ち上がったフビライではあるが、しばらく時を置いて冷静になり、やがて椅子にドッカリと腰をおろした。そして一呼吸ため息をつくと、

「長かった……。我が祖父チンギス・ハンよ、ようやく貴方との約束を果たす時がやってまいりました」

 と天を仰ぎながらいいはなった。フビライの脳裏には、常に祖父であるモンゴルの初代ハーンことチンギス・ハンの姿があった。そしてありし日のチンギス・ハンの姿を求めて、フビライの記憶はまだ幼かった頃へと、遠くさかのぼろうとしていた。



 世界三大征服者といえばナポレオンとアレキサンダー大王、そしてチンギス・ハンの三人をさすが、その征服の規模において、ナポレオンもアレキサンダーもチンギス・ハンには遠く及ばないといっていいだろう。

 しかしまだ幼かったフビライにとり、ある事件がおこるまで、チンギス・ハンは時に厳格ではあるが、優しいおじいさんでしかなかった。

 

 

 通常モンゴルでは男も女も三歳にして馬に乗る。決められた居住地はなく、ゲルといわれる折りたたみ式の住居に住み、家畜の生育に必要な草を求めて移動する。モンゴル人にとって馬の背こそが住居なのである。


 

 モンゴル人は常に武を尊び、臆病は最も恥とされる。特にチンギス・ハンはしばしばナーダムといわれる、いわばスポーツの祭典を開催した。ナーダムの競技は主に三つあり、一つはモンゴル式の相撲、二つ目は弓矢による射撃、そして三つ目は競馬である。

 競馬に参加できるのはまだ年端いかぬ子供ばかりであり、大人は参加できない。子供であれば女子でも参加できた。およそ三十五キロもの遠乗りであったといわれる。

「恐れながら大カーン顔色が優れぬご様子ですが、御体でも悪うござりますか」

 側近の一人がチンギス・ハンの様子をいぶかしんで尋ねた。

チンギス・ハンは草原の中央にどかりと腰を下ろし、馬乳酒を飲みながら競技の行方を見守っていたが、中々最初の馬が戻ってこないため、やや待ちくたびれうんざりした様子だった。



「いや最近の子供等は余が若かった頃に比べると、軟弱になったのではないかと思い心配なのだ。我ら力をつけ、多くの国を滅ぼし、余が若い頃に比べるとはるかに豊かになった。だが人は豊かになればなるほど軟弱になる。この国の行く末が案じられてならん」

「大ハーンいかになんでもそれは取り越し苦労というものでありましょう」

 

 

 側近がかすかに笑みを浮かべながらいうと、チンギス・ハンは今一度ため息をついた。やがてにわかに見守る多くの観客が騒がしくなった。

 まだ地平線の彼方に一個の点にすぎないが、かすかにレースの先頭をゆく馬の姿が見えたのである。余談だがモンゴル人の視力は2.0ほどもあるといわれ、モンゴルの強大さの秘密の一つであるとまでいわれている。

 このどよめきにチンギス・ハンも立ち上がった。そして先頭を走る者を見極めようとした。



「おやあれは我が孫フビライではないか? いつも目立つ事を嫌い、控え目なのに今日は珍しい」

 この時フビライは十一歳、チンギス・カンの四男トルイの子として生まれ、母はケレイト部族出身のトルイの正夫人ソルコクタニ・ベキである。トルイがソルコクタニとの間に設けた四人の嫡出子のうち次男にあたり、兄にモンゴルの四代目の大カーンとなったモンケがいた。弟は西アジアにイルハン朝を開いたフレグ、後にクビライと大カーン位を争うことになるアリクブケである。

 

 

 チンギス・ハンがいうとおり、常に自己主張が強い兄弟の中にあって、フビライは控え目で常に目立たない存在であったといわれる。ただ一方でチンギス・ハンは、物静かなフビライの眼光の奥に宿る、闘争心のようなものを感じていたのも確かである。

 


 やがて先頭のフビライの馬と後続の馬群が、砂煙とともにゴール地点目指して迫ってくる。ちょうど夕暮れ時である。フビライは懸命に馬に鞭を打ち、勝利を手にしたと思ったその時である。不意に何者かの馬が、フビライの馬の鼻先を横切りそのまま抜き去ったのである。その馬の主こそ、フビライより二つ年長で後にフビライの正夫人となるチャブイだった。

 この当時のモンゴル人女性の服装は、現代のチャイナドレスを想像したほうが早いだろう。もともとチャイナドレスは、モンゴルで夫人が乗馬しやすい服装としてデザインされたものなのである。


 

 あと一歩というところで追いぬかれたフビライも意地になり、ゴール手前で両者は大歓声の中、激しいせり合いを演じた。そしてついには両者の馬がもつれ合い、二人とも落馬してしまった。

 座は一瞬騒然となった。チャプイはフビライの上に重なるように倒れていた。だが二人とも大事なさそうである。

 

 

 後続の馬が次から次へと追い抜いていく中、二人は助けだされ、フビライはチンギス・ハンの御前へと呼びだされた。

「昨今は意志薄弱な者、柔弱な者が多い中、久々に闘志ある者に出会えてうれしく思うぞ。競技においては負けは負けだが、後々褒美をとらすとしよう」

 

 

 全身に砂をかぶったフビライは、大ハーンであるチンギス・ハン自らの激励の言葉に、喜びより以前に恐縮して言葉がでなかった。自らの祖父とはいえ、ここまで大ハーンを間近に感じたのは、この時がはじめてだった。夕闇の中、フビライはチンギス・ハンが去った後も、いつまでもその場に平伏したままだった。


「そうあの時はまだ、チンギス・ハンという人物の真の恐ろしさを理解していなかった。あの事件がおきるまでは」

 フビライは再び記憶の糸をたどろうとしていた。フビライのいう事件とは、ナーダムでの一件から二月ほど後のことだった。フビライは下僕のナヤンと共に山に狩りにでかけた。

 

 

ナヤンはモンゴルが征服した女真の出自で、もともと孤児であったという以外、今となっては詳しいことは思いだせない。いや女真の人間であったかさえ、記憶があいまいである。

 ナヤンは獲物を深追いするうちにフビライと離れ離れになり、やがて雪が降りはじめると、フビライを残し一人下山した。取り残されたフビライは不安の一夜を過ごしたが、今にも狼におそわれる寸前で、捜索にやってきた大人達に救助され事なきをえた。

 

 

しかしこの話を聞いたチンギス・ハンは主のもとを勝手に離れ、主をおいて一人下山したナヤンに怒り、ついにはフビライの必死の命乞いも聞かず、命を奪ってしまったのである。

「わしはナヤンの墓をつくり、その墓の前で一日中泣いていた。すると再び我が祖父チンギス・ハンが現れわしに声かけたのだ」



「我が孫フビライよ、汝は多少女々しいぞ。汝もいずれ戦を知る日が来るだろうが、戦場では日に何千と死ぬこともある。一人の死を嘆き悲しんでいる余裕はないぞ」

 チンギス・ハンは冷厳な口調でいいはなった。

「おじい様にお伺いしたいことがございます。人は死ねばあの世に行くと誰かが申しておりました。なれどそのあの世とやらは、東西南北いずこの地にあるのでしょうか?」

 チンギス・ハンはしばし沈黙した後、



「わしは今まで多くの土地を支配し、多くの民から違うあの世の話を聞かされてきた。仏を信じる者、唯一神アラーとやらを信じる者、山や川の神、あれいは偶像崇拝を行う者、なれどいまだかっていずれが真実であるか、人は死んだ後いかようになるのか、はっきりしたことはわからない」

 フビライはやや落胆した。

「なれどこの天下はまだまだ広大だ。われらは今は西を目指しておるが、東には海といわれるまるで百の川をあわせたかのような広大無辺な水の塊が存在する。

その先に何があるか、わしにもわからん。もしやしたらその先にこそ黄泉の国があるのやもしれん」

 チンギス・ハンは遠い目をした。



「ではその海の彼方に国があれば、その国をも征服し、あの世とはいかなる場所であるか、聞き出すこともできるかもしれないのですね」

「その通りだ。なれどわしはすでに年老いた。今よりさらに広大無辺なる地を手に入れるは、汝ら若い者のつとめであるぞ。汝、今ここで約束せよ二度と泣かぬと、そして我がモンゴルを今よりさらに強大たらしめると」

 

 

フビライは小さく頷くと、

「我が祖父よ私は二度と泣かぬと誓います。そしていつの日か必ずや東の海を越え、その先の世界をも我がモンゴルの土地とすることを」

 フビライは澄んだ瞳できっぱりといいきった。

 モンゴルの正史元朝秘史には、モンゴルの民は皆ことごとく蒼き狼と白き牝鹿の子孫であると書かれている。フビライはこうして蒼き狼としての第一歩をふみだしたのであった。

 



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