□4話
しっかりと見てしまったものの、慌てて目を背け、辺りを警戒しながら
もう一度女の子に話しかけた。
「ごっごめん!それよりも怪我はない?大丈夫!?」
「えっ…?あ…はい…」
背後から気の抜けた返事が返ってきた。
めちゃくちゃヤバい状況からの、見ず知らずの男の登場だ。
状況がいまいち飲み込めてないのだろうか。
それを言ってしまえば俺もだが。
一応、女の子は無事として、一先ずはおいておこう。
「さて…、次はどうするか…」
俺の目の前には狼の様な獣が数頭。
自分達の仲間をやられて怒り心頭と言った感じだろうか。
先程よりも、より低い唸り声で、こちらに敵意を剥き出しにしている。
無我夢中で投げた流木が何故か光を帯びて、女の子を襲っていた
獣は倒せたが、とにかく色々とわからない事だらけだ。
ちらりと、首と胴が別れた獣に視線を移す。
【ブシュブシュ…】
不穏な音と共に、死に絶えた獣から黒い霧状の物が生まれ、
あるべき形を失い始める。
そして、一瞬の内に黒い霧は霧散し、大地に吸い込まれて行った。
一皮の毛皮を残して。
「なんだ…?今のはっ!?」
今目の前で起こった現象に戸惑い、身体を強ばらせてしまう。
一体何がどうなっているんだと、意識がそっちに完全に向いていた。
その瞬間、背後から切り裂く様な大きな叫び声が聞こえた。
「危ないっ!!」
ハッと目を見開き、視線を先程の位置に戻すと、俺の両目に映ったのは
恐ろしい爪と、酷く獰猛な牙を剥き出しに飛びかかってくる獣達だった。
とてもじゃないが、避けれる距離でもなければ、漫画やアニメの様に
複数の相手に上手く躱せる距離じゃない。
『捕食』
強い者が弱い者の命を奪い、喰らう当然の権利。
罪なのは弱さであり、奪われる者の不運である。
しかしそれは自然の摂理であり、悠久の流れからの理である。
俺がいた世界でも。
きっとこの世界でも。
(…え?…俺…死…)
もうどうしようもないくらいの距離まで獣達が飛びかかってきている。
酷く残酷な現実だからだろうか、やけにスローモーションな時間の流れに感じた。
もう獣達の爪と牙は目と鼻の先程だ。
調子こいて訳の分からない世界に来てみたものの、開始数十分でゲームオーバーかよ。
(ははっ…コンティニューってあるのかな…)
自称女神の言葉を思い出す。
この期に及んで最後に思い出すのが自称女神の言葉か。
我ながら嫌になる。
自称女神は言った。
『自由に異なる世界を満喫すればいい。宝くじが当選するよりも幸運な出来事を』
(とても不幸だ…)
自称女神は言った。
『次に意識が目覚める時、そこはもうお前さんの知る今までの
世界じゃあない。全てが非常識だろうよ』
(ほんと…非常識だわ…)
自称女神は続けた。
『だけど覚えておきな』
(…何を?)
自称女神は答えた。
『その世界にとってはお前さんが一番の非常識な存在になるんだよ』
(……)
自称女神は与えた。
『お前さんが望めばなんでも出来る。そんな力も大サービスで与えてやる』
(………)
自称女神は新たに紡いだ。
『何黙ってんだよ。言っただろ?望めばなんでも出来る力をあげるって。
で?あんたは望む前に諦めるのかい?つまらない男だねぇ~』
「はっ?!」
眼前に意識を戻し、瞬時に確認する。
もう終わりの始まりであると。
(…嫌だ…嫌だ…嫌だ…嫌だ嫌だいやだいやだいやだいやだっ…!)
こんな訳のわからない所で死んでたまるかっ!
コンティニューもあるかどうかもわからない世界で!
俺が死んだら次はきっとあの子だ!
女の子が傷つき、死ぬなんてもっと嫌だっ!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…!!
だからっ…!
だからっっっ!!
《消えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!》
腹の底から。
心の奥から。
目を見開き、それこそ魂を込めてその一言を叫び、右腕で薙ぎ払った。
自分の身体から何か熱いモノが生まれ出る様な感覚。
漫画に出て来る様な『気』とでも言うのだろうか。
恐ろしく膨れ上がる生への渇望は、眼前まで襲いかかっていた獣達を
右腕の一払いで、一瞬の内に消し去った。
文字通り肉片や毛皮の一切を残さず、消し去った。
肩で息をし、残る数頭の獣達に目をやる。
先程とは違い、目の前で起こった事が理解できず、
怒りよりも戸惑っている様にも見えた。
「はぁっ…はぁっ…。お前達も消えろ…」
乱れる呼吸にお構いなく、伝わるはずのない言葉で獣達に話しかける。
未だなお、唸り声を止めず、一定の距離を保つ獣達に一喝する。
《いいからっ!去れっ!!》
一瞬ビクっ!と硬直したものの、その直後には対峙する俺を見据えながら
後退りをし、一定の距離まで離れた所で、駆け足で獣達は去って行った。
全ての獣の姿が見えなくなるのを確認した後、その場で腰を下ろし、
もとい腰が抜けてへたり込んでしまった。
とてもじゃないが、今は下肢にも力が入らず、ましてや両腕は先程までの
絶望的な状況からの反動か、震えが止まらず、身体全体が情けない事になっている。
いつ失禁してもおかしくない程にだ。
ひっひっふー…。
と何回か、なんたら呼吸法をしながら呼吸を整え、ようやく落ち着きを取り戻した
俺の背後から、抱きつき、捲し立てる様に感謝する子がいた。
「ありがとぉぉ~!!君って強いねっ!もしかしてオーディン候補様!?
あのねっ!私ね…」
絶望的な状況に直面し、深く心に刻み込まれた恐怖感。
そしてそれを回避し、改めて感じる肉体的、精神的な疲労感。
生きる事を諦めないで良かった。
生きる事を渇望して良かったと改めて思った。
後頭部にダイレクトに伝わる柔らかい双丘に包まれながら呟いた。
「世界って…やわらけぇ…」