□3話
目の前には泥と砂利に塗れ、着ている服も所々破れている少女。
キョトンとした表情を映しているが、その目には泣き腫らしたかの様な
痕が残っていた。
少しだけ時を遡る。
気が付けば何も無い場所に俺は倒れていた。
訳もわからないまま、あの性悪女神に送り出された場所は見ず知らずの土地。
辺りを見渡せばそれなりに大きな川が視界に入る。
川原でバーベキューでもすればそれなりにリフレッシュするだろうが、
今の俺には現状の把握で精一杯だった。
「どこだぁぁぁぁっ!ここはぁぁぁぁぁぁ!?」
異世界なんて、甘酸っぱい響きに半信半疑で飛びついたものの
蓋を開ければ訳もわからない場所にただ放り出されただけだ。
とりあえず、自分の手足がくっついているか確認。
両手をグー、パー。グー、パー。と開いて握るを繰り返す。
次に軽くジャンプして、両足で大地を踏みつける。
ズシンと足の裏から下半身に衝撃が伝わってくる。
「…OK!問題なし!」
心なしか今までよりも身体が軽く感じるのが不思議だ。
「…空気が濃いのか?なんだか新鮮だ…」
深く息を吸い込み、呼吸を整える。
目を閉じて耳を澄ますと、風によって草が揺れ、重なり会う音に、川の流れる音。
「…ふぅ。とりあえず、歩くか」
一呼吸を置いて、とりあえず下流に向かって歩き出す。
ゴツゴツとした川原の石を時折避けながら、周りの景色を楽しみながら下流を
目指し歩いていた。
「しかし、のどかな風景だな。これだけ大きな川なら釣具の一つでもあれば
大物が釣れるだろうな」
緩やかに、そして雄々しく流れる川を横目で見ながら、なおも歩き続けた。
この世界に放り出され、あてもなく歩き出してみたものの、今後の事を本気で
考えないとまずいよな。
まずは食料。
こいつが死活問題だ。
幸いにも川に魚もいるだろうし、良い感じの浅瀬を見つけて追い込み漁でも
すれば小魚くらいは採れるだろう。
何かを思い出し、ごそごそと徐ろにシャツのポケットから何かを取り出す。
「…あった!あった!」
右手に握られていたのは買い物帰りに買っておいたタバコとライター。
大人の嗜みとは聞こえが良いが、世間では喫煙者には厳しい現状。
健康志向は良いんだろうけどな、それを人に押し付けないで欲しい。
そんな事を考えながら、今必要な物であるライターに指をかけて火を灯す。
『シュボッ』
渇いた音が指先から聞こえてくる。
煌々と輝く紅い小さな炎に、安堵する。
「良かった!とりあえず火がついてくれたら、後はなんとでもなる!」
火が使えるなら夜に暖をとる事も出来るし、食料問題もグッとリスクを減らせる。
未開の地で生は怖い。いやまじで。
先の見えない異世界の始まりだったが、なんとでもなりそうな感じだった。
胃袋が満たされ、適当に寝る場所を確保して、この世界にいるだろう住人と出会い、
交流し、そこからゆっくりと、まったりと異世界を楽しむ。
『異世界でフリーライフ』
押しかけ女神に放り出された異世界。
ゲームで言うRPGの世界。
フリーライフの文言通り、少しくらい自由に楽しもうじゃないか。
日本での生活は嫌ではなかった。それが生まれてからの普通であり、当然だった。
そんな日常から非日常を体験する機会に恵まれたのだ。
だから楽しもう。そう、少しくらい楽しもう。
そんな風に思っていた。
まさに楽観的に考えていたのだ。
目の前で人が喰われそうな姿を見るまでは。
鼻歌交じりに下流へ向かっていた時、それは起こった。
茂みから突然人が飛び出して来たと思ったら、その後に続いて大きな獣の群れが
同じ様に飛び出して来た。
俺との距離はどれくらい離れているのかはわからない。
それでも人が何かに襲われているのだけは遠目でもわかった。
反射的に足元に転がっていた流木の1本を拾い上げ、襲われている人の方へ走りだす。
(た、助けないとっ!)
ゴツゴツとおうとつのある川原の砂利を蹴りあげ、急ぐ。
(あっ!川に入って逃げようとしてるのか!?…あぁ!?駄目だっ!!)
川に逃げ込んだ人を軽々と咥え、川原へと無慈悲に放り投げる。
横なりに投げ出されたシルエットが目に焼きつく。
心臓の鼓動が激しく動く。
なおも俺は走り近づく。
目の前の至る所から遠吠えが聞こえてくる。
そしてもうはっきりと見えていた。
大きな口を広げ、捕食しようとする獣の姿が見える。
走りながら右肩を大きく振りかぶる。
流木を持つ手に精一杯の力を込めて、獣に向かって投げた。
無我夢中に。
ただ、目の前にいる人を助ける為に。
「はなっっ!れろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「誰かぁぁぁぁ!助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
俺の雄叫びと、声の主との声が重なり合う。
手から離れた流木は、本当に今さっき目に付いて、咄嗟に拾った只の流木。
だからこそ俺は願ったのだ、この絶望的な状況で、RPGに出てくる『ひのきの棒』
よりも貧弱で貧相な只の流木でなんとか助かって欲しいと。
手から離れ、弧を描く様に飛んで行く流木ゆっくりと弧を描き出す。
描き始めた弧は次第に回転を増し、そして。
只の流木は『光輪』となった。
助けを求めた声の主に喰らい付こうとした瞬間、音も無く光輪は獣の首と胴を通過する。
目を見開き獣を見つめる。
口からは涎を垂らし、牙を向いているが、倒れている人に喰らい付こうとはしない。
肩で息を切らしながら、その様子を見ていると、次第に獣の首がズレていき、首と胴が
綺麗に別れた。
眼前で血飛沫をまき散らし、横たわる獣。
その横で、目を閉じ助けを求めた人の元へと駆け寄った。
助けを求めた時の声からして女性だとは思っていたが
獣の血飛沫で真っ赤に染まり、衣服もボロボロで汚れており、はっきりとは
わからないが、まだ少女の様に見えた。
呼吸を整え、更に彼女に近づく。
そしてまだ目を強く閉じ、強張る表情の彼女に声を掛ける。
「えっと…、君?大丈夫かい?…わっ!?」
思わず驚いて声を出してしまう。
薄目がちに目を開けながら、ゆっくりと身体を起こした彼女。
その服は獣の血や、泥で汚れていた。
また、ボロボロに破れている箇所が所々あるのだが…。
その胸元からは綺麗なピンク色の突起物をはっきりと覗かせていたのだった。