□2話
「おぉっ!?おおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
いつも見慣れた自室が光に引き込まれてゆく。
景色が薄れ、やがて眩しく、白の世界が目の前に広がる。
「驚いているようだね。だけどこの世界はあくまで繋ぎの世界。
言うなれば『狭間の世界』ってやつだね」
「狭間の世界…」
白く何も無い世界。
直感的に感じる。
ここに長く存在していられるだけの自信がない。
上も下も右も左もわからない。
俺と言う自我が白い世界に溶け込んで行きそうだった。
「気をしっかり持てよ!と言いたいところだけど、普通の人間がこんなとこに
いきなりやって来たら、まぁ自我と言うか存在自体が薄れてくるんだけどね」
物騒な事言う。
最初にそんな事は言ってなかったじゃないか…。
全く…。
酷い詐欺だ。
夢も…希望も…ない…。
でも…不思議な事は実際に…
存在した…。
あぁダメだ…。
意識が徐々に薄れていく…。
微睡みの中で眠りに落ちて行く様な感覚。
(…俺は…ど……なる…?)
声が出ているのかどうかもわからない呟き。
もしかしたら、それは言葉ではなく、ようやく絞り出した
俺の思考なのかもしれない。
「安心しな。死にはしないよ。ただ、お前さんの人生は一旦ここで終わりさ。
そして、生まれ変わるのさ。…そうだねぇ、何かと多感な10代半ばくらいに
してあげようかねぇ」
(な…にを…?)
「ふふっ。まぁ楽しみにしてな。お前さんの好きな書物の物語がこれから
始まるんだ。自由に異なる世界を満喫すればいい。宝くじが当選するよりも
幸運な出来事を」
(………)
「あら?もう身体の再構築が佳境に入ってるねぇ。聞こえてるかどうか
わかないけど、次に意識が目覚める時、そこはもうお前さんの知る今までの
世界じゃあない。全てが非常識だろうよ。だけど覚えておきな。
その世界にとってはお前さんが一番の非常識な存在になるんだよ。
お前さんが望めばなんでも出来る。そんな力も大サービスで与えてやる」
…
…
…
私は見つめる。
この白き狭間の世界で包まれている、可能性と言う名の繭を。
私は想う。
この悠久の時を得て、志狼に出会えた奇跡を。
私は慈しむ。
大地に産み落とされた繭が、新たな世界で羽ばたく様を。
「行っておいで…。愛しい子…」
光に包まれる繭にそっと口吻をする。
現世界から白き狭間の世界へ。
そして、異世界への繋がりを授ける。
光の繭は輝きを増し、狭間の世界に広がり続ける。
どのくらいの時間が経ったのだろう…。
繭は新たな世界で羽化した。
-------------------------------------------------
「ハァッ、ハァッ…!」
森の中の木々の間を縫い目の様に器用に避けて、走り続ける。
どれくらい走り続けたのだろうか。
しばらくして、森を抜けて見晴らしの良い草原に出る事が出来た。
額に遠慮無く浮かび続ける汗を拭う事も無く、先程自分がやって来た
森の方へと視線を向ける。
服は立ち並ぶ木々の小枝にも引っかかったのだろう。
所々擦り切れ、腕や足からは痛々しい傷が見え隠れしている。
「どうにか…逃げ切った…?」
辺りの動向に気を回す。
自分を追ってくる気配を逃してはならない。
勿論ゆっくりと立ち尽くしている訳ではない。
この間も呼吸を整え、神経を巡らせながら移動をしている。
草原に生い茂る草を掻き分けて、どれ程歩き続けたのだろうか。
それなりに大きな川が目に入ってきた。
「っ!みっ水っ!!」
ずっと走り続け、歩き続けていた身体は、とっくに水分なんて失い。
ボロボロの身体に、綺麗そうな水を見つけたのだ。
その瞬間から、強烈な渇きが身体を支配していた。
背負っている袋を放り出して足を縺れさせながらも
川に飛び込む。
「んぐっっ、んぐっっ……ぷっっはぁぁぁぁぁぁぁ!
生き返るぅぅぅ~!!」
全身は川の水でずぶ濡れになっているが、そんな事はお構い無しだ。
今はただ、川の水によって満たされる喉の喜びに震える。
冷たい川水は走り続けた身体を冷やし、気持ちを落ち着かせてくれた。
だが、それがいけなかった。
どれ程疲れていたのだろうか?
どれ程渇きが癒やされ、安心しきっていたのだろうか?
気を許し、油断していた私の周りには、いつの間にか十数頭の
ウェアウルフの群れが私を伺う様に取り囲んでいた。
「…っ!そんなっ!」
逃げ切れたと思っていたのに!
油断したっ!甘かったっ!
もしかしたら逃げ切れたかも知れないのにっ…!!
気性が荒く、集団で狩りを行うウェアウルフ。
2.3頭だけならまだなんとかなる。
だけど、こんな十数頭の群れに遭遇するなんて本当に運がない。
やつらは統率をもって狩りをする。
ランクFの魔物だけど、その数の多さに比例してランクが変動する
魔物だ。
「…諦めないっ!私はこんな所で食べられる為にここまで
来たんじゃないんだからっ!!」
投げ出していた革袋にゆっくりと近づき、括りつけていた
ダガーナイフを取り出し、構える。
鈍く光る短刃が魔物達を威嚇する。
(どうする?一番の正解はどれっ?)
まずウェアウルフの群れに単独で戦うなんて馬鹿な選択肢は毛頭無い。
現状における生存率を高める選択は『逃げる』だけだ。
その中でも陸路で逃げるか、川を超えて逃げるかの選択が残されている。
覚悟を決めたっ…。
革袋にあった簡素な手荷物を、目の前にいるウェアウルフ達に一気に
投げつける。
その瞬間、決死の思いで川に向かって逃げる。
バシャバシャと小石と水を蹴りながら、川の流れの中心部へ身体を
進めて行く。
(後少しっ!)
なおも歩を進め、川の水位は腰の辺りまできている。
後は前のめりで一気に川に飛び込み、対岸まで行けば逃げれる。
抑えきれない荒い呼吸を整える事もなく、私は川の中心部に向かって
飛び込んだ。
「…ハァッ!ハァッ!……きゃっ!?」
私は確かに川の中心部に向かって飛び込んだ。
ウェアウルフの群れを幸運にも逃げ切り、対岸まで泳ぎきる。
この場所からだと遠回りになるけど、必ず目的地に辿り付いて
自分の人生を新たに始めるんだ。
お金をいっぱい稼いで、誰にも馬鹿にされない生活をするんだ。
もう何日も同じ服を着ている事をからかわれたり、憐れむ様な目で
見られる事なんてなくなるんだ。
勉強もいっぱいして、知らない事を知って賢くなるんだ。
もうお腹が空いて泣いたりする事も無いんだ。
私はこれから沢山幸せになるんだ!
喉から漏れた小さな悲鳴と共に、視界は空転していた。
次の瞬間、全身を打ちのめす衝撃に襲われる。
「かっっハッッッ…!あ、あっ…あぁ……」
肺からはもうこれ以上は出ないとばかりに息が漏れる。
ぼやけた視界には数頭のウェアウルフ。
頭には何かに抑えつけられている圧迫感と痛み。
そして、耳に聞こえて来るのは、川の流れよりも
大きく荒ぶるウェアウルフの呼吸。
「グルルルル…ウォォォォォォォォォン!!」
「ウォォォォォン!」
「ウォォォォォォン!」
口々に遠吠えを繰り返すウェアウルフ。
まるで狩りが終わり、これから食事にありつける様な
歓喜の咆哮だ。
…
…
(そっか…、私…死んじゃうんだ…)
全てを理解した。
逃げ切れなかったんだ。
助からなかったんだ。
私はっ!ここでっ!身体を裂かれっ!肉を引き裂かれっ!
無残に喰われるんだっ!!
その揺るぎようのない事実がとても残酷だった。
ボロボロと涙を流す。
こんなつもりじゃなかった。
私は生まれ変わる筈だったんだ。
幸せになる筈だったんだ。
どうして、こうなるのかな?
私は幸せになる事も許されないの?
暖かいご飯を人並みに食べる事も許されなかったの?
お父さん…お母さん…この世界は私に優しくなかったよ…。
「うぅぅ…グスっ…うぅ…。いやだぁ…死にだぐないよぉ…」
何の為に生まれ、こんな一生で終わる事になったのかな?
ずっと昔に死別した父と母の優しさと温もり、そして最後の
言葉を思い出す。
「…エイラ、うんと幸せになりなさい。誰よりも優しく生きなさい。
お父さんとお母さんはずっとお前を愛している…」
病に倒れてなお、自分達よりも私を想ってくれた両親。
幸せになれと言ってくれた。
優しく生きろと標してくれた。
生きたい…。
私はまだ生きたいっ…!!
お願いですっ!神様っ!
私はまだ生きたいんです!
この世界でまだ生き続けたい!!
ウェアウルフに足蹴にされ、酷く臭う唾液に塗れながらも私は
最後まで足掻いた。
すぅっと大きく息を吸い込み。
思い切り吐き出した。
「誰かぁぁぁぁ!助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
こんな草原を抜けた川に誰も居てる筈もないのはわかっている。
散々走り回り、逃げまわり、誰も居なかったのも知っている。
だけども私は叫んだ。
残る力の限りで。
残る命の灯火で。
一瞬、私を抑えつけているウェアウルフが硬直した様な気がしたが
何も起こらないと理解した途端、また唸りを上げ始めた。
どうやら怒らせてしまったみたいだ。
…。
私は最後まで諦めなかった。
それだけでも満たされた様な気がした。
「ウゥゥゥ・・・!グワォォ!!」
その咆哮と共に私の頭を抑える力が一気に増し、
噛み付かれるんだとわかった。
(お父さん!お母さん!ごめんっ!)
ぎゅっと目を瞑り、天国があるならば、そこにいてるであろう両親に
最後に残してくれた言葉を守れなかった事を謝った。
ドシャ…
身体に感じていた殺意と重みが何かが倒れたような音と共に
消え失せ、代わりに何故か、生ぬるい感触が首元や顔を覆った。
強張る手でそれを拭いながらも、恐る恐る目を開くとそこには
首と胴を綺麗に分けられたウェアウルフの死骸が横たわっていた。
「えっと…、君?大丈夫かい?…わっ!?」
身体を起こし、ぼやける視界で声のする方へ顔を向ける。
そこには困った様な、申し訳なさそうな、なんとも言い難い
表情をする少年が私を見ていた。