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□1話

「で?どうするよ?」


「いや、どうするって言われても…」


「煮え切らないねぇ…」


自室に強引に入り込んで来た妖艶な、もっとわかり易く言えばエッチな雰囲気を

身体の至る箇所から醸し出している女性が無愛想に話す。

服が…。

全体的に薄い…。

俺の座っている場所から小さなテーブルを挟んで座布団の上で胡座を

かいて向かい合っている。


「お前さんも男だろ?せっかく手に入れた縁だよ?無かった事にするかい?」


見た目だけは非常に整っている女性だが、話方もその仕草もまるで中年のおやじだ。

テーブルの上にスルメや缶ビールがあれば、まぁ様になるだろう。

女性の言葉を思い返す。


『せっかく手に入れた(えにし)』と。


……

事の発端は、と言ってもあまりに唐突で何処でそんな発端を開いたのかはわからない。

まずは落ち着いて俺の今さっきまでの状況を確認してみる。


俺の名前は天月志狼あまつきしろう)

30代半ばにして、今まで努めていた仕事を訳あって先月に退職したばかりだ。

訳ありと言えば聞こえは良いが、どうって事はない。

誰にでもある様な理由の果てに辞めただけだ。

一人暮らしには十分過ぎる間取りのマンションに現在も一人で暮らしているが、

残念ながら長らく彼女はいない。

ま、今の状況を考えて結婚なんて夢物語に近いだろう。

現実を直視すると、少し自嘲気味になってしまう。

両親の元に転がり込んでも良いが、やはり肩身が狭い。

それに俺の部屋の隅々に見られる我がコレクション達の置き場所にも困る。

それに、既に実家の俺の部屋は大層な物置部屋へとリフォーム済みだ。

話を進めよう。


俺は昨日、最近の日課であるハロワに行って次の再就職先を探していた。

朝一に行くと必ず大勢の就職希望者でごった返す。

なので昼頃の人が昼食でまばらになる時を見計らい新しい仕事はないかと検索を

していた。

いくつか興味のある仕事もあり、何社かの情報をプリンターで打ち出す。

その日は受付に持っては行かず、自宅でもう一度じっくりと目を通す事にした。

ハロワから帰り、必要な日用品の補充もあり買い物をして帰宅した。

しばらくの時間近所のスーパーであれだこれだと必要な物をカゴに押し込み

精算を済まし、満足気に自宅に戻った。

自宅に戻ってからは、買い出しして補充した食料品や詰替え用シャンプー等を

片付け、今しがた購入したインスタント珈琲を用意してから、その日打ち出した

ハロワからの再就職先の情報に目を通した。


「え~と、ルート営業に…、小売の販売職…」


前職が営業で、割りと多くの人間と接する機会が多いのもあって

今回プリントアウトした企業情報も表立って人と接する業種が多いと思った。

いっそ全く違う業種に飛び込んで見ても面白いかもしれない。

無意識に偏った職種の内容を見てそう思う。

温かい珈琲に口を付け、再度一通り書類を見直した時だった。

俺はふと何かおかしいと感じた。


「あれ?俺が打ち出した紙は全部で10枚…。なんで11枚もあるんだ?」


俺はその日プリントアウトの限度数である10枚を打ち出した。

しかし、今目の前には11枚目がある。

カップをテーブルに置き、もう一度目を通す。


『資材関係のルート営業 即戦力求む』

『賃貸管理の営業 週休2日から』

『リサイクルショップの販売員 土日要相談』

『飲食店の幹部候補 まずはホールから』

『住宅販売の営業 頑張れば頑張った分だけ評価』

『リフォームアドバイザー 将来独立も可』

『セレモニースタッフ 大切な人を送りませんか?』

『ビールサーバーのメンテナンス 直行直帰』

『ミネラルウォーターの営業 人に喜ばれる仕事です』

『ブライダルスタッフ 一生記憶に残る思い出を作ります』

『異世界でフリーライフ 人生変えてみませんか?』


「…は?」


思わず声が漏れる。

なんだこれは?

11枚目の紙をもう一度確認する。


『異世界でフリーライフ 人生変えてみませんか?

希望者は自由気ままに異世界ライフをお楽しみ頂けます。

交通費完全支給。

給与完全歩合制(頑張れば反映)

休日は希望日可。

必要資格無し。

最低限の保証有り。

※状況に応じて体力と精神力が必要な場合があります』


これは誰かのいたずらだろうか?

こんな漫画やラノベの様な事がある訳がない。

しかし文言は冗談の様な内容だが、書式はハロワの物そのものだ。

手の込んだいたずらだとは思うが、何故これが俺の元にあるかが不思議だった。

自室の部屋の棚に陳列されている漫画やラノベ、小説に目をやる。


「…ばかばかしい」


呆れた様に独り言ちる。

まぁこの手の悪戯を考えた奴の、暇さ加減とセンスだけはちょっと褒めてやる。

後で用紙を四角に折りたたみ、カッターナイフで綺麗に四等分にしてメモ用紙にでも

しよう。

少し冷めた珈琲を飲み干し、胡座をかいてた場所から立ち上がる。

その瞬間、部屋にインターホンの音が鳴り響いた。

先日ポチったネオアマゾンからの商品が届いたのだろう。

俺の部屋に来るのはせいぜいが配達の運ちゃんか、宗教の勧誘くらいだ。


手に持つカップをテーブルに戻し、インターホンを鳴らした者の方へ向かう。

玄関はしっかりと施錠をしている。

最近何かと物騒だから、用心に越したことはない。

チェーンロックを付けたままで扉をゆっくりと開く。


「はーい、今開けますよ。ハンコ出しま…」


俺の言葉最後まで言う事はなかった。

何故ならブツンと鈍く大きな金属音を立てて、チェーンロックが切れたのだ。

いや、切られたと言った方が正しいのか?

中央から切られたチェーンがだらしなく垂れ下がり、カチャカチャと音を鳴らす。

呆気にとられていると力強く。

と言うか勢い任せに扉が開かれた。


「ほう…。お前さんかい?うちに来るってのは?」


目の前にエッチなお姉さんが現れた。

白い服に身を包んだ、いやこれは服ではなく布か何か?

漫画やアニメで見た事が有るような天女が着ている様な出で立ちだ。

いや、そんな事よりもっ!


「あっ!あんた一体誰だよっ!チェ、チェーン切るとか!ご、強盗かっ!?

俺は今無職で金なんてほとんどないぞっ!」


俺が動揺しながらも当然の抗議をする。

チェーンの弁償は敷金からだろうかと考えてしまう。


「んじゃ、ちょっと失礼すんよ。…なんだい?突っ立てると邪魔だよ」


エッチで強盗で痴女っぽい女がずかずかと割って入ってくる。

思わず身体を避けてしまったが、慌てて踵を返して女の後を追う。


「あんたっ!人様の家で何のつもりだっ!警察呼ぶぞっ!!」


怒気を含ませた声で女を睨みつける。

情けないが足は震えているだろうが、それよりもこの得体の知れない女と

予測が出来ない状況に、頭がおかしくなりそうだった。


「お茶か何かないのかい?客人に対して気の利かない坊やだね」


「おまっ…!?誰が客人だっ!どう見ても居直り強盗の類だろ!!」


女の発言に反射的に返してしまう。

このエッチで強盗で痴女でふてぶてしい女の目的がわからない。

刺激して刺されでもしたら、たまったもんじゃない。

くそっ。

誰が坊やだ。

とにかく今は冷静に対処して、なんとか警察に連絡をしないと…。

俺がこの状況を打破しようとあれこれ思案している間にも女の催促は続いていた。


「喉が渇いたよ。早くお茶菓子も用意しな」


…微妙に増えてるじゃねーかよ。


変に手出し出来ない状況に、俺は渋々女の言われたままに、お茶とお茶菓子を

用意する事にした。

本当に渋々に購入したばかりのお菓子を開封する。


「…どうぞ」


「うむ。よきにはからえ。若人よ」


一体何様だ。

このエロボディは。

お茶とお茶菓子を先程まで載せていたトレイを握る力が強まる。

遠慮無く開封しては豪快にお菓子を頬張り、お茶を啜る。

一通り堪能したのか、ペロっと舌で口元をなぞる。

その仕草が妙に艶っぽくて、思わず目を逸らす。


「…ふぅ。ご馳走様。んじゃ本題に入るけど」


腹が満たされたのだろうか?女が本題と言ってきた。

金だろうか?

それとも考えたくもないが、俺の命…とか?

トレイを握ったまま身体が強張る。

額にかく汗が、やけに冷たい。


「お前さん、違う世界に行って人生変えてみないかい?」


「…は?それはどう言う意味で言ってるんだ?」


「そのまんまの意味さ。お前さん仕事探してるんだろ?

こことは全く違う世界で行きてみなよ。大丈夫。

必要最低限な保証はしてやる。募集要項にも記載してたろ?」


募集要項…?


そう言われてもそれに該当する様な物の記憶がない。

俺の訝しげな表情を読み取ったのだろう。

女が続けて話す。


「あんたは確かに手に取ったはずだよ。存在しない『11枚目』を」


「っ!?」


何かの悪戯や冗談で済ませていた。

俺は確かに手に取り、目を通した。

つい今さっき。

女がやってくる直前まで。


「あのふざけた募集要項はあんたの仕業か!?」


俺が変わらず強張った表情で問い正しても、女は表情を崩す事もなく

平然と答えた。


「こっちは至極真面目だよ。神様に誓って大真面目。

あっ。つっても私が神様だから自分に誓ってる事になるな…」


顎に手を置いて考えるように、言葉の語尾は尻すぼみになっているが

女の表情からはなんとも言えない雰囲気が醸しだされていた。


「あぁ、もうっ!面倒だ!とっとと私らの世界へ来なっ!

あんたは選ばれたんだよ。この世界の言葉で言えば『(えにし)』によってね。

異世界はあんたの常識が一切通用しない世界だ。

非常識で非合理で非合法かもしれない。

だがそんな世界にあんたは紙切れ一枚で選ばれた。

他の誰でもなく、天月志狼と言う人間がね」


身体を刺す様な眼で俺を見つめる。

女の言葉に何故か萎縮すら覚える。

子供の頃から散々読んできた漫画。

物心つき始めてから読みだしたラノベ。

思春期に釘付けになった乳首解禁アニメ。

そんな世界に憧れを持った事は一度や二度どころではない。

あれはファンタジーで空想なのだ。

俺は大人になったのだ。


目の前でいきなりチェーンロックを何らかの方法で切り落とし

図々しく人様の家で茶菓子を頬張る女の戯言だ。

どうして耳を傾けられようか。

どうしてそんな言葉が信じられようか。


……

どうしてこんなにもワクワクするのだろうか?

どうしてこんなにも心が引き寄せられるのだろうか?


今の生活に何も無い訳じゃない。

少なくても友達もいる。

勿論離れているが両親達もいる。

ただ…。

ただ、俺は…。


『そんな夢物語が大好き』だっ!!


女が確信めいた顔つきで聞いてくる。

もう俺が何を答えるのかわかっているのかもしれない。


「で?どうするよ?」


「いや、どうするって言われても…」


俺の心にはまだ見ぬ事柄に対する気持ちで満たされそうになっているのは事実だ。

しかし、この女の言葉全てを信じるには何もかも足りてないのも事実なのだ。

異世界等と言う心を(くすぐ)る言葉を信じるだけの確証が無い。


「煮え切らないねぇ…。お前さんも男だろ?

せっかく手に入れた縁だよ?無かった事にするかい」


掌を返し、呆れ気味に話す女に、意を決っして思っている事を話す。


「…証拠が。…確証がない。異世界だの言われても信じられるだけのものが!」


絞りだす言葉は期待と不安。

そんな俺の気持ちを察してか、どうかはわからないが自信に満ちた表情で女は言う。


「信じていいぜ。お前さんの目の前にいる私がその答えそのものだ。

異世界の女神、我『エルーダ』の名に賭けて」


エルーダと初めて名乗った自称女神が微笑む。

その荘厳な雰囲気に一瞬で部屋が神聖な場所へと変化した様に感じる。

この人の漫画の様な言葉が心を刺す。

見た目にはテーブル越しに、胡座をかいてるだけなのだが。


「覚悟は完了したかい?お前さんが行くと宣言した時からもう始まるぜ。

ようこそ異世界だ。あぁ、心配しなさんな。この世界と私らの世界とでは

少しばかり時間の流れも違う。この世界に戻って来ても不都合はねぇよ」


俺が少し引っかかっていた事も、答えてくれた。

要するに俺が『行く』と宣言しても不都合は今の所ないのだ。

ならば、このエッチな強盗で痴女なふてぶてしい女神様に向かって宣言して

やろうじゃないか。

宣言するだけなら金もいらない。

何も起こらなくても、それで俺の生活が変わる訳でもない。

こんな絵空事。夢物語に付き合ってやるんだ。

今俺はどんな顔をしているんだろう。


俺は呼吸を整え、大きく息を吸い込んで女神エルーダに向けて宣言した。



「俺、異世界に行きます!」



世界は明転した。

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