ピンポン球の密室(直美シリーズ2)
「見て! おじさま! いいでしょー! カヴァリの風呂敷よ。ママに、買ってもらったの」
直美は、きれいに折り畳まれたクワガタ模様の風呂敷を部屋の照明に向かって捧げ持って言った。
「おゃ、珍しい。美代の奴、『子供にブランド品なんて、もったいない』って、いつも言っていたのに」
「私、子供K-1音楽コンクールに篠笛で出場して準優勝したのよ。香雲先生にも褒められちゃった」
「それは、すごい! でも、篠笛に勝つなんて、優勝者の楽器は何だったんだい?」
「……それが、エレキ・カスタネットなのよ。信じられる?」
「まぁ、何を使うかではなくて、何を表現するかだからね」
私は、折角の明るい話題を暗い方向に叩き落としてしまったことを、後悔した。
「しかし、カヴァリはすごいよな。まさに、美と機能の融合。キャッチフレーズは『お台所から宇宙まで。世界のカヴァリ』」
「そうなのよねぇ。コップにしろ、パソコンにしろ、はたまた、船外活動コンポジット端末にしろ、機能的なのに、ため息が出るほど美しいのよねぇ。まさに、見るたびに発見がある。『ディスカバリー』の名に恥じないわ」
直美が、うっとりとして言った。
「いやいや、ちょっと待ってくれ。『カヴァリ』は、『ディスカバリー』の『カバリ』からとった訳じゃないぞ」
私は、両の手を振って制した。
「カヴァリの創始者・津鞠洋司氏に聞いたんだが、カヴァリは、もともと『シラカバ針』というブランド名でスタートしたらしい。それが、若者たちの間で人気に火が付くと、『かばばり』と略されるようになり、やがてそれが『カヴァリ』と変化したのを、正式に社名にしたそうだ」
「ふ~ん、でも、キャッチフレーズの『宇宙まで』って言ってるのに、『世界の』っておかしくない?」
「生物は地球にしかいないんだからいいじゃないか」
「あら、いるじゃない」
直美は、タブレットを取り出すと、定期購読している子供科学雑誌を表示させた。そこには、
「特集:人類が初めて遭遇した地球外生命体の驚異の生体」
という文字がデカデカと文字通り踊っていた。
「それは、細菌であって、知的生命体とは、とても言えないだろう。それに、その生物が発見されるのより先にキャッチフレーズができたわけだからなぁ。細菌が見つかったのは最近だ」
「親父ギャグと振り込め詐欺は、この世からなくなるべきだと思います」
そのとき、私は、子供科学雑誌に載っている記事に目をとめた。
「ほぅ、この生物の好物は、ある鉱物だそうだ」
「おじさま? 地獄の業火で焼かれるのと、天国の聖水で溺れ死ぬのと、どちらがよろしくって?」
直美は、満面の作り笑いを浮かべた。
「ま、まぁまぁ、ところで、その生物を発見したのが、そのカヴァリの社員だっていうのは知っているかい?」
「えぇっ? 嘘でしょう? だって、ここにも、JAXONが発見したって……」
「公的な発表ではね。人類史上初の地球外生命体の発見を日本に取られたってだけで、アメリカが地団駄踏んで悔しがることは容易に予想できたからね。これが、公的専門機関でなくて、専門外の一般企業なんてことになったら、発狂しかねないからね。優しい嘘って奴さ」
「ふ~ん、って、ん? えぇ? お、おじさま? おじさまって、その、津鞠洋司って社長と会ったことあるの?」
「あぁ、会ったさ、しかも、1週間ばかり、毎日ね」
「1週間も? どうして?」
「う~ん、実は、これが、また、怪盗ミルフィ~ユの偽物絡みだったりするんだな」
「また、偽者なの?」
直美は小首をかしげた。
「あぁ、犯行自体は本物並にすごいんだが、明らかに偽者だ」
「どうして偽者だって言い切れるの?」
「サインが違ったんだ?」
「えぇっ?」
「ミルフィーユのスペルはフランス語でmillefeuilleなんだが、怪盗ミルフィ~ユはmillefeuileって、後ろのLを1つ少なく書くんだ」
「……ねぇ、怪盗ミルフィ~ユって、バカなの?」
「いや、そうじゃないんだよ。登録商標はわざとスペルの一部を変えたり、大文字にしたりするんだよ」
「登録商標?」
「まぁ、会社やお店の名前とか、商品名なんかだよ」
「ふ~ん、そういうもんなんだ」
「ところがだ。その偽者の送ってきた予告状のサインのスペルは正しいL2つのスペルのミルフィーユだったんだよ」
「ふ~ん、でも、そんな奴のやったことなんて、大したこと無かったんじゃないの?」
「ところがどっこい、おそらく、史上最小の密室ミステリーだろうね」
「史上最小?」
「予告状の内容はこうだ。『今日から1週間以内に、貴美術館所有の真空水晶球内に侵入し、自慢のダイヤの指輪でサインを残します』この真空水晶球というのがピンポン球ほどの大きさの中身が空洞の水晶の玉なんだ」
「ちょっと待って、その真空水晶球とやらが小さいのは分かったけど、何? そのグダグダな予告状? 『今日から』って、滅茶苦茶話が急だし、『1週間以内』って、期間長すぎでしょ。何、それ、嫌がらせ? 警備する方の身にもなりなさいよ」
直美は、思い切り感情移入してくれたようで、オーバーに手を振り回した。
「良くぞそこに気付いてくれた。警察側もその点にムカつき、また、予告内容の不可能さ加減からも、無……いや、単なるいたずらとして処理することにした」
「そして、無防備なところを?」
「いやいや、今回もまた、うるさい連中が出てきてね」
「誰?」
「カヴァリの連中さ」
「えぇっ? どうして?」
「その真空水晶球を作ったのが、他ならぬカヴァリだったからさ」
「だったとしても、予告状のことは、どうして……? あっ、トゥーカの時と同じように漏れたのね」
「『同じように』ではないな。この事件の時に限って、予告状は警察にしか送られてこなかったのだ。だから、あの時よりは、遙かに漏れにくかったはずだが、そんなものはカヴァリの力の前では何でもなかっただろう」
「……警察、大丈夫?」
「漏らしてはいけない情報は、漏らしてません。事件の当事者しか知らないこととかね。と、とにかくだ。美術館の警報装置の強化と警察側とカヴァリ側から数人ずつ警備に当たることになった。そして、もちろん、その中に、私と津鞠洋司氏もいた」
「社長自ら?」
「あぁ、『これを傷つけられるのは、我が社の名誉を傷つけられるのも同じ』と言ってな」
「ねぇ、津鞠社長って、どんな人?」
直美は、少し考えてから言った。
「あぁ、それがな、とても大企業の社長とは思えない気さくな人でな。職人からの叩き上げって感じの人だった」
「……そぅ」
「それが、どうした?」
「うぅん、それで、結局、どうなったの?」
「あぁ、それが、6日目まで、何も起きず、7日目も、何も起きずに終わるように見えた」
「何も起きなかったんじゃないの?」
「警報装置にも何の反応もなかった。防犯カメラにも何も写らなかった。そして、何より、誰も何も目撃しなかった。しかし、最後に真空水晶球を確認してみると……」
「どうしたの?」
「真空水晶球の内側に怪盗ミルフィ~ユのサインがあったんだ。後ろがL2つのね」
「でも、それは、簡単に謎解きできそう」
「ほぅ、それは、興味深いね」
「その、最後に確認するときに、本物かどうか、カヴァリの人に鑑定してもらうんじゃない?」
「ほぅ、鋭いね」
「その時に、すり替えられたのよ」
「なめてもらっちゃ困るね」
「えっ?」
「老いたりと……いや、老いて円熟味を増すのが刑事ってもんだ。それは、真っ先に考えて、十分に目を光らせていた。神に懸けて誓うよ。その瞬間のカヴァリ社員によるすり替えはありえない」
私は、直美の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「そして、付け加えると、最後に鑑定したのは、いつも、津鞠社長その人であった」
「社長さんが?」
「あぁ、そして、君は、もう1つの謎についてはどう考えるんだい?」
「もう1つの謎?」
「どうやって真空水晶球の内側にサインしたか?」
「そんなの簡単よ。真空水晶球を2つに切って、サインして、また、貼り付けるだけでしょう?」
「それじゃあ、ダメなんだ。貼り付けるって言っても、どうやって貼り付けるんだい? 接着剤のようなものを使えば、切断面も接着剤も丸見えだ」
「溶かして貼り付けるっていうのは?」
「ガラスならできるかも知れないが、これは水晶だ。それと、もう1つ。光学的な方法で調べたんだが、サインされた後も、真空水晶球の中は真空のままだった」
「と、なると……」
「内部へサインして元に戻す作業は、更に大がかりにならざるをえない」
「その場で、ギコギコやるわけにはいかないわね。少なくとも、すり替える以外に……」
「何にだって、懸けられる。それは、ありえない」
「……サインされた後、真空水晶球の中を光学的に調べたって言ってたわね。他に、何か入ってなかった?」
「良くわかるな。『自慢のダイヤの指輪でサインを残します』という言葉を裏付けるかのように、ほんの微量のダイヤモンドが検出された」
「サインされる前には調べた?」
「そんな必要がどこにある?」
「それから、事件の後、カヴァリに『どうしても、真空水晶球が必要だ』と言われて、1度だけ貸し出さなかった?」
「良く分かったな」
「なるほどね。加工もダメ。すり替えもダメ。と、なったら、本当に、中に入って書くしかないでしょう」
「何をバカなことを言い出すんだ」
「何も人間が入るなんて言ってないわ。入れるサイズのものを入れておくの」
「ナノマシンか? いや、目に見えないサイズであのサイズのサインを水晶に彫るとなると……。それで、1週間か? いや、待て、サインは1週間かけて徐々に現れたんじゃなくて、1週間目に突如現れたんだぞ」
「それに、ナノマシンの問題点を1つ。水晶の削りカスが出るわ。これは美しくない」
「なるほど」
「カヴァリのやることではないわ」
「カヴァリがやったっていうのか?」
「えぇ」
「聞かせてくれ」
「事件の大分前、といっても、そんなに前ではないんだけれど、カヴァリが真空水晶球を美術館に寄贈する少し前に、カヴァリに暗雲が差すの。大口の融資が3つほど、同時にまとまらない方向へと流れ出したの」
「それで?」
「そして、この事件がおきる。そして、あるパーティーが行われるわ。かなり、急に、決まったようで、そのことに腹を立て、不満を表す参加者がいたことが、ネットに記録として残っているわ。この日付なんだけど?」
そう言って、見せて来た直美のタブレットを覗き込んだ。
「確かに、真空水晶球を貸したのはその頃だったな」
「そのあと、3つの融資が連続して決まっているわ」
「なぜだ?」
「おじさま、さっき、事件当事者しか知らないような情報は漏らさない、って、言ってたわよね」
「あぁ」
「偽者の怪盗ミルフィ~ユのサインの後ろの方のLが2個だったって言うのもそうなんじゃない?」
「あぁ」
「それを、事前にカヴァリが知っていたら、millefeuilleというサインが、カヴァリというサインの代わりにならないかしら」
「……ならんでもないが、だからなんだ? なぜ、怪盗の真似事が大口融資につながる?」
「話を少し戻しましょう。真空水晶球の中にいて、サインを書いたものはなんでしょう?」
「何なんだ?」
「それは、これよ」
直美が、こちらに向けたタブレットに映っていたのは、先ほどの子供科学雑誌の記事だった。
「な、直美? ほ、本気か?」
「えぇ」
「まず、第1にだな、それは、まだ、国のトップのごく一握りの人間しか触れられないものだ。第2に、そんな素性もよくわからん地球外生命体を、ひょいひょい地球に持ち込んだら、人類、いや、地球滅亡の危険があるぞ」
「んー、まず、第1に、この細菌を見つけたのはカヴァリの社員なんでしょ。その時、少しくすねておくことはできたわよね。第2に、……、うん、そういう奴を、きっとバカっていうのよ」
「つ、つまり、あれだな。『俺たちは、地球外生命体すら自由にするすごい奴らだぜー』って、ところを見せ付けて……。しかし、津鞠洋司氏が、そんなにバカだったとは……」
「……バカは、おじさまよ」
「へっ?」
「1番見せつけたかったのは、あくまで技術力よ。謎解きが途中だったわね。おじさま、津鞠洋司氏の印象を、もう一度言ってくれる?」
「きさくな、叩き上げの職人」
「津鞠氏は用心深くて、あまり表には出てこないんだけど、会った人は、皆、口をそろえてこう言うわ。『さすが洗練されている。デザイナー畑からの人は違う』」
「えっ!」
「おじさま、小さくしか写ってないんだけど、この写真を見て」
直美のタブレットに映し出された写真に目を凝らす。それは、彼の津鞠洋司氏に似ているようであった。
「彼の名は、飛龍卓。日本飛龍品質工業、通商、ひひひ工業の社長。ひひひ工業は町工場でありながら、他の追随を許さないダントツの技術力を誇り、ここが止まれば世界が止まる、といわれるほどよ。カヴァリの心臓部でもあるわ」
「どうして、カヴァリの中に入らないんだ? 重役にだってなれるだろうに?」
「あら? おじさまだって、刑事で終わるべきではなかったって、神田警視がいつも……」
「まったく、下らんことを言う男だ。真に受けるんじゃありませんよ」
「で、まぁ、謎解きの続きね。この地球外生命体のエサは炭素。もともと宇宙空間で生きていたから、真空中でも生きられる。真空水晶球の内側に怪盗ミルフィ~ユの偽のサイン形の溝を作っておき、加工したダイヤモンドで埋める」
「おぃ、軽く言うけど」
「軽く言ってるつもりはないわ。神をも超えた技であることは確かね。ねぇ、真空水晶球の警備のその日の最後に、台座か何かに真空水晶球を戻すとき、津鞠氏、つまり、飛龍氏は、真空水晶球の向きを気にしていなかった?」
「そういえば、確かに、今にして思えば、真空水晶球は、ほぼ真球なんだから、向きも何もないよな」
「おそらく、サインのある方を下にしていたのね」
「おいおい、ぱっと見てサインのある場所が分かるくらいなら、私だって気づいたはずだぞ」
「見たんじゃないわ、触ったのよ」
「ん?」
「触って、わずかな歪みを感じて、目印にしていたのよ」
「わずかな歪みって、1マイクロメートル以下だぞ」
「そのくらい、朝飯前だったと思うわ」
「しかし、何で、こんなことをしてしまったんだろう?」
「カヴァリの重役たちにさせられたんでしょうね。彼に、細菌が持ち出せたとは思えないし、おそらく、職人魂に火を点けられてしまったんでしょう。細菌は、水晶球に閉じ込めておけば、絶対安全だとか言われて」
「なるほどね、ま、今回は、子供科学雑誌の記事に助けられたな」
「そうよ、結構役に立つんだから、ほら、『豆知識:最近の研究で、少しずつだが、水晶も腐食させることが分かった』」
直美がタブレットをパタリと取り落とした。
ダッシュをっ切ったのは、ほぼ互角。玄関で2人、もつれた。
「おじさま、邪魔よ。地球が、地球がー!」
「直美ーっ! 私が、先に行かなきゃ車が出せんだろうがー!」
そのとき、直美の母の美代の声が聞こえてきた。
「あんたたち、どこ行くのか知らないけど、電話持って行きなさーいっ」