20話 陸地は素晴らしい!?
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目の前に広がるは海、ではなく黄河だ。
本当に広いな、これ。川なのに対岸が見えないや。
そういえばここで水軍の調練をするんだよな?
でもまだ誰も来てないし、早く来すぎたのかな?
あ、そうだ。一度やってみたいことがあったんだ。試してみよ、と。
「小角、遅いわね」
黄河の港に置かれた船の横で孫権が小角を待っていた。
「あやつ、遅刻とはふざけてますよ、蓮華さま」
隣に立つ甘寧が苛立ちながら言う。
「でも部屋にはもう居なかったわよ。それに朝早くから出ていくところを兵が見てるわ。もしかして迷子とか、かしら?」
「もうこれ以上は待てません。他の兵にも影響が出ます」
「そうね、いいわ。先に始めましょう」
そう言って孫権と甘寧は船へと乗り込んだ。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、ほ………」
「……………」
「……………」
船に乗り込み、調練を始めて半刻が過ぎた頃、孫権たちは小角を発見した。
「あれは何をしているのかしら?」
「………」
孫権の問いかけに無視、いや唖然とし過ぎて聞こえていない様子の甘寧。
「ねぇ思春、水軍を長いこと率いている貴女なら分かるかしら?」
「……ま」
「ま?」
「丸太を転がしながら川を渡っています」
そう。今、僕は丸太の上に立ち、ランニングマシンのように上で走って少しずつ進んでいた。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、………」
あぁ。楽しいな、これ。あまりに楽しくて対岸まで行って往復してきちゃった。
「おい、貴様。何をしているんだ」
甘寧が船の上から威圧的に喋りかけてきた。
「あぁ、どうも興覇殿。これは丸太船と言いまして、本来は長い竿を使い、移動するのですが。手近になかったもので人力運航中なのですよ」
はは、と爽やかな汗を流しながら僕は答える。
「貴様、確かに今日は水軍の調練へ参加するのではなかったのか?」
「…………あ。忘れてました」
これ意外に楽しいのですよ。
―――ぶちっ。
ん?何かの切れる音?
「………そうか、丁度いい。舵をあの丸太に向けろッ!?今から実施訓練を行う!」
そう言うと船員が舵を切り、僕の方へ船端を向ける。
「ちょ、ちょっと思春、落ち着いて」
「ふふ。……水軍の恐ろしさ思い知らせてやる」
孫権の言葉も聞かず、甘寧は黒い笑みを浮かべる。
「おや?こちらに突っ込んできますね。なにやら琴線に触れましたかね?」
まぁいいか、と呟いて、こちらも迎え撃つ体勢をとる。
「……役幺戯、遊び迎える」
そして黄河に船対丸太の世にも奇妙な海上戦が始まった。
「ハ~ハッハッハッ。どうしましたか?そんなことでは僕の船は沈みませんよ?」
「くっ」
「甘寧将軍、駄目です。また避けられました」
最初船によって転覆を計っていたが僕が巧みに丸太の上を動き、操舵して避ける。
「江族とは名ばかりですか?丸太一つ沈められないとは……」
「――なっ!?」
それを聞いて甘寧を含む船員全てのこめかみが動く。
「し、思春?」
プルプルと震える甘寧に声をかける孫権だが―――。
「………ろ」
「え?」
「――アイツを今すぐ沈めろぉぉぉ!!」
『おぉぉぉ!!』
甘寧の激に水軍の兵が応える。
「弓だ。弓で狙い打つぞ」
兵の一人が弓を取りだし、狙いを定める。
あは。確かに弓はいいかもしれませんけど………。
「甘いですね」
丸太の上で軽業師のように、前へ後ろへ、右へ左へ、自由自在に丸太を渡り歩く。
「くそッ、もっと大人数で狙うんだ」
「応!」
十数人の兵が弓を構え、一斉射。
「うん。妥当な判断…………でも甘い」
僕は丸太の一方に重心を移動する。
それから思いっきり体重をかけて、もう一方を水面から高々と上げる。
そして下に降り下ろす。
辺りに水柱が立ち、矢の飛来を妨害した。
「くっ」
甘寧は苦虫を潰したようなような顔をする。
そこへ―――。
「か、甘寧将軍!」
「なんだッ!?」
「か、舵が………舵が操縦不能です」
「なんだとッ!何故だ、整備は万全のはずだろ!?」
「それが………」
出航前の確認では何も異常はなかったはずだった。
「丸太船の特徴としましては、水草の大量生息地域においても運航に支障がないことですね」
僕は丸太の上から話しかける。
ただし丸太は横でなく縦に、黄河に突き刺さるような形になっているが………。
絶妙なバランスで丸太を保つ。
「さて、そちらは運航不能。対してこちらは…………疲れました」
『――は?』
僕は前方に丸太を傾け、船に乗り込む。
「流石に疲れますね。ふぅ、いい運動をしました」
額の汗を拭って、一息入れる。
「おそらく水草が舵に絡んだのでしょうね」
僕はそう言ってみる。
「水草?……いや、この辺りは航行の邪魔になる水草などは……」
「まぁ偶々、でしょうね。しばらくじっとしてれば動けるようになるでしょ」
僕はひらりと船端に向かう。
「それまで日向ぼっこでもしてますね」
「小角、少し聞きたいことがある」
船端にいる僕に甘寧が話しかけてきた。
船はしばらくして無事に運航を再開した。
「ここら一帯には船に絡むような水草は無いはずだ」
「………それが?」
「貴様が何かしたのか?」
鋭く睨む甘寧。
「…………」
「答えろッ!?」
鉈のように太い得物を抜く。
「………い」
「は?」
「――――気持ち悪い、です……」
僕、真っ青。
「なっ!?何を………って、おい。しっかりしろッ。おいってば!」
「きゅー………」
ぐるぐると目が回っている僕。
どうやら僕は船は駄目らしい。
うう。……吐きそう。
「う~~ん。陸って素晴らしい!!」
いや、なんとなく言ってみただけですよ?
真っ青な蒼天を見上げて、大きく伸びる僕。
―――ガキンッ。
そんな時、金属のぶつかり合う音が響く。
「ん、あちらからですかな?」
僕は音のした方へ向かっていく。
そこでは――――。
「はぁぁ!」
―――ガキンッ。
孫権と甘寧が鍛練をしていた。
「蓮華さま、まだ踏み込みが甘いです」
孫権の剣を軽々と受ける甘寧。
「くっ。その余裕、今日こそ崩してみせる」
「今度は単調になってます」
鍛練は続くが孫権が甘寧に一撃入れるのは難しそうだった。
「はぁぁ!」
金属音が響く。
「そうです。今の感じです」
と言うかさっきから孫権しか攻撃してない。
やはり主に剣を向けるのはひけるのかな?
「では、こちらからもいきますよ、蓮華さま」
あ、違ったみたいだ。
「……なっ!?――くっ」
今度は打って変わって、甘寧の攻撃が始まった。
あぁ、こりゃ駄目だな。
甘寧の攻撃は速く、そして重い。孫権は受けることしか出来ず、防戦一方だった。
―――ガキンッ!?
と孫権の剣を弾き飛ばす甘寧。
………って、こっち飛んできてません?
――ザク。
僕の目の前に刺さる剣。
「少し休憩しましょう、蓮華さま」
「いや、私はまだ……」
汗を流しながもまだ続けようとする孫権。それに対して甘寧は汗どころか息すら切れていない。
「いえ、私が少し休憩したいのです」
甘寧が言う。
「しかし………」
「あまり根を詰めては鍛練も意味ないですよ?」
「え?小角、いつからそこに居たの!?」
「つい先程です」
横から声をかけた僕に驚く孫権。
気づいてなかったのか。甘寧は気づいていたみたいですけど………。
「鍛練とはあまり根を詰めすぎるものではありませんよ、仲謀殿」
そう言ってタオルと水を取り出す僕。
「あら、用意がいいのね」
「たしなみ程度ですよ」
ふふふ。僕のポケットは未来の猫型ロボット並なのだ!!
…………嘘だけど。
「興覇殿もどうですか?」
僕はもう一組を取り出す。
「いや、結構だ」
素っ気なく返される。
「小角、それをどこに仕舞っていたの?」
孫権が聞いてきたので……。
「禁則事項です」
口元に指一本を立て、片目を瞑る。
お約束というやつで、一つ……。
「おい」
そんなやり取りの中、甘寧が声をかけてきた。
「僕ですか?」
自分を指しながら分かりきったことを確認。
「そうだ。暇なら鍛練に付き合え」
どういう流れで?……と言うかもう構えてるじゃないですか、甘寧さん?
「蓮華さまがご休憩なさる間、私の相手をしろ」
「さっき休憩したいと言って……」
「もう済ませた。さっさと構えろ」
「もしかして興覇殿、水上訓練のこと根に持って………」
―――チリン。
僕の首に甘寧の得物が添えられる。
「………気にしてない」
「そうですか、それはよかった」
模擬刀ですよね?冷たい感触は気のせいですよね?
「私も小角の武を見てみたいわ」
汗を拭きながら孫権が言う。
「はぁ。じゃあこれを……」
と僕は懐からあるものを取り出す。
「これは?」
それは瓢箪形をしたものの中に砂を入れたもの。
「これは砂時計と言いまして、これを逆さにすると……」
砂が下に向かって落ちていく。
「こうやって正確に時を刻むんです」
「へぇ、珍しいものを持っているわね」
「商人ですから。これが落ちきるまでお付き合いしますよ、興覇殿」
「……ふん」
「では仲謀殿、お願いします」
砂時計を孫権に渡して、僕は甘寧と対峙する。
ヤル気満々の甘寧さん。
えぇと、殺気満々ですよ?鍛練ですよね?
「さっさと構えろ……」
「……えっと、僕は武人じゃないので、構えってものを知らないんですよ」
だからこの自然体が構えです、と付け加える。
「では、両者………始めッ!?」
孫権の合図で模擬戦が始まる。
「はっ!」
先手必勝とはがりに甘寧が猛攻を仕掛ける。
その剣撃の軌道に鞘の横に添える形で受け流す。
甘寧の一撃は受け止められるわけでなく、流れるように軌道を逸らされる。
「……ちっ。これならどうだ!?」
苛烈に攻める甘寧だが、それを全て逸らし、流す。
金属のぶつかり合う音のしない静かな闘い。
「はぁ、はぁ、はぁ………くっ!?」
いくら打ち付けても受け流され、しかも手応えもなく、まるで空気に打ち付けているかの錯覚すら思わせ、必要以上に疲労する甘寧。
「凄いわ。あの思春が息を切らしてるなんて……」
孫権はその闘いから目が離せずにいた。
しばらくそんな闘いが続き………そして。
「……あ。興覇殿、少しお待ちを」
僕が止める。
「はぁ、はぁ。なんだ?」
「時間です」
と僕は砂の落ちきった砂時計を指す。
「あれが落ちきるまでとの約束でしたよね?それでは僕はこれで……」
二人に礼をして僕は帰る。
ふん、いい息抜きができました。
「凄いわね。思春の攻撃を全て受けきるなんて………」
「…………」
「どうしたの、思春?」
「あの男一度も自ら攻撃してこようとしませんでした」
「それもそうね。でも思春の攻撃を受けるのに手一杯だったのじゃないかしら?」
「いえ。いくらかは機会があったはずです。しかしあの男は………」
二人は男の去っていった方を見つめる。




