18話 小覇王との邂逅
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「いつになったら着くんだよ、次の町」
広野の真ん中で嘆く郢士。
「まぁ、その内着くでしょう。地面は続いているのですから」
「てかなんで馬を使わないのさ」
「馬が疲れるじゃないですか」
「今はアタイらが疲れてるよッ!?」
ゲシッと蹴りを入れる郢士。
はぁ、暴力反対です。
「まぁ冗談はさておき。そろそろ着く頃なんですけどね」
僕は遥か地平を眺めて言う。
「本当ですか?これなら曹操さんの所にいた方がまだマシだよ」
「いや、あそこにはもう用ないし」
「最初から用なんてないじゃなのさ」
「いやいや、一つだけあったんだよ、それが」
はぁ?といった顔をする郢士。
でもこれ言うと郢士、絶対に僕を蹴るよな。
「何なんですか、その用って?」
えぇい、ままよ。
「……朝夜に猫耳を付けさせる」
「―――////な、ななな、何言ってんだよッ!?それにアタイがいつ猫耳なんか……」
かなり動揺している郢士。
「朝夜は一つ勘違いをしていますね。僕は寝起きの時は確かに朦朧としてますけどそれは意識で記憶ではないのですよ」
「それがどうしたのさ」
「だから朝夜が夜這いをかけた時の記憶はそっくりそのまま残ってます」
「―――なッ!?」
ふふふ、甘かったですね、朝夜………って何を足を踏んばって……え?気をためて?
「記憶ごと消えろぉぉぉ!!」
はい。思いっきり蹴られました。
と言いますか、まさか楽進から気の使い方を教えてもらっているとは………。早く言って下さい。
「やっと着いたよ。旦那がノロノロしてるからだよ」
「いや、朝夜が僕を蹴り飛ばしたことの方が大いに時間を割いたと思う」
なんとか夕暮れには町に着けた僕ら。
てか朝夜、ますます逞しくなってもうそこらの一兵卒にも劣らないよ?将来有望だな、はは。
「まぁ何はともあれ、泊まる所の確保が先決ですかね」
「ここには旦那の知り合いとかいないの?」
「そうですね………」
いるにはいるのですけど、と付け加えるも気乗りしない僕。
「うん?また項蘇みたいな奴なの?」
この前の洛陽ことを思い出す郢士。
「いや、またあれとは違って………」
うむ。別の意味で会いたくないんだよな。
「――ずびばぜん」
『――ッ!?』
いきなり背後から声をかけられ飛び退く僕ら。
「ずびばぜん、びょうぎ殿」
おぉう。ヘンテコな名前になってしまった。
「だ、旦那の知り合い?」
「残念ながら……」
そこには商人が涙と鼻水を垂らしながら立っていた。
「それで何をしてるんですか?」
「……ぐすん」
商人は若く、まだ10代であるかのようだった。
「幺戯殿が……ぐす………近くにこら、ぐす、来られていると聞いて城門の前で、待って、て……」
青年はしゃくりあげながらも喋る。
「それっていつから?」
「……四日前」
『………』
僕と郢士が絶句する。
いや、何も悪くない。あえて言うならタイミングが悪い。
「ぐす、でも良かったです。幺戯殿に生きて会えて」
「て言うかお前、店は?」
「……え?―――うわぁ!そうだった。すみません、ちょっと席を外します」
と言って青年は走り去っていった。
残された僕らは………。
「はぁー。仕方ない、行きますよ、朝夜」
「え?どこに行くのさ?」
「僕の店、ですよ」
僕は空を仰いでから、ため息を吐く。
そこでは先程の青年が商人を指揮していた。
右手には帳簿、左手には算盤、顔は書簡に目を向け、口は指示を出し、耳は商人たちの声を聞いている。
先程まで泣きべそかいていた人物とは思えない。
「…………」
だから郢士が唖然とするのも無理はない。
「朝夜、よく見ときなさい。あれが商人の天才というやつだよ」
僕らは光の早さで仕事を処理する青年をしばし見つめていた。
「ふぇ~~終わりましたぁ」
青年は板間に倒れ伏す。
「終わったかい?」
僕らは店の奥でお茶を頂きながら、待たせてもらっていた。
「ふぇ!?よ、幺戯殿ッ!いつの間にこちらへ!?」
「相変わらず仕事熱心だね、キミは」
全く気づいていなかった様子の青年。
「す、すみません。自分は仕事中周りのことが見えなくなってしまって………」
「いや、いいよ別に。それよりもこっちに来て下さい」
と僕は青年を招く。
「朝夜、こちらは項妲。項妲、こっちは郢士。僕の丁稚」
互いに紹介させる僕。
「初めまして、郢士さん。自分は項妲と言います」
常に低姿勢は彼の癖だ。
「どうも。初めまして。アタイは郢士です。………ねぇ旦那。項って……」
「あぁ、うん。項蘇の倅だよ」
「へぇ…………ってえぇ!?」
驚く郢士。
まぁ無理もないけど。あの父にしてこの子だよ?どんな遺伝子操作だよ。
「あぁ。父をお知りですか。はは、まだまだ父には及ばない、若輩者ですが……」
「いや、確実に及んでるよ」
郢士の呟きは項妲には聞こえなかったようだ。
「それで項妲、少し頼みたい事があるんだけど」
「はい。何ですか、幺戯殿?」
「少しお金を貸して欲しいんだけど……」
「では今すぐお店を売りに出して作ります」
「いやいや、そこまでしなくていいからッ!?」
後、店の権利書を仕舞え。
「えっ、でも………」
「僕は“少し”って言ったんだよ?」
「えぇ、ですから……」
意味分からんッ!?
「あぁもういい。泊まるための代賃だけでいいんだ」
「それでしたらウチにお泊まり下さい」
そうだよな。こういう流れになるんだよね、結局。
「旦那、旦那」
郢士がクイクイと袖を引く。
「項妲って変な人?」
僕にだけ聞こえる声で喋りかける郢士。
「―――そうだよ」
だからここはあまり来たくないんだよ、別の意味で。
「旦那、アタイら何もしなくていいの?」
「いや、だって項妲が……
『幺戯殿やそのお連れ様を働かせるわけにはいけません。父からお叱りを受けてしまいます』
……て言うんだもんな」
その父は率先して僕を使っていたけど……。
「まぁ、楽なのは別にいいんだけどさ、アタイ」
「はぁ、町にでも出掛けますか……」
いたたまれなくなって町に出ていく僕。
なんだか30過ぎても親の脛をかじるニートになった気分だ。
陽州、もっと言えば江東は今は孫家が治めている。
長いこと袁術にこき使われて、ようやく念願叶っての独立だった。
まぁ、あの袁術なら………ねぇ?
そんなわけで町は中々の賑わいだった。
そんな中僕らはぶらぶらと当てもなくなく歩く。
「あ、手握りますか?」
「――///」
――ギュッ。
えぇと、僕としては冗談のつもりだったのですけど。
まぁ、いいですか。
「ふむ、何か食べますか?」
僕らは露店を物色して適当に食べ歩く。
そんな最中………。
「きゃー!」
あれ、なんか前にも似たようなことがあったような?
そこには老人を盾にした黄色い布を巻いた男がいた。
「ふむ、黄巾党の残党かな?」
あぁ、そうだ。魏にいた時もこんなことあったんだった。
しかし今はただの商人ですからね、関わらなくても………。
「旦那、行きましょう」
僕を引っ張っていく郢士。
「え?ちょっ、朝夜、何を?」
「何って、あの人を助けるんです」
えぇと、朝夜さん、いつから熱血漢になられたのですか?いや、熱血女か?
そのまま引っ張られて騒ぎの所まで来てしまった僕。
中心には黄巾党の残党と老人、それを取り巻く兵士、そして………。
「お婆ちゃん!」
すらりとした体、しかし主張すべき所はキッチリと主張した桃色の長髪の女性が長剣を携え、対峙していた。
「ほら、朝夜。僕らが関わらずともなんとかなりそうですよ?」
「どう見ても膠着状態じゃないのさッ!?」
いや、だから大丈夫だって。さっきからなにやら離れた所で数人の兵士が動いてるから………。
「もう、いいよ。アタイが何とかするから」
「朝夜、待ちな――」
僕の制止も聞かず、騒ぎの真ん中に躍り出る郢士。
「そこのアンタ!そのお婆さんを放しなよッ!?」
「なんだ、テメェ。餓鬼はすっ込んでろ!」
突如として登場した郢士に男も女性も驚く。
しかし相手が子供だと分かると男は面倒そうにあしらう。
「アンタ、恥ずかしくないの?そんなお婆さんを人質に取って」
郢士は双剣を抜き、構える。
魏で各武将に教えを受けただけはあり、様にはなっている………が。
「なんだ?子供の遊びなら他でやれ」
「なんだと!?遊びかどうか、試してみろぉ!?」
郢士は構えのまま、男に突っ込む。
「ふん」
「――なッ!?」
それはあっさりと受け流され、逆に双剣を弾かれてしまう。そして首に男の得物が突きつけられる。
確かに郢士は今までより強くはなったが、大人と子供。そして圧倒的に実践経験が足りない。
「ウゼェな。弱いくせに意気がってるんじゃね」
「……全く、その通りですよ、朝夜」
「あぁ?今度は何だ?」
僕は見かねて、前に出る。
「いや、その子の保護者ですよ」
僕は手を広げて、戦意がないことを示してみるが、これって逆に怪しくない?
「保護者だぁ?保護者ならキチンとしつけてもらわなくちゃ困るぜ」
「とんだじゃじゃ馬娘でして、ご迷惑お掛けしまして申し訳ない」
僕は肩を竦める。
「……旦那ぁ」
「旦那、だ?」
郢士の言葉にピクリと反応する男。
「まぁ。今は項妲という商人の所でお世話になっているしがない旅商人ですよ」
「項妲ってここいらで一番の大店じゃねえか。へへ、それはいいことを聞いたぜ」
そう言うと男は老人は突き放し、代わりに郢士を人質にする。
「――ッ」
首に刃物を突きつけられる息を飲む郢士。
「あんな死に損ないの婆よりこっちの方が良さそうだよな、なぁ兄ちゃん」
下劣な笑みを浮かべる男。
「……下衆が」
女性が老人を保護しながらも、男に向かって吐き捨てる。
その目はまるで野生の虎のように獰猛な瞳をしていた。
「で、交渉といこうや。得意だろ、商人さん」
「………」
相手の意図が分かる。大方、身代金あたりとここからの逃亡だろうな。
「―――い」
「……あ?」
相手が何かを言う前に郢士が呟く。
「旦那に迷惑をかけるくらいなら――」
そう言って自ら、刃物に首を―――。
「……あ、さや?」
一瞬、意味が分からなかった。
僕の目の前に慌てふためく男と血の着いた得物、そして倒れ付す郢士。
「ちっ。この餓鬼、自分から……」
慌てる男の後ろに先程からいた女性が長剣を振り上げた状態を見た僕。
「――死ね」
―――ガキン。
それは男の首には届かなかった。
「―――ヒィ!?」
一足遅れで男の悲鳴が聞こえる。
「……何のつもり?」
「うん?」
僕の剣が女性の長剣を受け止めていた。
「何故、その男を助けるの?」
鋭く射る女性。
「まぁ、そうですね。これを貴女に殺させるのは癪ですから」
そう言って僕は男に向き直る。
「……な、何だよ。こいつが勝手に――」
「――煩い」
僕は男の瞳を覗きこむ。そこには僕の能面のような顔が映しださられいた。
「―――――――。―――――、――――。―――、――――、――――、―――。―――――。―――――、―――、――――――、―――」
僕は男に何かを囁く。
「……………」
男は放心状態だった。
「ふん、下らない」
そして僕はその場を後にするのだった。
「朝夜。君はお世辞にもよい子じゃなかったですね。朝夜がしたことは確かによい行いでしょうけど」
僕は誰に言うわけでもなく呟く。
「無謀は勇なきものがすることだよ?自分の器を計るべきでしたね。まぁ、それも後の祭、今言った所で詮無きこと――」
『アタイは死んでねぇぇぇ!!』
シダバタと寝台で暴れる郢士。
「知ってますよ、朝夜」
僕は涼しげな顔で寝台の隣に座る。
「なんだよぉ、旦那。まだ根に持ってるのかよ。悪かったって言ってんじゃんかよ」
バツが悪そうに口を尖らせる郢士。
先日の事件の後、朝夜はその場にいた女性の知り合いの医者に診せたところ…………このように生きている。
どう見ても出欠多量だったはずなのですけど?
「またやってるわね、貴方たち」
そう言って部屋に入ってきたのは先日の女性―――孫策だった。
「あまり郢士ちゃん苛めちゃダメよ、小角」
「苛めてませんよ、伯符殿。弄っているだけです」
おどける僕に肩を竦める孫策。
「本当に仲がいいわね。郢士も大分良くなったみたいね」
「お、お陰さまです」
ペコリと頭を下げる郢士。
「ふふふ。いいわよ、別に。二人には私も助けられたんだから」
とても王とは思えないフランクな態度の孫策。
「あぁ、そうそう。郢士ちゃん、少し小角を借りるわよ?」
「え?あ、はい」
「ごめんね、すぐ返すわ」
そう言って僕を部屋の外へ連れ出す孫策。
あ、嫌な予感がしますよ。
「ねぇ、小角?……」
「お断りします」
先の先を取る僕。
「まだ、なにも言ってないじゃない」
「そうですね。では続きをどうぞ……」
「貴方、ウチで働く気、無い?」
「はい。お断りします」
「ぶ~ぶ~、少しは考えなさいよ」
不貞腐れる孫策。
いや、本当これで王なのですよね?
「答えは決まりきっていますから」
「なによ、言い値で雇ってあげるわよ?」
「はぁ。と言いますか、伯符殿。何故、僕を雇おうなど、と?」
「う~ん……勘かな?貴方なんだか使えそうだし……」
それに、と意味深に言葉を繋ぐ孫策。
「―――貴方は敵に回す方が嫌な感じがするわ」
と僕を見据えて言った。
勘と言いながらも、その目には確信に満ちていた。
「でも勘ですよね?」
「えぇ。でも私の勘は外れないのよ?」
はぁ。直感というやつですか………。
「おぉ、居た居た。お~い、孫策さん、小角さん」
遠くから長身の青年が僕らに近づいてくる。
「あら、華陀じゃないどうしたの?」
青年―――華陀が孫策の知り合いの医者だ。
「ちょっと小角さんに用事があってな」
なんだろう、この声。とても叫んで欲しい。
「僕に、ですか、元化殿?」
「あぁ。この材料なんだが、いくつか心当たりはないか?」
そう言って古びた本の一頁を見せてくる華陀。
「ふむふむ。このあたりでしたら項妲の店にあると思いますよ」
「そうか、それは助かる。丁度城の備蓄も切れていて困っていたところなんだ」
「あら、何の話かしら?」
孫策が僕と華陀の間に割り込み、本を覗き見る。
「あら、あらあら。何かしらね、これ」
「これは薬の調合法だ。前に孫策さんから頼まれていただろ?それに必要なんだ」
「蓮華のこと?………もしかしてこれを蓮華が飲むの?」
「あぁ。何か問題でもあったか?」
「いや、問題と言うか………。蓮華にはこの中身を見せた?」
「………いや。見せないでおこうと思うんだが」
「そうね。それが良さそうね」
二人してなにやら暗い表情をしている。
「それじゃあ、項妲のところには僕から言っておきますね」
「あぁ、頼んだ。俺は残りの材料を集めてくるから」
そう言って華陀は来た道を戻っていった。
僕らはしばらく華陀を見送る。
「それじゃ、僕はこれで……」
「そうね………って逃がさないわよ」
……チッ。
「はぁ、仕方ないわね。そこまで嫌がるなら無理強いはしないわ」
「それは助かります」
「まぁ郢士ちゃんが完治するまでウチで面倒みるからその間に決めてちょうだい」
「はい。分かり……まし、た?」
あれ、何かおかしくない?
僕、キチンと決めていたはずでは………?
「それじゃ~ね」
ヒラヒラと手を振って去っていく孫策の背中を見送りながら疑問に思う僕。




