17話 姉思いの妹と覇王との月見酒
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「これはここでいいのですか?」
「あぁ。そこに置いといてくれ」
僕は只今、夏侯淵の部屋に書簡を届けに来ています。
「あの、夏侯淵殿?」
「ん、なんだ?何か問題でもあったか?」
「あ、いえ問題と言うほどでは。ただ今回の案件、とても重要なものに見えたのですが……」
僕の主な仕事、文官。主な仕事、ぶ・ん・か・ん。これ重要。
大体が金銭関連。今までは細事の財政管理だったのが今回はどう見ても国の中枢に関わるものだった。
だって桁が三つくらい増えてるんですよ?
「何を言っているんだ、小角。勿論、我が魏の中枢の予算案に決まっているだろ」
何気もなく答える夏侯淵。
「いや、普通、客将に、しかも入って日もない者に任せる仕事じゃないですけど……」
「華琳さまは能力の高い者ならどんな者でも使う方なのさ」
僕の提出した案件を見ながら答える夏侯淵。
その動作には無駄がなかった。
「もし僕が疚しい(やましい)ことしていたらどうするのでしょうか?」
「ほう。疚しいことをしているのか?」
「まぁしてませんが………」
「それに華琳さまはお主が私利私欲に走る輩でないことぐらいお見通しだろうさ」
まぁ私利私欲に走るのなら最初の誘いで受けるだろうがな、と付け加える。
「まぁ、あまり大変な仕事は回さないで下さいね」
僕はそう言って部屋を出る。
「大変な、か……」
手元の書簡を見て呟く。
「この案件をたった数日で仕上げる者に大変なものなどあるのだろうか?」
その案件はここにいる優秀な文官たちが数ヵ月は掛かるであろう案件だったのだが、それを他の軽い案件と共に出しに来た小角。
「全く。驚かされっぱなしだな、お前には……」
そうして仕事を続ける夏侯淵。
今日は非番。
ふふ、ふ~ん。何をしようかなぁ~。
あ、そうだ。新作の猫耳のアイディアがあったんだ。今日はそれをまとめよう。
うむ。そうと決まればさっそ―――。
……ぐぅ~。
先ずは腹ごしらえからですかね。
そうして僕は厨房へ向かった。
「おや?何やらいい匂いがしますね」
厨房へ近づくにつれて段々いい匂いがしてきた。
はて、料理人の方ですかね?
まぁとりあえず行ってみましょう。
「……あら、小角」
そこには曹操と―――。
「がるるる」
「おや、どうかしたのか?」
夏侯惇、夏侯淵姉妹がいた。
それにしても夏侯惇殿、貴女、人をお辞めになったのですか?
「あぁ、姉者のことは気にしないでくれ」
「……そうですか」
「それより、どうかしたのかしら?貴方が厨房に来るなんて珍しいわね」
「いや、少し小腹が空いたので何か作ろうかと………」
と言ったと同時に夏侯淵が料理中なのに気づく。
ずっとラフに喋ってたから気づかなかった。
「がるる。小角、お前にはやらんぞ!」
「何も言ってませんし、何故、元譲殿が答えるのですか?」
少し見ただけで牽制とばかりに睨み付ける夏侯惇。
「ふふ~ん。それは秋蘭は私の為に作っているからだ」
夏侯淵に目配せするとその通りだと返してきたので夏侯惇の妄想ではなさそうだ。
「あら、私も食べてはいけないのかしら?」
「へ?あ、いえ、華琳さまは別です、別」
曹操が夏侯惇をからかう。
まぁここに同席してる時点で食べられるのは確定していたはずだが、意地が悪い。
「ふむ。そう言うことでしたら、取るのは悪いですね」
「ん?別に構わないぞ、小角」
気を利かせて、そう言ってくれる夏侯淵。
あの姉にこの妹。世の中バランスがとれてることで………。
「いえ。元々自分で作って部屋で食べるつもりだったので、厨房を少し貸してくれればそれで十分です」
「そうか。私のほうはもう蒸すだけだから後は好きに使ってくれ」
手に焼売を乗せたお盆を抱えて、蒸し器の所へ行く夏侯淵。
「ではお言葉に甘えて………」
先ずは残り物チェック。
ふむふむ。…………炒飯にしますか。
さて、サクサクとしますか。
切って、炒めて、まぶして、隠し味を少々、はい、出来上がり!?
「あら、中々手際がいいじゃない」
「はい。無駄のない動きです」
僕の調理を見て、感想を洩らす二人。
まぁ郢士が付いてくる前から一人旅だし、自炊もできないとね、最低限。
「……それにしても最後に入れたのは、なんなのだろう?」
「うむ。まぁまぁですかな。急拵え(きゅうごしらえ)にしては及第点、ってところで一つ」
「誰に言ってるのよ」
独り言、もしくは天の声です。
「それではお邪魔しました」
僕が炒飯と共に厨房を出ていこうとすると………。
「ちょっといいか、小角?」
夏侯淵に止められた。
「……?何ですか?」
「少し味見させてくれないか、その炒飯」
僕の持つ簡易炒飯を指して言う夏侯淵。
「……?別に構いませんよ」
僕はレンゲと炒飯を夏侯淵に渡す。
「ふむ。では頂こう」
少し眺めてから、レンゲで炒飯を掬い、口へと運ぶ。
味を確かめるように咀嚼している夏侯淵。
何か気になるのかな?
「………ん、これは――」
「どうしたの、秋蘭?」
「貴様、秋蘭に何を食わせたッ!?」
「……炒飯ですよ」
「小角。これは何か変わった物を入れたのか?」
「変わった物、ですか?」
何やら神妙な面持ちで尋ねてくる夏侯淵。
「何か変わっていたのかしら?」
「いえ。味は普通の炒飯なのですが……。何やら味に深みがあると言いますか……」
「どれ、私も一口貰うわよ」
夏侯淵の言葉を聞いて、興味を持ったのか、曹操も一口炒飯を口へ運ぶ。
「………ふむ。確かに味に変わったところはないのに何かしらこの深みは?」
変わった物、変わった物…………。あ。
「これですか?」
僕は懐から小瓶を取り出す。
「それは?」
「……塩ですよ」
「塩?」
「はい。ちょっと前に行商者から買ったのですが、何やら特殊な技法で精製しているらしいのですよ」
「それがこの深みの秘密か……」
それ以外に変わったことはしてないですからね。
「なぁ、小角。その塩少し分けてくれないか?」
「えぇ。構いませんよ」
はい、と小瓶ごと夏侯淵に渡す。
「あ、旦那、居たぁ!?」
そこへ郢士が厨房へ駆け込んできた。
「はぁはぁ。旦那、やっと見つけたよ」
「何か用ですか、朝夜?」
息を切らしているところを見るとどうやら散々探し回ったみたいだ。
「楽進さんたちが何か聞きたいことがあるって……」
「ふむ、そうですか…………」
僕はまだ温かいであろう炒飯を見る。
………まぁいいか。
「すみませんがそれ処理しておいてもらえますか?」
僕は三人に炒飯の処理をお願いして厨房を去っていった。
―――トントン。
「すみません、小角ですが。妙才殿、居られますか?」
僕は夏侯淵の部屋の前に居た。
時間帯は大体夕方遅く。
―――トントン。
あれ、居ないのかな?時間が時間だし、部屋だと思ったのだけれど。
「あぁ、開いている」
やっとのこと聞こえた返事はなんだかいつもと違う感じがしたのは気のせいだろうか?
「夜分に失礼します。………おや、元譲殿も居られましたか」
部屋には夏侯姉妹がいた。
夏侯淵はいつもと変わらないクールな表情なのだが、何かが違う。
そして夏侯惇は…………。
「にゃにみてんだにょ」
―――スー。
↑僕が視線をずらす音。
「にゃにか、もんくあんにょか、ちょうかく」
名前、違うッ!?
夏侯惇殿は本格的に人をお辞めに………。
「姉者は酔っているのだよ、小角」
僕の意図を読み取って答えてくれた。
「あぁ。だから妙才殿も酔っておられるのですね」
うむ。違和感の正体はこれか。
「………あぁ。分かるのか?人にはよく分からないと言われるのだが」
「まぁ、僕も同じですし」
少し驚いた顔をする夏侯淵。
僕はそういった人の微々たる変化に敏感らしい。
だからこそ夏侯惇の大剣を避けることも、呂布の一撃を回避もできる。
秋「確かに。お前はそんな感じだな」
ふん。少し表情が和らいだ気がしますね。
「うぅ~。わたひはのけ者なのら」
とそんなことをしていると夏侯惇が部屋の隅で丸くなっている。
いつもは強気で猪突猛進な夏侯惇将軍がまるで仔猫の様に………。
あぁ、なんて――――
『可愛いのだろう(なぁ)』
ほぼ同時に僕と夏侯淵の言葉が被った。
僕らは目を合わせて、グッと指を立てる。
「ふぅーふぅー」
完璧に野生化してますよ、夏侯惇さん。
「こんな時にはぁ~~」
ジャジャーン。擬似猫じゃらしぃ~!?
「ほ~ら、ほ~ら。ル~ルルル」
目の前でフリフリ。
「にゃんのつもりなのら?………(ウズウズ)」
最初は怪訝な顔をしていた夏侯惇だったが、次第にウズウズし始めた。
「ほ~ら、ほ~ら」
「……うぅ。………にゃッ!?」
―――ヒョイ。
飛びついてきた夏侯惇。
うっは。本当に飛びついたよ、この人。
「うぅ~。にゃにするのら、ちょうかく」
「あぁ、姉者可愛いなぁ」
そんなやり取りを繰り返していた。
「そう言えば小角、何か用事だったのではないのか?」
十分に堪能してから夏侯淵がそう聞いてきた。
「あぁそうでした。これを渡しにきたのでした」
僕は懐から箱を出す。
「それは?」
「はい。ちょっと作ってみたので……妙才殿に是非にと思いまして」
「私にか?」
箱を受けとる夏侯淵。少し意外そうな顔をしながらも箱の中身を確かめる。
「………これは」
箱の中身は勿論、猫耳。
しかも夏侯淵バージョンです。
「いやはや、つい先日よい意匠を思いつきまして、早速作ってみた次第で」
確かに自由奔放な許緒や張遼、つかみ所のない程イクも猫属性と言えるが、やはり冷静沈着、常に凛とした夏侯淵もまた猫属性だろう。
「貴女(の属性)を思い作りましたので差し上げますよ」
「―――なっ!?………」
ん。何か僕、変なこと言いましたか?
「うぅ。しゅ~らんにだけなのら?わたひにはなにもないのら」
あ。先程より丸くなっていますね、夏侯惇さん。
そのまま転がして持って帰ろうかな?
「まぁ、それは置いといて……………。どうぞ」
僕は夏侯惇の頭に猫耳(夏侯惇バージョン)を被せた。
いや、やはり姉妹ですからペアルックがいいですよね。
「ふ~んだ。どうせわたひはついでなのら」
少し拗ねてますが、満更でもならそうですね。
「それでは僕はこれで。おやすみなさい」
僕は早々と部屋を後にする。
「ほんとに、なんなのら、ちょうかくは。なぁ、しゅ~らん?」
「…………」
「しゅ~らん?」
反応を示さない妹に首を傾げる夏侯惇。
「……あ、え。すまない、何だったかな、姉者」
「どうしたのら?なんらか、おかお真っ赤なのら」
「そ、そうか。……多分、少し酔ったのかもしれんな」
と火照った頬を触る夏侯淵。
…………………………………
――単的に言えば、僕は逃げているんだ。
男は城壁の上、徳利を傾けながら語る。
――え、何から?そりゃ、あらゆるものさ。
それは独白、それとも誰かへの語りだろうか。
――責任に責務。人の想いに感情。役割に意義。摂理に真理。
しかし誰への語りと言われれば、それは答えにくい。
――この世のありとあらゆるものから逃げているんだ。
言うならば世界に対しての語り。
――何かに固執することも、何かに想いを馳せることも、何かに心を開くことも、何かを欺くことも、出来ずに。
昔、誰かに言われた『現実を語るな、夢を騙れ。騙して、惑わして、欺いて、虚言を虚勢を張り続けろ。そしていつしか――――』
――続き?さぁ、知らない。それは夢の話だから、さ。
僕は喉に酒を流し込む。大して美味しいわけでもない、ただのアルコール。酔いに任せて思考が鈍ればいいから。
――僕は夢と現の見分けがつかないから。
男は自嘲気味に笑う。それは男は本来の歪な笑い。
――死にたいのかって?いや、それも違う。むしろ僕は天寿を誰よりも全うするさ。この世界でも、前の世界でも。
宵の闇に昇る月はそんな男を静かに照らしている。
――世界が嫌いなのさ。嫌いで嫌いで大嫌いで大好きなのさ。
――世界の方はどうか知らないけどね。もしかしたら片想いかもしれないし、両想いかもしれない。
――でもそれは関係ないんだよな、これが。だってどちらにしても同じことだし。
男の顔に張り付くのは虚無という感情。
――あぁ、なんか愚痴っぽいな。女々しいと言うより陰険だな、これ。そして陰湿。
――次、生まれ変わるなら蛇とか爬虫類かな。………いや、生まれ変わりたくない、な。
男の中の得体の知れないナニかが暴れている。
――あぁ、アルコールでは収まってはくれないか。本当に何を望んでいるんだよ。
世界への独白は、己への独白へと変わる。
――この世界は乱世へと移行しつつある。本来、僕は関わるべきでない事柄なんだよな。
――それなのに何でノコノコ付いて行くかな、僕は。張遼が言うのも納得だ。
――誰よりも死すべき僕は、誰よりも生きることを望む。これは矛盾かい?
誰に問うたかは定かではなかった。己か、世界か、それとも………。
――ん?それが人間性、か。なら僕はまだ人間やってけてるのか。はは、傑作。
男は杯の酒を一気に飲み干す。喉にアルコールが通り、微かに熱を帯びる。
――酔った勢いの戯れ言なら、良かったんだけどな………。
「何をしているのかしら、小角?」
少ししたら曹操が城壁の上にやって来た。
「……月見酒ですね」
徳利を揺らす僕。
「へぇ、中々にいい趣味ね」
僕の隣へ座る曹操。
「私もご一緒してよろしいかしら?」
「どうぞ」
僕は予備の杯を取り出す。
え?何故、持ってるかって?……まぁ、色々とあるんですよ。
「まぁ、用意がいいわね」
杯を受け取り、お酒を注ぐ。
「……ん。あまりいい酒じゃないわね」
「まぁ、月見が目的ですから。お酒はついでなので」
しばらく二人は酒と月を楽しむ。
「……小角」
「はい?」
沈黙は曹操によって破られる。
「貴方、正式に私の下に来る気はないかしら?」
「う~ん。やはりそれは遠慮します」
ていうか今の段階でもかなりの譲歩なんですけどね。
「………そう」
返事が分かっていたかのように淡白に答える曹操。
「貴方は本当に分からないわ。この曹孟徳を惑わすのは貴方が初めてよ」
「それは光栄の至り」
僕は少しおどけてみせる。
「――貴方は何がしたいの?」
さっきとは一転して真剣な口調の曹操。
「さて、何でしょう。いや、むしろ何もしたくないが正解、かな……」
僕は空にある月に手を伸ばす。届かないそれにすがるかのように。
「孟徳殿、貴女は何故、覇道を目指すのですか?」
「それは私が私であるからよ。それが天命なの」
誇らしげに胸を張る曹操。
「そうですか………ふむ」
僕は考える。答えの決まりきった問題について………。
「――では僕らは明日ここを発つことにしますね」
「………随分と急ね」
もうさして驚きはしないが、それでもその言葉は曹操にとって予想外だったことには変わりなかった。
心のどこかではいつまでも小角がいるものだと思っていたのだろうか。
「えぇ。世とは常に急ぎ変わり行くもの。お世話になりました、孟徳殿」
僕は姿勢を正し、恭しく礼をする。
「考えを変える気は……ないわね」
曹操はわざとらしくため息を吐き……。
「いいわ、好きにしなさい。………でもね、一つ覚えておきなさい。この曹孟徳は貴方を諦めない。地の果てまで追いかけて、逃がさないわ」
そう宣言する。
これが僕と覇王との月見酒での最後の会話だった。
その後、僕は早朝に郢士を連れて町を出ていった。
その時、思ったんだけど………これ、夜逃げみたいじゃね?




