祭編―7―
アメリカ人と和也が出ていき、その後すぐに村長と祐輔も部屋を後にした。
(……………………)
人間、情報・経験のない出来事に遭遇すると、ぽかんとする。
つまり、脳がどう対処すべきか分からないのだ。
「あ…、の…。り…、りょ…う…す…け…さん…なんです…か?」
今の武がそうだった。
いっぺんに非現実的な体験、および想像だにしていなかった事を耳にし、呆けた後に、その中で一番どうでもいい疑問を口にした。
まあ、仕方がない。残ったのがこれしか居なかった。
また当然の疑問と言って良い。自分の知る田舎少年がまったくの別人、いや別な生き物と化したのだから。
「てめぇ…」
「目が覚めたって?」
が、涼介がなにかを言う前に、ばんと大きな音が聞こえ、勢いよくふすまが開くと伸治が顔をのぞかせ、
「あ!涼介!てめぇ!」
涼介の姿を見つけると、どすどすと部屋に入ってきて、いきなり太い二の腕で首を絞めあげた。
「この野郎!あんだけ優しくしろと言っておいたのに、なにしてくれてんだ!」
「や…さ…しく…し…ま…し…た…」
「どこがだ!いきなり、崖から突き落としやがって!」
「ですか…ら…、セーフティー…ネット…」
「あ?あれか?あのワラか!あのワラのどこが、セーフティーネットだ!」
「です…から…、牛…」
「ばかやろう!なにが牛だ!川にワラまいたって、流れるに決まってんだろうが!」
「………………」
「あ、あの…」
伸治の勢いに押されて、二人の様子を呆けて見ていた武だったが、首を絞められ息ができないらしく、涼介の顔が青くなってきた。
さすがにこれはまずいと思い、仲裁に入った。と、伸治は、おお、怪我人が居たんだったなと、武の方を見て言い、手を放した。
「……てめぇ…、伸治さんに礼を言えよ。崖から落ちて命があったのは、伸治さんのおかげだからな」
伸治が離れて隣にあぐらをかくと、青い顔をした涼介が言ってきた。
「は…?あの…、それはどう言う…」
「馬鹿か。てめぇみたいに、ぼうっとあの高さから落ちて、生きてる訳ねぇだろうが。運よく生きてても、あばら5・6本、両手両足、複雑骨折だ」
ええ!それが分かって落としたんですかあ!
(し、しかし…)
「あれ…って、運が良くて助かったんじゃ…」
「んな訳あるか。伸治さんが空中でキャッチしてくれたんだ」
(く…空中…)
そうであった。念を押したが、伸治はそれでも心配で、神社の木の陰に隠れて見ていたのだ。
おかげで涼介が崖下の川に、ぱあ…とワラをまくのを発見した。ばらまかれたワラが川に流されていくのを見、
(野郎……)
と怒り心頭で崖にのぼり、途中で待機していた。
そして悲鳴を上げながら落ちてきた武を崖から飛んでつかみ、地面に両足を踏ん張っておりた。衝撃で足の骨が折れないのはヒグマ伸治だからできた技である。
こうして途中で気絶した武をぽいと川に放り投げたのだった。
(う…)
話を聞いて、めまいがしてきた。つまり、このグリズリーがいなければ自分は死んでいた?
「し…、伸治さん…。あり…がとう…ご…ざ…います…」
「ああ、気にしなくて良いぞ。こいつも分かっててやったんだからな」
「そ、そうなんですか…?」
「そうだ」
(本当だろうか…)
涼介の心のこもっていない即答を聞いて、武は疑った。
「それに礼を言うなら和也に言っておけ」
「か、和也さん…?」
伸治の言葉に、武が不思議そうな顔をする。
「“いのしんじ”に追っかけられてる時、突き上げられそうになると、あいつが間に入ってガードしてくれてただろ?」
「へ?」
「ほれ、週刊誌を顔の前に置いてきた時」
「あ、あれって…」
「そうそう、あの時は、おまえが“いのしんじ”に追いつかれてたからだ」
「そ、そうだったんですか?!」
「おお、あれでわりかし、良いとこあるんだぞ」
―――――いや、あれは、こいつがグラビア見て赤面するのを面白がっていただけ…。
「伸治さんの言う通りだ。感謝しろよ」
「こいつもな。なんだかんだ言いながら結構助けてたぜ。ほら、蹴る時」
「え…!?」
「あれもそうだ。“いのしんじ”にどつかれそうになったり、足を踏みはずして山から転落しそうになると、蹴っておまえの体を避けさせてたんだ」
「そ、そうだったんですか?!」
―――――いや、蹴りたいから蹴っただけ…。
「そうだ」
「そ、そうとは知らず…、その…。いろいろとありがとうございました」
「ま、少しは分かったようだな」
「は、はい…」
死ぬと分かって崖から突き落としたと聞いて、ひどい人間だと思ったが、伸治の話にがっくりとしながら武は頭を下げた。
それをうんうんとお人好し伸治は嬉しそうに見ていたが、
「お、いかん、いかん。怪我人だったな。武、今日はこのまま休め」
「あ、あの…」
「じゃあな。涼介、行くぞ」
伸治が涼介を引っ立てる様にして部屋から出てくのを、武はあっけにとられて見送った。
(え…と…)
訳が分からない。自分はまだ聞きたいことがたくさんあったはずではなかったのか。
それをなにひとつ聞いていない。
(そ、そうだ)
あの変な光。あれからどうなった。村長はあの光を“跳梁”と言っていた。大昔からそれを封じていたと。
それってなんだ。
―――――怪我人だろ、このまま休め。
(いた……!)
ふっと伸治の言葉が頭に浮かぶと急に痛みを覚え、自分の胸に目をやった。
あの時に着ていた衣冠ではない。浴衣を着ていた。はだけた襟元から白い包帯が見える。
(けが…)
この怪我はどうしたんだろう。岩が落ちてきた時に…?それともなにかに吹き飛ばされたあの時か…。
めまいがする。頭の中がぐちゃぐちゃして、考えがまとまらない。ひどく眠い。眠い…。
ふらっと上体が揺れ、武はふとんに倒れた。
朝、目覚めるとあれは夢だったに違いない。そう願ったが無駄だった。
「やっと起きたか。タコ」
上に長い黒髪をした涼介が見え、赤い唇が不機嫌そうに言うのが聞こえた。
「お、おはようございます…」
「あ、目が覚めた?」
その横からこれまで聞いた事のない声が聞こえ、つられる様にしてそちらを向いた武は思わず、声を上げてしまった。
「て、天使!」
「そうだ。天使、春香さんだ」
「は、はるかさん…?」
「やあん、涼介君みたいな超美形に言われると、おせじでも照れちゃうじゃない」
(ぐ…………)
そうなのだ。くやしいが、変身した涼介は化け物だと思うくらいに人間離れした美形だった。だからこそ余計に迫力があって怖い。
そして春香と言われた女性も、白く透き通る様な肌、瞳も髪も茶色がかっていて、大きな瞳に長いまつげをした美形だった。また淡いピンク色の口の上唇が、下唇よりやや大きめなのが色っぽい。小柄で手足も細く、クリーム色に薄い黄色とオレンジの花柄のワンピースが映えて、本当に天使にしか見えなかった。
少しくせがあり、ウェーブがかった長い髪は障子から差し込む日差しを受けて、きらきら光っている。
おかげで白銀に咲く芍薬と言われた母親に似て、ルックスには大いに自信を持っていた自分がひどく平凡に思えてきた。いや、母さんが不美人という訳じゃない。ただ自分と母は人間。こっちは非人間的美貌なのである。
「本当です。今回は俺まで世話になって、ありがとうございました」
「ふふ、とんでもない。役得だったわ。涼介くんに触ったって言ったら、みんな大騒ぎするわね」
がっくりと落ち込む武の横で、ふたりは話をしていたが、おい、と涼介が急に武の方に顔を向けてきた。
「お前の傷の手当ては春香さんがしてくれたんだ。礼を言え」
「て、手当て?」
「そうだ」
「と言う訳で、ちょっと傷を見せてね」
と、春香が近寄ってきた。浴衣の前を広げ、まかれた包帯をほどいて胸を触るのに、きゃっ…と武は顔を赤らめてしまった。けれど春香はまったく気にせず、触りながらピンクの口元を少し、とがらせた。これもめちゃくちゃ可愛い。その辺のアイドルなんて目じゃない。
「うぅん…。やっぱり治るのが遅いわ…」
「遅い…?」
春香に触られ、顔を赤らめていた武はその言葉にあごを引いて、自分の胸に目をやった。
(これって……)
胸の真ん中に長さ30センチほどの浅く十字に斬られた跡がある。しかし、傷はもうふさがっていて、跡だけと言った感じだった。
「この傷は…」
「覚えていないの?」
「あの…」
「そうか。武君は覚えていないのね。涼介くん」
「ええ、どうやら全然」
「仕方ないわよね。突然ですもん」
「後、祐輔さんから何も聞いてないらしいです」
「そう…。それも仕方ないわ。聞いて、すぐ納得できるものでもないし…」
「はい。特にこのタコ、頭悪そうなんで」
「あ、あたま、悪いって!」
「ああ、駄目、駄目。動かないで。治療ができないわ」
カチンときて腰を浮かせた武の肩を春香が押さえた。
「ち、治療?」
ただ触っているだけなのだが。
「これね。治療よ。私の体質みたいなものかしら」
「体質?」
「ええ、この村の人間はね、“極”というものを持っていて、そのおかげで、いろいろな特技があるのよ」
また訳の分からないものが出てきた。
「私の場合は、こうして傷の治療ができるの。まあ、たいていは皆自分で治せるから、よっぽどの大怪我でない限り、必要ないのだけど」
「あ、あの…。それは…」
「詳しい事は後で聞けると思うわ。朝ごはんが終わったら行くんでしょ?涼介君」
「はい、伸治さんが来たら」
「行くって…」
「あー、やっと起きたあ」
「きゃああ!」
どこに行くのか…と聞こうとした時、また障子が開いた。次から次によくまあ人が来る。
だけならまだよかったのだが、入ってきたのが、もう一匹の化け物だったものだから、武は悲鳴を上げてしまった。
「ぎゃあ…ってなんだ。失礼な奴だな」
春香の髪も日差しにきらきらしていたが、この男の髪は鏡ばりに光を反射してきた。
と言うか、なんか全身光っている。
(お、男だ……)
そして変なところで納得した。
神社に居る時は猫背で気がつかなかったが、こうして普通に立っていると190センチはあった。その長身に日本人離れした手足の長さ。腰の高さが半端ない。またガリガリでもない。肩幅、ぴったりとしたジーンズ、半袖のTシャツからのぞく腕もしっかりと筋肉がある。あるだけじゃない。腹が立つくらいどの部分もバランスの取れた筋肉だった。そのわずかに盛り上がった胸筋で男だと分かった。
それにしても丈の足りないジーンズにTシャツ姿が、パリかミラノの高級ファッション誌の表紙の様に見える。
ものすごくスタイルの良い男は優雅な足取りで部屋に入ってきた。歩くだけでやたらカッコいい。涼介と春香の反対側にあぐらをかく。その姿もカッコよすぎて、げんなりした。
「春香さん、おはようございます」
武の横に座った和也は、にっこりと春香に挨拶をした。
(うぷ…)
その笑顔は美しいという形容詞を通り越していた。おかげで衝撃のあまり、武は吐き気がした。
「うげぇぇ…」
と言うか、吐いた。
「げ!なに吐いてんだ!こいつ!」
武の隣に座ったために、和也が驚いて部屋の隅に飛びずさった。
「和也さんの顔を見たからです」
鼻を押さえながら涼介が言ってくる。
「は!?なんだと、涼介。お前の顔だろうが」
「いえ、和也さんです」
なんだと、てめぇ!と和也がすごむ中、春香は、じゃあ、私はこれで…と、ひらひらと手を振って立ち上がった。
「あ、春香さん!」
涼介の胸倉をつかんだ和也がおいすがるような恰好をしたが、春香はさっさと居なくなってしまった。
「おい、武、おまえのせいだぞ。お前が吐いたりするから!」
ぎっと和也が睨んできた。
「す…すみません…」
「そうだ。さっさと掃除しろ」
胸倉を捕まれた涼介が無表情に言ってきた。は、はいと武はあわてて言われた通り、枕元に置いてあったティッシュで青い顔をしたままふき取った。
「さすが、春香さんだなあ。もうここまで治ったのか」
「うひゃ!」
ティッシュをビニル袋に入れ終わり、口をしばった途端、後ろの方から声が聞こえて、また悲鳴を上げた。
いつの間に近寄ったのか、背後から春香がそのままにしていった、はだけた胸の傷を和也が見ているではないか。
「な!な!な…!」
なにしてるんですか…と言いたかったのだが、びっくりしすぎて言葉にならない。
「なあなあ」
「ひぃ…!」
耳元で声がして、武はまたまた悲鳴をあげた。
和也は長い足の片方を折り曲げ、片方を畳に投げ出し、武の体を両足で挟む様な格好で座っていた。
顔は武の顔のすぐ横、肩に乗せている。
「傷…、胸だから当然、春香さんに胸を触られたんだろ…?」
(あ、あれ…?な、なに…、なんだ?!)
唐突な質問もさることながら、声に心臓がバクバクし始めた。
(猪に追いかけられている時も、よくこうやって突然、背後から声がしたけど、こんな声だったっけ?)
顔も別人だが、声まで変わった気がする。なにせ独特だった。ややアルト気味、つまり一般の男性に比べると少し高い。にごりがなく、わずかに鼻にかかった様に含んだ声は、ものすごく耳触りが良かった。
そんな声で耳元へ囁かれると、なぜか頭がクラクラしてくる。
「どう?あんな可愛い人に触られる気分て」
「ど…どうって……」
思わず、どもってしまう。
「だからあ、気持ち良かったかって聞いてるの」
するっと武の肩に和也の長い腕が乗ってきた。
斜め横からのぞきこむ風に顔を近づけ、半眼で見つめる。その目つきが妙になまめかしい。
「つつぅ…って傷にそって指を滑らせるんだろう…?こう、ぞくぞくっ…て、下腹の辺りがしなかった…?」
いや、あなたに、こうして足で腰をはさまれている方が、よっぽど下腹の辺りがぞわぞわします。
後、数秒で吐きそうです―――と言いたかったが声にならない。
「うげえぇぇ…!!」
と言うか、また吐いた。
「げ!」
武が耐えきれずに吐くと、和也は再び飛びのく様にして離れた。
「信じらんねぇ…。こいつ、なんでこう何度も吐くんだ!おい!涼介、なんとかしろ!」
「なんとかしろと言われても、こればっかりは……。ああ、はい。ちゃんと吐いたもんは始末させますから」
同じ様にさっと武から離れて鼻を押さえていた涼介は、ティッシュの箱を投げた。狙った様に箱の角が武の頭に当る。
痛くて文句を言いたいが、吐いたのは事実なので、武は青い顔をしたまま無言で畳をティッシュで拭いた。
(うう…、やっぱりいやだ……)
ニキビだらけのまぬけ面も好きになれなかったが、こっちはもっと好きになれない。いや、前の方がずっとマシだった。
吐いたりしなかったもん。
「ああ、それにしても羨ましいなあ。春香さんに治療されるなんてよお」
武がどんよりとした気持ちで畳を拭いている間、部屋の隅に離れた和也が、片手で髪をかきあげながら涼介に言うと、
「でも、やっぱり普通の傷からすると治りが遅いそうです」
「んだな…。俺らも治らねぇしな」
「ですね」
(傷…)
ふたりの話を耳にして、武はちらっと後ろを見た。
そう言えば、ふたりとも左手に包帯をまいている。確か春香という女性は涼介も手当てをしたと言っていた。また、よっぽどの大怪我でない限りとも。
「あの、涼介さん、その傷は…」
どうも何かを聞こうとすると誰かが入って来て中断されまくっていた。
今度こそ、
「お、起きたな」
(う……)
訊こうとしたら、今度は伸治が障子を開けた。廊下に立ったまま、
「武の目が覚めたんなら行くべ。村長はさきに連れて行ったからよ」
「分かりました」
「ああ、面倒くせぇ」
「寝るな!和也!頭かち割るぞ!立て!」
「へぇい…」
涼介がさっと立ち、和也はのろのろと長い手足を持て余し気味に立ち上がった。
「ほれ、武も」
伸治が立てた親指をくいっと後ろに向けるのに、武はぽかんとした顔で、
「あの…、行くってどこに…」
そう尋ねると、伸治でなく涼介がこたえた。
「第一青年会議所だ」
(へ……)
武の顔がまたまた青くなった。
「さて、じゃ行くぞ」
玄関を出ると、伸治が明るく爽やかな声で言った。
(うう…………)
その脇腹で武は、少し涙目になった。
(やっぱり、こうなるんだ…)
すたすた歩く三人に、猫か犬の子みたいに伸治の脇腹に抱えられた自分。なんかもう定番化してきた。
「まだ傷が痛いだろ?」
父が持ってきてくれていたTシャツとジーンズに着替え、スニーカーをはくと、伸治がそう両手を前に出してきた。これに、
「いえ、大丈夫です。傷も全然痛くないし。ずっと寝ていたおかげか、疲れもとれたので」
大男の格好は、幼児を抱き上げようとする親みたいだった。こっ恥ずかしくて中三の男子が、じゃあ、お願いしますと言える格好じゃない。
いや、確かに祭の時も抱えられたけど…。あの時は、もう心身ともに疲れきって立つこともできなかったから…と心の中で言い訳した。
が、化け物ふたりに両脇から、てめぇ、おせぇんだよ、かったりぃだろうが、大人しく言われた通りにしやがれ…と、目で脅された。
背中に悪寒が走り、小声で、じゃ、お願いします…と言って伸治に抱えられた。
そして、傷が痛いだろ?との理由は、気配りの人・伸治が武の面子に気をつかっての事だと分かった。
とにかく三人とも背が高く、足が長い。更に速度も自転車以上。彼らの1歩は武の10歩だった。
「あれ?もう行っちゃったの?」
武の寝ていた部屋の障子を開けた英彦が、がっかりと言う風に口にした。
「そうなのよ。みんな、せっかちで困るわ」
横に立つ春香が、すねた様な顔をする。
武は気がついていたかどうか知らないが、彼らの居たのは村長の家だった。
英彦は祖父と一緒に住んでいるので、いろいろな雑用を終わらせると自宅に戻ってきたのだが、結局三人には会えずじまいだった。
(え~と…、なんだっけ…、たしか…。そうそう武…、だったよねぇ…)
男の名前を覚えられない英彦は、いちいち考えないと今年の守子の名が出てこない。
(頭、おかしいよねぇ…。ほんと、言動も行動もどうかしちゃってるし…、男だし…、まあ、ちょっとだけ祥子さんに似てると言えば似てなくもないから、ブサイクとは言わないけどねぇ…)
美人の祥子にごくわずか、一万分の一くらい似ているから、まだ英彦は武を許してやっている。
(ああ、祥子さん、可愛いなあ…。二人の子持ちなんて信じられない…。なんで祐輔さんなんかと結婚したんだろ?いけないよ、祐輔さんにはもったいない…。そうだ、きっと結婚したのを後悔してるんじゃないかな?僕に言ってくれれば、離婚の書類くらいすぐに偽造してあげるのになあ…。一度訊いてみるか…。離婚して、僕と暮らしませんかって…)
英彦は可愛い綺麗な女の子が大好きで、女の子以外は、まったく興味がない。
男なんか自分以外は全員この世から居なくなっても良いと思っている。
一時、男・撲滅計画を本気で練っていたくらいだ。だから今年の守子の名も覚える気がなかった。
え~と、なんだっけ…、武だっけ……。
(うん…、まあ…、けど…)
一万分の一、祥子さんに似た餓鬼――――。
(ちょっと面白いかもねぇ……)
伸治に抱えられた武の顔は、今にも死にそうな顔だった。
抱えられたのが屈辱…と言うのもあるが、一番は、
―――――――てめぇ、第一青年会議所で獄門磔の刑な…。
いろいろと記憶にないが、これだけはしっかりと覚えていたからだ。
(やる…。ほんとにやる…)
増して、あの化け物が涼介なら、なおさらである。
姿かたちは変わったが、性格は涼介のままだ。あの死ぬと分かって崖から突き落とした涼介の。
自分で歩くと言ったのは、心の隅に途中で逃げようというのもあったからだった。
しかし、がっちりと伸治に抱えられたこの状況では、それも出来そうにない。
いちるの望みは、心優しいグリズリーがいる事だろうか。
もしかしたら、彼なら止めてくれるかもしれない。
(いや、僕、なんだかとんでもない事したみたいだし、いくら伸治さんでも、それは許せないかも…。あ、でも、とりあえず無事に収まったみたいだから、もしかして…。いやいや、この鬼畜の目は本気だった…。あ、でも…)
などと考えている間に三人の速い足が止まったのに、武は視線を前にやり、
(は…?)
と、6メートルほど先を見て変な顔をした。
三人が止まった四方約20メートル近くは雑木林で、その雑木林のやや左側にプレハブ小屋が立っていた。大きさは縦横10メートル位、大きいと言えば大きい。
けれど、青い塗装は剥げ落ち、さびだらけ。屋根には草が生えていて、建てられてから何十年経っているのか。斜めに傾いでいて、少し強めの風が吹けば倒れそうだ。
「あの…、これ…、なんですか…」
思わず、訊いてしまった。
「なんですかって、見りゃ分かるだろ。ここは青年会議所だ」
横に仁王立ちしていた涼介が、どうだ?と言う風に胸をそらした。
いや、それは無駄にでかい木の板に、手書きで『青年会議所』と、でかでかと書かれているから分かる。そうじゃなくて。
「正確には第二青年会議所だ」
それも後から思い出して、いかにもあわてて付け足しました的に隅っこに、ちっちゃく書かれた第二…の文字が、視力2.0だから見える。
(そうじゃなくて…)
顔をひきつらせて、武は正面を凝視したままの涼介に向かって訊いた。
「え…と…、僕が訊きたいのは、なぜ七面鳥が…」
そう…。第一青年会議所だろうが、第二青年会議所だろうが、今にも倒れそうなボロいプレハブ小屋だろうが別にどうでも良い。どうでも良いが、小屋の周辺に七面鳥がいるのはなぜだ…と武は訊きたいのだ。
それも半端な数ではない。大群だ。ざっと見ただけでも100羽はいる。
もちろん鳥小屋がある訳ではなく、離し飼いされているのだ。小屋の周辺5メートルの地面が見えない位に七面鳥の大群がひしめき合っている。
「どうして…いるんですか…?」
武の言葉に、涼介は視線を少し下に向けて七面鳥を見た。見て、
「あ?野生の七面鳥だ。勝手に、ここを巣にしちまっただけだ」
(いやいや、日本に野生の七面鳥なんていないでしょ…)
アメリカ北部の山地には確かに野生の七面鳥がいる。だが、日本には家禽しかいないだろ。
「野鳥っつうのは、どこでも住みつくからな。仕方ねぇ。鳥だし。特に問題ねぇ。鳥だし」
(体調1メートルの七面鳥を、スズメか鳩みたいに言うなあ!)
そんなかわいいもんじゃないだろ!どうみても問題だろ!あんなでかい鳥が通勤ラッシュ並みに小屋の周りに居るんだぞ!どうやって中に入るんだ!
「鳴き声がうるせぇが、村の野生保護動物だから殺すなよ」
だから野生じゃないだろ?絶対、誰かが飼ってるよね。それか逃げ出して繁殖したんだよね。
それを保護動物って何?家禽を保護するって何だ。
「狩猟解禁まで」
いやいや、今、保護動物って言ったばかりじゃん。それ、保護動物じゃないじゃん。やっぱり飼ってんじゃん。
「狩猟解禁日は12月24日だ」
なんでクリスマスイブが狩猟解禁日なんだよ?!前日に殺して食うってか?!いやがらせか?!いやがらせだよね。神様に対するいやがらせだよね!
「食いてぇのは分かる。見たら食いてぇべ。が、待て。12月に入ったら今より油が乗って、もっと美味そうになる。しかし、そこからもう少し待て。いいか、ここが我慢のしどころだ。年末には更に脂が乗って…」
ずるっと、涼介がよだれを拭いたのを見て、武は疑問を口にするのを止めた。
顔は常識はずれに変わったが、性格は初対面の時から変わっていないのを思い出したからだ。
(とりあえず、第一青年会議所じゃないし…)
獄門磔におびえていた武にとっては、そっちの方がほっとした。
(ん、でも、さっきは第一青年会議所って、確かに言ってた気が……)
「よし、中に入るから、武、降ろすぞ」
「あ、はい」
そしてこれも親が幼児をおろす様に伸治が手を放し、武は地面に降りた。と、この七面鳥の大群をどうするんだ…という武の心配をよそに、伸治が一歩、足を前に出すと七面鳥が、ものすごい勢いで走り出し、雲の子を散らす様に小屋の周辺から居なくなった。
(あ…、そうだな……)
よく分かる。七面鳥の気持ちが…。
人間の自分でも最初、熊と間違えたのだ。七面鳥から見れば、本物のグリズリーと同じだろう。逃げて当然である。
――――問題ねぇ。
と言う涼介の言葉を、違う意味で納得した。
「おい、さっさと歩け」
がっくりと立ち止まっていると、いつの間にか第二青年会議所の入口の前に着いた涼介から呼ばれた。
武が小走りで第二青年会議所のところまで来ると、がが…と伸治が錆ついているらしい引き戸を片手で開けた。
中に入るとすぐに8畳敷きの部屋があった。その後ろと右側に古びた襖があり、襖の向こうにも部屋がある様だが、襖が閉じていて中は見えない。
それに中は外観よりきれいだった。ちゃんと掃除がしてある。
(ん…?)
武が部屋を見渡していると、他の三人は部屋には入らず、すぐ脇にある古びたドアを開けて、そちらの方に入って行った。
後について中に入ると流し台があり、どうやら給湯室みたいだった。横にあるガスコンロの上に大きなアルミのやかんと、戸棚には湯呑が大量に入っている。
給湯室に入った涼介は、彼らの前に立っていた年上のふたりに、すみません…と声をかけながら、彼らの脇をすり抜けると流し台の下の引き戸を開け、中に手を入れた。
するとカチッとコンロのガス弁を開く様な音がした。
次にウィン…とプレハブには不似合いな軽やかな機械音が聞こえてくる。
「え…?」
武が短い驚きの声を立てる間に、湯呑の入った戸棚が横にスライドした。
(え?え?なに?!)
すると戸棚の後ろから顔が映る位、表面がなめらかなメタリックのドアが現れた。
ドアは自動で開き、彼の前に立っていた三人は、当たり前の様に中に入っていく。
「ほら、武。お前も来い」
伸治が驚いた顔をしたまま固まっている武に向かって、ちょいちょいと手を振ってきた。
彼の声に釣られて恐る恐る武が中に入ると、自動的にドアが閉まった。
と、同時に体が重力を失った様に浮いた気がした。
(エレベーター…)
それもかなりの速度で下に降りている。体が浮いた様な気がしたのはそのせいだった。
「り、涼介さん…、これ…、なんですか…」
「うるせぇ…、おんなじこと何度も聞くな」
(同じじゃないよ!さっきの七面鳥と今のこれは違いすぎるだろ!)
道路も舗装されてない、田んぼと畑に、わらぶき屋根の家しかない村に、キュイン…て、なんだよ。
こんな音立てて、ものすごい勢いで下に降りてくエレベーターがあったら誰だってなんだこれっ…!て訊くに決まってるだろ。
「いや…、だからこれ…」
「涼介…」
が、武は無視され、和也が涼介をちろりと見た。涼介の方は、ふっと顔を横に向ける。
「てめぇ、春香さんに治療してもらっただろ…」
「いえ…」
「あ、そう言えば…」
朝の会話を思い出し、つい、武が言いかけると、ぎろ…っと涼介に睨まれた。そのまま殺される…と言うくらいに恐ろしい顔だったが、殺される前に涼介の首を和也が二の腕で絞めた。
「やっぱりな…。そうじゃないかと思ってたんだ…」
「…いえ…。何かの間違いです…。そうだな…、タコ…」
「あ…、は、はい…」
締め上げれらた首の上から、ものすごい形相で睨んでくるので、そう返事をするしかなかった。
「とぼけても無駄だ。てめぇの手から春香さんの匂いがするんだよ…」
(に、匂い…って…)
「そ…れは…、朝、隣に…座っていたので…」
「春香さあん!」
「うお!か、和也さん!止めて下さい!」
首から手を放した和也が突然、涼介の包帯がまかれた手にほおずりを始めた。涼介は青くなって、逃げようとする。
「離してくださいって!いて!和也さん、俺よりタコ!タコにして下さい!」
「そうだ…。こいつ、自分で傷治せねぇから、春香さんにみっちり治療されてたんだった…」
ぱっと涼介の手を離した和也は武に顔を向けた。
「うっぷ…」
と、とたんに吐き気をもよおした。
「てめぇ、ここで吐いたら口ふさぐぞ……」
逃げる様にして隅っこにしゃがみ込み、口を押さえた武の背中に、コキコキと首をならしながらの、ドスのきいた涼介の声が聞こえた。
背中に伝わる気配から、口をふさぐと言うのは、殺す…と言う意味にしか聞こえない。その間に和也がゆっくりと近づいてきた。
(は、吐く…。吐く…。吐いたら死ぬ…)
「よせ、和也」
背中に吐き気の原因が近づく気配を感じ、蒼白になって震えていると、脇から伸治の助けの声が聞こえた。
(あ、ありがとうございます…)
本当に伸治は、見かけは怖いが性格はすごく良い。それに和也と涼介、化け物二人が彼の言うことは意外に素直に従うのだ。
「ここで吐かれてみろ。後5分どうやって我慢するんだ」
(後5分…?)
超高層ビルでも、そんな長い時間はかからない。
「ああ!ちきしょおお!春香さん!俺が大学卒業するまで待っててねって言ったのに、なんで、よりにもよって英彦さんなんかと結婚すんだよおお!」
伸治の言葉に疑問を感じていると、和也のくやしそうな声が聞こえてきた。
「なに?おまえ、春香さんにそんなこと言ってたのか?!」
「言いましたよ!高校卒業式の日に心の中で!もう必死に!あれ、絶対伝わってます!春香さんになら!あの人なら俺の心の声が!」
和也は涙目になりながら、伸治に顔を近づけて叫んだ。
「いや…、和也、それ聞こえねぇから……」
伸治は頭が痛いと言う風に片手でこめかみを押さえた。ウソだああああ!!と、和也は、がくっと膝をつく。
「あ、あの…。春香さんって結婚しているんですか?」
「ん?ああ、そうだ。英彦さんとな」
「英彦さんて…」
「あれ、村長の家で会ってなかったか?」
「村長の?」
「なんだ、それも誰も言ってねぇのか。しょうがねぇなあ…。おい、涼介。あれほどちゃんと面倒みろって言っておいただろうが」
「見てます」
「うそつけ。まったくよお…」
ぼりぼりと伸治があたまをかく。
「おまえがさっきまで居たところが村長の家だ。で、英彦さんていうのは村長の孫で一緒に暮らしてる。英彦さんは村役場の助役で、青年会長をしている人でな…」
と言ってから伸治は少し考える風に顔を上に向けた。
「まあ、会えば分かる。そのうち会えるしな」
そう言った時にシュン…と、短い機械音をさせてエレベーターが止まった。
「へ…?」
エレベータ―のドアが開くと、視界に壁もドアもメタリックに輝く、広い通路が飛び込んできた。
高さ3メートル、幅5メートルは、ゆうにあるだろう。そんな広い通路が延々と続いていて、先が見えない。
「おい、早く降りろ」
驚いていると、三人はもうエレベーターを降りていて、一番後ろに居た涼介が、くいっと顎を動かして呼んでいる。
あわてた武は、つまずく様にしてエレベーターから出た。
エレベーターに乗っている時間も長かったが、通路もずいぶんと長く歩いた。
途中、分かれ道があり、右へ左へと何度も折れる。
壁の色は全部薄いペパーミントグリーンで、どこをどう歩いているのか武には、まったく分からなかった。
そうやってしばらく歩いて、一行はひとつのドアの前で立ち止まった。
「あ、あの…、これは…」
「第一青年会議所だ」
と、意味は違うのだが、何度も同じ言葉を繰り返す武に、涼介が即答した。
(こ、ここが…)
そして、たらりと冷や汗が流れる。
まさか、こんなところで獄門磔―――――。
「失礼します。伸治です。三人を連れて来ました」
武がおびえている間に、伸治が扉の横にあるにインターフォンらしきものに向かって言うと、シュ…とこれも軽やかな機械音がして、目の前の扉が開いた。
「げ!」
中を見た武は、変な声を上げた。そして、
(む…、村…。村…)
頭に村の辺鄙な風景が浮かんできた。
田んぼと畑。ペンキのはげ落ちた木造の校舎。あぜ道。携帯圏外。
(そんなところで、なぜこんなものがある…)
通路は無機質で冷たい感じだったが、この20畳ほどの広さがある部屋は、壁は廊下と同じようにメタリックながら、床には毛あしの短い焦げ茶のシルクの絨毯が一面に敷かれていた。
中央には黒い上質な革張りののソファが、丸い大理石のテーブルを囲むように四方に置いてある。
更に黒いソファの上に毛皮がかかっていた。見てからにフェイクではない。本物の毛皮が。更に奥にはアンティークと思われるキャビネットまで置いてある。
「やっと来たか。まあ、座れ」
部屋の豪華さにあっけにとられていた武は、奥に位置するソファの真ん中に、ちょこんと村長が座っているのに気がついていなかった。
それでなくても小さい村長だ。ヨーロッパ製と思しき大きなのソファに座っていると、髪もひげも眉も真っ白な老人は、本当にチンチラにしか見えなかった。
「失礼します」
和也達は村長に並んで頭を下げてからソファに腰かけた。
武もあわててチンチラに、し、失礼しますと言ってから涼介の隣に座った。
腰かけたとたん、毛皮に、ふわ…と腰が沈み、後ろにのけぞる。あわあわと両手をソファについて足を床につこうとしたが、むなしく宙にういたままだった。
三人は…と見ると、皆しっかりと床に足がついている。和也など、彼より背の高い伸治以上に長い足を持てあまして膝を折り、かかとを絨毯につけていた。
「怪我の具合は春香から聞いておるが、ゆっくり休ませてやる訳にもいかんでな…」
村長は彼の前に置かれた湯呑を持ちながら、そう言った。彼はソファの上に正座している。まあ、正座でなければ村長は後ろにひっくり返ってしまう。
さて、武…と、村長が自分の方に顔を向けた。
「昨日は話が途中じゃったな…」
「は、はい」
さて…、どこから話していいものか…と、村長は白いひげをなで、
「昨日言うた様に先祖が封じた化け物…、“跳梁”と、わしらは呼んでいるが、それを3年ごとに守子が封じ直してきた。何千年とな」
ずず…と、お茶をすすった。
「ばかばかしい。そんな話は迷信。現代でそんな話を信じる人間がいるか…と、おまえさんが思ってもおかしくない」
「そんな…」
ことは…と言いかけたが、口を閉じた。
「じゃが、事実だと知れた。60年前にな」
「60年前…」
「そうじゃ。第二次世界大戦で日本が敗れ、まだ米軍の占領が色濃く残る時期だった」
ずいぶん昔だが、長吉には昨日の出来事の様に思われる。
「1947年、米軍占領下、時のトルーマン大統領が、『共産主義との対決』を宣言し、米ソ対立が表面化した。アメリカは旧ソ連との戦争に備え、極東の日本に密かに敵の知らない軍事基地の建設を計画した。その候補地のひとつが、この神谷村だったのじゃ」
「ここがですか?!」
「ま、驚くわな。あり得ない場所。だからこその候補よ。またこの村は四方を山に囲まれている。そういう意味では隠れるのに絶好の場所とも言える。そしてそこから6年後の1953年に米軍が視察にやってきた」
「で、ですが、その頃は…」
「ん?ああ、そうじゃ。その当時はもう日本は占領下ではなかった。が、さっきも言うたじゃろ。まだ占領が色濃く残っていたと。だから彼らは好き勝手に探せた訳じゃ。だが、来た日が悪かった。祭の日だったんじゃ」
「祭の日…」
ごくりと思わず武はつばを飲んだ。
「米軍は村にやってくると銃をかざし、祭の最中の村人を一か所に拘束した。そこから建設地の候補である山に登ってきた。そして洞窟に入ってきて大声でどなった」
―――――ヘイ、ジャップ!
「で、結果はおまえさんの時と同じじゃ。跳梁が暴れ出し、一瞬で米兵25名が消滅した」
「し、消滅?!」
「文字通り、消滅じゃ。跡かたもなくな…。だが、一人だけ助かった。その男が本国に知らせを入れた。まあ、よく知らせを冗談だと思わんかったもんだ…。それはさて置き、米国は知らせてきた男を本国に呼び戻し、彼の姿を見て驚愕した。当然じゃ。生き残った男は、右肩を中心にして円形上に上半身の三分の一がなくなっていたんじゃからな…」
「そ…!」
そんな馬鹿な…と武は大声を上げそうになったが、はっとしてその言葉を飲んだ。村長が、じっと武の動作を見ていたからだ。武が声を出さずに浮かせた体を戻したのを見ると、村長は話を続けた。
「それだけではない。顔、右頭部も頬にかけて波打つように欠けていて、辛うじて口は残っていたものの、右目はなくなっていた。頭も三分の一以上がなくなっておるのじゃ。普通なら死んでいて当たり前、死なずとも、ひん死の状態であるはずの彼が、その姿のまま己の足で立ち、上官に淡々と状況説明をした。驚くな…、と言う方が無理というもんだ。が、これがその男の報告が嘘でないと言う確固たる証明にもなった」
(頭まで……)
米兵の姿を想像し、寒気を覚えた。武の顔色が青くなったのをちらっと長い眉の下から見て、村長は話を続けた。
「更に彼らが驚いたのは、その欠けた部分に傷跡がなく、通常の皮膚におおわれていた点じゃった。彼の体が少なくとも10日前まで、きちんとした形があったのは彼の周辺の人間からの聞き込み、また日本に上陸した記念に…と言って、その日に撮った写真が証拠として提出されたから動かしようのない事実じゃ。また、たとえ普通に怪我を負って、体の一部がなくなったとしても、10日やそこらで傷跡が消える訳がない。米国の上層部は、兵士の体について、考えられる状況をすべて見当したが、どうあっても彼らの常識に合わないことを認めざるを得なかった」
(あの光……)
そうだ、光に包まれた時、自分の体の線が……。
「当然、ただ信じた訳ではない。彼らはすぐにこの村の調査に乗り出した。したが、彼らはもっと驚く事実に突き当たった。自国の兵士が消滅したと言う洞窟に、誰一人入れなかったんじゃ」
「入れなかった…?」
「あの洞窟はな。守子をした者以外は入れんのじゃ」
「禁じられていると言うことですか?」
「いいや、文字通り入れんらしい…。わしも守子じゃったから、よう分からんが、聞くところに寄ると、まるで見えぬ壁が立っている様なのだそうだ。そこから先一歩も進めず、手を入れようと前に突き出しても弾かれる」
「み、見えない壁?でも米兵が…」
「そいつはな、祭りの日だったからじゃ。普通のもんは入れんが、守子が一緒であれば、他の人間も入れる。で、最初にやって来た米兵たちが洞窟に入れたのは、運悪くと言うか、祭りの最中で中に守子がいたからという事じゃ」
まあ、そうした具合で……。
と言ってから、村長は喉が渇いたのか、また茶をすすった。
「洞窟に入れん米国人は、なんとか中に入ろうと機関銃を乱射したり、見えん壁と思しき場所の下に爆弾を仕掛けてみたりと、荒っぽい方法も試みたが無駄じゃった。万策尽きて、結局、守子に頼んで中に入るしかなかった――――。そして、彼らはこれにも驚いた。あれだけ必死で入ろうとして入れなかった洞窟に、守子はすんなりと入り、自分たちも難なく入れたんじゃからな…。で、こうやって驚きながらも中を調べた。何をしたか一々説明しておると日が暮れるから、はしょるが、結果的に彼らは洞窟を非常に危険なものと判断した」
原爆は知っておるな…と、村長が武に聞いた。
「彼らは原爆を使用した後、詳細に現地調査をしておる。結果、当時の大統領は、洞窟を原爆と似ている…と判断し、国家の第一級極秘事項に指定した。当時の関係者は、ただちに拘束され、戒厳令がしかれた。それから天皇様、時の総理大臣に、この村を米軍の駐屯基地にすることを無理矢理了承させた。名目はアジア情勢の安定を目的とした極秘調査及び情報収集のため―――。極秘と名がつく以上、表には出ん。日本政府もまた、第一級極秘事項の印を押した後、国家機密文書の奥の奥にしまい込んだ。恐らく現在の総理大臣、政府は文書の存在も知るまい…。」
天皇様…と村長が、年寄りらしい言い方をすると、武には妙に彼の話が生々しく聞こえた。
「こうして、まず一切合財の権力を手にしたのち、米国側は村長じゃった、わしに直接交渉を申し入れてきた。わしは彼らと話をし、いくつかの条件を交わした。そして村の下に基地ができあがった」
「じゃあ、まさか、ここって…」
「うむ、米軍基地じゃった。昔はな」
「む、昔…?」
「9年ほど前までな。今は軍からCIAに管轄が移っとる」
「CIA…」
(はは…。ていう事はあの人、本物なのか……?)
突如現れたハリウッド風外国人、ジム…。
そう思うと、どっと冷や汗が流れ出した。
ものすごく怒っていた。いや、怒って当然に違いない。
(ぼ、僕…、なんかすごいヘマを……)
した――――――。
「管轄が軍からCIAに移ったのは、冷戦構造が無くなった事や世界情勢の影響も大きいが、理由として村人の存在がある――。ほい、そいつらをおまえも見たじゃろうがい」
(そいつら……)
十羽ひとからげに言われた連中をつい、見てしまった。
和也、涼介、それに伸治。
「こいつらは特にヘンテコじゃが、村の人間はおおかた、ちぃとばかし変わっとる。これが米国人の興味を大いに誘ってしもうた。村人全員がモルモットじゃ。科学が進歩し、研究方法が新しく発見されるたびに施設が増えていく。もう、村の下全部に広がっとるわい」
(え……)
村全体と聞いて、武が顔をひきつらせた。ということは自分の家の下も……。
「じゃが、この村の土地以外は日本の領土じゃ。それを1ミリ、1ミクロンでも犯せば、領土侵犯となる。そじゃから、やっこさんらは下へ、下へと進みよって、いいかげん、来るだけで疲れるのなんの……」
ぽきぽき…と村長は首を鳴らした。
ほんと、わしゃ、ここにくんのいやなんじゃ…、あんな、せまっくるしい箱に乗って、何時間も座っとるなんて…、ほれ、見ぃ。10時のおやつの時間じゃないか。わしゃ、帰るぞ…と、短い手足をばたつかせ始めた。
村長、村長、おやつなら俺がお袋から預かった豆大福がありますから…。ね、俺の分もさしあげますから、話の続きを…と伸治がなだめすかす。これに、そうか…?と、村長は振っていた手をぶらんと下げた。
さっきまで国家がどうのと深刻な話をしていた村長が、急にだだっ子みたいにすね始めたのを見て、自分もつい、緊張感が抜ける。
「うまぁい」
また村長が豆大福を口一杯にほおばってリスみたいになると、それまで黙って話を聞いていた和也たちも次々に大福に手を伸ばし始めた。
「やっぱり、伸治さんのお袋さんの豆大福うまいですね」
「こしあん、こしあんくれ」
「和也、こしあん全部食うな!」
「あ、茶がねぇ。武、茶」
「え?」
「茶だ。茶、早くしろ」
「…分かりました」
涼介に言われて、仕方なく武はにソファから立ち上がった。
(って、どこに急須が…)
きょろきょろと辺りを見渡していた時だった。部屋の自動ドアがシュ…と音を立てて開いた。これに武は自然と顔をそちらに向けた。
「お待たせして申し訳ありません。村長」
(か…、カッコイイ!)
思わずそう叫びたくなるほど、入って来た中年の男はダンディな美男子だった。
美男子と言っても和也や涼介の様な非常識な顔じゃない。まるで違う。
昔の映画に出てくる英国紳士みたいに品のある顔立ちだった。
年は40代後半か、身長は180センチくらい。一重の眼に何本か刻まれた皺が知的な印象を際立たせていた。髪は白髪が多く、銀髪に近い色になっているのも渋くて良い。
若い頃は、どれだけ美男子だったのだろうと思わせる男ぶりだ。
「少し手間取りまして…」
武が見惚れていると、中年の男はそう言いながら中の方に歩いてきた。
歩幅が広くゆったりとしている。
歩くとふわっと浮く白衣の下のスーツは高価なものだと一目で分かった。靴もイタリア製に違いない。父はともかく、秘書の野口が同じ様に高価なスーツを着ていたから、武には自然に見る目が養われているから間違いない。それがまたものすごく似合っている。
「なに、忙しいのに無理言ってすまんの」
「いえ…、村長に、ご協力いただいたので助かりました。ちょうど伸治君の豆大福がありますから…で切れていますから、ご安心を…」
「なんじゃ、わしの豆大福の豆の良し悪しの話は入っとらんのか」
「すみません、そこは省略させていただきました…」
長いので……と、言いかけて彼は止めた。
英国紳士は村長と短く話をすると、ふと武に振り返った。
「あ…、は、初めまして。宮野武と申します」
いきなり自分を見た男に対し、少し驚きつつも武は礼儀正しく両手を体の横に垂直に伸ばし、頭を下げて挨拶をした。
だが、武の折り目正しい挨拶に、英国紳士は困った様な顔をした。
その…と言いかけて、何か思案する風に軽く腕を組み、右手を口元に当てる。
「武くん、我々は正確に言うと初対面ではないんだよ。だから、初めまして…とこたえて良いのかと思ってね」
「え…?」
「いや…、気にしなくても良い…。私も彼ら同様に少し正体を隠していたからね。気づかなくて当然だ」
(う…、うそ…。こんな人覚えてないなんてない…。断じてない…。い、いや、待て…。なんか言った。正体…)
ちらっと武は視線を涼介たちに向けた。
「私の名は、宮野真守。聞き覚えがあるだろう?」
(真守…。そう言われれば、どこかで……)
武が焦ったように目を白黒させて口ごもると、紳士は苦笑いに似た微笑を浮かべた。
残念だ。どうやら名前も覚えてもらえていなかった様だ。
仕方なく、彼は自分の口から教えることにした。
「私はね、君の担任だよ」
へ…?と武は顔を上げ、次に、
「ええ!!」
と驚いた。
武が大声を上げると、和也と涼介が、うるせぇ…とあからさまに眉をひそめるのが目の端に入る。だが、そんなことを気にしている場合ではない。
(た、担任…、担任って、あれか?あの……)
牛糞―――――――。
ぶるぶるっと頭をふる。
(ま…、まさか…。この紳士が…)
あんな一言を……。
「す、すみません…。その…、いろいろ…」
それもそうだが、学校をさぼったのを思い出し、武は口ごもった。
「いや、謝る必要はないよ。元々、人に気づかれない様にするためのものだからね。忘れるくらい効果があるのはいいことだ」
「あ、あの、それ…」
真守の言葉に、武はうつむいていた顔から上目使いに彼を見た。すると真守はおかしそうに目を細めて、
「これはね、通称“影”と言うものだよ」
と、口元に優しげな微笑をたたえた。