祭編―6―
村長の言葉に周りの空気が固くなった。
「涼介。お前から話してもらおうかの。武―――」
「は、はい」
急に村長から名を呼ばれた武は、反射的に返事をしてしまった。
「これから涼介が話す事をよく聞いておけ。その後に間違っていると思ったもの、なにかつけくわえたいものがあれば、話すといい」
はい…と、これもなぜか素直に返事をしてしまう。
なんだろうか。チンチラの様に髪もひげも、目が隠れるくらいに長い眉も真っ白で、顔も、よく見えない小さな老人が有無を言わせない気配を持っていた。
では…と涼介がそうした村長を見て、あの出来事を語り始めた。
「例祭は通常通りに始めました。式も札も歩数も例年通りです。我々も左右に坐し、なにごともなく終わろうとしていました。それが突然でした。吐息に近いくらい、小さい声が武の口から洩れたのは―――。あまりにかすかで、俺たちもまさか…と思ったくらいです。すると岩戸の結界が破れて“跳梁”が出現しました」
(え……)
「記録通り、“跳梁”は白い光でした。直径約2メートルの筒状の形をしており、中央の結界を破ってまっすぐに進み、武の体に巻きつきました」
ごくりと唾をのむ音が聞こえ、武が目を横に向けると、父の蒼白な顔が映った。体が小刻みに震えている。
武は一瞬、何かを言おうとしたが、その顔を見てうなだれてしまった。
「俺と和也さんで左右から血封札を投げました。それで一瞬、“跳梁”が武の体から離れた隙に、座椅子ごと武を円陣から出しました。和也さんは封鏡を拾い、左手を斬って鏡に塗り、俺は武の胸を十字に斬って血をつけた後、自分の左手を十字に斬り、和也さんが岩戸の中央にかかげた鏡を短剣で割りました」
涼介の話を、誰もが無言で聞いていた。
「鏡は砂状に砕けると周辺に散り、“跳梁”を吸い込んで武の頭上に集まり、元の姿に戻りました。以上です」
あれだけの大惨事を、涼介はそう淡々と短く語って終えた。
「あ、あの…、あの…」
話が終わると、武が待ちかねていたようにと言うか、はたまた思わずというか、しゃっくりみたな声を出してきた。
目が正気な感じじゃない。きょときょとしていた。
「なんじゃ」
「その…、“跳梁”って…」
つまり、そういう事だった。
「なんじゃ、祐輔。おまえさん、息子に話しとらんのか」
村長の言葉に、震えていた祐輔が、はっとした。
「す、すみません…。そ、そういえば、話していなかったかも知れません…」
あまりにもそれを知っているのが一族として当たり前に思っていて。
「その…、あせっていて…」
「ま…、いたしかたないの…」
つぶやくように口にした村長の声は優しかった。
「小僧よ」
村長が武に顔を向けた。白い眉やひげで表情はまったく分からないが。
「“跳梁”とはの。大昔、我らの先祖が封じた化け物の名じゃ」
「ば…、ばけもの…」
「うむ、それはそれは強大な化け物で、この世を荒らしてまわった。それをあの洞窟に封じたのじゃが、千年ほど経った時、再び結界をやぶって姿を現した。それをもう一度封じはしたが、最初の封じより力が弱く、3年に一度、封じをやり直さねばならなくなった。それがあの例祭じゃ」
そこまで語った村長が、ふいに顔を上げた。
「やれやれ、時間切れか…。涼介、和也。続きは真守と共に聴こう」
はい…と、ふたりがこたえた時、廊下の向こうから、どたばたと大きな音を響かせて誰かが走ってきた。次に障子が、ばん…と音を立てて開く。
「村長!」
開かれた障子の方を見て、武は後ろに倒れそうになった。
障子を開けて入って来たのは男だった。
それも身長190センチを超える大男が、障子を両手でつかんで立っていた。
これくらいなら伸治という、もっと大男や、突如変身した涼介と和也など、もう珍事に慣れっこになっていた武は大して驚かなかったはずだ。が、その人物は、村にまったく似つかわしくない黒いスーツに黒いサングラスをかけた白人男性だったのだ。それも開いた上着の下の両脇に、ガンホルダーがふたつも見えていた。もちろんそこには拳銃が入っている。
「村長、“跳梁”は…、“跳梁”は……!」
そして、ひっ迫した、ものすごく流暢な日本語で言ってきた。と、急に武の方に顔を向け、
「きさまか!この…!なんて真似を!」
今にも銃を抜きそうな勢いで怒鳴り始めた。
「きさ…!ぐお…!!」
が、急に詰まった声を上げ、その場にうずくまった。
「このアホ!静かにせんかい!」
うずくまった外国人の前に、いつの間にか村長が立っている。
「村長に蹴られた…」
(えっ!)
ぼそっと涼介が耳元で言ってきたものだから、武の方が肝を冷やした。なにせ相手は銃を持った男。身長だけじゃなく、胸板が厚く、がたいもいい。なにより威圧感がすごかった。少しでも逆らえば殺されそうな威圧を持った人間のむこう脛などけったら、あの小さな村長は一発で殴り殺されるのでは。
「も…、申しわけありま…せん…」
しかし、武の心配をよそに、外国人はむこう脛を両手で押さえながらブルブルと体を震わせ、うずくまってもまだ、自分より小さい村長にあやまってきた。
「そもそも何度言えば分かる?廊下を走っていかぁん」
すみません…と、さきほどと打って変わって声が小さいのは、よほど脛が痛いらしい。
「村長に蹴られると、軽く俺の千倍は痛い」
また涼介がぼそりと耳元でつぶやく。
え?あれより痛いの?
10日間の事を思い出し、たらりと武は冷や汗をかいた。
「あれは封じられた。真守からそう連絡が入っているじゃろうが。わざわざCIA長官が出張ってくるこたぁない」
「し…!」
思わず声を出しそうになったのに、涼介から口をふさがれる。
(な…、なんだ…。なにが起こっている……)
「お…お言葉ですが、村長。これは報告だけで済む事態ではありません……」
大男の外国人が下げていた頭を上げ、サングラス越しに村長を見た。村長はうずくまる彼を上から、むっとした顔で睨んでいたが、
「ふん…、まあ、ええ…。そっちに座れ…」
とことこと歩き出し、元居た場所に座った。
外国人は脛をさすりながら立ちあがると、少し引きずる様にして歩き、部屋の中に入って来た。
「お久しぶりです。ジムさん」
外国人が入ってくると、和也と涼介、祐輔まで立ちあがって、あたり前の様に挨拶をした。
「久しぶりだな、祐輔。元気だったか」
ジムと呼ばれた外国人は、武の父の肩をぽんとたたき、そうこたえてから、和也、涼介の手にまかれた包帯を見て、心配そうな声を出した。
「和也、涼介。……大丈夫か?」
「たいした事はありません。ただ、体力を削られて、このざまです」
和也の言葉に、同じくです…と言って涼介が頭を下げる。
「そうか…。ああ、そんなことは気にしなくていい。しかし…、君らが怪我をするとはな……」
ジムはサングラスを外しながら驚いた風につぶやいた。それから村長…と声をかけると、視線を下に居るチンチラに向けた。
「経過は報告した通りじゃ。“跳梁”は現れたが、無事に封印された」
「ですが、村長…」
「英彦から聞いておる。深刻な怪我人はおらんのじゃろ?」
「はい…」
「ふむ…。しばらくは様子を見る必要があるじゃろうが、封印は完全じゃ」
そうですか…と、ジムはわずかにうつむいた。そして何かを言いかけると、先に村長が口を開いた。
「しばらくは、このふたりに監視をさせる」
「ですが、こちらからも人を出させていただきます…」
「分かっとる」
村長は、むっとしたまま返事をした。これにジムはありがとうございます…と短く言って、すこし間をあけるためか、軽く咳ばらいをした。
それから姿勢を正して、改まった口調で次の様に言った。
「アメリカ合衆国は神谷村との誓約に従い、今回の件について、守子1名、世話役2名、および関係者である伸治の4名に対し、事情聴取を要求します。これは強制であり、拒否権はありません。彼らの…」
「分かっとると言うたじゃろうが」
ジムは村長が不機嫌に口をはさむと、途中まで言いかけた言葉を飲み、
「では、のちほど正式文書をお渡しします」
正座した姿から軽く頭を下げて立ち上がった。と、和也が送りますと言って一緒に部屋から出ていった。
その姿を見送った村長は、後ろを振り返ると、
「祐輔、おまえも今日のところは帰れ」
うなだれていた元M/YRグループの社長に言ってきた。
これに、はいと返事をし、息子にまた来るからね…と寂し気な顔をして、父は村長と出ていった。
「大丈夫ですか?」
黒いサングラスをはずし、目頭を押さえるジムに、和也が気づかう風に声をかけた。
夏の午後、スーツに身を包んだ白人には、日本の蒸し暑さはひどくこたえるだろう。
「あれから9時間ちょい。いったいこんなに早く、どうやったんです?」
「ラプターを使った…」
「うは…。無茶しますねぇ」
「まったくだ…。私の様な歳の人間が乗るものじゃない…」
今年59歳、空軍在籍歴を持つ彼は、緊急連絡を受けて本国から最大速度マッハ2.42、巡航速度マッハ 1.72のステルス戦闘機「F-22ラプター」に飛び乗った。
軍・民、各管制塔にトップシークレットの緊急連絡を入れて最短空路を確保。途中、空中給油を受けつつ横田基地に7時間で着いた。
さすがに日本の上空を戦闘機で飛ぶ事はできない。仕方なく、そこからヘリで神谷村に向かい、学校の校庭に着陸したのは、連絡時から9時間12分後。疲労を感じる暇もなく、村のあぜ道をひた走った。
そうして極度の緊張状態にあった彼の見たものが、涼介の話を聞いて、口をぽかんと開けていた武だったという訳である。
「それにしても、なんなんだ、あの子は…。これだけの不始末を起こしたと言うのに、ぼうっとしおって…」
であれば、感情を吐露してもしょうがないだろう。それに彼の緊張は、まだ完全に溶けた訳ではなかった。まだ多くの問題を抱えたままである。
「あわや核兵器以上の脅威をもたらしたかも知れないと言うのに、呑気なものだ…。和也、あの子は本当に宮野一族なのか。私にはとうてい信じられない」
「突然変異ってやつですよ。白い虎から赤と黄色の斑ゴキブリが生まれるって感じですかねぇ」
「斑のゴキブリね……」
和也の言葉に、ジムは苦笑いをした。当らずや遠からず――。
確かに体のあちこちに黒と青の痣がついていた。この一族と言うのはまったく……。
「あいつは宮野一族ですよ」
ん…?と言う風な顔をして、ジムが横を歩く和也に振り返った。
「俺と涼介の血では、“跳梁”は一瞬、怯んだだけでした」
「……………試したのか…」
「ええ。ですが、無駄でした。あいつの血しか鏡は反応しなかった」
「反応……?」
「そうです。反応し、“跳梁”は消えた。60年前と同じです」
「………………………」
「武が居なければ“跳梁”は封じられなかった」
感謝すべきでしょう――――?と、和也はにっこりとジムに笑って見せた。
「………………………」
日本の夏は蒸し暑い。特に昼下がりは。
「祐輔に……」
さらに日差しも眩しい。
「悪いことをしてしまった…。彼の息子に向かって、あんな風に…。後で謝罪に行くよ…」
アメリカ人は顔に流れる汗を拭くと、もう一度サングラスをかけた。