村人の立ち話。涼介と英彦の場合
「涼介、涼介」
田んぼのあぜ道を歩いていた涼介に英彦が後ろから声をかけた。
おかげで涼介の早い足が止まった。助かる。もう息が切れて膝が笑っている。僕は体力がないんだ。その上もう歳だ。涼介みたいな若人に僕の苦労は分かるまい。
「ま…祭りの準備の方は進んでる?」
ぜいぜいと肩で息をしながら英彦が聞く。すると若人は苦い顔をして、頭をぼりぼりかいた。
「灯籠は庄治達が青年会議所に集まって、ぎゃあぎゃあ騒いでうるさいですが、まあ、なんとか作っています」
”庄司”は小学生。”達”はその他の小学生と小学生以下の餓鬼ども数人。
「間に合いそう?」
「……恐らくは…」
「そうか。それを聞いて安心したよ」
なら、やぐら作りの手伝いに行ってもらえないかなあ…と言いつつ、
「ほんと悪いねぇ。お前にまかせっきりで。もう少しすれば伸治の手も空くと思うんだけど、こればっかりはしょうがなくてねぇ」
確かにしょうがない。
人口95人の村で青年会には現在、涼介を含めて3人しか居なかった。
一人は会長の英彦、もう一人は今年大学を卒業して村に戻ってきた伸治。この内伸治と涼介は若者であることから村の力仕事が回ってくる。
そこになぜ英彦が入っていないかと言うと、
「ほんと、僕は虚弱体質だから力仕事はどうもねぇ…」
だからである。
虚弱体質は英彦のアピールポイントだった。彼はこれを事あるごとに口にする。
確かに25歳にして役場から涼介の居るあぜ道まで18メートル21センチの距離を小走りするくらいで息切れするのだからかなりの虚弱体質だ。
が、しかし、彼より17センチ背が高く、体力も1万倍勝る涼介がこの虚弱体質に対して非常に礼儀をもって接した。彼は自分より年上であるからだ。この村では年功序列と言うものが生きていた。それも至極強烈にである。
そう、年上だし、英彦だし、村役場助役だし、英彦だし、村長の孫だし、英彦だし。だから自然、言葉づかいも普段と違って丁寧になる。
「分かりました。和也さんも明日には帰ってくるって言っていましたし、今日中に仕上げます」
涼介がそう言うと英彦の綺麗にカットされた眉が、ひょこっと上がった。
「なに?和也と話したの?」
「はい、昨夜電話しました」
「なに、あいつ電話出るの?」
「出ました」
「はあ?僕が電話した時には出なかったよ」
――――それは相手があなただからです。あなたの事だからイタ電並みにかけ続けたのでしょう。
「そうですか」
「ほんと、出てくれないと困るんだよねぇ。『守子』が決まったから至急村に戻るよう伝えろって村長がうるさくて…」
「それは3日前の電話で伝えておきました」
「え?!なに!?知ってるの?!え?3日前ってなに?!」
身長161センチの英彦が178センチの涼介を見上げて大声を上げる。
「3日前なら僕も電話したよ。なんだよ、なんで僕の電話に出ないでお前のは出るの?ほんんと相変わらず嫌な奴だな」
―――――嫌なのは俺の方です。あなたがそうだから俺が“あいつ”に電話をかける羽目になるんじゃないですか。
「大事な用があったみたいです」
「大事な用?」
はい…と涼介はうなずき、
「なんでも初めて合コンに行ったそうで」
「合コン?」
「はい。その中の一人とちょっといい感じになって…」
なあんだってえええ!と、英彦が昼ドラの俳優みたいな顔と動きをした。
「いやいやいやいや、それはない!絶対ない!和也が女の子に好かれる訳がないだろ?あの顔だよ?!」
―――――まったくです。
「英彦さん、それはいくらなんでもかわいそうです。別に見られないって訳じゃないし、慣れれば結構、平気です」
―――――慣れるのが可能ならば。
「本人も大分気を使って大人しくしているみたいですし…」
「ば…!涼介、お前、相手の身になってみなさい!あいつは万年発情期の野獣だよ!なにがあったか知らないけど、目があっただけでその場で押し倒すやつだよ!」
―――――いや、そんな勇気はないと思います。相手が女に限ってですが。
「その辺は…、分かりませんが…。でも翌日電話があって二人きりで会ったそうです」
なんだってええええ!!
「そ、それで…、それで……」
ゆっさゆっさと涼介の二の腕をつかんで虚弱体質が揺らした。頭が前後に揺れて気分が悪くなる。
「それからどうしたのおおお!」
「…な…んか…、おん…、な…、が、お、お揃いのブレスレットが欲しいって言い出して…」
英彦が揺さぶるものだから声もぶれる。
「ブ、ブレスレットおおお!?」
「…で、お…、おん…なの知っている店とかに…行って…」
「行ったああああ!?」
「そ…、そしたら…、お、おんな…、がブレスレットと一緒に…、す…、す…、水晶玉が…、ほ…、欲しいって―――」
「え…?」
揺れが止まった。
「値段見たら180万円って書いてあったので金がないと言ったら、じゃあ今度にしましょうと言われてそのまま別れたらしいです。女の方から連絡すると言うので、今連絡待ちしているそうです」
「…………………………なに、それ……」
「連絡待ちです」
「涼介!なに普通に言ってるの?それ詐欺でしょ!デート詐欺!」
「ああ」
「ああ…、じゃない!電話している時点で気づきなさい!もう、これだからお前も和也も…!」
ほんとにこの二人は…、これだから……、
『第1級・特殊危険物』に指定されるんだ。
「いや、良いんじゃないですか?デート詐欺でも、ワタシワタシ詐欺でも。和也さん、若い女と口きけたんですから。5分だったそうですが生まれて初めて女の子と二人きりで茶ぁ飲んだあ…って男泣きしてましたから」
その女の電話を丸三日正座して待ち続けていたために帰ってこず、2度目の電話をする事になった涼介は大いに迷惑をしたのだが。
「180万払った訳じゃないですし。むしろタダで女と話が出来た訳じゃないですか。和也さんの身になれば100億の水晶玉を買ってでも話したいところがタダだったんです。儲けものです」
だが、あの顔だ。これを逃せばもう2度とないかも知れないんだからと珍しく涼介も同情した。
「そうだ…」
けど――――。
と言いかけて、英彦は口を閉じた。
(止めよう……)
焦燥した顔でがっくりと肩を落とす。
この二人に常識的な話をする方に無理があるのだ。
第一さきほどつい驚いて、わめいたせいで酸素切れだ。虚弱体質に大声は辛い。
仕方ないので話を切り替えよう。
涼介―――、
「ところで見た?」
「はい。昨日教室で」
「ああ、そうか。そうだね。まだ夏休み前だったねぇ」
「でも見たのは昨日だけです。あの野郎、今日授業さぼったんです」
「まあ、良いんじゃない。どうせ明日から修行で授業受けないし」
“先役”と“前役”が和也と涼介で、人らしい暮らしができる最後の日になるんだから。
(……………)
「なんかさあ…」
「はい」
「つまんない子だったねぇ」
英彦はためいきをついた。
「祥子さんが超美人だから期待してたのに」
「はあ…」
「それなのになに?あの顔。ちっとも似てない。ブサイク」
(確かに……)
英彦さんから見れば男はみんなブサイクだ。この人の女好きは桁違いだからな。
ああ、いや和也さんもか…。まあ、ここではどうしてもそうなってしまうが。
そういやあ、どんな面してたっけか。あんま覚えてねぇ…。言われてみると面白味のねぇ面だった気が……。なんかのっぺりしてたな。ああ、そうそう。あれだ。あれ…。
「僕はもっときれいな、おん…、ものが見たかったのになあ。涼介もそうだろう?ああ、東京に戻りたいなあ…」
(そこらじゅうに可愛い女の子が居るなんて、ここじゃ信じられないもん…)
この村を出られるのは一つの重大な任務遂行のためだけである。
それを完遂すると村に戻ってこなくてはならない。英彦はもう成し遂げていた。ためによほどの理由がなければ出られない。それもそうだが、彼は村役場唯一の職員だった。彼が居なければ役場の仕事が滞ってしまう。
「仕方ないけどさあ…。今回ばかりはねぇ…」
「まあ、そうですね」
「10日しかないでしょ?大丈夫?」
「生きていさえすれば良いだけですので大丈夫です」
(う……)
この言葉に少しばかり楽しい空想にふけっていた英彦が常識に立ち返った。
そう、涼介はそういう風な性格の持ち主だった。
(和也か……)
とは言っても、まだ涼介の方が1ミクロンほど手加減するだろう。ただ単に脳に神経が通っていないから行動しないと言うだけの話だが。
しかし、和也はまさしく野獣だ。自分が唯一抑えきれない本能のみで動く野獣。
(う~ん…、これ…、あれだな……)
あの子はただの生ける屍になりそうだ。