諸刃の剣をその身に秘めて
遊森謡子さま企画。
春のファンタジー短編祭(武器っちょ企画)参加作品です。
(どうしても参加したくて急遽書き上げました)
●短編であること
●ジャンル『ファンタジー』
●テーマ『マニアックな武器 or 武器のマニアックな使い方
「城から、また召喚状が来たぞ」
そう言って、やたらと仰々しい紋章が封をする手紙を差し出しながら、私へと近づいてきたのは知り合いの騎士ベールだった。
そのとき私は自宅の秘密の書斎で秘密の読書の真っ最中だった。
つまり彼の来訪を許可した覚えはないし、許可を求められても無視するつもりだったのだが、どういうわけだかベールは我が物顔で、手紙をひらひらさせている。
「不法侵入です」
「ノックはした」
「入って良いとは言っていません」
「どうせ居留守使う気だったんだろ」
「それがわかっているなら、私に仕事をする気がないこともわかってるでしょ?」
「だから無理矢理上がり込んだんだろう」
彼が勝手に家のカギをこじ開け、仕事を押しつけに来るのはいつものことだが、それに対する反省の色が日に日に薄れているのは問題だ。
なにせ、見てくれは悪いが私は歴とした女子である。
着ているローブがヨレヨレでも、3日に1度しか風呂に入らなくても、読んでいる本が口外できない内容の物だとしても、私は未婚の乙女なのだ。それも花も恥じらう18歳なのだ。
そんな乙女の部屋にズカズカ上がり込むなんて。その上乙女の秘密の読書を邪魔するなんて、騎士の風上にも置けない。
けれど今年で33になるこの無骨な男はあろう事か騎士団の長だ。
逆にその肩書きが乙女の生活を踏みにじる鈍感さを後押ししているのか、私の憤慨に気付きもせず、彼は良く通る声で手紙の中身を朗読し始める。
勿論かたくるしい口上など聞きたくもないのですぐ阻止したが。
「読書中なので静かにして貰えますか? 今凄く良い所なんです」
と言いつつ本に目を戻すと、ベールがわざとらしく呆れた顔をする。
「また変な本読んでるのか?」
「これは仕事道具です。師匠から譲り受けた立派で崇高な書物なんですよ」
少なくとも私にとってはと心の中で付け加えつつ、私は仕方なくベールの手から手紙を奪う。
それに軽く目を通し、わかりきっていた召喚理由を確認すると、私はため息混じりに手紙をくずかごに放った。
「また夢魔が出たんですね」
「ああ。それも、襲われたのはエイオス伯爵だ」
「あの誘い受けっぽい貴族ですか……」
「誘い?」
「こちらの話です。それよりここに書かれた『すぐ』とはどれくらいすぐですか?」
「今すぐだ」
「この本を読み終えてからでは駄目ですか? あとちょっとだし、今山場なんですけど」
「今、すぐだ」
言うなり本を無理矢理閉じようとするベールに唖然としつつ、私は慌てて栞を挟み込む。
「せめて3分待ってください。本当にいいところなんです」
「その3分でエイオスが死んだらお叱りどころじゃすまないんだぞ」
「夢魔くらいすぐに祓いますから!」
「すぐ祓えるなら今すぐ行ってすぐ帰ってくればいいだろ」
「行って帰ってくる時間が惜しいんですよ」
主張に主張を重ね、どうにかして3分をひねり出そうとしたが駄目だった。
気がつけば本は取り上げられ、代わりに外套と仕事道具の入ったカゴを持たされたあげく、ベールの腕にがっしり捕まってしまったのだ。
年や経済的格差はもちろん、私とベールの間には見事な体格差まであるので一度捕まると私に勝機はない。
「凄く良いところだったのに……」
「そんな泣きそうな顔すんな」
「ロクに本も読まない脳みそ筋肉のベールには、私の気持ちはわからないんです」
そう言って泣き真似をすれば、私を馬に乗せようとしていたベールがたたらを踏んだ。
強引な所もあるが、基本的に女の涙にベールは弱い。例えそれが嘘の涙とわかっていても無視できないほどに。
そしてその弱さを、私は誰よりもわかっているし、誰よりも嫌らしく突くことができるのだ。
「本の続きが気になるあまり、私が仕事に失敗したらどうするんですか」
「うるせぇなぁ。泣き言はあとでいくらでも聞くから、とにかく今は城に行くぞ」
「聞くだけですか? 謝罪とか、お詫びのご飯とかはなしですか?」
「お前、ホントきたねぇな」
「でも年下に言いたい放題されるの、嫌いじゃないでしょ?」
と嘘の涙を拭いながらいえば、ベールは不満そうな顔で短い髪をかき上げる。
「メシだけだぞ」
「ちゃんと、イオさんも呼んでくださいね」
「お前、ホントにあいつが好きだな」
「あなたほどじゃありませんが」
私の言葉にベールは照れた表情を隠すように眉を寄せたが、私が絶対だと繰り返せば最後は渋々頷いてくれる。
「仕事が終わったらな」
「終わらせますよ、すぐにね」
現金な奴だと唸るベールに笑顔を向けて、私は意気揚々と馬に跨った。
私の住まいがある西の町はずれから、王都中央通りを10分ほど馬で駆ければ、そこに目当ての場所はある。
リゼリニアン建築の最高傑作と賞される美しき2対の螺旋の塔を持つその建造物は、我が祖国リンドルの象徴アルデイラ城だ。
500年以上も前の建築物なので様式は少々古めかしいものの、装飾一つ一つにまでリゼリニアン大理石を用いた城の美しさは未だ衰えていない。
色あせぬ美しさを保ち続ける城には、王の寝所や政治を執り行う議会場や騎士団の本部なども置かれ、多くの王族と貴族が暮らしている。
そんな城に、もちろん私のように貧乏魔術師が足を踏み入れる事など普通は許されない。
けれど師匠から教えて貰ったとある技術のお陰で、私は時折こうしてこの城に召喚される。
そして私がこの城に足を運ぶ時はたいてい、城の美しさを覆うほどの暗い闇と魔力がうごめいている。
「感じるか?」
城の正門前で私を馬からおろしつつ、尋ねたのはベールだ。
それに頷きながら、私は悪しき気配にため息をついた。
「祓っても祓っても、この汚い気配は消えないんですね」
「仕方ないさ、ここには夢魔が好む心根の腐った人間が多い」
彼の言う夢魔とは、欲の多い人間の魂を何よりのご馳走とする、姿無き魔物のこと。
夢魔に目をつけられた者は、目覚めのない深い眠りに誘われ、最後は魂を悪夢の中に閉じこめられてしまう。
悪夢に打ち勝つだけの強い意志と鋼の精神力があれば夢魔を打ち負かすことが出来るが、そもそも夢魔に狙われるような輩はそんな物を持ちえない。
たいていの者は悪夢に負け、魂を奪われてしまうのがオチだ。そして魂が無くなれば肉体も滅び、待っているのは死のみ。
その上さらにたちが悪いのは、夢魔には実体がないため剣や魔法で攻撃することは出来ないことだ。
だからこそ、私がこうして呼ばれるのだ。
憑代の魔術師と呼ばれる、この私が。
「面倒だけど、ご飯のためにもがんばりますか」
改めて気合いを入れて、私はベールと並んで城門をくぐる。
そのとき、不意にベールが私の頭をこづいた。
何事かと顔を上げると、柄にもなくベールが心配そうな顔で私を見下ろしている。
「なあ、サルク。もしも夢魔が強い奴なら、無理して勝とうとしなくて良いんだからな」
「どうしたんですか藪から棒に」
「引きずってきた俺がいうのもおかしいが、最近お前への仕事が増えすぎてるきがしてな。だから、あんまり無理はするなよ」
「じゃあ断って良いんですか?」
「読書は理由にならんが、勝てる見込みのない戦いはするな。夢魔に憑かれるなんて自業自得な奴ばかりなんだ、命がけで助ける意味はない」
「そんなこと言って良いんですか? 依頼主は、一応上司なんですよね?」
「無能な上司が一人や二人消えたって問題ない」
「もしかして、案に殺してくれって言ってます? いやですよ、暗殺の片棒なんて」
それに夢魔退治は苦ではないと主張すれば、ベールは困った顔で頬をかいている。
「無能な上司より、お前の方が大事だってそう言う話だ」
「大丈夫ですよ、私は強いんです。そして、色々とたくましいんです」
だから財布の心配だけしてなさいとこづき返したとき、遠くで私の名を呼ぶ声がした。
はっとして顔を上げると、城内へと続く巨大な扉の前で美しい銀髪が揺れている。
妖精の羽根よりも可憐に輝く銀髪。そしてそれに縁取られた美しく整った顔立ちに、私は思わずうっとりと息を吐いた。
騎士団一の美丈夫と賞されるその銀髪の青年は、ベールの部下であり騎士団の副団長でもあるイオである。
「いつ見ても、イオは美しいですよねぇ」
思わず考えが口から飛び出せば、横のベールが不機嫌な顔で唸った。
「あんな奴のどこが良いんだよ」
「そんなこと言って、本当はイオのことが大好きな癖に」
私の言葉にさらに顔をしかめるベール。
それに思わずニヤニヤしていると、イオが私達の前まで駆けてきた。
「待ってたよ、サルク。今日は、何だか個性的な髪型だね」
「きれた洗髪剤の代わりに石鹸で頭洗ったら、何かごわごわになっちゃって」
「でも僕は嫌いじゃないな。髪はかたくても、相変わらず君の瞳は綺麗だし」
と騎士らしい態度で私の手の甲に口づけを落とし、それからイオはベールにニッコリと微笑みかける。
対するベールは顔をしかめたが、それが逆に私は楽しくて仕方がなかった。
「そんなに妬かなくて良いんですよ」
「妬いてねぇよ」
ぶすっとこぼすベールはさらに私を喜ばせたが、これ以上からかうといじけてしまうのでここはぐっと我慢する。
「イオ、今夜はベールに奢らせる約束したので、体をあけておいて下さいね」
「どうせなら二人で食事しない? 団長には財布だけ借りて」
勿論ここでもベールが不満を口にするが、イオは何処吹く風である。
こういう無骨な上司と、それをあしらう美しき副官のやり取りというのは、端から見ていると非常に楽しい。
出来ることならいつまででも眺めていたいが、残念ながら仕事があるので今はここまでだ。
「じゃあさくっと仕事してきますから、あとでまたイチャイチャしてくださいね!」
私の言葉にイオは微笑み、ベールはやっぱり不満そうな顔。
それに内心ニヤニヤしつつ、私は仕事を手っ取り早く終わらせるために、城の奥へと進んだ。
夢魔に襲われたエイオス伯爵がいるのは、城の西塔にある来賓用の客室だった。
自室でないのは執務中に倒れた事が原因らしく、部屋の外では彼の部下達が心配そうに様子をうかがっていた。
その中にいたエイオス伯爵の副官らしき男から一通りの事情を説明された後、私は一人客室に足を踏み入れる。
部屋には夢魔が嫌うとされるシンカの葉から作られた香がたかれており、その中でエイオス伯爵は苦悶に顔をゆがめ、寝台に横たわっていた。
とはいえ悪夢に閉じこめられてまだ時間がたっていないのか、顔色は悪いがそれほどやつれてはいない。
素早く夢魔を祓えばすぐに意識が戻ると判断し、私はそれを扉越しに副官やベール達に伝えた。
廊下で待つ者達が安堵するのを肌で感じた後、私は内側から扉に鍵をかける。夢魔は近くにいる人間に魔力を移すことがあるので、それを防ぐための処置だ。
「それでは術をかけますので、絶対に中に入らないようにお願いします」
決まり文句となっているその台詞を告げると、私はエイオス伯爵の側に向かいながら、仕事道具の入っているカゴを開け、中から銀の鎖を取り出す。
その鎖でエイオス伯爵の右腕と私の左腕を素早く繋ぎ、私はベッドの縁の腰をかけた。
あまりにあっけないが、これで準備は完了だ。
あとは私の腕次第だと自分を奮い立たせつつ、私は鎖に魔力を込める。
するとエイオス伯爵を取り巻いていた黒い魔力が鎖を伝い、私の中へと少しずつ移り始めた。
その魔力こそが、夢魔の正体。悪夢を見せる原因である。
それを自分に移し、強い精神力で自らの内にて駆逐することが私の仕事なのだ。
夢魔を身に宿すことから、憑代の魔術と呼ばれるそれは古来より伝わる破魔の秘術と呼ばれている。
秘術と言われるくらいだから勿論使える者は少ない。
とはいえ、憑依させるまでならそう難しい術ではない。問題はそのあとなのだ。
夢魔を体に入れれば悪夢の矛先は自分にも向かう。それに耐えられなければ待っているのは死であり、その危険性の高さから憑代の術を扱う者、憑代魔術師を名乗る者は今や殆ど残っていない。
この国では私と私の師匠をいれても5人しかおらず。
その上師匠は1年の殆どをこちらにいないので、ほぼ4人。
中でも私は一番の腕利きなので、こうして呼び出される回数はだんとつで多い。
おかげさまで夢魔が身の内に入る不快な感触にも、もうずいぶんと慣れてしまった。
それどころか今日の夢魔は妙にちんたらしており、なかなか私の身の内に入りきらないのろさに腹をたてる余裕まである。
しかたなく、さっさとしろという思いを込めて鎖を強く握り、私は自分魔力で夢魔をつかみあげ、無理矢理内に押し入れる。
夢魔は私の強引なやり方に少々驚いている様子だったが勿論無視だ。
獲物は逃がさないし、好きにはさせない。それが私の主義である。
「さあ、さっさとかかってきなさい」
そう息巻いて、私は夢魔が生み出していく悪夢の中に意識をしずめた。
夢魔の悪夢。
それは偽りの痛みや悲しみで構成された虚無の世界。
しかし夢であるにも関わらず、そこは現実とさほど違いがないように感じる。
意志の赴くまま体は動かせるし、現実と同じく五感もはっきりとしている。
とはいえそれは決して良いことではない。
夢魔はとりついた相手の記憶や思考を読み、一番見たくない記憶や苦手な存在を、生身とほぼ同じ意識と感覚を持つ私達に叩き付けてくるからだ。
私が悪夢に降り立ったとき、最初に夢魔が見せたのは私を捨てた両親の姿だった。
たぶん、これを見るのはもう100回目だろう。こう見えて割と不幸が多かった私の人生の始まりは彼らだし、幼い頃の悪夢の定番はこの侮蔑の眼差しだった。
けれど今更それを悲しいとは思わないし、夢魔もそれを感じているのか、今度はまた別の不幸を私の前にひけらかす。
次々と繰り出される黒歴史。そのどれもが見飽きたものなので痛くも痒くもないが、残念ながら、ただのんびりと想い出に浸っているわけにもいかない。
そこで私は、繰り広げられる嫌がらせ目的の過去回想を打破するために、攻撃に打って出ることにした。
攻撃と言っても、物理的な攻撃や魔法では夢魔は傷付けられない。
夢の中だろうと彼らに実態がないのは同じだし、むしろ暴れて傷を追うのは自分の心の方なのだ。
だからこの場合の攻撃は、悪夢に傷つかない強さがあると夢魔に見せつける事だ。
悪夢にも負けない意志の強さを見せ、絶対的な敗北感を与えること。それが悪夢に効く唯一の攻撃なのである。
ちなみにその戦い方を編み出したのは、敬愛する私の師匠だ。
師匠はこの世界とは別の世界からやってきた異邦人だったのだが、それ故心が綺麗にもかかわらず、日々夢魔に魂を狙われる悲しい宿命を背負っていた。
けれど彼女は持ち前の精神力の強さで、あまたの夢魔を退け、いつしか最高の夢魔祓いと呼ばれるようになったのである。
そんな彼女に命を救われたのをきっかけに、私は彼女を師事し、今はこうして夢魔と対峙できるまでに成長した。
それもこれも、師匠の尊い教えのたまものである。
『いい、サルク。私の世界では、辛いときほど幸せな事を考えろって教えがあるの。だからもし悪夢に捕まってしまったら、自分が一番幸せなことを考えるの。あとは大好きな物とか人とかでもいい。もしくは悪夢のことなんか忘れちゃうくらい夢中になれる物がいいわ』
悪夢の中であえて希望と幸せを見いだし、夢魔を退散させる。
編み出したその戦法を、師匠は私に丁寧に教授してくれた。
とはいえ残念ながら、始めは上手くいかないことも多かった。
私は親に捨てられ、ずっと孤児として生きてきた。
故に私に幸せな記憶はないに等しく、悪夢を祓うほどの武器を見いだせなかったのだ。
だがそんな私を、師匠は見捨てなかった。
その上慈悲深い彼女は、幸せや好きな物がない私に、自分の幸せを分け与えてくれたのだ。
『幸せがないならこれから作ればいいし、好きな物が無ければ探せばいいのよ。ということで、まずは私の幸せを分けてあげる。うっかり日本から何冊か持ってきちゃったから、一緒に萌え……じゃなくて幸せな気分になりましょう!』
と師匠が差し出してくれた物。それこそが私の今の武器である。
師匠が差し出したのは、私が見たこともないような素敵な幸せが詰まった本だった。
そこには私が憧れていた真実の愛があり、熱い絆があり、深い感動があった。
『スゴイでしょ? 胸が熱くなるでしょ? 私はいつも、こういうお話を妄想して夢魔をやり過ごしてるの!』
と興奮する師匠と師匠の本から私が得た物。
それは恋だった。
ただし普通の恋ではない。何せ夢魔を吹き飛ばすほどの恋である。
『私の世界ではね、これをBLっていうの。どんな嫌なことがあっても、BLのことを考えると幸せな気分になれるの』
だからBLは、師匠にとって夢魔を倒す最強の武器であるという。
『ただし選ばれた者にしか使えないのよ。それに諸刃の剣でもあるの。BLを愛しすぎると自分の恋がおろそかになっちゃうから、そっちの幸せは遠ざかっちゃうのよね』
でも体得するなら、夢魔に負けない力になる。
だからもし私が望むなら手取り足取りBLを教えてあげるという師匠に、私は一も二もなく頷いた。
もう既に私はBLの虜になっていたし、私に幸せを分けてくれた師匠に少しでも恩返しをしたいと思ったからだ。
そして修行に修行を重ね、私は一人前の魔術師……いやBLの使い手になったのだ。
どんなところでも妄想できるし、どんな物でも幸せのネタにできる今の私に怖い物など無い。
例え悪夢によって私の大嫌いなイナゴの大群を出現させられても、むしろイナゴBLで乗り越えるだけの強さを私は得たのだ。
だから現在進行形で、イナゴの大群が遠くからやってきているとしても、私に恐怖はない。
むしろ胸を張って、私は迫り来るイナゴをかき消すために、さっそうと妄想という名の瞑想を開始する。
今回私が心に思い描いたのはイナゴ……といいたいが、残念ながら人外系及び擬人化ジャンルは師匠から免許皆伝を頂いていないので、代わりに私の十八番で責めることにした。
私がまず始めに思い描いたのはベールとイオ。
だが重要なのは、そこにBLという魔法をかけることだ。
BL、それは男達が性別を超えて愛し合う究極の幻想であり、私にとってその幻想に最も近いのはあの二人なのである。と言うか、近場のホモがあの二人しかいないので他に候補がいないのだ。
だから妄想の中で、私は二人の服を引っぺがす。その上もちろん、思い描くのは二人は絡むように抱き合っているシーンだ。
粗野で口の悪いベールを押し倒し、嫌がる彼に覆い被さる美青年イオ。その不敵な笑顔をにらみつけながらも、彼に服を脱がされ唇を奪われるベールを想像した瞬間、あっけなくイナゴは消えた。
同時に夢魔の焦りも感じた。
これは勝ったも同然だと気をよくしつつ、けれどせっかく始めた妄想を途中でやめるのは勿体ないので、その後の流れを一通り妄想する。
正直夢魔を祓うためと言うよりは、半ば自分のための妄想になっているが気にしない。
師匠にも「自分のために想像して転げ回るのが一番なのよ」と言われている。
だから私はその後も、針の山に突き落としたり炎の海に投げ込まれたりしながらも、ベールとイオのあんな事やこんな事をひたすら妄想した。というか一度始めた妄想は止まらなかった。ついでに顔がいやらしく歪むのも止められなかった。そしてこのニヤニヤも、師匠曰く重要らしい。なんでも、自分の心と体に素直になると、悪夢のもたらす痛みを消すことが出来るそうなのだ。
だから私は始終ニヤニヤしながら、ベールやイオのことは勿論、師匠から貰ったBLな小説に思いをはせた。時には小説に書かれた事細かな恋愛の機微や夜の営みをベールとイオに当てはめたりして、私は幸せに浸った。
中でも一番効果があったのは、サラリーマンという職業についたベールとイオがスーツと呼ばれる着衣を身に纏い、コピー機の上で抱き合っている妄想である。
ついでに夢魔を祓う最強の呪文である「萌え」という言葉をうっかり呟やけば、夢魔の悪夢はみるみる力を失っていく。
そしてついに、私が重ねに重ねた妄想の刃は夢魔の魔力を切り裂き、夢魔は私を悪夢から追い出した。
本当は白衣という着衣を着たベールに、媚薬の入った注射器を向けるイオのことも妄想したかったが、それよりも魔力を失った夢魔が死滅する方が早かったのは残念だ。
気がつけば私はニヤニヤを顔にはり付けたまま目を覚まし、その隣にいたエイオス伯爵もゆっくりと意識を覚醒させる。
どうやら今日も、無事仕事をやり遂げたようだ。
仕事というより自分の娯楽に近いが、それで人を救えるのだから良い商売だ。まあ給料は低いが。
「ご安心下さい、夢魔は消し去りました」
そう言って腕から鎖を外していると、エイオス伯爵は困惑した顔で私を見ている。
「私は助かったのか?」
「ええ、もう大丈夫です。どこか不快なところはありませんか?」
「不快……というか妙な悪夢を見たのだ。我が部下のベールとイオがその……」
「忘れるのが賢明かと」
間髪入れずにそう主張すれば、エイオス伯爵はそれはそうだなと頷いた。
人の素敵な萌え妄想を悪夢呼ばわりするのはムッとするが、この手の趣味は一部の女性にしかわからないのだと師匠が言っていた。
だから私は気分を改め、仕事で使った萌えを補完すべく、ベールとイオが待つ廊下へと飛び出した。
「ごちそうさまでした」
色々な意味でと付け加えつつ、ベール達と酒場を出たのはもうすっかり日が落ちた頃だった。
妄想も良いが、現実の二人もなかなか悪くない。料理の味や仕事のことで下らない言い争いをする二人はどう見てもツンデレカップルだし、やり取りは勿論容姿もお似合いの二人はいい目の保養だ。
お陰で私は読みかけの本のことを忘れ、時間を忘れて二人のやり取りに悶えさせて貰った。
だから少々の名残惜しさを感じつつも、私はここで先に家に帰ることにした。本当はもう1軒行こうと誘われたのだが、これ以上二人の邪魔は良くないと思ったのだ。
「今日はもう遅いし、送ってく」
だが、帰路につこうと思っていた私にそう声をかけたのはベールだった。
正直食事中のちちくりあい、ではなくやり取りを思い出しつつニヤニヤ顔で帰ろうと思っていた私にその提案はありがたくない。
ありがたくないが、気がつけばイオは「先に店に行ってます」と笑顔で歩き出してしまっている。
「ここはベールとイオが腕を組むところだと思うんですけど」
「こんな時間に女一人で帰せるか」
「イオだって顔が綺麗だし、襲われちゃうかもしれませんよ」
「あいつを倒せるのは俺くらいのもんだ」
「今の台詞は、なんかちょっと萌えました」
「お前、最近モエがなんだって言葉をよく使うがどういう意味だ?」
「呪文の一種ですのでお気になさらず」
私の言葉に渋々頷きつつ、結局ベールは私の横に並んで歩き出す。
これはもう言っても聞かないと判断し、私はニヤニヤ顔に出ないよう気をつけながら歩みを進めた。
しかしニヤニヤを堪えるのは簡単ではない。
その上表情もかなり強ばってしまうので、家まであと少しと言うところで、ついにベールに見咎められてしまった。
「眉間に皺よってるけど、どうかしたのか?」
「ちょっと考え事してるだけです」
「考え事って?」
勿論ベールに言えるわけがない。だが黙っていると、唐突に彼に腕を取られてしまった。
「そんな辛そうな顔されて、黙ってられるとおもうか?」
「辛いんじゃありません。むしろ猛烈に幸せなんです、今」
何故だが私の言葉に顔を赤くしながら、ベールはわざとらしく顔を背ける。
「嘘言うな」
「嘘じゃないです」
「でも俺はてっきり、送られるなら俺なんかよりイオの方が良いとか、そう言うこと考えてたのかと」
何て考えの飛躍だと一瞬呆れたが、よくよく考えると前々からベールは私とイオの関係に嫉妬している様子があった。
もしかすると、私に彼を取られるのではと、本気で気にしているのかもしれない。
「大丈夫ですよ、イオはベールのお嫁さんでしょ? いや、むしろベールがイオのお嫁さん?」
「なにいってんだお前」
「安心してって意味です。私、ベールがイオのこと大好きなのちゃんとわかってますから、だから二人の仲は絶対邪魔しません」
「いや、だから何言ってんだよ」
あまりにしらを切る物だから、なんだか少し腹が立ってきてしまった。
あんなあからさまに嫉妬までして、私とイオが二人で喋ったり食事に行くのを嫌がっておきながら、今更なんでそんな顔をするのか。
酒が入っていたこともあり少々の冷静さを欠いていた私は、その怒りを思わず言葉に乗せてしまう。
「照れなくて良いんです! 33にもなって未だ彼女一人作らないのは、イオが好きだからでしょ? 私は全部知ってるんです!」
全部どころか妄想までしてるんだからと心の中で付け足した途端、ベールの顔が不自然に歪んだ。
歪んだ上に何故だか放心した様子まで見せるベールに、さすがの私も思わず慌てる。
「今のは隠さなくて良いって事ですよ! 別に二人のこと馬鹿にするとか、誰かに言うとかしませんし、むしろ協力したい的な意味ですよ!」
やっぱりこの手の繊細な問題は、指摘しない方が良かったのだろう。慌てて謝罪を挟んだが、ベールは相変わらず、何とも言えない表情をしている。
「男同士の恋愛だって良いじゃないですか! 私は気にしない、っていうかむしろ大歓迎です!」
だからそんな顔しないでと頬をつつけば、ようやくベールの目に意志が戻る。
「お前の目には、俺がイオを好きなように見えてたのか?」
「はい。それに凄くお似合いだと思うんです。師匠もツンデレ上司と腹黒な副官っていいねっいってたし」
「お前の師匠の言葉は相変わらず意味がわからん」
「でも私も正しいと思います。二人が一緒にいると、こう、胸がドキドキするし」
「お前の言葉も意味がわからん」
「だって恋って素敵じゃないですか」
特に男同士のは極上だと心の中でうっとりし、私はベールに微笑みかける。
けれどベールはまだ納得できないようだった。
「恋が素敵な物だと言うなら、自分がしたいとは思わないのか?」
「私は無理です。BLという諸刃の剣があるし、師匠からもあんたはモテないって言われたし」
「だがお前のことを好きな奴がいるかもしれないだろ」
「いませんよ」
「いるよ」
「絶対いません」
「いる」
その呟きがあまりに真剣だったので、私はうっかりベールの顔を見上げてしまった。
直後、私は今まで感じたことのない不思議な感触を唇に感じた。同時にちょっとちくちくした。
その痛みに私はようやく気付く。
ベールが、よりにもよって私にキスをしたのだと。そしてそのちくちくは、ベールの髭だったのだと。
「浮気者」
思わず口から出た言葉に、ベールが口をへの字に曲げる。
「だから、俺はイオなんて好きじゃねぇ」
「嘘! 絶対嘘! 本当は団長室で押し倒されてる癖に!」
「されてねぇし、される予定もねぇよ!」
「とかいって、これもイオを嫉妬させる作戦なんでしょ!」
「本気でさせる気なら本人の前でやるだろう!」
言われてみると確かにその通りな気もする。
「でも、事後報告ってこともあるし」
けれどもやっぱり納得できなくて、私はそう付け加えた。だがその次の瞬間、再び顎にあのちくちくが戻ってくる。
「嫉妬させるために、2回もすると思うか?」
「……もしかして、本当にイオのこと好きじゃないんですか?」
「つーか、あいつも俺の事なんて好きじゃないぞ。むしろお前狙いだ」
「何かがっかりなんだけど」
「ちょっと正直すぎるぞお前」
と言われても、がっかりしてしまった物は仕方がない。
「だって、二人の結婚式楽しみにしてたのに」
「おいコラ」
「それにほら、こんな事本気で言う女子なんていやでしょ? っていうかいやになって下さい! 私今まで、ベールとイオでスゴイ妄想してたんですよ!」
だからお嫁さんにするなら絶対イオが良いと私は何度も力説した。
だけどベールは、そんな私に笑顔を向けた。馬鹿にするような物とは違う、酷く優しい笑顔を。
「お前が変なこと考えてるのは、薄々わかってたから問題ない」
「にじみ出てます?」
「仕事中はな」
そういうと、ベールは何の前触れもなく悪いと一言謝る。
「実はお前が夢魔と戦ってるとき、俺はいつも側にいるんだ。だから変な寝言もきいてるし、やたらニヤニヤしてるのも知ってる」
よりにもよってみられていたのかと愕然として、それからこみ上げてきたのは怒りだ。
「側にいると、夢魔に捕まるかもしれないのに!」
「心配だったんだよ。お前みたいなチビが、一人きりで夢魔と戦うのが」
「側にいたって何も出来ない癖に」
「そう思ってたけど、妄想の中の俺は役に立ってるんだろ?」
「裸でイオに抱かれてるベール限定ですけどね」
「そこ、イオとお前交代しねぇ?」
そう言って向けられた熱い眼差しは、なんだか萌えとは違った胸の高鳴りを私にもたらした。
「私とじゃ萌えないです」
「そんなに俺が嫌か?」
「嫌じゃないけど、でもベールは顔は格好いいから、イオと絡んだ方がそそるし」
「俺は、イオよりお前の方が綺麗だと思うけどな」
「3日に1回しか風呂に入らない女ですよ」
「そこは改めて欲しいけど、自分で言うほど悪い顔じゃないと思うぞ」
「もしかして、ロリコン趣味なんですか?」
それは何だと言われたので、変質的な年下趣味のことだと言えば、ベールが困ったように笑った。
「ただ、言いたい放題な年下が好きなだけだ」
「あれ、イオのことを言ったつもりなんですけど」
「俺が好きな口の悪い年下は、イオじゃなくお前だ」
またしても高鳴る胸に、私は思わずベールから距離を置く。
「ベールが女の人にそんなこと言うなんて思わなかったです」
「むしろ男に言う台詞じゃねぇだろ」
「偏見です」
「お前だって俺に偏見持ちまくりだろう」
正直傷つくぞと言われて、私は今更のようにベールに申し訳なくなった。
とはいえ、これを今すぐやめろと言われても無理だ。何しろこの妄想は、私の最強の武器である。
「でも、二人の裸体がないと駄目なんです」
「わかってるよ。別に妄想するなとはいってない」
ただ、とベールが私の顔をのぞき込んだ。
「現実の俺が誰を好きかは覚えておいてくれ」
「そう言う恥ずかしい台詞って、BL小説の中にしかないと思ってました」
「でも好きだろう、こういうの」
「男同士だから良いんです」
「つれないな」
でもそこが好きだと笑うベールに、またしてもドキドキしてしまい私は思わず項垂れる。
「私が男の子だったら、三角関係勃発の美味しいシチュエーションなのに」
「それ、脈有りって思っていいのか?」
「すいません、まだベールとイオのカップリングしか想像できないので時間を下さい」
「待つよ。今までだってずっと待ってたんだ」
妄想の中と同じ甘い声音に、私は思わず叫びそうになった。
萌えとは少し違う。でもそれに近い胸の高鳴りは、衝撃的だが不快ではない。
もしかしたらこれも武器に使えるだろうかと考えて、私は新しい妄想に花を咲かせ始めた。
※5/14 誤字修正しました(ご指摘ありがとうございました)