08 酒場
シアーズは勢いよく、酒場の扉を開けた。あまりに勢いがあったため、扉が敗れるのではないかというほどだ。扉の上部につけられていたベルが、ガランガランとけたたましく響いた。
「いらっしゃい、旦那、昼間っから威勢の良いことで。何になさいますか」
髭面の店主が振り向く。床にはすでに飲んで倒れている客が数人いる。ろくでもない場所なのは一目瞭然だ。
「うるさい、酒なんぞどうでもいい。この間、ここを海軍が襲っただろう」
「ああ……隣の宿が狙われたってやつですか?」
テーブルを拭きながら店主はシアーズに答えた。
「そうだ。あんたは見たそうだな、海軍を取り仕切ってる奴の顔を。答えろ、どんな奴が来たんだ」
酒場の主人は、きょとんとした顔で言った。
「顔なんざ、あたしは見てないですよ、旦那」
「どんな奴だった」
シアーズはいらつきながら銀貨を三枚、テーブルの上に放り投げた。店主は素早く銀貨を懐に仕舞った。そしてシアーズの剣幕に驚きながらも、口元にはにやにやした嫌な笑いを湛えて質問に答えた。
「ああ、海軍ね、見たよ。仕切ってた奴が、なかなかに綺麗な顔してすらっとした華奢な奴でね。暗がりでよくは見えなかったが、黒い髪で、ひとつに結んでたな。目も黒かった。でも、あれはちょっとこっちじゃみないような奴だった。東洋風の顔だったかなあ。でも、英国海軍に東洋人が混じってるわけないし。……あんたなら心当たりあるんじゃねえのか、え?なにせもともとイギリス海軍にいたんだからよお」
シアーズの顔色が変わった。ローランドに間違いない。奴がまだ目も開かないような小さな頃のことだ。奴の乗っていた東洋人の海賊船をエドモンド・ローランド卿が捕えて処刑した時、彼に命を助けられた。そして、後継ぎのいなかったローランド卿の養子にされた。周りの者はエドモンド・ローランド卿のことを血筋を無視するいい加減な奴だと噂したが、結局跡を継がせたのだ。そしてウィリアム・ローランド卿は、差別と偏見を覆すほどの能力を発揮し、大将の位まで一気に這い上がった。今や女王の犬と言われるまでになった。女王のお気に入りだ。
シアーズは本国に戻ろうと決めた。ローランド卿がシルヴィアを捕えたとしたら、必ず自分との交渉材料に使ってくるだろうからだ。
「ああ、ちょっと待て」
シアーズが振り向くと、酒場の店主が装丁された羊皮紙を持っていた。嫌な臭いがする。
「宿の前に落ちていたんだ。あんた宛てだったから拾っておいたんだが、忘れるところだったぜ」
シアーズは渡されたものを開いた。間違いなくローランドの筆跡で、シアーズに宛てた手紙だった。最後にご丁寧に蝋印が押してある。久しぶりに見る彼からの手紙だった。嫌気が差したが、シアーズは読み始めた。
『ファントム・レディ号船長 アート・シアーズ殿
この度、英国海軍が女王陛下の命令によりイギリス海軍が追っていた魔物を捕えた。しかし聞けばそれは貴殿が私物として所有しているとのこと。いくら女王陛下のご命令といえど、人の物を勝手に盗るのは泥棒か海賊のすることである。卑しくも我らイギリス海軍の名において、そのようなことはできないと判断した。しかし女王陛下の勅命に背けば、大逆罪である。
そこで貴殿との直接の取引において、どちらも汚名を被るような真似は避けることを提案する。貴殿が我らが女王陛下に服従し公賊となるならば、女王陛下より魔物の釈放のお許しを受けられる。拒否するなら魔物は命令どおり、処分することとする。
今夜よりふた月後までに参上しなければ、取引を拒否したものとみなして魔物を処分する。以上。
イギリス海軍所属戦艦エンプレス号船長 海軍大将ウィリアム・ローランド卿』
襲撃の日からゆうに三週間は過ぎていた。シアーズは唇を噛んだ。手紙を持つ手が震えている。いずれにしても本国へ帰るつもりだったが、こうなってはどうすることも出来ない。シアーズが一番恐れていたことだった。
今まで自由の象徴のように生きてきたシアーズにとって、屈辱意外の何物でもない。海賊はいったいどちらだろうか。シアーズが手紙を握りしめる。もちろん答えはとっくに決まっていたが、それでもこみあげてくる感情を制御するのに必死だった。酒場の店主はそれを面白そうに見ていた。
「気の毒だねえ」
ちっともそんな風には思っていないだろう。店主がシアーズに声をかける。シアーズは思わず彼を睨んだ。
「そんな怖い顔するんじゃねえよ。だいたいてめえ、いつまでその小汚い奴隷みてえな服を着てるつもりだ」
そう言ってシアーズの服を指さす。シアーズが着ているのはイギリス海軍准将の制服だった。ずいぶん汚れて黒くなっている。
「今のてめえにゃお似合いだろうよ、女王の犬がよ。けじめもろくにつけれねえガキが、なめた真似してるからだ。女王に這いつくばるのが忘れられねえんだろう」
シアーズが舌打ちした。店主が一歩下がった。
「あんたが俺をなんて言おうが勝手だ。だから俺もいちいち言い返したりしないさ。その代わり、俺のやり方に口出しすんじゃねえ。酒飲んでいかれてろ」
今度は店主が舌打ちした。
「とっとと出て行け小僧、また海軍が来たらあんたの首を差し出すぜ」
やってみろと言い残し、シアーズはその店を出て行った。外に出ても、人々の視線が集中するのが分かる。居心地が悪い。
彼は足早に港へ向かった。