04 筒抜け
「なあ……最近のキャプテン、おかしくないか?」
二人の乗組員が、船を掃除しながら小声で話していた。二人とも、何年もシアーズと共にこの船に乗る古参の海賊だった。
「やっぱりそう思うか?だってよ、あのシルヴィアって女にベタ惚れって、見りゃあ誰だってそう思うぜ。まあキャプテンはあれでも隠してるつもりらしいけどな。あの人は昔っから女に関しては嘘が下手だからな。仕方ねえ。どうせあの様子じゃ一目惚れだろ?それにしたってシルヴィアの方もまんざらじゃあなさそうだし」
彼らが岩しかない小島で謎の女を助けてから、かれこれひと月近くが経とうとしていた。床のシミをこすりながら、彼らはまた喋りだした。
「あ、でも、シルヴィアも少しおかしいよな。何がって聞かれると、何とも答えられやしねえんだけどよ。いや、美人なのは認めるぜ?キャプテンの手がついてなかったら、俺たちで今頃あの女を賞品に決闘が始まってただろうからな。だから女はこんなところにいちゃいけねえのさ。というか、キャプテンも最初から何か気付いてたみたいだけど……あの女、もしかしてセイレーンだったり……とかないよな?」
「ばっかお前、そんなこと口に出すな!呪われるぞ!」
シルヴィアを疑った男が相手の男に雑巾で叩かれる。顔に汚れが飛び散り、二人はしばらく無言で叩き合っていた。
「まあ別に……俺達に害は無いみたいだし、今のところ生活も変わっちゃあいねえがよ。ほら、セイレーンって海軍の攻撃対象だろ?」
「俺達も人のこと言えないと思うぜ」
「もし、シルヴィアが本当にセイレーンなら、俺達、海軍にとってこのうえない獲物じゃないか」
雑巾で床をこすりながら、男が囁く。
「人の言うこと聞けよ。でも確かに、危ねえよなあ。一石二鳥だし。……奴が追ってきたらどうする?」
「奴って?」
きょとんとした様子で相手に訊く。もう一人は小声で相手の耳にささやいた。
「大英帝国海軍大将、ウィリアム・ローランド伯爵」
「ばか野郎、お前こそそんなの口に出すなよ!呪われる!」
そう言って彼は慌てて十字を切った。もう一人にも強要する。
「……でも、可能性として無いわけじゃねえってのが怖いよなあ。近々、海軍が奴を筆頭に動くって情報があるぜ。フランスの酒場にいた連中が言ってた」
「そうなると、きっと真っ先に狙われるぜ。しかも、問答無用の皆殺しだろうな……」
シアーズは船長室で海図とコンパスを見つめたまま、暗い顔をしていた。先程の乗組員の会話は筒抜けだった。小声で話していた箇所も全て、だ。計算していた式が、今どこまで済んだかさえ忘れた。
やはりシルヴィアがいることは船員の負担になるだろう。セイレーンかもしれないのはとっくに皆が気付いている。乗組員が喰われてはたまらないので、今は船長室の鎖につないで誰にも会わせないようにしてある。
それよりも気になったことがあった。
「この俺が、惚れているだって?」
シアーズは耳を疑った。あり得ない。今までどんな女に言い寄られたって本気になったことはなかった。酒場に集まるような連中は皆、シアーズが有名だから寄って来たようなものだ。シアーズの元貴族という過去、最高値の懸賞金と財産以外にはたいして興味はない。本気になったところで無駄だった。本気になろうと思える人もいなかった。
それが、ここに来てよりによってあの魔物だなんて。どうにかしている。
シアーズは定規を取り、海図に細かな数字を書き込んでいった。気が全くまぎれない。常に頭の片隅をシルヴィアが占拠するようになった。彼は羽根ペンを置いてため息をついた。
こうなってはシルヴィアをどこかへ預けるより他はない。幸いにもこれから立ち寄る港には古くからの知り合いがいる。あそこなら安全だ。スペイン領だし、本国の海軍は手が出せない。あのウィリアム・ローランドでさえ手は出せないはずだ。
乗り組み員とこの船を、シルヴィアのために差し出すことはできない。それほど自分が馬鹿でも堕落しているわけでもないのは分かっている。
ただ、このことをシルヴィアに言うのが億劫だ。彼女はいったいどんな目で自分を見るだろうか。この船にいればいい、安心しろと言ったのに。