03 針路
ローランド卿が港を出て三日が経った。薄い霧がかかっている。
「この辺は魔物が出やすい。セイレーンは歌で人を呼び寄せるからな、全軍に注意するように指示してくれ」
ローランド卿が部下に言った。その時、彼の目に小島が飛び込んできた。ただの岩だ。周りには難破船の残骸が浮いている。
一見すればなんでもない風景だ。おそらくローランド卿以外が見ればただの島だ。しかし、一瞬で分かった。奴は、アート・シアーズはここへ来た。それも、つい最近。思わず口元が緩む。ローランド卿は再び部下を呼んだ。島に船を停めるよう言う。部下が不思議そうな顔をした。
「閣下、ここにはつい最近、我々以外に何者かが降り立ったようです。足跡がついている所があります」
感心したように部下が報告する。それを聞き、やはりかと確信した。
「それにしてもここは骨が多いですね……。神のご加護を」
部下が十字を切る。ローランド卿も、形だけ真似をした。そんなに敬虔な信徒ではない。
「おかしいとは思わないか?」
ローランド卿が言う。何がです、と返ってきた。
「鳥に喰われたのなら、骨がこんなに密集しているわけがない。踏み荒らされてはいるが、大蛇が這ったような痕跡もある」
まさか、と部下が戦慄した。
「我々の針路は合っているということだな」
皮肉っぽく笑ってみせた。部下の顔がだんだんと青ざめていく。大丈夫だとローランド卿が彼の肩を叩く。
大蛇が這ったような痕跡はいたるところに見られた。一匹のものではない。
「セイレーンが集団で人を喰った跡だな……。しかし、金目のものがないな。セイレーンは金品に興味など示さないはずなのに。飾って楽しむなど、聞いたことがない」
ローランド卿は人間の足跡をたどって歩くうち、岩陰に光るものを見つけた。しゃがんで拾い上げると指輪だった。高価そうだ。金で出来ていて、ルビーがはめ込んである。内側を見ると、何か字が彫ってあった。北の王国の言葉のようだ。
「ハトリアナへ贈る……?ハトリアナ、高価な指輪……。チェンバレン公爵夫人のことか?」
「ハトリアナって北の王国の言葉ですよね?こちらにはいない名前ですからね。そういえば、かなり前ですけれど、チェンバレン公爵邸に盗賊が入ったとか。人に被害はありませんでしたが、ずいぶんと物を盗られたそうです。その時盗まれた物でしょうか」
彼の部下が横に立って、不思議そうな顔で覗いた。
「盗賊……か。もしかしてその不届き者の名前は、アート・シアーズといったか?」
「ご存じでしたか。おっしゃるとおりです」
「だったら、これを盗んだのは奴か、奴の部下の可能性が高いな。やはりここへ立ち寄ったか。そしてここへ落とした……。奴はセイレーンに喰われたかな。どう思う?」
ローランド卿は笑いながら言った。
「御冗談を。魔物にやられる奴ではないでしょう。いや、むしろ魔物がやられそうな……」
眉を寄せて、部下が答える。
気づけば彼らの周囲には人がいた。難破船はシアーズたちに襲われたわけではなく、おそらく嵐にでも遭ったのだろうという報告を受けた。軍人たちが皆、眉を寄せている。明らかにシアーズには関わりたくないようだ。もちろん、その気持ちも分からないではない。セイレーンを追っているだけでも十分自殺行為に等しいほど危険なのに、この上シアーズも狙っているとなると、いくつ命があっても足りないだろう。シアーズを追うことは本来の計画に入っていない。ローランド卿が勝手に付け足したことだ。
おまけにここにいる部下たちは自分と違う。ローランド卿は唇を噛んだ。そう、自分と違って家族がいる。大切な人がいる。何より、愛してくれる人がいる。残して死にたくはないだろう。彼らには、名誉や名声以外に守らねばならないものがあるのだ。
「何にせよ、奴は何か知っている。これは間違いない。海賊も捕まえるつもりで来たんだ。忘れるな。今回の討伐計画は魔物だけではない。我が国に損害と脅威をもたらすものを討伐する、それが陛下が下された命令だ。お前たちも女王陛下の部下として、ここに立っているのではないのか!」
賛同の声が勇ましくあがる。ローランド卿が表情を緩める。空気が変わった。
「ファントム・レディ号を追うぞ。針路はこのままだ」
威勢のいい返事とともに、艦隊は再び海の上を進んだ。