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01 霧

 海は黒々としていつもどおり波打っている。しかし、辺りには不思議な旋律の歌が聞こえた。この海域には魔物が出る。その噂は船乗りなら一度は耳にする。

 魔物はセイレーンといって、上半身は人間の女で下半身は蛇のような体を持つ。この世のものとは思えないような美しい歌で人間を誘って食べるという。そのため、彼女たちは各国の海軍に狙われていた。

 霧の中から、灯りを消した一隻の船が現れた。この辺りは海賊の出ることでも有名だ。彼らもまた海軍に狙われる存在だ。

 甲板では、クルーが舟歌を歌いながら掃除をしていた。そこに一人の男が船の奥から現れた。群青色の帽子に、同じく群青色のコートに白のズボン、こげ茶のブーツといういでたちだ。一見すれば、どこかの海軍の制服に見える。だが、どれも何年も洗っていないように汚らしく、傷だらけだ。装飾に使われている金属は錆びている。金の長髪は潮風に当たりすぎたせいか、傷んでいる。髪は小綺麗に一つにまとめてあり、青の瞳は輝いている。左頬には古い傷があった。

「キャプテン、何なんでしょうか、この歌は」

 乗組員の一人が振り返って聞いた。キャプテンと呼ばれた男は小さく笑った。乗組員が不安そうに彼を見る。男は面白そうに喋った。

「この辺りは魔物が出るらしいからな。船の針路は変えるなよ。うっかりすると喰われる。気付いた時には命がないと思え」

 歌はまだ響いている。

 男の名前はアート・シアーズといった。彼は海賊だ。この船の船長をしている。海賊の間では有名人だった。戦いは連勝、懸賞金も最高値がつく。航海や戦術の知識も豊富だ。そして何より、彼はもともとイギリスの貴族、海軍将校だった。とある事件から軍を飛び出し、そのまま海賊としてお尋ね者になった。同業者からは英雄視される。自由気ままに生き、自由の代名詞にまでなるほどだ。

 シアーズが船室に戻ろうとした時だ。急に霧が晴れ、小さな黒い無人島が浮かびあがった。島といっても何も無い。あるのは岩だけのようだ。

 望遠鏡を受け取り、シアーズが覗く。岸辺には、難破した船の残骸がたくさん流れ着いている。まだ新しい。

「いや、今のは取り消しだ。あの小島へ船をつけろ。残骸の量からしてなかなかの船のようだ。金目のものがあるかもしれない」

 船は左舷へ少々、針路を変えた。歌声は一段と響き渡った。


 歌っていたのは、やはりセイレーンだった。波打つ黒髪、とがった耳、獣のような爪、唇の隙間から覗く牙。人間の姿をしている上半身は病的な白さだった。何より特徴的なのは、白い鱗で覆われた蛇のような下半身だ。

 セイレーンは一隻の船が近づいて来るのを確認すると、人間の若い女の姿になった。近くに落ちていた薄汚れたドレスを着て、岩の一角に座り、歌うのを止めた。船の生き残りのふりをするつもりだ。そうして近づく者を海に引きずり込み、溺れさせてから食べてしまう。

 船は島に近づいて、適当な場所を見つけて停止した。乗組員が降りて来た。流れ着いた物の中から、金になりそうな物を物色している。難破した船の乗船者らしき骨を見つけると、十字を切ってから辺りを探る。自分の持っている物より高価そうな指輪を見つけた乗組員が、着けていた指輪を放ったりして漁っている。

 しばらくして、一人の乗組員が彼女の方へ近づいた。

「キャプテン!」

 シアーズが振り返った。それから、乗組員の腕に抱えられた黒い髪の女に目を留めた。

「なんだ、そいつは」

「あっちの方の岩にいたんでさあ。あの船に乗っていたんだと思いますぜ……。化け物かと思って、さっき剣の柄で殴っちまいましてね。気絶したようで」

 シアーズは一瞬彼女の姿を見た。彼の目が見開かれる。何かおかしい。理由を聞かれれば答えられない。だが、直感で何か普通でないものを感じた。それ以上に彼女に惹かれる。一見、ただの衰弱した女にしか見えない。しかし何か魅力を感じた。

「船に乗せろ。丁重に手当てしてやれ」

「キャプテン、しかし船に女を乗せると災いが起こると昔っから言いますぜ。海の神が怒るんだ。船を沈めて乗組員を食っちまう」

 シアーズは小さな溜め息をついた。呆れたように乗組員を見る。

「そんなもん、ただの迷信に決まってるだろ。本当なら今頃、世界中の客船が沈んでるぜ」

 乗組員は何か言いたそうに口をぱくぱくさせたが、女を抱えたまま船へ戻った。

 シアーズは足元を見た。船や調度品の残骸にまぎれ、人骨が見える。どれも綺麗に白骨化している。あり得ない。船が難破してから今までの短時間で、人が骨になるわけがない。鳥が食べたにしてもおかしい。骨が散らばっているわけでもなく、一人分の骨がある程度は固まっている。そんな中であの女は一人で生きていたというのか。それに、大きな蛇が通ったような痕跡がある。思い当たるのは一つしかない。海の魔物、セイレーン。

「まさか、とんでもないものを見つけちまったのか……?」

 自嘲気味に笑う。船の方から彼を呼ぶ乗組員の声がした。すぐ行く、と答え彼は海に向かって十字を切った。

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