襲撃
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ひたすらに、剣を振った。
ひたすらに、愛馬を走らせた。
ひたすらに、殺した。
息を切らせても、苦痛に身が凍えようも、血で視界を塞がれようと立ち止まるわけにはいかない。
懺悔は、生き残った後にいくらでもやってみせる。だから、今は、今だけは、――運命よ、私を生かせ!
ィ イ イ オ オ オ オ ッ !!
歪な風切り音、魔術兵による高圧熱の弓矢。天を埋め尽くすほどに降り注ぐ。
「私の後ろに回れぇっ!」
もはや、どれほど残っているかわからない仲間達へ叫ぶ。
背後へ回る人影の少なさに胸を抉られながら、魔弾の弓撃の幕へ左手を突き出した。
《聖鍛冶》ガベルの鎧、刻印番号零参の力、帝国の兵どもに見せてやろう。ただし、見料は命で支払え!
熱風を纏い、襲いかかる魔弾。掲げられた左腕に意志を込める。
腕から紡がれる、高密度魔術紋様の光。幾何学なデザインの魔術文字が、盾のように大きく広がっていく。
盾に触れた瞬間、魔弾は次々と蒸発、その形を崩していった。
これこそが、私の切り札。この鎧の特性。
耳を叫びが突き刺す。それは私の声だった。
気がつけば私は獣のように絶叫していた。
「――――オオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
▽
「うるっっさい、このボケっ!」
なかなかいいフォームで、とっさに投げた石ころがジャドの頭を叩く。鈍い金属音が辺りに響いた。
「ぬおっ! 何をするフォルシア!」
「さっきから耳が痛いんだ! 無駄に叫ぶな!」
鼓膜の痛みを耐えながら、少女が叫び返す。剣の林はまだ僅かに振動していた。
「は、八十年だぞ? これが取り乱さずに……」
「そう、八十年! だから、あんたの言ってる口上は時代が合わない! あの口上が本当ならあんたの年は百才越えてるはずだろうが! だからあんたがジャド・ジャック・フォン・フロントなわけない!」
当然の指摘。この重い全身甲冑で、兵士相手に大暴れをした自称ジャドが百才越えならば、近隣の村の長老は自力で国取りが出来る。
「そんなに経っているとは思わなかったのだ! 色々、その、あまり年月を気にかけるヒマがだな……」
「下らない言い訳は結構! あんたが間抜けな歴史好きの変態だろうがどうでもいい! ただし――ジャド・ジャック・フォン・フロントの名は二度と語るな!」
体を震わせて怒鳴る。この男がどうであれ、ジャド・ジャックの名を語らせたくはなかった。それだけは、絶対に。
「だから! 私は本物のジャド・ジャ……」
「まだいうかアホ!」
またも足元の石を掴み、投擲。音を立てて兜に当たる。しかし黒騎士は意に介さない。
「じゃあ証拠ぐらい見せてみろ! あんたが本物だって認められる証言か証拠ぐらいないの!?」
「……証拠、か」
伸ばされる黒腕、太い指がフォルシアの肩を掴み、引き寄せる。いきなりの黒騎士の行動に、少女の身がすくんだ。今更ながら、この男なら無手でもたやすく自分の首をへし折れれるだろうことを思い出す。
「ちょっ、なにすんのよ! 離して!」
「――ならば証拠をみせてやろう。……少なくとも、私がどういう存在か理解る証拠をな」
黒騎士が、兜の面頬をゆっくりと上げた。金属の軋む音が鋭く、ゆっくりと剣の林に響いていく。
やがて露わとなるその内部に、フォルシアの視線が合う。
「――――ッヒ」
息が、詰まる。体が硬直する。
有るはずがない。居るはずがない。
もしこれが黒騎士の中身だというのなら、もしこれがあの戦いを繰り広げた男の素顔だというのなら、
この干からびた死体が、正体だというのなら、
「――――な、に、? 何なの!? なんで?」
この黒騎士は、生者ではない。
「そう、これが私。いや、私の骸だ」
兜の中の虚無を、面頬を下げて隠す。その動作には僅かに寂しさが見えた。
「八十年ということは……まあミイラにでもなっているだろうな。
すまんな、あまり見て気分の良いものではなかった。許せ」
「あんた……何者なんだよ? なんで――――死体の入った鎧が動いてるんだ?」
中にいるのが骸ならば、一体この巨躯を誰が動かしているのか。
「さぁて、どこから話すか……」
黒腕の手が、ヒタリと顎に当てられる。まるで思推する時にアゴヒゲを撫でるクセでもあるかのようだ。
「先ほどいったように、私は戦賞により国剣十一騎士に選ばれた騎士だ。
そしてこの帝国国境近くに建設された城塞都市の防衛部隊隊長の任を任された」
再び城壁の壁を叩く。残響が響いた。
「都市、といっても実際は城の人員の家族ごと住んでいる……そうだな、せいぜい中心に城がある村程度の規模、それを城壁で囲んだ程度だ。
そこで私は妻を娶り、部隊の仲間達と共に日々の任についていた」
城壁を見上げる黒騎士に釣られ、フォルシアも上を向く。この寂寥に染まった壁の向こうに、たしかに人が生きていた時代があったのだろう。今はそれを想像することさえ難しい。
「この黒鎧、フェンリルも国剣騎士に選ばれた際の褒美として賜った物だ。《聖鍛冶》ガベルの魔導鎧、と言えばまだこの時代でも名は知れ渡っているだろうか?」
発言に、思わず耳を疑う。
「――本物なの?、それが? 伝説じゃ魔術を無効化するとか言われてたけど……」
《聖鍛冶》の伝承はフォルシアも知っていた。伝説では鉄の妖精ドワーフの血を引くとされる古の名工。彼の造り出した魔導鎧と呼ばれる鎧は、今をもってなお越えられぬ、超越の魔術を持つという。
しかし、所詮は伝説だと少女は思っていた。しかし今、目の前に現れた鎧を見て、その思いは覆される。
「無効化、か。私の鎧……というかもう私自身が鎧だが、このフェンリルの魔術は少し違うな」
「……違う?」
やはり所詮は伝説、伝承はオーバーに伝わった物なのか。
「……まあ、とにかくその時までは平和だったのだ。
――本当に穏やかな、時間だった。今でも、あれは夢だったのではないかと思うほどにな。
故に、夢は長くは続かない」
「……何が、あったの?」
しばしの沈黙、壁を見上げ続ける黒騎士。その視線は、すでにもう今を見ていない。失われたものを己と同じ色の空に探していた。
「……当時の国家間条約を帝国が破棄、国防最前の砦である城塞都市に帝国兵が進軍してきた。数は約十万、城塞都市の人員は全員で約千二百人、その内の半数近くは非戦闘員だった」
「――そんなに差が……」
二の句が出ない。正しく圧倒的な状況下。
「そして、私達は気づくのが遅すぎた。撤退をしようにも、家族を連れたままの移動では強襲を目的とした進軍速度の高い帝国兵に捕まる可能性が高い。
何より、公国本隊の兵を集めさせるためには、少しでも帝国兵の足か人を削いで時間を稼がねばならない。それにより、援軍もまた期待は出来ないだろう。
そして私が下した決断は……」
言葉が詰まる。
やがて、耐え難き痛み、堪え難き苦しみを吐き出すように再開する。
「……籠城を、選択した。最低限の兵と家族を城にこもらせ、私を含む本隊で外へ打ってでて少しでも城壁に近づけさせない。そう戦術判断を下した」
「……それは」
当時の戦場をしらぬフォルシアにも、ジャドの決断の結果に感づく。
援軍のいないまま、絶望的な状況で籠城をするその意味を。
「私は戦い続けた。私が生きて戦い続ければ、それだけ城へ敵兵の到達は遅れる。少しでも長く、守ることが出来る」
鎧の男は、戦うことを選択した。それは逃げられぬ運命に対峙するため、仲間達と下した決断。
「戦いの中で、エドガーも、ロブロ爺も、アドルスカも、みんな戦って死んでいった。
私はただ一人戦い続けた。痛み、眠気も、疲労も、全てを振り払いながら敵を殺していった」
声からは感情が消えていた。修羅に身を委ねた記憶が、男の心を削っていく。
「そして全ての苦痛が限界に達し、膝を付きかけた。だがな、それでもなお――――死ぬわけにはいかぬと思った。
そして無理やりに体を引きずり起こし、剣を振った、振り続けた。
恐らくは、それが私が生きていた頃の最後の体験だったのだろう。
気がつけば私は、鎧となっていた。あらゆる痛みも疲労も感じない、戦場をさ迷う鋼と化していた。
そのまま私は、全てが終わるまで戦い続け……全てが終わってもこうして戦い続けている」
にわかには信じがたい。しかし目の前には事実がある。
この残骸の騎士は、戦い続けるという意志が死してなおこの世に残った亡霊だ。
「――ジャド、あんたの事はわかった。次は私も、ここに来た理由を話すよ。
私の目的は、今まであんたが守っていた城塞都市、その中にある」
少女の言葉に、過去の記憶に沈んでいた騎士も我を取り戻した。
「なっ……? だ、だめだ、あの中には入らないでくれ! あの中には誰も入れたくないんだ!」
狼狽する騎士とは対象的に、少女の眼には決意が宿っていた。それは金剛石のように輝く意志の光だ。
「いや、あたしはあの中に入る。あの中にはあたしが探していたものが……」
不意に言葉が途切れる。急に跳ね上がった黒騎士の腕が、フォルシアを後ろへ押し飛ばした。
「――わっ!」
同時に、眼前を輝く熱流が真横に駆け抜けた。
ゴ オ オ オ オ オ オ オ オ ッ ! !
――な、なんなの!?
熱風が肌をチリチリと焼く。突如真横から放たれた魔術による高熱砲が、黒騎士の傍らを貫いた。
ジャドに押されなけばあそこにいたのは自分だ。
熱線は城壁に着弾、派手な音を立てながらその表面を貫通、大穴を開けていく。
金属壁が溶解、赤火に染まる溶けた断面が見えた。
「ジャド!」
呼びかける、同時に黒騎士が真横へと吹き飛ばされた。
「おおおッッ!?」
声と共に、ジャドの巨体が城壁に開いた穴へ埋まっていく。
「――なん……なの、これは!?」
我が眼を疑う。ジャドを吹き飛ばしたのは闇より飛び出した更に巨大な塊。
黒騎士よりも大きい体高は約五メートルほど、生気の無い茶色の鱗が全身を覆う。背後には体高とほぼ同じ長さの尾が伸び、両腕には長く伸びる蒼輝の輝きを放つ爪。そして、全身に刻まれるは魔術文字
――これ……地竜じゃない!?
地竜、最強の種族と呼ばれる竜種の中でも翼を持たぬ陸上性の竜だ。その分、鱗と力の強靭さに優れるという。
「……なに、こいつ、妙だわ……?」
違和感。全体的に、生きている気配が無い。赤く光る筈の両眼は鈍く濁り、腹の蠕動など呼吸をしている動きがない。
何より、普通の竜の表面には人間が扱う魔術文字など書かれてはいない。
「チっ、初撃は外したか」
闇の向こうから男の声が響く。やがて、声の主が姿を表した。
淡い光を上げ、足元から徐々に姿が現れる。軍事用光学迷彩魔術の一種。
移動用に簡素に改造されている、濃い紅を基調とした呪系衣装。顔は紅布がま巻かれて見えない。竜と同じく全身に書かれた魔術文字が発光=魔術が発動している証。
そして、右手に握られた蒼い宝玉。恐らくは操作玉の一種。操られるは死竜。つまり、この男の技能は、
「……死霊術士」