焚き火
▽
かつて、アドラネクの山間には城塞都市があったという。
祖母から重ねて聞かされた話を、少女――フォルシアは思い出す。
若年ながらもこうして巡回商人としてあちこちを歩き回るようになると、自然と見識は広がってくるものだ。
大道芸、国の情勢、特産品に物価に相場。
その中にはもちろん怪談紛いの話もある。
しかしその類いが、実際に目の前に現れたのは初めてだった。
辺り一面に散乱する武器や兵器、馬具や鉄片の残骸。そして無数かつ乱雑に突き立てられた、墓標を思わせる様々な剣。例えるなら正しく剣の林。
夜の幕を僅かに照らす、炎がはぜる焚き火、その向こう側に座る人影に目を凝らす。
「ねぇ、――おっさん、名前なんていうの?」
問いに人影はピクリと反応を示した。
空から刺す月明かりがそれの全身を照らす。
闇よりも濃い、漆黒の全身甲冑。顔さえ兜に包まれてよくわからない。
今は壁に背中を預けあぐらをかいているが、立っていた際の身長はニメートルを超えていた。手足は全体的に太く逞しい、見る者に強靭な印象を与える。
黒鋼の巨人、そうとしか形容できない異様。
「――ふぅむ」
嘆息を示す低い声。黒鎧の大男が、焚き火を挟みフォルシアを見つめる。その太い腕が伸ばされ、これまた太い指が二本、掲げられた。
「まず、私が言いたいことは二つだ。
一つ、名を問うならばまず自らが名乗ること。二つ、『オッサン』ではない、せめてオジサマと呼びなさい。――しっかりと愛を込めてな?」
「……あたしはフォルシア・ダーナ、年は十六。巡回商人やってるんだ。――これでいい、オジサマ?」
半ばあきれ気味の口調で希望に応える。とりあえずこの黒鎧の要望と質問には素直に従ったほうがよさそうだ。今のところ危害を加えるつもりはないようだが、これからもそうとは限らない。
路銀稼ぎに、武具でも剥ぎ取ろうかと思ったらとんでもないものに見つかったものだ。やはり兵隊の死体なんぞにうかつに近寄るものではない。
逃げ出そうとしたら、こうして捕まって面を突き合わせる事になってしまった。
「ん、素直で結構。それでは私の名乗りを良く聞きたまえ」
どこか仰々しい口調で見栄を切る黒鎧。
「――我が名はジャド・ジャック・フォン・フロントッ!
賢公王フロアイダ陛下より、国剣十一騎士に選ばれた騎士である。
初陣は十三、首印三つを上げ、次の戦場では首印四を上げた……」
豪風、雷混じる嵐のような轟声。ビリビリとフォルシアの鼓膜が震える。横を見ればそこらに突き立った剣の刀身まで震えていた。なんだこの毒音波は、キャベツの酢漬けでも腐りそうだ。
「名高き剛勇、《石斧》のエッダンを討ち取ったのは齢二十ッ!
そこからの手柄首も数知れず、更に有名な骨埋め丘の合戦では……」
「うるっさいから黙れおっさん!」
裏が返る声、思わず怒鳴って止めた。もう身の危険がどうのこうのではない、このままでは脳がやられる。
「な、なんだ私の名乗り口上になにか問題でも……」
「だから、うるさすぎるのッ!」
フォルシアの剣幕に、強壮な黒鎧も一歩引いた。
「あんたがジャドってのはわかった! それ以外は特にどうでもいい!」
「え、えぇ? どうでもいいの……結構考えた口上なんだけど……」
気迫が弱まる。黒鎧は以外と打たれ弱いらしい。
なんにせよ、この男の口上など一々気にしてられない。こんなデタラメな口上などどうでもいい。
「う、うむ……それでフォルシアよなぜお前はここにいるのだ? 商人が巡回するにはいささか外れた場所だと思うが」
首を傾げるジャド。装甲が軋んだ音を立てた。
「まあちょっとこの辺に用があって……」
「この辺、つまり」
剣呑な空気を帯びる黒鎧の声。コォンッと、小気味よい音を立て背後の城壁を小突いた。
「――これ(・・)か」
見上げるは天を突くほどの城壁。森の中で真上から見て、六角形状に組まれた城塞都市の巨大な城壁がそびえていた。
しかし、そこには城に取って血液でもあり心臓でもある存在、人の気配は全くなかった。
錆が浮かぶ表面、爆発の破砕痕、突き刺さった大量の矢。数々の破壊の傷痕と、朽ち果てた死の香りが、壁越しに生者の嗅覚を刺激する。
――こいつ!
急に圧力が増したジャドに気圧されながら、フォルシアは慎重に言葉を紡ぐ。
「……この辺の村から聞いたんだ。城壁を守り続けている黒騎士がいるって」
曰わく、その黒騎士は無限の生命を持つ。
曰わく、その力、他の追々を許さず。
曰わく、その身にはあらゆる魔術が効かず。
曰わく、休むことも寝ることも無く。
曰わく、その武技を持って幾度も帝国の兵を打ち破り、屠る。
「この辺は帝国と共和国との国境沿い。――――二十年前、公国崩壊《青麦の乱》の際に治安維持の名目で進軍した帝国軍にただ一人立ちふさがった謎の騎士、それがあんたなのかい?」
闇の中、炎の照り返しを受けながら、黒鎧は失った物をその身に染み込ませようとするように、じっとフォルシアの言葉を聞いていた。
「……ああ、しばらくは平和だったのだが、どうも帝国共の兵がくるようになってな。私としても平和的解決を試みたが、いかんせんやつら聞く耳がない。そこで実力行使と相成ったわけだ。まったくやつらは手間がかか……」
ピタリと言葉が止む。グワンと巨体を弾ませ、高く跳躍。焚き火を飛び越え、土を巻き上げながら派手に着地。呆然とするフォルシアへ詰め寄った。
「ヒッ!」
「ちょっとまて! 公国崩壊とはどういうことだ? 帝国のやつらは公国に攻めてきたんじゃないのか? 公王は、フロアイダ陛下はどうなった!? 民草の生活は一体どうなって……」
「ストップ! ストォォップ! 近い! 熱い! むさ苦しい!」
たまらず黒鎧を押しのける。熊のような大柄に詰められては息苦しくてしかたない。
「あんたのいうフロアイダは滅亡から三代前の公王だよ、最後の公王がまだ子供で、食糧難からの反乱を抑えきれなくて国が割れたの!
今は共和国と別の王制の国になってんのよ、で、ここはその共和国の国領ってこと!」
もはやジャドの様子など気遣う余裕もなく、一気にまくしたてた。
実際公国滅亡からの十年は激動の時代だった。フォルシアが物心ついたころにも一部で内戦は続いていたくらいだ。
「はあ、はあ、どう!? わかった、おっさん!?」
息を切らせながら問う。しかしジャドは頭を抱えたまま止まっていた。
「ええー……ないわぁ、これないわぁ」「ちょ、マジ? これマジ?」という小さな呟きが装甲の隙間から聞こえてくる。
「つまり、あんたの言ってることはおかしいのよ! その代の公王の時代なら、生きてたやつはみんな老人通りこして墓の中! わかる!?」
「――ちょ、ちょっと待て小娘!」
「小娘じゃない! フォルシアだ!」
どうにか立て直そうとするジャド。手をバタバタと振りながらフォルシアを制する。
「その、つまり、もしお前の言うことが本当なら、その公王の時代から今は一体何年ほどたっているのだ?」
「もし、じゃない! 事実よ! 年数は……ええっと今年は共和創年二十年で、三代前の没年が公国起年三百二十二年だから……」
ひの、ふの、み、と指を折るフォルシア。やっと年相応な幼さが見える。
「あぁ……多分八十年くらいかしらね?」
「――――は ぁ ぁ ぁ ぁ あ あ あ っ !?」
黒騎士の轟声は、先ほどよりもより激しく、剣の林を震わせた。