門出
「婚約が決まった。セドリック王太子だ」
そんなことを言われたのは、誕生日から九ヶ月ほどたった時であった。
「誕生日パーティであなたと王太子が二人で話してた時に少し予感はしていたが、あちら側から二ヶ月前くらいに正式に婚約の申し出があった。こちらとしてはお前がいなくなってくれるだけでうれしいが、やはり誕生日パーティをするにはおとなしいという理由だけでやるには早すぎたな」
はぁ、とため息をつきながら公爵は私から視線を外す。しつけも教育もまだ十分にできていないのに、とつぶやきながら。
「まあ、いい。お前のやることは単純だ。あちらに行ったら粛々とあちら側の要求をのむこと。間違っても要求に背こうなどと思うなよ?そんなことをして被害を被るのはお前ではなくわれら公爵家だ。まあ、公爵家と王家は少し仲が悪いからな、何をされるかはわからないが…せいぜい殺されないようにしとくんだな。もし貴様が何かしてもされてもこちらは一切関与しない。何か質問は?…あぁ、そこのメイドに話せ。呪われたらたまらん。王家の者共が呪われるなら万々歳だがな」
「お嬢様曰く、自分は城に住むのか、だそうです」
「そうだ。もし婚約するなら城に住まわせることを条件にした」
もう、貴様と関わりたくはない。その目が雄弁にそのことを語っていた。明後日にはこの家から消えろ、そう言って私を公爵は部屋から追い出した。
あまりにも突然のことだった。実感がない。私はセドリックの婚約者となったのか。前世と同じだ。前世では確か10歳からセレーナとセドリックは婚約していたはずだが。そこは前世とは違う。でも、セレーナがセドリックと結婚するかどうかが前世と同じか違うかはわからない。だから、こそ。
「絶対に、愛さない。好きにならない。わたくしは、この国の王妃として、この国の一番の利益を考える」
あと数時間後に屋敷を出るというとき、私は窓から見える木を眺めながら、今まで何度も心の中に反芻していた言葉をつぶやく。少し動揺していた心が落ち着く。ふぅ、と息をつく。
ふと、風が吹く。
「騎士様?いらっしゃるの?」
あの日からずっと守ってくれている風の適性を持つ人のことを私は騎士様と呼んでいた。どうやら一人で守ってくれているらしいが、いつ休憩しているのかわからないほど声をかけた時は必ずいる。ここは塔ではないが、屋敷までついてきてくれたのか。
「おいでになって。ここには誰もいません。一度でいいから会いたいの」
戸惑ったような風が吹く。婚約するならば、この騎士様が私を守る必要はなくなる。行くのが王家で、騎士様の雇い主だからだ。そして騎士様はおそらく王家の影だ。前世で少しだけ耳に挟んだことがある。王の命を受け秘密裏に色々なことをする。その存在は完全に隠されており、実態を知っているのは王やその最も近い側近のみに限られるらしい。
「騎士様、わたくし、婚約します。婚約したらこのように放置されることもなくなるでしょう。王家の方々がわたくしを嫌っていようが守ってくれようが、どちらにしても誰かが監視につくことになるでしょう。この鍵は閉まっていて誰かが入るとき音がします。その瞬間に姿を消すことができるでしょう?」
ふっと背後に誰かの気配がする。
「ありがとう」
少し緊張をしている。この人がどんな人か、私は全然知らないし、わかっていないだろう。でも今までの交流で、優しい人であることくらいはわかる。意を決して振り向く。
思ったよりも幼い。まだ少年、といったとこだろうか。十代前半くらいに見える。少し明るい茶色の髪に、黄色がかったような緑がかったような茶色の目。悪く言えば地味だが、優しい性格をよくあらわしたような、そんな男性だった。
「はじめまして、セレーナ嬢。名前や年齢は伏せさせてください。本来はこのように姿を現すのもご法度なのですが、父に許可はもらってきました」
「ええ、わかっていますわ。騎士様…今まで、本当にありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
「わたくしは孤独でした。でも騎士様のおかげで、勇気をもらいました。わたくしのさっきの言葉、聞いてました?」
「はい…愛さない、とおっしゃっていましたね」
「ええ。この際なのではっきり申し上げておきましょう。雇い主に言っておいてください。セドリック殿下を絶対に愛さない。この国にわたくしより必要な方が現れたらこの席はすぐにその方に譲る、と」
「いいのですか?あなたはこの屋敷でだれにも愛されていない。セドリック様の婚約者となるということはセドリック様からの愛を受け取られる立場になるということなのに」
やっと愛してくれる人ができるのに、そう彼はつぶやく。でもだめだ。私は知っている。
「詳細は伏せますわ。…でも、あと数年後に、聖女が現れます。その方はこの世の悪というものを知らない、純粋で、誰からも愛される存在ですわ」
「そんな、何の根拠が…」
「まあ、絶対とは言いません。でもそれをなしにしても…わたくしは、愛されていい存在ではないですわ」
「そんなこと「わたくしは、闇属性です」
否定しようとするその言葉を遮る。自分でも少しびっくりした。最初、この世界で生まれた時は気にもしていなかった。だって前世で私は偏見を持っていなかったから。でもずっと、呪い子だと、闇属性はいらないと、言われ続けてきた。たった三年、されど三年。まだ幼いこの頭の価値観を書き換えるには十分だ。たとえ、精神力が人生二周目だとしても、体は三歳だ。精神は体に引っ張られることを最近理解した。
「だから、愛されない。それに、この髪に目。まるで悪魔みたい」
それは一年ほど前からメイド長から言われ続けた言葉。改めて鏡を見つめると、確かにそうだと納得してしまった。闇のようにすべてを飲み込みそうな黒い髪、血のように赤く濁った目。前世のセレーナは、それを気にしてか、茶色のウィッグをかぶり、眼鏡をかけていたことを思い出す。ウィッグだと知ったのは確か処刑されるときだったか。黒髪だったのか、と少し驚いたものだ。
騎士様を見る。少し驚いたように目を見開いて固まっていた。やがて、ゆっくりと瞬きをして、こちらを見る。
「あなたは、私が見てきた令嬢の中で最も美しく、かわいらしいですよ。宵闇のように吸い込まれそうな髪にルビーのようにきらめく瞳。どちらの色も気高くて美しい。そんなあなたに、こちらを」
「?」
そういって、騎士様はポケットから箱を取り出した。
「本当は渡すつもりはなかったんですけどね」
少し笑って箱を開ける。そこから出てきたのは、複雑な色合いの宝石がついたネックレス。まるで騎士様の目のように緑や黄色がかった茶色。
「シンハライト、といいます。意味は、『自分らしく生きる力』『勇気』。新しい門出に立つあなたに」
「これを、わたくしに?」
「はい。これからあなたはやっと自分らしく生きることができるでしょう。それでも勇気が出ないときは自分を信じて突き進んでください。あなたの未来に祝福を」
私が感謝を伝えようとした瞬間、ぎっと音が鳴った。誰かが入ってくる。その瞬間に、目の前から騎士様は消えた。私は涙が出そうになっていた顔を必死に取り繕って顔を上げる。そしてネックレスをポケットの中にばれないように仕舞う。
「お嬢様、時間です」
「外へ行きましょう」
「わかったわ、エレナ、アリア」
二人とはここでお別れだ。興味はあまり持たれなかったが、欠かさず世話はしてくれていたし、偏見もあんまり持っていなかったためか暴力を振るわれたことはなく、話も聞いてくれはしていた。感謝はしている。
「ええ、アリア、エレナ、今まで世話をしてくれてありがとう」
「いえ、仕事ですので」
「お元気で」
ニコッと笑って馬車に乗り込む。両親は来ない。でも心は軽かった。騎士様にはいつか感謝を言いたい。もう会うことはないのかもしれないが、小さな騎士様のことを私は忘れない。ポケットの中のネックレスを取り出し、首にかける。
さあ、城へ向かおう。




