1杯目2口 リンソール子爵夫人となったエミリアの出会いと顛末
〜登場人物紹介〜
◇マリア……セントルローズ公爵夫人。お茶会主催者。
◇ヴィエラ……先々代セントルローズ公爵夫人。
─本日の招待客─
◆ローラ・メイトラント……カステア伯爵夫人。マリアの友人。30歳。結婚8年目で息子が1人。
◆エミリア・ホランド……リンソール子爵夫人。結婚を3ヶ月前にしたばかりの新婚。19歳。
◆ティルマ・ハーパー……ロンモルト侯爵夫人。38歳。お互いに再婚した夫婦。ティルマは1人目の夫との間に息子が2人いて、ロンモルト侯爵には先の夫人との間に娘が1人。今は夫婦の間にできた娘がもう1人いる。
その日────トレイアム伯爵の愛娘であるエミリアは
母親と本屋に来ていたが、出る頃には辺りは薄暗くなり始めていた。
『遅くなってしまったわね。辻馬車でもつかまえましょうか?』
母親が侍女と話し合っていると、細い路地から体躯の大きな髪の毛に白髪の入り混じった男が、ふらりと現れたのだ。
買ったばかりの本を持っていたエミリアは、咄嗟に避けきれずに その男にぶつかってしまった。すると、男は凄い勢いで振り返った──
『ぁあ!?お嬢ちゃん、今その固い本をぶつけた?腕に角が刺さったよ! ああ、痛かったなぁ〜酷いな』
男はスーツ姿にステッキを持っていて、紳士階級ではあるようだ。酔っているらしく、口からは酷い酒の臭いがする。エミリアは顔をしかめて身を引こうとした。だが男は彼女のその腕をつかんだ。
『ちょっと! 何しているの!? 娘を放しなさい!!』
母親が声を上げてくれたが、男はニヤニヤと笑うばかりで放してはくれない。振りほどこうとしても逆に相手に力を込められて、痛みにエミリアは瞳に涙が滲んだ。
大声に、周囲が騒めき始めている。が、皆 遠巻きに見ているだけだ。
(誰か助けて────!!!)
その時だった──まるで天にエミリアの祈りが通じたかのように、背の高い若い男性が現れて
『何をやってるんだ!! その女性を放せ!』
と酔っ払いを殴り倒した────!!!
「キャ──────!!」
「やるじゃないの!」
「それは心奪われるわよね!」
応接室には、女性達の歓声が飛び交った。
91歳のヴィエラも、刺繍の手を止めて微笑んでいる。
だがエミリアの顔はすぐに神妙なものになった。
「実は──この話には、裏があったんです」
「裏?」
「一体何?」
「助けてくれたのはリンソール子爵ではないとか?」
エミリアは首を振った。
「助けてくれたのはスコット・ホランド。確かにリンソール(子爵)でした。私は、彼が私を暴漢から守ってくれたんだとばかりに思って、あの時から彼に一目惚れでした。
でも私を襲った男は 彼の知り合いだったんです。知り合いどころか…………父親でした」
最後の事実に、全員が驚愕する。
「「「「ええ?!」」」」
「先代のリンソール子爵──彼の父親は若い頃から酒癖が悪くて領地管理も資金繰りもなっていなかったようなんです。リンソール領の赤字続きと酒代やギャンブルのことはいつしか王室にも明るみになって……。それで、陛下がその父親に爵位の返還を命じられたくなければ、全てを息子に譲るように命じられたんだそうです」
ティルマは大きく相槌を打った。
「だからご存命なのに息子が爵位を継いでいるのね!」
ローラは少し瞳を泳がせて
「じゃあ、彼はつまり飲んだくれの父親を殴ったわけね。エミリアはどうだったの?……救ってくれたのには変わりはないけれど、一目惚れの輝きは……少し褪せた?」
と尋ねた。
エミリアはテーブルの上で手の指を組んで、少し考えてから口を開いた。
「2度目に会って私が御礼を伝えたときに、スコットは自分からすぐその事実を教えてくれたんです。……確かに 私は少し思ってしまったかも──"なぁんだ、私がどうのこうのではなくて、親子喧嘩だったんだ"って。でも……」
彼女は 組んだ指に力が入ったようだった。
「お酒の断てない困った父親がいるのに、彼が領地を立て直そうとしたり、母親に優しくしたり、良い病院を探したり…………いろんなことを頑張っているのを、だんだん知るようになったんです。それで私 なんだか 胸がきゅっと、締め付けられるような気がするようになって」
エミリアは、実際に胸を片手に当てていた。
女性達は、みんな 少し細めた瞳で彼女を見つめて小さくうなずく。────離れた一人掛けソファにいるヴィエラも。
「よく話すようになったある日、思い切って言ったんです。うちはかなり裕福だから、私と結婚したら多額の持参金が手に入る────
『うちはかなり裕福だから、私と結婚したら多額の持参金が手に入るはずよ。リンソール領の経済事情は秘密にして、私に結婚を申し込んでくれたら、少なくとも今ある借金は帳消しにできるはず』
ある夜の舞踏会のバルコニーでのことだった。いつも話を聞くだけ──スコットの何の力にもなれないエミリアは、突然頭に浮かんだ案を、深く考えもしないで口にした。
『どうせ私の結婚相手なんか父が見つけてくる見ず知らず人なんだと思う。父は条件を厳しくすると言っているから、きっと裕福な爵位持ちでしょうね。そんな人は私の持参金はそもそも必要ないもの。
あなたのリンソール領の立て直しに使ってもらった方が私……』
『だめだ!!!』
スコットが激しい剣幕で怒ったので、エミリアは驚いて肩をビクリとさせた。
『そんな……自分をどうでもいい財布みたいに言うなよ、エミリア! 君は優しくて綺麗で、持参金なんか無くったって隣にいてくれたら……それだけで男なら幸せになるような女の子だよ』
その真剣な口調は、これまでにエミリアが聞いたことのないものだった。スコットはエミリアとの距離を縮めて、その華奢な両肩をつかんだ。
剥き出しの白い肌は、彼の熱をそのまま伝える。
『だから絶対そんなふうには君を扱いたくない。
いつか……いつか、いつか、そんな未来があるんだとしても、僕は君のお父さんにちゃんと真実を言うよ。それから、愛してるから結婚したい────って』
2人はしばらく見つめ合った。互いの瞳にあるのは驚きと困惑だった。互いにそれを認めて、我に返る──
『ごめん!!』
慌ててスコットはエミリアの両肩から手を離した。彼はそのまま背を向けて離れていく。そして スコットはエミリアに振り返らないまま、告げた。
『──ごめん。…………だから もう、行ってくれ……』
エミリアはその後ろ姿をただ見つめる。
『僕の隣に君は……いてはいけないと思う……』
見つめていた瞳が潤んで煌めいた。
『だからもう、行けよ!』
そう叫ぶ彼に駆けていき、エミリアは迷うことなく 広い背中に抱きついた。
聞いていたマリア、ローラ、ティルマ、ヴィエラからは、ホゥっとため息が漏れた。────落胆ではない、羨望のようなため息。
エミリアは話を続けた。
「2人で結婚しようって決めてからも大変で……。うちの母はあんな失礼な酔っ払いと親戚なんて嫌だって大反対でしたし、父ももっと良い条件の相手はいくらでもいるって……難色を示しました。
でも、私達は頑張って説得しました。私……私は、持参金も地位も関係ない愛を持ってくれているのは、スコットだけだと思ったし、私が持参金も自分も差し出したいのは彼にだけだと気づいたの。だから……だからっ……」
話していて気が昂ったのか、エミリアは言葉が上手く続かない。マリアはテーブルの上で握り込まれていたエミリアの手に、上から右手をそっと重ねた。
「────分かるわ。みんな伝わっている。……少し紅茶を飲んで。気持ちが落ち着くわ」
エミリアは黙ってその言葉に従い、ティーカップを持ち上げた。
「紅茶の香りは、昔から女性の気持ちをしずませてくれていたのよね」
ローラもエミリアに優しく声をかけた。ティルマもうなずいている。
エミリアはベルガモットの香りのするアールグレイティーを何口か仰ってから、ソーサーにカップを戻した。────みんなを見渡す。
「ありがとうございます、みなさん。私、何だかあの時の気持ちを思い出してしまって」
落ち着きを取り戻したエミリアに、1人掛けソファのヴィエラから質問が投げかけられた。
「気になっているんだけれど 一つ良いかしら?あなた、あちらのお義父様とは上手くいっているの?」
エミリアは視線をそらして……顔を赤らめた。
「お酒が入っていない時は普通の方なので、大丈夫です。でも同じ屋敷にいる時は、その…………」
全員がエミリアの言葉に聞き耳をたてる。
「お義父様がいつ飲んで我を忘れた行動を取るか分からないからって、スコットが──夫がいつも一緒なんです。
日中は召使い達も動いてますから別々のこともありますが、夜 家にいる時には……片時も離れてくれなくて……」
ティルマは、ハッキリとそれを尋ねた。
「お風呂もベッドも?」
小さく息を飲んだのが誰なのかは もはや分からない。
「はい。朝まで。いつもずっと一緒です」
エミリアは照れて真っ赤になっていたが、とても幸せそうに答えた。
「飲んだくれも価値があるものねぇ」
ヴィエラの一言に、応接室はどっと笑いに包まれた。
みんなで ひとしきり笑ったあと──息も絶え絶えだったが、マリアはティルマに声をかけた。
「ねえ、次はあなたよ。……話すことの準備はいい?」
ティルマは息を整えて、それからエミリアを見て言った。
「話すことは決めて来たんだけど、変えることにしたわ。────今の話を聞いて」




